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二話投稿のいちわめ
「遅くなってごめん。僕の可愛いメル。迎えに来たよ」
実に荒々しい到着を告げて、ラ・パルスは氷の槍を振り切った冷たい手をさしのべた。
玉座で男の腕に抱かれながら、意識のない翡翠の瞳はそれを認識せず傾いた頭の中から虚空に向けられているだけだった。
折り重なった瓦礫の上からユング少将に向けられる視線は怒りでも苛立ちでもなく、ただ冷淡であった。
「レイ。『停滞』を解いて。それでは僕のメルが何も話せない」
「今心臓を動かすと死に至ります」
「ひどい傷を負わせたんだね。それならば『進行』で治せばいい」
「それでも同じです。心臓の動きに耐えられる力がないでしょうから」
「そうだね。だからここへ来たのだろうけれど。……どうして君は、いつも、そんなにメルを傷つけるの?憎いの?」
くり返しではないけれど、何度も何度も生きていく長い時間の中で、彼女が選ぶ余地など残さず追い込んで囲い込んで手に入れても愛してくれないから。
憎々しいのかと問うと、ユング少将はまさかと薄く笑った。自嘲に近かった。
「もちろん愛しています」
「そう。きっと君の言う愛してるは僕とも兄上とも違うのだろうね」
「あまり変わりないように思いますが」
「それは不愉快だ」
見下ろす位置から歩を進めるのは瓦礫を下ることだ。切り立った岩肌の高山を軽やかに駆ける山羊のように、ラ・パルスは難なくそれを踏みしめて距離を縮める。
彼が崩れた石を踏むたびに土煙が舞うが、小さな蝙蝠たちがふらふら周囲を羽ばたいているおかげでそれが彼の肺を害すことはなかった。
「メルを傷つけて悦びを見出すような性癖は持ち合わせていない」
「殿下には素質がおありですよ」
「人形あそびだね」
「その物言いが、変わらないと言うのです」
血に染まって賊に荒らされて、歪になってしまった玉座まで後数歩のところでラ・パルスは立ち止まった。精霊姫は変わらず虚ろだった。
それと似たような表情をしたのがこちらに二名。
「…………」
「…………ロック坊やは無表情のくせに、その眉間のシワは雄弁じゃな。儂のために言っておくが、賢者の皆々がああも変態ではないぞ。アレとアレは破格じゃ。確かに儂にしてみればどちらもただの変態だが趣味嗜好は個人のものであって、いや、あれは、その、……いかんな」
人道に反するな。
そんなの世の中には吐いて捨てるほどいるが、だからといって許容していいものではない。穏やかで健やかな人生が宜しいに決まっている。
フォロウ大佐の眉間に深く刻まれたシワを見たせいか、賢者ユウキは自分の眉間に親指をあてて苦々しく揉んでいた。頭に乗っている白い精霊シシィは手伝うつもりなのか賢者の額を小さな手でぺんぺん叩いていた。
はあ、とフォロウ大佐は大きく息を吐いた。
ユウキに「動くな」と言われてから、こんな状況でも腰に後ろ手を組んで背筋の伸びた軍人さんらしい直立のまま、心底からの溜息だった。
「彼がああなのは知っておりますが」
「知っているか。うむそうか」
どっちについてだろう。レイリック・ユングの方でいいか。
「あなたに、あの家に放り込まれて私はだいぶまともな生活を送りました。清潔な服を着て靴を履いて食事ができるような。周囲には犬か玩具と言われましたが、人形扱いはされませんでしたので」
うむそうかとは言わなかった。立派な軍犬に躾けてもらえて良かったなとも言わなかった。
この軍犬の主人は誰か。
皇帝やラ・パルスでなく、レイリック・ユングでもないのか。
「旦那様には、最初にひとつ、指示されただけです」
ユング家当主か。
先帝に捨てられた第二皇子の後見となりラ・パルスの自治州確立のために奔走し、中央をあけておく息子の思惑を知った上で隣接するラウル王国の商会を近衛騎士を手引きした。あのきらきらしい男前(54歳)か。
ほれみろ、とユウキは思った。
賢者でなくとも性根がひん曲がった野心家はどこにでもいるものだ。
「あのイケオジは息子がどっちに転んでもいいように画策済みか…」
「後継を作らなかったのは誤算だったと仰ってましたが」
「紫苑の子どもか。探したらいそうじゃが」
「いませんね」
処理済みなのでと言われてユウキは「ああそう」と半目になった。世のお嬢さん方というのは、金髪碧眼の見目整った表面上は優しい侯爵家嫡男自身は現在伯爵位持ちである戦争の英雄には弱いらしい。
こうして列挙するとそりゃまあ弱いわなと呆れた。腹黒変態を差し引かなければ超優良物件だ。
だがアレのすべては精霊姫を得ることに傾けられている。
「それで、坊やはどうする?」
