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真っ赤な口を大きく開けて、赤土の大渓谷が太陽を呑みこもうという頃。
カレル率いるキーサ飛空艇団特別分隊の小型飛空挺は、首都シウノ・モアに到着した。
そのしばらく前に、着陸準備のためカレルはリールたちのいる指揮官室から出ていき、「着陸と安全が確認できたらお迎えに来ます」とエルも退室した。
国境の町に着いた時、アヤは初めての国外だキーサってどんな所だろうメシは美味いだろうかとちょっと楽しみにしていたのだが。まさかこんな大ごとになるとは思ってもみなかった。
キーサ次期君主の皇子様と、飛空艇に乗って首都まで来るなど。
大ごとすぎていっそ緊張とか動揺とかを忘れてしまった。というか大事の前の小事。もっと気にかかることがあるので、それどころではないというか。
「なあ、リール」
「うん」
「本当に金色で行くの…?」
『朱の狡知者』の希望で航行中はリール本来の姿、リールミール王女だったのだが。キーサ内では基本的にこちらの姿で行動するというのだ。
七日間戦争から四年以上。
ヴァイン王家最後の一人である「彼女」が生き存えたのは、「彼」が市井に紛れ、精霊シシィの現象のおかげで性別を完全に隠していたからだ。
それを、他国の皇族の前で大勢の前でさらすということは。
(もう隠れないってこと?)
でもそうすると、リールはどうなるんだろう。
考えると、アヤの胸と腹の間くらい、ちょうど体の真ん中くらいがぎゅうと苦しくなる。
つい昨日、内蔵を踏まれて大量に血を吐いた時も、痛いというより苦しかった。あれと似ているけれどやはり違って、リールは痛くないといいなと思った。
「そうだね。カレルが妃候補連れてきたって噂なのに、男の子で出るわけにもいかないしね」
言うことはわかるけど、と。腹の上を両手で押さえ、もごもご口を動かすアヤの前で、朝陽を束ねた色の髪をした美しい人は、ふと表情を落として顎に手をやった。
「妃候補が、男の子だったらそれはそれでおもしろそ」
「ヤメテアゲテー」
アヤの頭の上にいた白い精霊シシィが、ぴょんと軽やかに跳んでリールの肩におさまった。ちなみに飛空艇航行中はずうっと寝ていた精霊である。飼い猫のように腹を出して寝ている姿に、癒されるよりも訊ねたい事項が満載だ。
だが、一般的に知られていない、実体化した精霊であることに間違いない。
きっと翡翠の精霊姫の演出に一役買ってくれるだろう。
扉を叩く音と、ご案内します、というエルの声に。
しばらく黙っていたキィがやはり言葉なく、静かにリールの前に膝をついた。
「リール様。……宜しいのですね?」
主人の意向を確認する。本当は容易く無慈悲に命令してくれたら良かったのに、そう訴える騎士が優しいのをリールは知っているから彼の期待には応えない。首を垂れてただ命令されるのを待てばいいのに、こちらの顔を見て翡翠の色を確かめてくるのだから、リールだって応えないのだ。
「頼りにしてるね」
薄く微笑んだような自然な表情に、キィはようやく諦めて立ち上がった。
そうして扉の向こうにいるエルに返事をし、流れるような所作で扉を開けた。小型飛空挺の簡素な扉が、まるで豪華な広間に続くように見えて、アヤは素直にときめいた。
「おお…騎士様かっこいい…!」
獣人たちを粗暴だと言う輩もいるが、アヤが見たのは、間違いなく凛々しい騎士の姿だった。
演出にのってくれる様子のキィと、相変わらずなアヤに満足したらしいリールは、艶やかに笑って陽が落ちる赤い世界に踏み出した。
「では、ーーー行こうか」
キーサ皇国首都シウノ・モア。
皇が政務外交を行い生活をする本宮と外苑のほかに、いくつかの宮殿を孕んだ広大な街である。
キーサが擁する軍の陸上団、警護団、飛空艇団の本陣も首都にあるが、街中にあるのは上層部の拠点や一部の機能だ。その他の運用施設、訓練場、宿舎、陸上団であれば騎乗獣の厩舎や飛空艇団の整備場などは、移動すら訓練になるだろう広さの土地が必要なので、基本的には郊外に設けられている。
小型飛空艇が着陸したのは、そんな飛空艇団の発着場のさらに隅だった。
皇子の帰還というよりは、隠密作戦から帰った分隊の迎えなのだろう。副団長と他二名が仁王立ちで構えていただけだった。
「よお、レオ。戻ったぞ」
少年が学舎から自宅に戻ったのを知らせるくらいの軽い調子で、カレルが片手を上げた。
キーサ飛空艇団の副団長レオポルトは、獅子の獣人である。
黄褐色の雄々しいたてがみを夕暮れの風になびかせ、分厚い胸の前で腕を組んだ様は圧巻だった。体躯も大きく、成人男性の頭が胸元くらいというほど。
