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ついに明治元年 〈其の三〉


いよいよ徳川軍を討つべく官軍五万が東下したのが二月十一日。

沿道の諸藩は挙って官軍に恭順し、東海道は簡単に通り抜けられた。途中、甲州鎮撫の為に板垣と改名した土佐の乾退助率いる東山道先鋒部隊が大久保大和と名乗る人物に率いられた甲陽鎮撫隊なる集団と交戦した。その大久保大和とは、どうやら新撰組の頭目である近藤勇らしいと言う事が判明し、土佐兵中心の部隊では京都で斬られた夥しい仲間の、つい最近で言えば坂本竜馬と中岡慎太郎の復讐とばかりに流山で投降して来たのを捕えて処刑した。切腹すらも許されず、斬首に処したのである。

江戸でこれを聞いた隼人は、この処置に義憤を覚えて叫んだ。

「何故に斬首なのだ?!」

「__しゃあない、京で仰山志士を斬って来た新撰賊の親玉やからな」

「しかし、斬首とは酷ではないか。如何に非道の限りを尽くした新撰賊とは言え、近藤は勇猛の壮士だ。その最後は切腹をもって臨むべきではなかったのか?」

単純な隼人にはこの処置が納得できなかった。

「せやけど、近藤もそれなりにエエ生き方しよったんちゃうか?武州の百姓が凄腕の志士殺しとして勇名を轟かして、最後には旗本寄合格に任ぜられたちゅうてはしゃいどった言うやないけ」

「それが徳川のやり方か?」

隼人は声を荒げた。

「既に大政奉還し、幕府が瓦解した後で旗本だの直参だの、奴は一体何の為に戦ったのだ?」

「お前、どっちの味方やねん?」

猛は怪訝な顔をした。

「俺は誰の味方でもない。物の道理を言って居るだけだ!」

道理と言うより人情やろ、と猛は肩を竦めた。

同じ頃、先年薩摩の手先になって江戸で攪乱工作をやった相良相三が赤報隊を率い、官軍の名の元に各地で年貢の免除などを無断で布告し、それを咎められて粛清の憂き目に遭った。新政府としては様々な思惑も絡んだのだろうが結局は偽官軍として追討され、雛祭りの三月三日に首謀者以下が矢張り斬首された。革命の混乱期の事で、他にも何が何やら判らぬうちに刑死者が続出しており、中には成り行きで殺された者も居たのかも知れない。

しかし、江戸ではそれ所ではない。彰義隊騒ぎの真っ最中だったのである。


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