18
後日談
あといっこと言ったのに長くなったので分けました
一話目
「ーーーカレル皇太子殿下。よろしいかしら?」
掛けられた声に視線を上げると、執務室に一歩踏み入れた場所に彼女が立っていた。もっと近くにいるかと思ったのだが相変わらず通る声だなあと思いながら、ペンを持ったままの手をひらひら振って他の者たちに合図をした。
皇太子の執務室にいた数人はううんと互いに視線を合わせてから、そそくさと退室する。扉付近にいる彼女に一礼してから。
そうしてペンを置いたカレルがやってくる嵐を待ち構えていると、彼女は大股で机の前までやってきてバシッと手を叩きつけた。
「カレルあなた勝手に何してくれてんのよ!!」
よく通る声なので退散途中だった皆にも聞こえたが、「殿下がんばれー」と聞こえない振りをしておいた。
「なに、については思い当たるが、勝手にしようが俺の勝手だろうが」
「確かに陛下が何も仰らないってことはあなたの勝手でいいんでしょうが、私に一言もなく!しかも丁重にけれどバッサリお断りの返事するとか!ない、ないわ!」
机に叩きつけた手を軸にずいと顔を近づけていた彼女は、最後は呆れたようにわざとらしく嘆くようにのけぞって見せた。元気だなあと思った。
波打つ豊かな黒髪を頭の高い位置でひとつに括り、白金の宮に勤める官吏たちに与えられる白を基調とした制服を着ている。
彼女はカルラ。
カレル皇太子の妹で、今はその補佐に近い役割の官僚である。
大袈裟に嘆いてみせた後で、彼女は本気ではああと深い溜息を吐いた。
「だいたい何が不満なのよ。ゾルディ一族のご令嬢とバチャ・キリ地方の豪農の孫娘さんあたりは本気でオススメだったのだけど」
「彼女たちに不満も不備もないし、まあ妥当だよな。でもなあ14、15のお嬢ちゃん達には可哀想だろう」
「あなたと同年代の女性は素敵な旦那様を捕獲済みだからよ」
「ほかく」
「皇族の婚姻なんて10歳くらい通常よ。もう、街道整備の資金と土壌改善策の研究内容が」
「だろうと思ったわ」
「それ抜きにしても可愛いお嬢さんだったのよ。まったく、次に縁談を勝手に断ったらヨルズ視察団からカレル外すからね」
「やめろ。年イチの俺の楽しみを奪うな」
嫌ならさっさと結婚しなさいと言われ、カレルは机に頬杖をついた。それを見たカルラは目を細めて「あんた本当に拗らせてるわね」と呆れた。
キーサ皇国から国外に派遣される視察団を率いるのが皇太子というのは特例でもない。
外交官や専門家のみの一団ならばもっと身軽だろうし迎える側も気楽だろうが、皇太子の後学だとか後継者を値踏みする意味だとか友好と牽制と調停だとか色々あって、まあ真っ当な配置ではある。
しかし皇太子がやってくるとなると各国各地方それなりにお迎えする必要がある、そして皇太子もそれなりの地位の者に挨拶許可を取らなければならない。
カレルにとっての年に一回のお楽しみは、ヨルズ州総督夫妻への挨拶である。
公的に、堂々と、リールに会う口実だ。
「以前からアレだったけど、私の目が覚めてからもコレとはね…」
「アレとかコレとか兄貴に対してひでぇな」
「イザーク兄様と比べるのも意味はないけれど、大多数の者にとっては意味があるからね。カレルはよくやってるわ。それはあなたの努力だっていってもすぐに落ちるのが噂話ってものよ。だからぱっぱと婚姻して落ち着いて。でないと私に回ってくるの、私はもう皇族を抜けたのにそう言ってくる連中はいるんだから。仕事はいいのよ、目指せヤナ女史!議員全員を黙らせる法案!だけど皇位云々はいらないわ、私はよくてもエルはよくないって言い出すのが絶対いる!私はエルの奥さんなのに!」
「思ったより自己保身的な意見だったな」
「私はいいのよ、エルを守りたいだけ。でもそれって同じことでしょう」
「だとよ。エルお前これ連れて帰れ」
その言葉にふへ?などと奇怪な声を上げたカルラは、執務室の入り口を振り返った。花が咲くような笑顔、などと自身に似つかわしくない感想を抱いたカレルは苦々しい顔をした。