「やりたいことをやります。あなたのように」
「そりゃあ結構」
人の括りにおいて優秀な軍人であろうと、この場にいる人外に足を踏み入れている連中からしてみればフォロウ大佐は蹴飛ばされる石ころ程度でしかない。だから先日も右腕を失ったのだろうし。
だが結構なことだと賢者一人納得した。
やりたいことがあるならやっておくべきだ。長い時間を生きてきて、経験を活かす場面はいくつもあったが時間を巻き戻せたことなどない。
さて、それでは美しい人形の両腕を引っぱって取り合いでもするのかと思われた二人に、選択を与えたのは第三者だった。
玉座からわずかばかり離れた位置に立っていたラ・パルスが再び動こうとした時に現れたのは、布を被った人のようなものだった。
「『紫苑』。誰の許可を得て其処に腰掛けておるか」
一呼吸前には何もなかった空間に、さも当然のごとく立っていたのは成人男性ほどの身長だった。
頭から被る雨除け外套とも違う、ただ一枚の布を頭にかけて首元をたぐったような恰好。麻のような生成色の布が彼の足元までをおおっているのでその下の出立ちは何もわからない。
聞こえた声が低く凛と響いたのでなければ、ただみすぼらしいと判断してしまうような姿だった。
玉座の隣に顕現した彼は、片手を持ち上げて静かに背もたれに触れた。
すると座を形作っていた物はさらさらと形を無くしてしまい、ユング少将は姫を横抱きにして立ち上がった。
仕方なしといった様子を見咎めた、布を被った彼は今度は両腕を持ち上げた。
布からのぞく腕は黄金だった。
「お前は此処にお掛け。愛しき我が娘」
レイリック・ユングの腕の中にいた精霊姫は、彼がそう声を掛けた時にはすでに彼がこしらえた椅子に腰掛けていた。
変わらず意識はないが椅子が彼女を支えているので、リールの美貌と相まってそれこそ人形が座っているようだった。
膝をついて頭を垂れるべきかとユング少将は逡巡した。今更その資格すらないが、したくもないというのも正直な心持ちだ。
彼は行儀良く腰掛けるリールに顔を寄せた。頭あたりの布をずらして青空の下に眩い黄金の体躯をさらす。
彼は『王』だ。
賢者たちは彼を聖属性の精霊王と呼ぶことにしている。
しかし彼は世界に宿るすべての精霊の始まりであり世界を形作ったものであり、人真似が好きだと云われる『朱の狡知者』が自身を神の末席に名を連ねる者と称するように、おそらくは人が神と呼ぶものなのだろう。
髭をたくわえた優しき老人の風貌だが、それら人の形に似た凹凸はすべて黄金でできていた。
人の肌に、リールの頬に実際に触れる事はできないがそれでも撫でる仕草をした彼は、可愛い孫を心配する好々爺の容貌で溜息を吐いた。いや息をしているわけではないがわざとらしくそうしていた。
「可哀相な娘。さぞ苦労しただろう。あの子が未来永劫お前を愛すると云うからくれてやったのに。ああ可哀相に、そうだ、もう我の元に戻っておいで我が娘」
「お言葉ですが、王よ」
近づくことは許されていないらしく、ラ・パルスは一歩も動けなかった。だからせめてと口を開けば、黄金の王は右目のない顔を人に向けた。
「その言葉に偽りはありません」
「ではお主が口にする愛は我とは違うのだな」
先程のやりとりを知っているのか、精霊王はそう表現した。
精霊の愛し子、とは。
曖昧な意味で使われる精霊使いと同じく明確な定義はない。弱々しく今にも死にそうに生命力溢れる赤子は精霊たちによく好かれるので、赤子の内は皆が精霊の愛し子と言われるくらいだ。
ヴァインの王族には精霊の加護がある。
そう言われたのは過去の王族に多くの愛し子がいた事実と、建国神話によるものだ。
広い大地に何もなかった頃、人は好きな場所で好きなように生きて愛も争いも何もかも自由だった時代に、精霊王の娘に恋した青年が王に下賜を願った。
自由という混沌だった大地に娘は下ろせないと王はこれを拒否したが、では安らかな地を用意しようと人の子は不自由という規則を設けた。密かに王の娘の力を借りて大地を耕し木々を茂らせ、争いのない土地を用意した。
精霊王の娘が降り立った場所がすなわちヴァインの地。人の子が整えたのが国という形。青年は未来永劫娘を愛すると誓い、娘は青年が整えた人の理に身を置いた。これによりヴァイン王族では、男子は初めての支配者として女子は精霊王の娘としてどちらにも王位継承権があった。
精霊の加護が深い男子は王の娘に愛された者と呼ばれ、女子ならば精霊王の娘の生まれ変わりだと云われる。
精霊姫と。
だがリールミール王女に限って、それは讃える呼称ではない。
遠い昔からの事実だ。
黄金の王には、今の状態のリールを連れて行くのは容易だった。
