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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第九章 北辰星 参 継がれゆく「教え」 壱

 聞けば、聞くほど終わらない。

 そして、調べれば、調べるほど、この物語は続いていく。

 じいちゃんの生きた時代、その道のりは深く、広い。


 今の私たちの人生以上に、激動の時代を生きたじいちゃんのそれは、濃密で、多くの事件、事象が絡まり複雑だ。

 そこからすれば、今を生きる私たちの人生とはなんと薄っぺらいものか。


 会社での無理な残業、突然の仕事、キツイ上下関係、取引先からのパワハラ。

 家庭での責任の押し付け合い、毎月の支払、お金の不足、子どもたちに向き合えないことによる自己嫌悪、パートナーとのコミュニケーション不足、時間・意見のすれ違い、大切にされていないと思う疎外感。


 今では、これらのモノが生きることへの悩みの上位に位置している。

 私たちは、既に多くのモノを手に入れ、そしてその中でまだ「不十分」だと、より多くのモノを求め続ける。

 これはまるで仏教における「餓鬼」のような状態なのではないだろうか?


 じいちゃんやばあちゃんは、激動の時代を慎ましく、だけど意志・大志をもって生きてきた。


 それは、ただしっかりと「生きる」というモノであった。

 だが、現代を生きる私たちにこの思考があるであろうか?

 そして、じいちゃんから「帝王学」を教え込まれた私は、きちんと生きているのであろうか?

 そんな想いの中で、私はまだじいちゃんの自伝の本格的な執筆には至ることができなかった……。


***


 夕食後、妻が風呂に入った後に、カヲルさんから聞いた話を文章としてまとめるのが今では私の日課だ。

 すでに23時は過ぎている。

 今日はちょっと気張り過ぎた。

 約8,000字の文字起こし。集中しているからこそここまで書けるのだが、なかなかに身体への負担は大きい。

 自分へのご褒美として、老人のラベルが印象的なウイスキーをグラスに注ぐ。

 ささやかな自分時間をほんの少しだけ満喫し、寝室へ向かう。

 心地よい脳の疲労とアルコールの作用によって私の脳は、すでにヒヨコが何匹も飛んでいる。

 明日の仕事があるはずなのだが、それを気にすることはない。



 オカシイ……。

 詩の部屋にまだ明かりが灯っている。

 いつもであれば、既に寝ている時間だ。

 また、疲れ切って寝てしまっているのだろう。


 最近では、部活に本腰を入れていると妻から聞く。

 起こしてしまわぬようそっと、その扉を開けて驚愕した。


「もう! マジでノックなしで人の部屋に入って来るとか、ありえないんだけど!」

 容赦ない蔑みのコトバが投げつけられる。

 えっと……。

 いま、23時を越えているのですが……。

 戸惑う私は、少ないコトバで問う。


「え? 詩、お前。こんな遅くまで何やっているんだ? 」

 非常にナンセンスだ。

 見ればわかることを問うほど、おろかしいことはない。

 私が詩の部屋の扉を開けて目にしたものは、勉強机に向かう姿。

 これまでの十数年の中で詩が勉強机に向かっている姿を、私は見たことがあるであろうか?

 理解が追いつかない状況に私は、忘我のあまり口をパクパクと動かしていた。


「マジきっしょ。とりあえず、部屋から出て行ってくれないかな? キリのいいところまで進んだら、リビングに行くから」

 アタマが混乱している。

 あんなにも勉強が嫌いで、身体を動かすことしか能がない詩が勉強をしている。

 何か悪いものでも食べたのであろうか? または、部活中、アタマを強く打ったのだろうか?

 そんなことをブツブツとつぶやきながらリビングに戻ると、すぐに詩が入ってきた。


「まったく、パパはデリカシーがないんだから。仮にも私、女子高生なんだよ? 着替えていたらどうするつもりだったの?」

 どうもこうもない。

 小さい頃から何度も見てきているのだから、今さら隠す必要はない。

 ましてや親子だ。なんで私が気を遣わなければならない。


「そんなことはいいとして、お前、何をやってたんだ?」

 また、同じ問いを繰り返している。

 それほどまでに私のアタマは混乱している。


「なにって、見ればわかるじゃない。勉強よ。勉強。私だって、高校二年生なんだよ? 大学受験に向けて受験勉強を本格的に始めたってわけ。なによ。その珍獣を見るような目は? 私が勉強しちゃあ、悪いってわけ?」

 別に悪くはない……。

 だが、自分の脳味噌の容量をこの子はきちんと理解しているのだろうか?


「大学受験勉強って……。お前、自分のアタマで大学に行けると思っているのか? これまでだって部活ばっかりしていたじゃないか。大学受験っていうものは、相当勉強しなければいけないんだぞ……」

 知った風の親のコトバである。

 まさか自分の口からこんな言葉が出るとは夢にも思わなかった。


「あ、ひっどーい! 自分の娘に向かっていう言葉じゃないよねー。ほんとうにデリカシーが完全に欠如しているんだから! 高校二年生のうちからしっかりと勉強すれば、十分間に合うって先生も言っていたもん! 毎日コツコツ勉強して、絶対に大学に合格してヤルンダから。」

 マジか……。

 本当に大学受験をするために、勉強をはじめたとは思ってもみなかった。

 しかも、その口ぶりからも既に学校の先生とも進路について、話し合っているようだ。


「お、おう。わかった。わかった。そうだな。努力をすることはいいと思うぞ。でも、あんまり無理すると、熱が出るから無理はするなよ。ちなみに、行きたい大学とかってあるのか? 大学によっては、それなりのお金を準備しなきゃいけないしな」


 詩は少し顔を赤らめ、俯く。

 なにをためらう必要があるのだろう?

 自分が行きたい大学の名前を言うのが、そんなに恥ずかしいものなのだろうか? 

 それとも、受かる可能性が低いということなのだろうか?

 はたまた、学費が高額になる医学部などを受験したいと言い出すのだろうか?


「……いじ……、の、がっ……」

 蚊の鳴くような声が聞こえる。

 私は身を乗り出し、右耳を詩へと向ける。

 そんな小さな声では、聞こえるはずがない。


「ちょっと、聞こえないよ。はっきりと言ってくれないと。なんて言ったのかもう一度、お願いできるかな?」

 スウっと、詩が息を飲む音が聞こえる。

 イヤな予感がする……。


「ひいじいじの通っていた、大学に行きたいの!」

 いきなりの大声が耳に刺さり、軽い眩暈を起こす。

 聞こえないとはいったが、さすがにこれはないのではないか?

 それと……、なんだと……? じいちゃんの通っていた大学だと?


「おいおい、詩、正気か? あそこの大学ってかなり難しい大学なんだぞ? 相当に勉強しなければ、まず無理だぞ」

 その大学の学費や受験料は意外と良心的であると聞いたことがある。

 だが、何よりも難関大学といわれる大学だ。

 特に英語が難しい。

 他の科目もかなり深く思考する必要のある問題が並ぶ。

 その上、ちょっとやそっと勉強したくらいでは、受験することすら叶わない。


 詩は、顔を真っ赤にし、俯いている。


「頑張るもん。もっともっと頑張るもん! 私、もっと『しゃんと』して、ひいじいじと一緒の学校にいきたいの! ひいじいじと約束したんだもん!

 絶対に心の中にいるひいじいじと一緒に、あの銀杏並木を歩くんだもん……」

 詩はそうつぶやくと、ポツリと涙を流した。


(つづく)

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