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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第4章 翡翠と瑪瑙と黒皇子
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12


 リィン帝国使節団はつつがなく日程を終え、無事に帰還となる。

 その前夜。

 キーサ皇国主催の晩餐会が催された。


 過ぎてみれば早かった。頭から何かもれるナニか、とアヤが吐きそうになっているのを楽しく眺めながら、用意してもらった馬車で白金の宮へ向かった。

 キーサでは「家」という概念が薄いが皇家は別だ。国章とは違う皇族を示す紋章が必要で、ばっちりその皇家の紋がついた馬車で到着すればそれだけで注目を浴びる。なのにまた、そこから降りてきた者たちが目を奪うような容姿をしていたものだから尚のこと。

 リールたちが会場に通されると、流されている音楽以外の音がやみ、代わりに刺さる視線と騒めきが広がった。雑多な声も同じ瞬間に発せられると「ざわ」と聞こえるのだなあと、ど注目の二人の後ろでアヤはいっそ無表情になった。


「一気に注目されてしまいましたね」

「…無理もない事ですが」


 キーサの宮殿に勤めるお針子のみならず、首都中から技術ある者たちを集めてまるで一つの工房かという人数で仕上げたリールミール姫の夜会用ドレスは、赤。


 長い時間を寝かせた葡萄酒のような深い赤に、金の刺繍と光を反射させる細かな石を胸元に散りばめている。腰から下は全体に金糸の刺繍の花が咲いているが、その上からチュールレースを重ねることによってふくらみを持たせ、派手に見えがちな金糸を上品に透けて見せていた。

 スカートを重ねるのが流行で、レースの上からさらに布を重ねるそれも赤。下地よりも光沢とハリのある布で丁寧にひだを作り、金の花とレースが見えるよう左の腰あたりでリボンで留める。左手からはレースが多く見え、右手からは光沢生地が、前後では流れるように二つの異なる艶めきが目を惹きつける結びになっている。


 首元と耳を飾るのは金剛石と真珠。真珠は海に面していないキーサでは珍しく、石をつなぐ意匠も金であるが繊細で細身だった。色鮮やかなドレスに対し無色にも見えるが、それがまるで彼女の肌そのものが煌めいているように見せる。

 まだ髪は短いが、編みこんでスッキリとうなじを見せる。朝陽を集めた金色の髪を飾るのは、小ぶりの赤い秋薔薇だけ。


 皇子が招いた客人は、精霊のごとき美しさだという。

 それを会場にいた誰もが納得し、圧倒され、魅入られた。


「わたくしの騎士があまりに凛々しいから、仕方ありませんね」

「心臓に悪いこと言わないでください。俺は、さすがに貴公子のような台詞はでてきませんので」

「まあ、キィが褒めてくださるの?」

 それは珍しい、さぞ困って捻り出してくれるんだろうとキラキラ期待の眼差を向けられて、キィは周囲に気づかれないよう嘆息した。

 この方を左腕にぶら下げている時点で、いろいろ、いろいろ諦めたが。


「大陸一美しい我らの至宝は、厳重に保管して閉じ込めるのでなく、本来はやはり、こうして人目に触れるのが宜しいのでしょう。ただあなたが生きていればいい、とは申しません。何があってもお守りしますので、リール様の思うままにされて下さい」


 それは、ちょっと、…思わぬ方向だったな。

 容姿やドレスを褒められるのとは違うが、凛々しい騎士に言われるとけっこうクる。

「好きな事をされてる時が、楽しそうで、一番お綺麗です。ええ、今のあなたとか」

 しかも予期せぬ方向から来てびっくりしてたら正面から来てしまった。

 ええ、ちょっとウチのわんこ素敵。自慢したい。


 キィは騎士の装いでなくエスコートするのを前提に、黒の上下である。フロックコートにたっぷりの白い布を使ってネクタイを巻き、大粒の緑玉をあしらったピンで留めている。正面から見えるウェストコートがリールと同じ赤の生地である。

 ちなみに、二人の後ろについているアヤは、高い身長と黒いコートが格好いいのに裾からちらちら見える銀色の尻尾がめちゃくちゃ可愛いなと思っている。


 そんなアヤのドレスはなんと、ピンクだ。侍女さんたちに出された時は卒倒しかけた。

 撫子色というよりは桃色なのだが、なんでその選択なのだと部屋の隅に逃げながら問いかけたら「姫さまが赤いドレスなので」と返された。そういう兼ね合いはまったくわからなかった。

 コルセットだけでも無理なのにスカート何枚も重ねた重量で晩餐会は、生きて帰ってこれる気がしない。必死で頼んでデザインをどうにかしてもらったのでピンクは推された。背に腹は変えられない。

 下地になる桃色のドレスは胸元からストンと落ち、この季節にはやや薄い生地を何枚か重ねるとAラインのようになる。一枚が薄いのでそこまで重くない。それを、男性のウェストコートのようなデザインで腰をしぼり、そのままオーバースカートとして薄手生地に重ねた。まあ絞るのは免れなかったが、布の上からなのでまだマシだ。