肩よりも長い白い髪を緩く結った、薄荷色の瞳の美青年はにこりと笑って指の節で開いていた扉を叩いた。ノックはしましたよと示すように。
「エル!白金の宮にいるとか珍しい!」
ぽんぽん花を飛ばしながら夫に近づいたカルラの手をとって、エルはその掌に指先で文字を書いた。それを判読した彼女は一度不服そうに唇を結んだが、そこにチュッと小さな音を立てて夫の唇が触れたので誤魔化された。
いちゃいちゃすんならどっか行けと顔に書いたカレルを振り返り(片手は夫とつないだまま)、びしりと指先を突きつけた。
「いいこと?今度勝手したら本当に国外には出さないから。それが嫌ならさっさと口説いて来なさい、いろいろあっても陛下だってカレルが連れてくる人をそうそう無碍にはしないでしょうから」
「あーわかった、わかった。その顔はテオドルが呼んでるんだろう、さっさと行け」
義理の父に会いに行く顔ではないが、皇太子付きの官吏として宰相に呼ばれたとなれば苦い顔にもなるだろう。そしてそれを理解しているエルも、妻の豊かな黒髪をふわふわ撫でて慰めていた。
「じゃあカレル、私の旦那様をこき使わず家に戻してね。エル大好きよ。いってきます」
エルはにこにことこちらも花が飛びそうな勢いで妻を見送り、カレルは砂糖を吐きそうになった。彼女と入れ替わりで机の前に立ったエルが、ウチの奥さん世界一可愛いみたいな顔をしていた。
「惚気話を聞かされなくなっても、あんまり変わらないな」
げんなりと頬杖をついたままのカレルに、エルは笑顔のまま肩をすくめた。そうしてちょいちょいと窓の外に向かって手招きをし、細い体躯の黒猫を一匹部屋に迎え入れた。
闇の精霊「悪夢の伯爵」の眷属。
エルの不自由を愉しむ伯爵が対価にとよこしてくれている。
理由は腹立たしいが精霊に人の良識を求めても仕方がないので活用はしている、そして飛空艇団が担う諜報活動に非常に役立っている。腹立たしい。
黒猫の報告をさらさらと書き留めているエルを、やはり頬杖をついたままぼんやり眺めていたカレルはよしと立ち上がった。
薄荷色の瞳を洗うように瞬いた睫毛は栗色、元のエルの髪の色だ。記憶を正しく整理したカルラがカルラとして、緑柱の賢者として目覚めてから彼女は夫の真っ白になった髪を嘆いて喜んだ。
『嫌な女ね。でも嬉しいの、ごめんなさい、エルが私のために絶望した証だわ』
だからエルは妻の希望通り髪を伸ばしている。カレルにしてみればもっと歪んでいるのも見ているのでそれくらいはいいんじゃないかと思っている。歪んでいて重っ苦しいの。アレとかアレとか。
六年前、即死でもおかしくない程の傷を首に負ったエルは声が出ない。
朱の狡知者だった精霊も人を癒そうと思っていたわけではなく、ただ顕現した場に瀕死の人間がいただけの話だ。それを悪夢の伯爵は愉快と言い、エル本人は諜報活動に特化できていいと判断した。
元々がカレルの傍でそういう活動をしていた、表立って世話を焼く否補佐をする役目はカルラが請け負った、だからどんな状況でも情報漏洩の心配がない自分はちょうどいいと本人に申告されてカレルも了承した。
手放す気はなかった。
どこへ出掛けるのかと表情で語ったエルに、立ち上がったカレルはちょっと、と答えた。
手元の紙から視線を上向けて、エルは長い指で黒猫と自分を交互に指さした。どちらかが護衛につくかと尋ねた。
「いらねえ。飛空艇団まで行ってくるわ」
うん。それは護衛は必要だ、街中を突っ切るのだ、黒猫三匹くらいが妥当か。
ぴらぴら手を振って出て行った主の背中を見送って、よろしくねの意味を込めて黒猫に手をかざすと彼は「にゃあん」と鳴いた。
ヨルズ州、酒造の町エールシー。
かつてのヴァイン王国時代から変わらず高名な葡萄酒の産地である。秋が深まる前のこの季節にいつもふらりとやってくる客人が、今年も顔を出したので組合の女将は「あらあら」と笑って迎えた。
絵の具で描いたような鮮やかな紅い髪に翡翠の瞳。
神様によって理想的に整えられた美貌。
