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いよいよ慶応二年 〈其の四〉


この年の四月辺りから、各地で一揆や打ち壊しが頻発している。その原因は米価の暴騰である。幕府の変則開国政策は国内の物価を不安定にし、ここ数年国内は慢性的にインフレーションが進行し続けていたが、今回の討長遠征の為米価は更に値上がりしていた。これに対して当然庶民は、

「米よこせ!」

を合い言葉に各地で騒擾を起こし、現政権に対し公然と反旗を翻した。否、組織だった意識的反政府運動ではなく、散発的な騒動であったが、それだけに追い詰められた庶民にとってはもっと素朴で深刻な要求である。流石に我が国には、米が無ければお菓子をお食べ、等という愚かな支配者はいなかったようで__如何に徳川家がフランスとつるんでいたとは言え__彼等の標的となったのは幕府ではなく、この時勢に付け込んで暴利を貪った富商たちであった。しかし、結果的にはこの騒動がますます江戸幕府を追い詰め、所謂倒幕の達成を側面から援護した形となった事は言うまでも無い。

こう言った所からも矢張り明治維新の歴史的な評価は複雑であると言えるだろう。否、評価云々と言うよりも、維新達成に至るまでの経緯、事実を冷静に客観的に観察すれば徳川幕府瓦解の最大の原因は民衆の支持を失った事に有ると断言しても良いのではなかろうか。確かに市民が大手を振って権利を主張しつつ権力者と正面から対決したフランス革命などと比べても、我が国の御一新には階級闘争という明快な輪郭は見えて来ないのは事実である。時の政権である徳川幕府と直接戦火を交えたのは薩長を中心にした諸藩連合、所謂官軍であり、その一方の雄である長州藩の主力は奇兵隊に代表される庶民参加による無階級軍隊だが、彼等の表向きのスローガンは尊皇攘夷、つまりお上を頂いての忠義である。つまり厳密には民衆による市民革命ではないと言う訳だったが、現政権の足元を揺るがす事態を引き起こすのは、矢張り市民の蜂起なのである。何も、明確な歴史的使命感を抱いて華々しく政治活動を展開するばかりが政権交代の市民活動ではない。無名の市民による、こう言った無意識の潜在的倒幕活動が歴史を動かした事はまず間違いないのである。時代を動かすのは一人の天才ではない。その他大勢の声無き声こそがこう言った時代の動きを作り上げるのである。

明治維新に際して様々な人物が時代の流れの中で激しく動き、名を轟かせたが、矢張り最大の人物を挙げるとすれば、西郷隆盛、坂本竜馬、そして高杉晋作の三名では有るまいか。何故彼等を挙げるかと言えば、人気が有るからである。皮肉ではない。人気とは、文字通り“人の気”である。時代を動かすのは少数の天才ではない。名も無きその他大勢である。そして“英雄”を選ぶのも大衆である。只の才気や精力ならば、彼等を上回る者も決して少なくは無い。しかし、人々の支持を集められない人物は、如何に“実力”があってもそれだけでしかない。筆者の個人的な好みで言えば、幕末明治の人物の中では大村益次郎や大久保利通と言った、比較的地味な実力派が好きではあるが、矢張り歴史を作ったのではなく、歴史に拾い上げられただけの、只の“実力者”に過ぎないとは心得ている。歴史を動かすのは唯我独尊の実力者ではなく、人々の支持を集める人気者なのである。幕末に名を轟かせた才気旱魃な野心家と言えば清川八郎などが知られるが、彼は結局志半ばにして倒れた。原因は色々考えられるが、やや酷な言い方をすれば行き付く所自らの力量を頼みすぎて周りに尊大に振る舞い過ぎた挙句の末路、言ってしまえば自業自得ではなかろうか。それに同じ人当たりの悪い実力者でも、大久保や大村は飽くまで我が道を行く人物だが清川の場合、他人に対して幾分倣岸過ぎたような気がするのである。もしも己の実力に自信がるのなら多少(滅茶苦茶?)他人に愛想が悪くとも、せめて尊大に振舞うべきではないのではないか。言ってみれば、人付き合いの悪い職人気質のような性格ならば譬え大勢に煙たがられても誰かが理解者となって認めてくれるのだが、他人に無慈悲な傲慢な人物は庇ってくれる者が無いのではないのだろうか。大久保も大村も最後には暗殺されてその生涯を閉じたのだが彼等の場合、坂本竜馬などにも言えることだが自分の果たすべき役割を全うした挙句の悔いの無い最後、つまり思い残す事の無い死に様だったとも言えなくは無いが、清川の死は本当に未だ志半ばにした、無念の最後だったのではなかろうか。第一、大村や大久保、下手人も犯行の動機も闇の中だが坂本の暗殺事件は政局の中での受難、言わば己の成すべき仕事に倒れた訳だが、清川の死は半ば個人的な怨恨による殺害だったのではなかろうか。

良く言われることだが、歴史を作るのは少数のエリートではなくその他大勢の大衆なのである。否、仮に“歴史”を作るのがその選ばれた人間だとして、その“歴史”なるもの自体がその当事の人間社会の上澄みを掬い取って書き残した、ある意味では虚構に過ぎないのである。

多少わざとらしい表現が許されるのならば、“歴史”は少数のエリートが作るが、“時代“を作り上げるのは底辺を支える庶民なのである。

何れにせよ、こう言った民衆の無秩序型の叛乱が徳川政権の足元を益々揺るがし始めた中で、これ以上時間を掛ける事は不利と判断したか遂に幕軍による長州への総攻撃が強行されたのである。どちらかと言えば、追い詰められた挙句の暴走に等しかった。第二次長州征伐、長州が言う所の四境戦争である。

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