第二章 巨門星 伍 商いとは飽きないもの
「清! しゃんとしろ! そんなんじゃ、取れる客も逃げちまう! 前を向け! そしてしゃんとしろ!」
うるせぇ。今日だけで何回目でありますか。私だって、好きでこんなことをやっているんじゃあない。
もっと大きな商いをしてみたい。
いつからか、私はそのように思うのでありました。
***
海野商店の仕事は繁盛しておりました。
最近では、日本中に道路を多く作り、自動車を普及させようとしていく動きがあるそうであります。
それに伴い、海野商店も当然のように繁盛して参りました。
その分、忙しくはなってきているのではありますが、結局としてやることは同じ。
材料を仕入れ、そして、お客に売り、そして納品する。
ただこの繰り返しでございます。
ときには、売掛などをごまかす客などもありましたが、私の目はごまかせません。
そんな私を叔父様は随分重用してくれました。
しかし、私としては正直なところ、この仕事から得られるものが、既にあまりありませんでした。
叔父様は忙しさで気分が乗ってくると、いつものように私に向かってこの言葉を投げてきます。
それは、自らを鼓舞・叱咤させるかのように。
私は既に十二分に「しゃんと」し、そしてこの海野商店を回しております。
叔父様こそ、もう少ししゃんとされた方がよろしいのではないでしょうか。
そんなことをいつからか思うようになっておりました。
「清、出かけてくる。番台は任せたぞ」
叔父様は最近、外へ、お出になられることが多くなってきました。
私に店を任せ、商売仲間との交流との話ですが、それもどこまで本当なのかはわかりません。
ただ、私はいわれたとおりに番台に座り、無骨な工夫を従えた親方連中に商売をしていたのでございます。
今回もお妾さんのところでございましょうか。
事業が大きくなりますと必然的に人は邪心を持つものでございます。
叔父様も御多分に漏れはしなかったのでしょう。
かといってそれを咎めるでもなく、ただ私は今、目の前にあることだけをこなしていたのであります。
そんな、自分を出せず鬱屈とした毎日に彩を与えてくれたのが、先月から奉公に来ている「照」でありました。
照は、あまり器量がいいとはいえませんが、なんとも人懐っこい女性でした。
鼻は団子のようではありますが、目は二重で大きく、お月さんのように真ん丸な顔。
笑った時にうっすらと出るえくぼが、その愛らしさを強調する人でありました。
そんな風体にも関わらず同世代の私に対しては主従の関係を無視し、「清さんは、少しは大人にならないといけないわね」と訓する始末でありました。
もちろん、他の奉公人や使用人の前では、そんなことをいたしませんが、私を同年代の男性として扱う体がなんとも心地よかったのを覚えています。
***
「清さんは、もっと強く発言してもいいと思っております! 旦那様が言いたいこともわかりますけど、私としては、旦那様が清さんをお叱りになる姿を見ていられません!」
叔父様の使いで、目黒の取引先に向かうダットサンの中で照がむくれ顔でいいます。
二人きりになるとこの子はなんとも怖いことをいう。
まあ、そんなところが可愛くもあり、私を見ていてくれているのだなぁ、となんとも気恥ずかしいキモチになるのですが。
「照。そんなことは言うものじゃあ、ありませんよ。叔父様もお考えがあってのことですから。そして、私が不甲斐ないのは確かなことなのです。そんなむくれ顔では、目黒の『神田』にもいい顔ができませんよ」
私は、むくれた照のアタマを軽く撫でると、自分でも気持ち悪いくらいに優しい言葉をかけておりました。
「清さんは、だから優しすぎると言われるのです。旦那様や『塩見』、『坂上』の方々が、優男だと言っております。もう少し、『しゃんと』なさってはいかがでしょうか!?」
なんとも。これでは妻に飼いならされる犬のようではないか。
私は、いつから照の夫になったのでしょうか。
「これ、照。言葉が過ぎますよ。照が気にしていてくれることはわかっています。大丈夫です。叔父様は、私に期待をしてくれているんですよ。大丈夫。私は『しゃんと』しておりますから……」
なんともこそばゆいような、温いような感覚が私をふんわりと包みます。
「清さんは、もっと羽ばたいていかれる方だと思うんです……」
私は聞こえないふりをして車窓から、整備されはじめた道路を見つめておりました……。
ちゃんといわなければいけない時なのかもしれない。そう思いながら……。
***
「叔父様、一つ、ご相談があります」
四日を伴った奥州への商いから帰った夕餉の折に、私は叔父様へお話を差し上げたのです。
実は数年来考えてきた事ですが、実業を優先するあまり言い留まっていたことでした。
今日は本心でこの人を説き伏せ、そして自らの歩みを進めたい。
その気持ちでいっぱいでありました。
「色々と大変だったのに、何を改まって。お前が奮起していることはよくわかっている。今日くらいは、十分にゆっくりするがいいだろう」
大きな体が軽く酒に酔い、揺れながら愛情の言葉で私を包んでくる。
それは、有難くもあり、今の私にとっては首輪を後ろから引っ張られるようなものでもありました。
嬉しくありつつ、だが、真綿で首を締められような苦痛。
そこから一つ抜け出なければ私の成長はないと、最近では思うようになっておりました。
「叔父様に育てていただき、ここまで商いを学ばせていただいていたのには、感謝の他ありません。一方、私としては、もう一段、商いを向上させたいと思っております。小生の齢もそろそろ数えで十七になります。つきましては、多摩の川を渡った先にあるという、福沢先生が建立された学舎で商学を学んできたいと思うのですが、お許しくださいますでしょうか?」
正直、一世一代の大勝負でありました。
外面や体裁に重きを置く叔父様であれば、もしかしたらお許しをいただけるかもしれない。
むしろ「早慶舎」で義理の息子が学んだとあれば、箔が付く。
そのようにお考えになる叔父様にだからこそ、この言葉を選んだのでございます。
「よくぞ言った! 清よ! しゃんと学んでこの海野商店をもっと大きくしてくれや。お前の想いが聞けて良かった!」
叔父様は、四角く大きな顔いっぱいに笑みと涙を浮かべ、その太い腕で私を抱きしめてきました。
なんという。
こんなことはいままで一度だってありませんでした。
いつも罵声に似た言葉で囃し立てられてきました。
私を一つの所有物として振り回してきたのに。
それが手を返したように、満面で喜んでいる。
何なのだ。
私は、あなた達の所有物ではありません。
例えそのように扱われていたとしても、私自身が慣れてしまっていたとしても、私は私でございます。
幸せそうな叔父様のお顔。
私は、顔では笑っておりましたが、唾を吐きつけたい気持ちでいっぱいでした。
(つづく)