大地に降りる許しを与えたのは王である。それを奪うなど、大陸すべてをまた混沌に戻すよりもだいぶ容易い。
人でなくなればいい。
このまま死なせて連れて行くだけだ。
「だが我は娘に弱い」
数多いた人の子の中で、あれが好いと選択をしたのは娘なのだ。その希望を叶えてやりたかった。
「己の選択で何があろうとそれはお前の責だ。ならば人の理で選択し続けなければならぬ」
さあ愛しき我が娘、お前は誰を選ぶか。
黄金はどろりと溶けてそして跡形もなく消えてしまった。
「…………」
そうして人の都合上「癒し」と呼んでいる現象によって精霊姫は目を覚ます。
金色の睫毛が蝶の羽ばたきのように何度か瞬いて、ゆっくりと、翡翠の瞳が世界を見渡す。
「メル」
呼びかける声にひくりと肩が動いた。ぼんやりとした視界に黒い髪をした人が黒衣をまとって立っている、ああ、と思ったけれど膝に置いた手には別の感触があった。
その手を見てから、首と視線を横に向けると金髪の人がすぐ傍にいた。
「わたくしを、殺しに来たの?」
「いいえ。お迎えに」
「そう」
では、わたくしは行きません。
五年前と同じ言葉を、同じ場所で、レイリック・ユングにくれてやった。
すると冷たい鉄が、短銃の口が金色の髪を撫でるようにこめかみに当てられた。
「残念です。姫様。ーーーでは、また『次に』お会いしましょう」
彼もまた同じ言葉を吐いた。笑顔で。
銃を持った腕、肘の上あたりを切断したのは踏み込んだラ・パルスの氷の刃。
沈んだ草色の軍服の胸を、背中から貫いたのはロクスウェル・フォロウ大佐の剣だった。
主に切断された腕のせいで生々しい鮮血がリールの頬に飛び、女の子の扱いがなっとらんと呆れた賢者ユウキの小さな手がそれを拭ってくれた。
フォロウ大佐は躊躇いなく自身の剣を引き抜き、内側の肉を引き攣らせた体は無様に膝をついた。大佐は落ちた腕から短銃を拾い上げ、ラ・パルスは賢者から精霊姫を取り上げた。
「……弾を使い切っているな」
「レイが装備を忘れるはずない。…メルを殺す気はなかった?本当に?」
ようやくリールを腕に取り戻したラ・パルスは、それでも警戒するように訝しげな視線を床に落とした。肺を的確に貫いてくれたせいで咳き込んだユング少将は、口の端を拭ってから歪んだように笑った。
「どうでしょうか。それより殿下、私は飼い犬に噛みつかれた事に驚いているのですよ」
ルイス・トライバル中佐ならとにかく。あれは軍人らしからぬ気概で、本当にラ・パルスを主と思っていたから撃ち殺しておいたのだが。
はあ、と溜息を吐いたのは鉛玉の入っていないカラの銃を放り投げたフォロウ大佐だった。
「お前には犬になれだの侍従になれだの軍人になれだの色々言われたが、私は最初に言われている。旦那様から」
「……父か。外のラウル王国も侯爵の一手なのだろうな」
「旦那様から、息子の友人になってくれ、と」
思いもよらない言葉だった。
賢者から孤児をもらったからお前の好きに育てなさいと父から渡された子供。名前をつけたのもレイリック・ユングだ。色々教えてみたら色々できる子供だった。できなくともどうすればできるとこちらが学ぶのによい実験になった。
黙々とこちらの指示に従っている姿ばかりが思い出される、いや、そうだろうか。改めて忘れない記憶をたどってみると違う事にようやく気づく。
おまけに士官学校に入ってからはあのルイス・トライバルがいたので、年相応の碌でもない会話や仕様もない事もやらかした。あれは周囲に合わせての言動だったか。
それこそ否であるが、それにしてはこの無表情が常の男には腑に落ちない。
「…………友人に対する作法がこれか?」
「友なら、お前の為を思って、などと自己中心的な考えを押し付けるのだろう?」
なんだそれは。
これは、レイリック・ユングを慮った結果だというのか。
だとしたらどうして内臓を抉ってくるのかと言いたいが、侯爵の言葉を真摯になって実行した結果である事は伝わってしまった。クソ真面目な男である。
こんな男しかレイリック・ユングを止めてくれる輩はいなかった。
「そうか……」
「ああそうだ。もうやめておけ」
「そうだな」
「何かあるなら聴くが」
「いや。願いごとは終わった」
そうかと納得したフォロウ大佐が持つ薄みの剣が、空の青さを受けて鋭くきらめいたのを見た。
ラ・パルスの腕にいる精霊姫の、翡翠の瞳と視線が絡んだ。そこに望む感情が見えなかったとしても目が合った、最期の瞬間を見ていた、拒絶されても存在を否定はしなかった。
実感したと同時に、鋭い刃はきれいに首を落としてくれた。
願いごとは終わった。
だからもう、「次は」ないだろう。




