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かすかに、アニマの木の香りがする。
遠く・・・遠くで・・・
誰かの話し声がしていた。
―― そっか、ずっと探してたんだね。
ドメニカ?
聞き覚えのある声に僕は歓喜した。
よかった。無事だったんだ。
明るく元気な声はいつものドメニカだ。
僕は心底、ほっとした。
―― ヨセサン ミツケテ クレタ
答えたのは、がさがさと耳障りな声だった。
誰だろう?聞き覚えのない声だ。
―― 流石、妖精さんだね?
―― カンシャ シテイル
―― でも、妖精さん、どこに行ったの?
―― ヨセサン ココ
―― え?どこにいるの?
―― ココ・・・
ゆさゆさとゆすられて、はっとして目を開けた。
がっしりとした腕が僕のお腹のあたりで二つ折りにして、荷物のように僕はぶら下げられていた。
もう少し、持ち方ってものも、ないもんかなあ・・・
ため息を吐きそうになったけど。
いやいや、今はそんなことを言っている場合じゃない。
ドメニカと僕は、助かったのか?
「妖精さん、いないよ?」
「イル。」
そんな会話をしているふたりが見える。
ドメニカと・・・
え?オクサン?!
オークは会話なんてするわけないと思ってたのに。
歩きながらのんびりと話しているのは、ドメニカとオクサンだった。
「そんなこと言って、どこにもいないじゃない!」
「・・・イル・・・」
ちょっと怒ったドメニカに、オクサンは困ったように返している。
ドメニカには僕は見えてないらしい。
そっか。
僕の実体は消えたんだ。
マリエの涙から作った僕のからだは、魔力を使い果たして、きれいさっぱり消え去った。
今の僕は、マリエに出会う前の、森を漂っていたときの姿だ。
アニマの木から遠く離れ、実体を失った僕の存在は、あとはこのまま、ゆっくりと消えていくはずだ。
僕をこの世界に留めておけるものは、もうなくなってしまったから。
僕のすべてと引き換えに起こした奇跡は、オクサンを目覚めさせ、ドメニカを救った。
かあああっ、って叫んでないオクサンを見たのは初めてだけど。
こうしていると、ただの、黒いマントを着たからだの大きな人、って感じかな。
それにしても。よかった。めでたしめでたしだ。
みんなは・・・仲間たちは・・・少しは、泣いてくれるかな?
僕がいなくなって淋しいって、ちょっとくらいは、思ってくれるかな?
けど、マリエには、あんまり辛い気持ちにはさせたくないな・・・
まあ、フィオーリもいるんだし、大丈夫か。
・・・ゆら・・・ゆら・・・ゆら・・・
しかし、なんで僕は、この期に及んで、オクサンにぶら下げられてるんだ?
力を使い果たした妖精は、物語から退場、じゃないの?
だいたい、僕にはもう実体はないはずで・・・
オクサンは僕をどうやってぶら下げてるんだ?
それに、ここって、まだ、氷室のなかだよね?
寒さを感じないのは、僕に実体がないからだとしても。
それにしても、なんか、変じゃないか?
さっきまで何をやっても目を覚まさなかったドメニカは、平気な顔でオクサンと話している。
いくらなんでも、あんなにすぐに元気になるもんだろうか。
だいたい、オークがあんなに呑気に会話したりしないだろう?
ってことは・・・
これって、僕の夢?
「ユメ チガウ 」
「え?何?どうしたの?」
オクサンが突然脈絡のないことを言ったからだろう。
ドメニカが怪訝そうに尋ねた。
そうだ、オクサンは、今確かに、僕の疑問に答えたんだ。
オクサンは足を止めると、ドメニカを見下ろして、ゆっくりと言った。
「ソロソロ カエル ミンナ アリガト 」
「あ。もう帰っちゃうんだ。
じゃあ、また、満月休み明けにね~。」
ひらひらと手をふるドメニカに、オクサンもひらひらと手をふり返す。
そのドメニカにむかって、オクサンは、ゆるゆると、笑ってみせた。
オークって、顔もなにもかも黒い布に包まれてるからさ。
表情とか、見えるわけないんだけど。
でも、そのとき、確かにオクサンは笑ったんだ。
ドメニカにむかって。びっくりするくらいに優しく。
そのときだった。
辺りに響き渡る声が、呪文を唱えた。
「ひらけ~ ごま~~~!!!」
ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、・・・
扉が開く。
まぶしい光が、扉の隙間から差し込んでくる。
辺りは一気に明るくなる。
そっか。
もう、夜は明けてたのか。
突然支えを失って、僕のからだは地面に落ちた。
後を追うように、こつん、となにか小さなものが落ちてきた。
それから仕上げのように、ぱさり、と黒いマントがかぶさった。
実体はないから怪我とかはしないけど、びっくりした拍子に、一瞬、思考が停止した。
その僕らに現実は一気に押し寄せてきた。
「ドメニカ!」
「ミールム!」
複数の声が僕らの名前を呼びながら駆け寄ってくる。
やれやれ。これでもう、ドメニカは、大丈夫。
ほっとして目をつぶると、いきなり誰かに抱え起こされた。
「ミールム!
大丈夫っすかっ?
しっかりしてくださいっ!」
え?
あれ?
「・・・僕が、見える、の?」
うっすらと目を開けると、ドメニカにそっくりな目が僕の顔を覗き込んでいた。
「なに、寝とぼけたことを言ってるんっすか?
見えるに決まってるでしょう?」
フィオーリは怒ったように言ってから、がしっと僕を抱き寄せた。
「心配したっすよぉぉぉぉぉ。」
涙と鼻水ふり飛ばして大泣きする。
「い、いやいやいや、暑苦しいから・・・」
「暑苦しいくらい、我慢してくださいっす。
氷室のなかで、さんざん冷え切ってたんだから、ちょうどいいでしょ?」
「冷え切ってって・・・
ふ、ふ、ふぇいくしょい!」
言われた途端に寒気を感じて、僕は盛大なくしゃみをした。
って、あれ?
寒気って・・・くしゃみって・・・
「僕、実体が、ある?」
「だから、なあにを寝とぼけたことを。
とにかく、家に帰って、熱い風呂っす。
話はそれからっすよ。」
フィオーリは僕を軽々と抱き上げる。
「うわ、ちょっ、え?
っそ、それは、やめてよ!」
「なに言ってんっすか。
ふらふらんなって風邪引く一歩手前だ、ってのに。
いいから、おとなしくするっす!」
確かにね。僕は、妖精さんだからね。実体化したって、体重なんか、軽いとは思うけどね。
でもね、この話の攻略対象に、お姫さまだっことか、されたくないんだよ?
ちらりとマリエのほうを見ると、マリエはにこにこと笑ってた。