さらには少年の域を脱したせいか女子たちを卒倒させそうな色香を漂わせた麗人。
精霊使いの紅はにこりと笑って「今年も来たよ」と遠慮なく厨房前の席に腰掛けた。
「リール、あんた今回はあの黒猫ちゃん連れてないのかい?」
「うん。本当は予定があって来ないつもりだったから、アーヤにも来なくていいよって言ったんだけど。ちょっとだけ時間ができたから、ここのチーズだけでも食べようと思って」
「チーズじゃなくて新酒だろ」
豪快に笑った女将は夫であるヒゲ面の料理人に肉でも焼いてやりな!と注文していた。
少年と呼べる年齢でなくなったので、身長ばかりが伸びたような体が追いついていない感じは抜けたがそれでも線が細い。お綺麗な人はそれがいいのかもしれないが、女将にとってはもっと食え!と言ってやりたいのだ。
七日間戦争が終わってしばらく。各地の組合に顔を出すようになった紅い髪の少年。
その容貌も精霊に愛される現象も稀有で、どこの貴族の放蕩息子が平民たちの寄合に顔を出してくるのか一時話題になったものだが。
のんびり穏やかな気性と、戦後に沸いた野盗や傭兵崩れを一人で掃討する実力と、帝国軍に反発しようとする勢力の間をのらりくらりと渡り合う姿に各地の組合は受け入れる事を決めた。
実際に害にあった地域はない。彼の容姿をめぐった諍いや、組合からの依頼を受けた報酬とそれを遠慮なく使う金まわりについて揉めても、おおよその人間が納得する解決をしていた。
さらには彼が立ち寄った組合には精霊石を置いていっており、これが起こす現象によって組合同士の連絡が取りやすくなった。風の蝶が遠方にも素早く情報を届けてくれるのだ。
各地の復興に貢献したのは確かだが、そんなことしたっけ?という顔をしている。たまにドゥーレ商会の会頭に賭けで負けたとヤケ酒に来たりする。
エールシーの町には季節ごとに顔を出していたが、ここ数年は新酒の季節にしかやって来なくなった。本人いわくそれなりに忙しいらしい。
「ここまで来なくても、パークの街に行けば各地からのいろんな物があるだろう?今や押しも押されぬ大都市だ」
「そうだけど。一番に飲みたいじゃない」
「やっぱり酒だよ。ほらリール、ちゃんと腹に食い物入れてから呑みなよ」
エールシーの組合は料理処も兼ねている、というか土地の広さは畑の広さであって職人が集まるこじんまりした町なので本当になんでも屋の様相なのだ。
「あんたが顔出すようになってからもう十年くらい経つかねえ」
「え、そんなに経つ?」
「そうよ歳とると月日が早いわ。前に嫁に行ったって話したウチの娘、あれの子がもう七つだって!」
「うわあ、それは可愛いね」
あらあらそっち?と女将は不思議そうに首を傾げた。変わらないどころかお綺麗さに磨きがかかっているのにふらふらしているのを見ると、どう考えたって独り身で根なし草の精霊使いだ。子どもが嫌いではないだろうが興味もなさそうだと思ったのに。
「あんた嫁さんもらわないの?」
「もしもらうならアーヤがいいなあ」
「あの黒猫ちゃん!いいじゃない!」
「うん、ダメだけどね。ねえコレの白を何本かちょうだい」
「そうだねえ。ここに出す分と、出荷分と、余裕は持たせたけどあんたどれくらい持っていく?」
「言い値で出すけど、今年は例年くらいは収穫あったはずだよね?足りない?」
「今年から出荷分を増やしたから勝手が違っただけで、困ってないわ。ほらあそこの奥さん、総督夫人ていうの?あの人が結構お酒好きみたいでねえ。パークの街もそうだけど、お偉いさんがお土産にって買い付けも増えてさ」
ああそうなんですか。と、キレイな笑顔で大事に葡萄酒を口に含んだ瞬間、飛び上がるほどの大音量で組合の扉が開いた。
エールシーの町はレンガ造り。入り口の木枠から扉が外れてぶら下がっている状況と、突然のことに建物内にいた全員が一斉にそちらを向いた。
リール以外は。
「リー…っクレナイ、殿!!」
微妙な叫びだ、頑張った、しかしお迎えにしては早いんじゃないか。