 これがヴァインだったら、下着を見せているだのサイズの合わない服を着るなんてと言われそうだが、あいにく庶民はこれが普通だ。家族の誰でも着られよう大きめに作り、紐や上着や何かで調節するのだ。それの上品版と思って欲しい。

 お針子さんの何人かがひどく感動して「これでいこう!」となったので、悪い、恰好ではないはずだ。たぶん。


「太陽は沈む時間かと思ったのですが、この広間が夜明けに包まれたようですね。眩むような美しさです」


 キーサの太陽神を目にしたかのようだと言われ、そちらを向くと夜会服に身を包んだエルがいた。

 会場の誰もが注目するが誰も動けない中で、ごく自然に近づいてきた見知った顔にアヤはほっと息をつき、リールはにこりと笑った。その笑みだけで会場がさらにどよめいた。


 黒に近い濃紺の上下に海のような青のウェストコート、耳の下あたりの長さである白い髪は油で撫で付けるように後ろに流している。

「エスコートできず申し訳ございません。でもキィ様の凛々しさでしたら、僕の方が不要でしたね」

「とんでもない事です。エルも、素敵な色のコートですね」

「青は妻の目の色なんです。体調を崩しておりますので今日は来られませんが、機会があれば紹介させてください」

「楽しみにしています」


 今日は美少女感がすっかり薄れてただの美少年だ、なんて考えていたアヤは、その美少年の薄荷色の瞳とばっちり視線が合ってしまった。

「アヤ様。エスコートはできませんが、できるだけ、会場内ではお傍におりますので」

「え?うん。うん?カレル、…皇子殿下はいいんですか?」

 ごく短期間の淑女教育はまだ頭からもれてなかったが、相手がエルという事でかなり怪しい言葉遣いになってしまった。

 それでもエルはいつものやわらかな笑顔で「大丈夫です」と言ってくれた。

「会場では皇族の親衛隊がつきますので。それより、」

「ーーーエル君」

 ゆっくり染み入るようなやわらかな声だったが、わざと言葉を遮った感があった。

 その声の主を見て、リールはキィの腕から手を抜くと膝を折る立礼の形をとった。キィは腰を折る礼だ。それを見たアヤが、慌てて習いたての礼をするが、えっと自分は、腰も折って頭を下げる相手だ。たぶん。


 栗色の髪を夜会用に後ろに流した、四十前後の男性と。

 淡い白金髪に薄荷色の瞳、そしてキーサでは珍しい白い肌の女性だった。


「君ばかり大陸の宝石と話していないで、私にも紹介してくれないかい?」

「ああそうでしたね。皆様、礼をくずして頂いて結構ですよ」

「…ええ、それ許可出すのって私じゃないかな」

「そうでしたね。失礼致しました」

「……エル君が冷たい」

 思春期なの反抗期なのと嘆く声を出す男性を助ける訳でもなく、彼の左腕に品良く手を置いている女性はくすくすと笑んでいた。


「こちら、テオドル宰相です」

「それだけ?ずいぶん簡素じゃない?それだけなの?」

「……僕の父です」

「ご紹介に預かりました、エル君のお父さんです。ついでに宰相なんてしています。あ、こちらが私の妻でセシリアといいます」


 物腰やわらかな雰囲気と穏やかな表情にしては軽々しい口調で、楽しそうに話す宰相にアヤなんかは目を見張っていた。だがリールは驚いた様子も見せず、薔薇のつぼみがほころぶようにふわりと微笑みを返した。

「お目にかかれて光栄でございます。ご子息には大変お世話になっております、何とお礼申し上げたら」

「ああ、目的の為に手段は選ばないようにと教えてはいるんだけど、なにぶんエル君は優しいから。お役に立てているようなら、そのままお好きになさって下さいね」


 なるほど。だいたいわかった。

 あの皇后陛下の手綱を握るには、このくらいじゃなきゃ駄目なのだな。


 さてこれはこれで攻略難しいなあと考えていると、宰相閣下の左手で静かに微笑んでいた奥方の視線に気づいた。不躾でない、懐かしいものを見つけたような温かい眼差しだった。

「あなた。そんな言い方をすると、ますますお父様と呼んでもらえなくなりますよ」

「そうなの?どのあたりがダメだった?」

「どの、と言いますか。好ましいと思っていますし尊敬しておりますが、あんまり、父親とは思えなくてですね」

「お、お父さんと思われてなかった?!」

「ええと、上司というか目指す師というか。そういうものと思ってます」

「だから最近ずっと閣下とか宰相殿とか言われてたの?あれ?!」


 そうやって厄介な旦那を息子に押しつけた夫人は、リールの前で美しいコーテシーを見せた。

 静かに目を伏せ、上位の者からの許しを待っている。その姿に少しだけ、胸がざわつく。

「あなたは、ヴァイン王国の出身なのですね」

「はい、我が王女殿下。あの時、兄がヘルミネン領を預かっておりました」

「ヘルミネン伯爵の妹君でしたか。伯も家族も健在だと聞いておりますが…」

「殿下。失礼を承知で、お手を」

 肘までの白い手袋をはめた右手を持ち上げると、夫人はそれを両手でそっと包んだ。赤い薔薇のような姫の手を取り、宰相夫人が正しく美しい礼を尽くす姿は会場の誰もが見ていたと言っていい。

