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噂千里を走る。
帰還途中でエルから送られた報告のための精霊は、容赦なく皇后の元まで飛んでいった。本宮である白金の宮は驚きに包まれただろうが、精霊が直接皇后の元にやってきたため、要職に就く者以外に広がらぬよう対処ができた。
しかし飛空艇団内ではそうもいかなかった。
カレルが客人たちを自分の宮である水晶の宮に案内すると言い出したので、そこでレオポルト副団長から雷が落ちた。ついでにエルから凍てつくような極上の笑顔を喰らった。
「翠玉の宮を用意しております」
水晶の宮から遠くないか?と抗議しかけて、カレルは黙った。大人しく、黙った。それを確認したエルは飛空艇団から用意した馬車に客人三名を乗せ、副団長に後を任せて浮かれた皇子の尻、いや皇子の乗った馬の尻を叩いた。
カレルが連れてきた客人が予想のはるか斜め上をいっていたので、初手を失敗した副団長は「仕事に戻るぞ」と唸った。
今後の対策を隊長たちとやはりエルを交えてきちんと話し合わなければと考えていた、だからここでも間違った。
口外するなと念を押すのを怠ったのだ。
もちろん作戦内容を家族や知人に話す兵たちではない。だが団長が連れてきた客人はどんなだ?と尋ねられれば、彼女の身分はとにかく、「呼吸を忘れるほどの美少女だった」「あの団長が洗礼の証に誓った」「副団長が動揺してた」などと食堂で話題にしてしまった。
レオポルト副団長が気づいた時にはすでに遅く。
カレルのことを言えんと珍しく頭を抱えた獅子に、部下たちはこんな動揺する副団長初めてだと妙な親近感を抱いたとか。
そして街中でも、カレル皇子が連れてきた客人の噂は瞬く間に広まった。
その原因のひとつは気のいい飛空艇団の連中だが。
飛空艇団の紋章がついた馬車が街の通りで起こしたものが、大いに影響していた。
四頭立ての馬車が通るには街でも大きな通りを進むことになる。
日が沈み、あたりが色を失っていく時間だったが、通りには火が焚かれ油照明も並んでいて人通りは多かった。
そこを、急がない様子で進んでいた馬車が、がくんと傾いだ。
馬たちは地面を蹴り、無理には進めそうだったがなにぶん乗せているのは団長の客人。御者二名は馬を止めると、一人が様子を見ると扉越しに止まった理由を伝え、一人は車輪の状態を確認した。
何か石でも踏んで歪んだのか、今は完全に外れたわけではないがこのまま進んだら車軸から取れてしまいそうだ。
唸った御者の様子に、街の者も大丈夫かい何か道具持ってこようかと声を掛けてくれた。
ところで。
箱馬車の扉が開いて、屈強な銀色の狼が降りてきた。
首都シウノ・モアでは獣人はそこまで珍しくもないが、彼らは自分の脚で駆けるか颯爽と馬を乗りこなす印象だったので、飛空艇団の馬車から降りてきたことに住人たちは素直に驚いた。
そして、狼の獣人は訓練された動きで馬車の中から主人を迎えた。
朝の光を束ねた金糸の髪。
星を砕いて散りばめた輝きの翡翠の瞳。
神の理想通りに並べられた端正な美貌。
精霊のごとき美しき少女の姿に、御者と手伝いに集まった男性たちが息を呑んだ。
驚きが伝播して通りが騒然となった時、美しい少女はそれらを見渡して薄く微笑んだ。
「お忙しい時間に御迷惑をおかけしまして、申し訳ございません」
よく通る声だった。強く張り上げるわけでないのに、乾いた砂に水が浸みるように往来の人々に伝わった。
「直り次第出立しますので、ご容赦ください」
通りで立ち往生となったことを詫びた少女に、「お願いしますね」と声をかけられた御者以下の男たちは、近くにいると眩しくて焼けそう逃げたいと思いながらも、近くで拝めた幸運と直々にオネガイされたことに舞い上がった。
それに気づいた、近隣住人だけでなく往来の連中までも手を貸して、馬車は短時間で直すことができた。
余談だが、車輪を動かすさいに箱馬車を持ち上げた方がいいだろう場面で、集まった連中をさしおいて狼の獣人が一人で持ち上げて周囲から歓声が上がっていた。
金色の美少女は「ありがとう」と笑って、周囲にも礼をとってから馬車に乗り込んだ。
宵闇での一連の出来事が去ってから、噂は文字通り街を駆けめぐった。
あれは誰だ。まず人か、精霊じゃないのか。
飛空艇団の馬車だったぞ。
カレル団長が客人を招いたとか。
嫁さんとか言ってたらしい。
あの団長がか。女の子は女の子ってだけで可愛いとか言う、ある意味どうしようもなく、ある意味まったく興味のない団長がか。
団長って、もう皇子様に戻ったっけ?
