いよいよ慶応二年 〈其の三〉
忙しいと言えば、この時期は誰もが忙しかった。
ここは長崎である。
「……」
佐々木隼人は、生まれて初めて目にする外国人を前に、唸るように声を押し殺していた。それを窺う猛が、気が気でないという様子を隠そうともせず隼人を見守っていた。
「そないにシゲシゲ見るなや__」
紅毛碧眼、高い鼻に赤ら顔と言った、ステレオタイプとも言える異人の条件を満たした風貌の外国商人を相手に、隼人は息を詰めてその顔を不仕付けに眺め続けていた。
「__あ、あのな」
呆れると言うより、いつ異人に斬り掛かるかと心配を募らせながら隼人の一挙手一投足を油断なく監視する猛だった。
“やっぱり連れて来るんやなかった__”
猛と隼人は長崎に居る。
長州藩の武器の買い付けの為に外国商人を相手の取引に奔走しているのだが、その役目はもっぱら適塾中退の経歴を持つ猛の仕事だった。如何に斡旋企業の社長である坂本竜馬とは旧知であるとは言え、藩の運命を左右する重要な仕事に部外者が関わると言うのは不自然と思われる向きもあるかも知れないが、当時の長州はそれ程追い詰められていたのである。それに、現在長州藩は一応日本公式政府と国際的に認定された徳川幕府とは敵対関係にあり、取引相手の外国商人も出来れば長州の人間と関りたくない。それに歴然たる長州藩士よりも藩外の浪人の方がいざと言う時言い逃れが出来ると言う事情も有った。現に大村益次郎なども雇士身分の時に武器の買い付けの為に上海へ渡航した事もある。英語や兵器の知識に詳しいという条件に加え、正規の藩士でないという立場から選ばれたらしい。とは言えこの役目は蘭学者崩れの猛の仕事である。第一、直情径行の攘夷志士である隼人などを外国人に引き合わせたりしたら何をしでかすか判らないではないか。そう思って暫くは猛一人でこの仕事をこなしていたのだが、ある日、何を思ったか隼人が突然自分も異人と会って見たいと言い出したのである。
「__お、お前……」
猛は思わず言葉を失った。
「心配するな」
猛の言わんとする事は隼人にも先刻承知の上だ。
「只、顔を見てみるだけだ。俺も攘夷攘夷と叫んで居るだけでは何も進歩が無いからな。せめて一度位は戦うべき相手の姿をこの目にせん事には格好がつかん」
苦笑い、と言うには余りにふてぶてしい、相手を説き伏せるような確信を秘めた笑顔で相棒を眺めた隼人が、底に響くような声音で言った。
「安心しろ。如何に俺でも、白昼敵の陣中で行き成り斬り付けるような無謀な真似はせん。夷荻という生き物をこの目で見てみるだけだ」
熱心な懇願に断り切れず、猛は二日前から交渉を続けているイギリス商人に隼人を引き合わせたのだが。
隼人は益々怪訝な表情で首を捻りながら外国商人を眺めていた。相手の異人は、何やら困ったような笑顔を浮べながら大袈裟に両手を広げて見せた。それを見守る猛は、彼が今にも鯉口を切るのではあるまいかと息を詰めながら目を凝らしていた。もしも隼人が腰の大小に手を掛け様という素振りでも見せたら、問答無用で当て身を食らわせてやろうと既に覚悟を決めていた。
「おい__」
恐ろしく真面目な顔で、隼人が猛の方に振り返った。
「何じゃ、こいつは__」
やっぱり、と内心ボヤキながら猛が苦笑いを見せた。
「これが、異人か?」
「そうや__」
まあ、そう言うこっちゃ、と目配せで隼人に言い聞かせる猛だった。恐らく初めて目にする異人の姿に、さぞや面食らったであろうと隼人の胸中を想像する猛である。何せ、生まれて初めて外国人と会ったときには蘭学者崩れの猛ですらその異様な風貌に大きな衝撃を受けたのだから、国学思想に心酔した生粋の攘夷志士が抱いた驚愕と戸惑いは如何ばかりかと察するのである。しかし、次に隼人が口にした言葉は、猛にとって耳を疑うような内容であった。