 テオドル宰相は目的の為に手段を選ばずと口にしていたが、これも演出のひとつか、とはリールには思えなかった。

 セシリア夫人の手は、まるで、温めてくれるように優しかった。


「よくぞ、よくぞ御無事でいらっしゃいました。わたくしはキーサに嫁いだ身なれど、祖国の末に憂えぬ訳ではございません。ただわたくしに何ができましょうか。ただ祈るばかりだったわたくしを、どうぞお許し下さいまし」

「…いいえ。わたくしこそ何も、」

「ああ、殿下御誕生時の慌ただしくも喜びに溢れた城内を思い出しますわ。こんなにお美しくなられて、まさに精霊の姫のよう。けれど本日のドレスもまたよくお似合いですから、薔薇姫とでも呼ばれるかしら」

「わあちょっと待ってセシリア、姫の美しさはまったく否定しないけど、いろいろ待ってうっとりしすぎじゃないかな」


 話している間中、曲げた膝をふるわせる事なく平然としていた妻には、さすがにみだりに触れることができなかった宰相がわたわたしていた。だからあなたは無粋なんですと言われつつ、夫人のたおやかな手がリールを放すとすぐに自分に引き寄せていた。

 だいたいわかっていたが、この宰相閣下、たぶん面倒臭い。

 妻の手を取り腰を引き寄せて、夫人を定位置に戻すとテオドル宰相は満足したようだ。害のなさそうな笑みをこちらに向けてくれた。


「皇子が妃候補を連れてくると言ってから本宮は大騒ぎだったんですが、それがまた姫だとわかると皇后陛下を始め我が妻まで大喜びでして。はい大喜びで。陛下に至っては私に何も言わずこの晩餐会へ招待しまして、その節はご迷惑おかけしました」

 いえ、と微笑みを返しながら、あれやっぱり独断だったかと内心では苦笑してしまった。

「エル君からは皇子が勝手に盛り上がってると聞いていたので、とりあえず確認しましょうとは言ったんです。そうしたらあなたを呼びつけるし『玄色(くろいろ)の賢王』まで浮かれるし、むしろ気に入ってしまって皇子に発破をかけるみたいな話になるし」

 エルも奔放なカレルにだいぶ手を焼いている印象だったが(それでも調教師呼ばわりされながら操縦しているようだったが)、この宰相も皇后陛下にはだいぶ振り回されているらしい。親子してそういう役回りなのか。というかエルは色彩も顔立ちもお母様似ですね。

「なのでもう、これは、姫に直接伺うしかないなと思いまして」

「だいぶお手数かけたようですね。わたくしで宜しければ伺いますわ」

「寛大なお言葉感謝します。あなたは皇子の客人と思って話してるおつもりでしょうが、それではつけ込まれますよ?」

「まあ、つけ込む気でいらっしゃる?」

「もちろんです。陛下のみならず、賢王まであなたを認めているのであればぜひ伺いたい」


 ーーーラ・パルス殿下にお会いする気はありますか?


 そのに。なんて心の中で呟いた。

 この人は陛下の感情などすっぱり切り離して、精霊姫を帝国の土産にするくらいやってくれるのだ。面倒そうだと思った宰相への好感度がむしろ上がった。

 そして「会うかどうか」と訊ねてきた。ただ手土産として持たせるだけでは、今まで匿っていたのか等など難癖つけられる可能性も多いにある。帝国の出方次第で幾つも返答を用意しているのだろう。様子見、にしては踏み込んだ策だからだ。

「もちろん、場合によっては全力でお守りしますよ?」

 帝国の対応如何によってはさし出すけどねと言われたので、キィの左腕に手を添えて自然に見えるようエスコートの形を取った。こんな大注目の中で、宰相閣下に手を出すような真似はしないだろうが。念のためだ。


 それとも、ちょっと、支えて欲しかったのだろうか。

 さっき嬉しい事を言ってくれたから思わず、甘えてしまったのか。彼ら獣騎士にとっては、リールが抱える感情なんかとはまったく別の、戦場で向かい合った事実があるというのに。

「大丈夫です。主に恥はかかせません。リール様に従います」

 宣誓のような言葉なのに、なぜか優しい声だった。やっぱりウチのわんこは素敵だった。


「テオドル宰相。わたくし、そのようなつもりはなかったのですが」


 そうですね。

 この素敵なドレスは、ぜひ、お見せしなければなりませんね。



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