結婚して皇位を継ぐんじゃないのか?
皇后陛下はご健在だぞ。
あの精霊みたいにキレイな人が俺たちの皇太子妃になるのかあ。
事実がそこまで歪曲するほどの時間はなかったが、翌日には客人の美少女は精霊姫の名前で呼ばれていた。
ヴァイン王国の王女を示すのではなく、精霊のごとき美しさからついた呼び名だったが、レオポルト副団長と白金の宮の高官たちの頭を悩ませるには充分だった。
「さすが俺の嫁か」
翌日の晩に翠玉の宮を訪れたカレルは、からからと笑った。
キーサへの入国だけを希望していたリールとペットたちを首都まで連れ、客人として表立って迎えるとカレルが決定してからの彼女たちの振舞いに、カレルはまったく関与していない。
どう出るかと思っていたら堂々とヴァイン王女を名乗った。
黙っていてもわからないだろう、彼女の身分を証明するものは何もないのだから、知らぬ顔をしてもよかったのだ。
だがリールは名乗り、相応しい立ち居振る舞いをした。彼女を証明するものは何もないのに、だ。
だから皇国一の戦士を圧倒し、街に噂を広める。
皇后に謁見できるかもわからない状態、さらにリール自身に携わる人間が限られる中での足場づくり。
馬車の件はカレルも聞いているが、あれも精霊の悪戯としてリール自身が車輪に細工させたのかもしれない。実に頼もしい。
十年前、幼くも美しいリールミール姫に一目惚れしたのは本当だ。雷が落ちた。
可愛い美しい欲しいの基準がアレになったカレルに、双子の妹は「理想が高すぎるのは勝手だけれど、それを女の子に求めないでくれる?」とよく言ったものだ。
妹のことはエルが褒めちぎっていたから別にいいじゃないかと思うのだが、それはさておき。
容姿もさながら、今ではリールの中身もたいそう気に入っている。
他国のような貴族制の国と有り様は違うが、キーサ皇国でも議会に近い場所になればなるほど「人」の関係はややこしくなる。
それを理解して振る舞える教養、度胸がある。
政策やキーサ特有の部族間の関係について詳しくなくとも、知れば判断できる素地は持っているのだから。
それが深窓の令嬢でも政務ができるなら構わないが、背中を預けて戦える妃もいいだろう。今の皇家にはふさわしい。
猫かぶり感はあるがそんなのはカレルだって同じだ、公私を分けてくれれば一向にかまわない。
つまりリールは皇子妃として十二分だった。さすが元大国の王女。
さらに市井で数年を過ごしている。それを卑賎だと言う輩もいるだろうが、生粋の王女様が今のリールになったのは、そのおかげなのだろう。
後ろ盾のない亡国の王女など皇子の利にならない、と理解していながら、その皇子を自分の足場にしようとするくらいには柔軟だ。
「うん。いい買い物、いやいい嫁を見つけた」
「……殿下」
笑うカレルに呆れたような声をかけたのは、黒髪をぴったりと結い上げた侍女だった。
年は四十手前、かつて第二皇子の乳母を勤めて今は水晶の宮の侍女頭である女性だ。
現在、翠玉の宮に住まう皇族はおらず、普段から迎賓用として整えられてはいるが貴人を世話する侍女などは置かれていなかったため、急遽彼女が他の侍女を連れてやって来たのだ。
「姫様が尊い方なのも麗しい方なのも理解しましたが、そのような口のききかたは感心しませんよ」
「あれ以上の妃がいるとも思えないな」
「本気でしたらようございますが、陛下を説き伏せてから仰いませ」
「そこが問題だ」
それでも笑いながら歩くカレルの前で、侍女頭は肩をすくめた。
翠玉の宮にいる客人、妃候補といわれる精霊姫との晩餐のために皇子が出向く。
自分の宮から離れていることに文句を言いかけたカレルも、ここまでの道を馬で通いながらなるほどと思った。噂が出回っている街中を自分が進むと、気安い民たちはよく声を掛けてきた。
精霊姫のところにおいでですか。
たいそうお綺麗な方だとか。
それで話の広がりを実感したのだが、こうしてカレル自身の通う姿がさらに噂を広めるのだろう。エルの采配に感謝した。
侍女頭に次いで食堂に入ると、控えていた給仕係と先に来ていた客人二人が迎えてくれた。