「__こやつ、我々と代わらぬではないか__」
「__!?」
猛は言葉を失った。意外等と言う生易しいものではない。想いもよらぬ隼人の一言であった。
「異人と言う奴等はもっと人間離れした面構えをして居ると思っておったのだが……余りわし等と違いは無いのう」
「お前……」
絶句した猛は、目を白黒させながら隼人を見返した。
「いや、別に相手には日本語判らんから……」
或いは隼人は用心深く本音を隠しているのではないかと猛は思った。攘夷志士達は夷荻の事を禽獣同然の野蛮人だと思い込んでいる。もしかしたら、迂闊な事を口走ると相手が無分別に発狂して戦争でも仕掛けるのではないかと言葉を選んでいるのかも知れない。
「何を言うて居るのじゃ」
隼人には猛のもって回った気遣いが判らない。
「流石に我々と全く同じとは行かぬが……意外じゃな、ケダモノという程ではない、精々天狗になり損のうた赤鬼という位ではないか」
それもかなり無茶苦茶な言い草だが、それでも“動物”と言うほどではないと言う事らしい。猛は唖然として相棒を見返した。どうやら、予め抱いていた先入観と現実の落差が両者の感想の違いとなって現われたらしい。落ち零れたとは言え、一度は蘭学者を志した猛は、外国人というものに過剰な期待を抱いていた為に、自分とはかけ離れた、異人種の怪異な容貌に衝撃を受けたのに対し、夷荻に対して殆ど獣か何かではないかと偏見を抱いていた隼人の方が実物を目にして安心したと言うか、何やら拍子抜けしたようである。
「How do you do?」
異人が隼人に話し掛けた。
「My name is Joy!」
「こやつ、何と言うておるのじゃ?」
「ええ、と……」
蘭学が本業で英語の方は最近仕事と供に何とか勉強中の猛が、考え込みながら何とか異人の言葉を翻訳しようと頭を捻った。
「元気か、言うて聞いとるんや」
うろ覚えの英訳を頭の中で引っ張り出して、猛が漸くという感じで言った。
「自分の名前はジョーイて言うんやて」
「攘夷?」
隼人が眉を顰めた。
「こやつ、異人の癖に攘夷家だと言うのか?」
「いや、そうやのうて……」
隼人の早とちりに、猛が困惑しながら眉を顰めた。
「ジョーイちゅう名前なんや」
ちぐはぐなやり取りをしている猛と隼人に、異人ジョーイが手を差し伸べてきた。
「何をしようというのだ?」
握手の習慣など知らない隼人が、猛に怪訝そうな顔を向けた。
「南蛮では手え握って挨拶するそうやけど……」
差し出された手を見開いた目で見詰める隼人に、ジョーイが気さくなスマイルを向けた。猛は、隼人が行き成り狂乱でもしまいかと気が気でなかったが__
「__?」
隼人がジョーイの手を握った。それでも猛は、今にも隼人が異人の手を捻って投げ飛ばすのではないかとハラハラしていた。しかし、隼人は何事も無く握手を交わし、ジョーイも隼人の手を握り返した。気難しい顔でジョーイとシェークハンドを行う隼人の姿を、猛はあっ気に取られたような想いで見返していた。
どうやら、隼人はこの外国商人と奇妙に気が合ってしまったようである。大西洋から遥々インド洋を越えて極東の島々にまでやって来た彼等南蛮商人は一種の冒険家である。如何に金儲けが目当てとは言えまだまだ初期段階の蒸気船に乗り込んで、外人と見れば見境無く刃を振り回す攘夷志士がウヨウヨ居るような国へ乗り込んでくるような連中なのだから、かなりの剛勇に満ち溢れた挑戦者と見て間違いはあるまい。隼人も国難に際して脱藩して風雲を駆け巡る勇者である。何か本能的に相通ずるものがあったのであろう。
幕府と長州の関係が益々切羽詰ってくる中にあって、時世の流れとは無縁に一藩挙げての洋学化という独自の藩政策を断行していた鍋島佐賀藩がこの年の三月、二年前外国から購入した現物を元に、遂に最新型重火器アームストロング砲を独力で完成させた。