第六章 武曲星 弐 息子という他人
上手く行っているときというのは、別のところでうまくいかないことが多い。
これは、これまでの人生経験で私が得た教訓のようなものだ。
慢心しているときほど、人は細部を疎かにする。
そこから生じる小さな亀裂から思いもよらないような大惨事へとつながることは多い。
気付いた時には既に手が付けられないほど、ということも少なくはない。
だからこそ、その小さな歪みに気付いたらすぐに対処をシナケレバならない。
***
気付けば息子の雄は、20歳になっていた。
小学校、中学校、高校と大きな問題も無く過ごしてきた彼は、照がいうには私に顔立ちが似てきているそうだ。
私は仕事三昧、酒の付き合い三昧で子育てらしい子育ては結局できなかった。
いや。できなかったとも違うな。
「男は仕事をたくさんし、たくさん稼ぐ」それが風潮。男は仕事をし、女は家を守るもの。それが私の幼い頃よりも強くなってきたように思う。
働けば働いただけ、そして、頑張れば、頑張った分だけ、収入やその地位が上がって行く。
今は日本政府ですら、それを煽るように「男は仕事」というものを推し進めている。
戦後の国内総生産がもう少しで米国を抜く勢いだと騒いでいるのが、これを余計に後押ししている。
まあ、私も御多分に漏れず、自ら激しく働き、そして、部下にもそれを強いている。
もちろん家庭を顧みている時間なんてものはないのだ。
私は、家族のために、日本のために、そしてちっぽけな自己顕示欲のために息子たちを照に任せ、仕事と酒をただひたすらに、重ねているのだ。
正直に言うと、実は雄とはソリが合わないのだ。
幼い頃こそ、私が努めて「しゃんとしろ」「礼義とは……」と躾をしていたのだが、照からすると時代錯誤だという。
結局のところ、私の忙しさも相まって、教育に関しては照に任せっきりになってしまった。
だが、これがまずかった。
雄が高校生の頃だろうか。酒に酔って帰った私は、たまたま起きていた雄に対して、
「勉強はしているのか? しゃんとせねばならんぞ」
と、叔父様が昔よくいっていた言葉を投げかけると、私をキッと睨み、吐きつけた。
「父さんは、よくそういうけど、自分こそできているのかよ!? 母さんにばっかり迷惑をかけて!俺は、父さんとは違うんだ。絶対に母さんを邪険に扱ったりはしない!
『しゃんとする』って、なんだよ! 家族を大切にすることよりも大切なことかよ!」
まあ、なんという甘ったれに育ったのだろうか。
正直、がっかりした。
私が稼ぎ、その中でヌクヌクと育ったくせに、あろうことか私をなじるとは。
自分がまだ世間知らずで、未熟だというのに誰に向かって言っているのかと。
気付いた時には、雄を張り倒していた。
雄は、左頬を抑え、相変わらず鋭い視線を私に向ける。
ああ、この子は私の子ではあるけど、心は他人なんだな。
私が伝えてきたことのどれほどが、この子の中には残っているのだろう?
仕事にそのほぼ全てを捧げてきてしまったせいで、この子に伝えられなかったのだ……。
落胆にと共に、諦めのようなものが私の中に生まれてくる。
いろいろと抱えていたものがスゥっと消えた瞬間だった。
「なんで父さんは、兄ちゃんを殴ったりしたんだよ!」
英が割って入って来ます。ああ、この子もですかぃ。コトの次第もきちんと判断せずに感情だけで動く。
そんなことを私は一切教えたことは無かったのですがね。
「あらあら、まあまぁ。大きな音がしたと思ったら一体何ですか。まあ、雄! お父さんのことを何て目で見ているんですか! ほら、英。明日の宿題は終わっているの? ほら、清さんも。お水を飲んでくださいまし。
うちの男らときたら……。ハイハイ。清さん、まずは背広をこちらで預かりますよ」
雄も英も各々の部屋に戻って行く。
私よりも照のコトバに忠実とは、なんとも複雑な気分だ。
「清さんも大人気ないですよ。相手は子供なのですから。それにあの子達、清さんが思っている以上に努力をしているのですよ。
雄に至っては、『父さんみたいに成功したいんだ!』って、学校でもかなり頑張っているみたいですよ。あなたがいう『しゃんと』してきていると、私は思いますけどねぇ。
あの子達なりに、あなたの背中をしっかりと見て、追いかけているんですよ……。
さて、どうなさいます? 今夜もお飲み直しなされます? それともお休みになられますか?」
照はそういうが、あんな態度を取られたら、こちらだってあたまにくる。
しかし、雄が私にそんな想いを持っていたとは……。
子供とはなんとも、難解だ……。
照が盆にウイスキーと氷を乗せ、やって来る。
ラベルに老人が描かれる私のお気に入りの一つだ。
「まあ、そんなに難しいお顔をいつまでもされていないで、一献、いかがですか? 明日もお仕事でしょうから、あまり無理はなさらないでくださいな」
照のこういうところが、恨めしいくらいに可愛い。
ウイスキーグラスを氷で満たし、ウイスキーを注ぐ。
琥珀色の液体が氷を撫で、「カラリ」と小さな悲鳴を上げさせる。
悲鳴を上げているのは、果たして氷だろうか?
「照。明日、雄に『殴って悪かった』って、伝えてくれるか?」
グラスを唇に運びながら言う。
「はい。承知しました」
(つづく)