「アヤ。見違えたな、可愛いじゃないか」
絶対こっち来るなと念じていたアヤの願いむなしく、まっ先に言われてしまい内心げっそりした。うそだ。あからさまに顔に出して嫌がった。
白を至高とする信仰はあっても、正式な民族衣装をまとう機会でなければキーサの服装も大陸の他国と大差はない。だが貴族層に値する人たちの着飾る、という服はもう、もう疲れる。
ふわふわふくらませたスカートだったがこれならまだ、と思ったのは甘かった。その上からさらに布を重ねるのが流行だとかで、厚めの生地をぎゅうぎゅう巻いてヒダをつくり、腰の高い位置で大きくリボンを結ばれたらずしんと重さがやってきた。
胸元や袖口のレースも今は多いのですよ、この季節はもう夜は冷えますから袖の長さを云々のあたりでアヤは思考を放棄した。侍女のお姉さんたちごめんなさい。最後に天鵞絨生地のオーバースカートで仕上げられたらもうご飯を食べられる気が一切しなかった。
となりのアヤがげんなりしていたのを心配そうに見下ろしていたキィも、侍女たちにきゃあきゃあ喜ばれながら装ったので気持ちはわかる。
キーサの軍服を着せてやるわけにはいかないが、それに近い、上級軍人の拝宮時のような格好だ。喉元まで詰まる上着は身ごろがぴったりと合わせる形で、勲章などを飾らないため見事な刺繍が際立った。
「せっかく可愛くしたのに仏頂面すんな」
短い髪を隠すように短いベールを後ろに留めるため、大きな蝶の髪飾りがあるアヤの頭を撫でそうな雰囲気だった。
ずっしり重い服と気持ちと視線を持ち上げて、アヤは目の前で機嫌よく笑うカレルを見た。
「なんだ?」
「あー、うーん、すごいなあカレルも皇子様に見えるなあって」
だから服の力はすごい。重いけど。
「お腹へったけど食べれる気がまったくしない。だからお嬢様たちって細いの?」
相変わらず強いなとカレルが唸っていると、侍女頭がこほんと咳払いをした。
「殿下。姫様のお支度が整いましたので、お通ししても宜しいでしょうか?」
「ああ」
着飾ったリールはさぞ綺麗だろうなあ、男の時点でアレだからなあ、非常に楽しみだとカレルは浮かれていた。それはもう楽しみだった。
そうして通された淑女の姿に、言葉を失った。
「ーーー殿下。…お顔」
侍女頭に諌められるまで、どのくらいそうしていたかわからないが。呆けていたカレルは、顔面に気合をいれてから改めて姫を迎えた。
「知っているつもりだったが、…まるでわかっていなかったな。これほど美しい宝石を今までに見たことがない」
キーサの民は白という色を大切にするのであって、身につけるのを制限禁止しているわけではない。
淡い甘いクリームのような柔らかな白を地に、清涼な川のような水色、冷たい夜の冴えた紺、と重ねた色をまとって凛と立つ。
肩につくほどの長さの髪を上手く編んでうなじを見せ、細い鎖のような髪留めがティアラのように金糸を飾り、片方の端は横から耳の前に垂れている。
その石が濃い紫であるのを認め、カレルは淑女の手を取った。
「俺の色だな」
紫紺に見える瑪瑙の瞳を細めた皇子が、普段の粗野な雰囲気を取り払って色香を含んだ笑みを浮かべたことに感心したことなど微塵も見せず。
リールミール王女も煌びやかに微笑んだ。
「皇子殿下のご配慮に感謝しております。また、足を運んで頂き晩餐を御一緒できることを、大変嬉しく思います」
「姫は我が妃となる方。不便はないか? 何でも言ってくれ」
「もったいないことです」
額の洗礼の証に白い手の甲を当てて、昨日のように「我が妃」と唱える。
神に誓う仕草に侍女頭は「まあ」と思わず口元に手を当てて、給仕係や侍女たちも夢見る心地で美しい光景を見ていた。
「きらきら攻撃は王女様版でも健在…」
「姫様… 陛下にもお見せしてさしあげたかった…」
「お腹へったー。ドレス脱いだ後にお菓子を要求するー」
「王弟殿下もさぞお喜びになるだろうに…」
「おいこらペットたち。好き勝手言ってないでとりあえず席につけ」
「デレデレの皇子殿下に言われたくないですー」
「お前は最強か…」