そう思いながらリールが入り口を振り返った時には、銀色の毛並みをした狼の獣人はすぐ背後にいた。
「こんな所まで、いったい何を…!」
「お酒美味しいねえ」
「帰りましょう。すぐに帰りましょう。俺にはもう無理です。ご夫人、申し訳ない、扉の修理費用とでこれで良いだろうか」
旅装の獣人が懐から出した小袋の中身を確認した女将はひゃっと声を出した、彼の飲食代を合わせたって余剰だ、しかし後で白とやっぱり赤ももらうからと立ち上がったリールに言われて頷いた。まあ彼だし、で納得した。
うるさくしてゴメンね、と彼が置いていった笑顔に男女問わずごくりと唾を飲んだ状況を察して、狼は掴み上げる勢いで彼を追い出した。
銀狼のキィに背中から睨まれながら渋々と歩くと、すれ違う町の人たちが「何をやらかしたんだ」と笑ってくれる。それを悪いとは言わない、いややっぱり言う、それは別のかたちでされるべきだ。
キィの怒気で背中が痛いと思いながら町並みから外れるまで歩き、そろそろどこへ向かうか尋ねようとすると木立の中につながれた馬を発見した。
獣人のキィが乗れる程度には体躯の大きながっしりとした青毛で、彼がここまで走らせてきたのだろうと分かったが。帰りましょうとは。この子で、だろうか。
背中のキィを振り返ると視線の意味に気付いたらしく、はっとした後で耳がぱたぱたと忙しなく動いていた。動揺している。
「……乗合で馬を借りて来ましょう」
「いいよ。二人で乗っても大丈夫でしょう」
「リール様とご一緒するくらいなら俺が自力で走ります」
「ひどいな。何なら戻ろうか、男と二人で乗るとか嫌だよね」
「そちらのが駄目です!無理です!」
必死か、傷つくな、女性を横乗りさせる獣騎士様とか格好いいと思ったのだが。
「シシィ」
思ってしまったのでリールは白い精霊の名前を呼び、指先をキィに向けてやった。リスのような小さな体に長い耳とふわふわ尻尾のシシィは、それを伝って狼の肩にちょこんとおさまった。キィは硬直していたのでされるがままだ。
今ではずいぶん長くなった金色の髪を手櫛で整えてから外套のフードを被り、よしと気合を入れて騎士に微笑んでみせた。
「では騎士様。案内をお願いします」
しばし唸っていたキィだったが、さし出された姫君の手をそのままにしておくような事はできず、恭しく手を取って青毛の背に乗せてくれた。力持ちだから抱き上げられても安定感が半端ない。
このまま自走されるかなと思っていると、軽やかに飛び乗ってくれたので一安心だ。キィは大きいなもふもふだなと改めて感じていると「勘弁してください…」とこぼされた。どのへんの話だろうか。
エールシーの組合は葡萄畑が広がる農家の集落の中にあるが、商業区はそこから馬でのんびり進んで数時間のところにある。
そこには立派な駅舎が建ち、中央のパークともつながる路線があるため観光で降りる者の他に乗り継ぎをする人たちでそれなりに賑わっていた。
フードを目深に被って襟元をたぐるリールが案内されたのは、精霊石を動力にする機関車、鉄馬車と呼ばれる高級列車だった。
一人旅の時代から大変お世話になっている乗り心地の良い列車だ、しかしリールは「あれ?」と首を傾げた。貨物車両以外に人の出入りがない。時間的にパークへ向かう鉄馬車はこれが最後であるし、富裕層向けの特級車両を引いた便は日に何本も走っているわけでないのに。
これは嫌な予感だぞとフードの下でやや眉を寄せていると、正面の比較的近い場所でカツリと杖の先が石の床を叩く音がした。
私服だ、最低限の装備は隠しているだろうがルイス・トライバルは敬礼はせず、苦々しい顔で笑っていた。
「あー…のですね、奥様。言いたいことは色々あるんですが」
「ごめん。聞けない。ねえキィ、他の列車にしよう」
「俺たちじゃもう魔王を抑えられないので、奥様が何とかしてください」
そんなの自分だってできない、魔王を打ち負かすのは勇者だ、もしくは清廉な女神にでも鎮めてもらってください。
「ラルス、……来てるのね」
「来てますよ」




