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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第八章 破軍星 伍 結のかほり

 春のニオイを感じる。

 ひ孫たちが庭に作った雪だるま達も静かに涙を流し、その姿さえ保てなくなってきていた。

 縁側にそそぐ陽光がその指で私を優しく撫でる。


 ああ。心地よい。


 こんなにも時間を、空間を、太陽の温かさを感じたのは久しぶりかもしれない。


 雀だろうか?

 囀る声が小さく聞こえる。


 どこかの家の朝餉の香りだろうか?

 小麦が焼ける香ばしい香りと、卵の柔らかく、だが濃厚なニオイが鼻腔をくすぐる。

 それらは、幼い時分のそれを思い起こさせる。


 この世界は、平和だ……。



「じいちゃん……」


 おや。

 どうやら少し眠ってしまっていたようだ。

 今日は白を呼んでおいたのだ。

 白の娘の詩と、息子の虎の入学祝いを渡すためだ。



 それと……。

 最後の「教え」を渡すために……。


 安楽椅子から身をよじると、白が私の手を引き、優しく引き起こしてくれる。


 こんなにも逞しく、イイ男になったのか……。

 足元にまとわりつくように「じいちゃん」と遊びをせがんでいた小僧が、ここまで……。



「早かったな。ちょっと待っとれ」



 化粧棚から封筒を持ち出す。

 この日のために雄に準備させていたものだ。


「入学祝いと、ご祝儀だ。もう、長くないかもしれないからな。奮発しておいたぞ」


 ついぞ自虐的なコトバが漏れる。

 いや。本心かもしれない。


 私自身、本当に感じていることが口をついたのかもしれない。



「それとな。白明に言っておきたいことがあってな」

 ここからが本題だ。

 自然と私の中のなにかが「しゃんと」する。


「今まで色々と教えてきたがな。覚えているか?」


 今さら試すように聴くことではない。

 応えることを求めているのではない。


「私も もう長くないかもしれない」


 また口の端から漏れる。

 本心。なのであろう。


「家長の何たるかをすべて教えてきたが、最後に。な」


 そう。

 私も同じように親父様や叔父様から、半ば強制的に教えられてきた。

 そして、そのように生き、お前たちにも伝えてきた。



「なんもかんも、全てお前たちにやる。好きにしなさい」



「好きに生きなさい……」



 言い終えて何かが、フワッと陽の中に飛んで行ったような気がする。



 嗚呼、私の仕事はこれで本当に終わった……。



 目の前に座す白が、涙を浮かべている。



 男子たるもの泣くのじゃあ、ありませんよ。



 これからおまえの前には、馬鹿みたいに広い世界が広がっているんだ。



 そんな瞳じゃあ、曇ってしまってキチンと見えないだろ。



 背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いて、「しゃんと」しなさいよ……。


(つづく)

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