副団長は腕をほどき、ゆっくりとカレルに近づいて。
礼をするのかと思いきや、その大きな手で団長の頭を遠慮なく鷲づかみにした。
「い、てててて!これダメだろ本気でいっててて!」
「ああ、何か聞こえるなあ? もしかして我らが団長が帰られたか?」
「はなせレオ…!」
爪こそ喰い込んでいないがこのままだと頭蓋骨砕けると危機を察したカレルは、自分をつかむ黄褐色の手首あたりを両手で握り、勢いをつけて伸ばした腕の脇の下を蹴り上げてやった。
だがびくともしない。ちくしょう。
「虫でも飛んでるか?」
控えていた部下二名に尋ねるような声色だった、頭をつかまれているので見えないが。ちくしょうともう一度胸の内で吐き捨て、両足を持ち上げて肘に絡めてぶら下がった。打撃がダメなら骨と筋。
回転を加えてどうにか獅子を地面に引き倒し、丸太のような腕に乗り上げ曲げてはいけない方向に曲げてやってようやく強靭な手がはがれた。
「死ぬだろうが!」
「鍛え方が足りない。私くらいは瞬殺しれくれないと困るな」
「それ無茶だろ?!」
レオポルト副団長より体躯の大きい獣人もいるだろう、彼より素早く走れる者も腕力が強い者も。だが彼は軍人としてここまで鍛えぬいてきた。種の違いはあくまで地力の差、そこから専門的な訓練をしてできあがったのは皇国最強とも言われる獅子である。
これを倒すとか無理いうな。
だがいつかやってやろうとは思っているので、カレルは奥歯を噛みながらも無理やり口の端を上げた。後ろも見ずに腕だけ突き出すと、分隊の兵士がはいはーいと投げやりな様子で短刀を二本投げてよこす。
刃が弧を描く、キーサから南に見られる短刀を逆手に持ち、カレルが腰を落とす。レオポルトも楽しそうにぐるぐる喉を鳴らして構えた。
ところで。
「団長殿。副団長殿。ーーーいい加減にしてください」
氷で突き刺すようなエルの声が静かに響いた。
「レオポルト様、カレルの躾は後ほどにされてください。カレルも、客人を放っておいてよいのですか?」
ああそうだったと思い出したらしいカレルの前で、獅子の尻尾がぴしりと揺れていた。気を悪くした、というよりも気不味いといった様子だ。
エル少年に役職はないのだろうが、兵士の誰かが、調教師と呟いていた。
咳払いの代わりか、ぐるると唸ったレオポルト副団長は佇まいを正して分隊の兵士たちを見やった。
それに気づいた兵士たちは後ろにいた客人を通すために道を開ける。彼らの後方にいても頭ひとつ飛び出ていたので目についてはいたが。
銀色の、狼の獣人は恐縮した様子もなく尊大に振るまうでもなく、並んだカレルとレオポルトの前まで堂々と歩を進めた。
胸に右拳をあてて、狼はヴァイン王国の騎士の礼をとる。
「ヴァイン獣騎士団四番隊隊長、キィ・ワームと申します」
声はなかったが、空気がいっせいにざわついた。一昼夜を共にし、特に飛空艇に残留組はキィの強さを目のあたりにしていた。だが改めて肩書を聞くと動揺もするというものだ。
ヴァイン獣騎士団は、多くない人数と特殊性から団長という肩書の総指揮官は存在しなかった。
隊ごとに各地に駐屯し、有事の際は隊長が采配する。作戦上、かつての王弟のように軍の上層部が指揮を取る以外は、複数の隊で編成する事案でも隊長から総指揮を選出するのが通例だ。
つまり立場、キーサの言葉でいうなら役職的に、キィはカレル団長やレオポルト副団長と相当ということだ。
にやにやと楽しそうな顔をするカレルを見下ろし、もう一度頭をつかんで放り投げたい衝動を抑えながらレオポルトは低く唸った。
「…知らなかったな?」
「実力しか。だがそれより、姫の騎士に相応しいと思ってな」
連絡は受けていた。シウノ・モアの乾いた空気によく響く声で、精霊たちが楽しそうに報告してくれた。
カレル皇子が妃とする女性を連れ帰る。
彼女たちを客人として迎えよと。
何の冗談かと思ったが、楽しそうな精霊たちはそのまま皇后陛下のところまで飛んでいってしまった。止める暇もなかった。
カレルは他の国の礼節に照らし合わせれば、直情的で粗野だが、馬鹿ではない。短絡的なところがある、というのも否めないが、根本はキーサ皇国にあるすべてへの恩恵を第一にしている。
人が大事で、人が暮らす大地を守るという点は、どの立場どの役職にあっても揺るがない。
と、知っているが。
さすがにお前の奥方は出会って惚れて一緒にいようなんて約束だけで務まると思うな。
だから客人として迎えるのは良い、それだけならいい、だが妃などとんでもない。これがあの馬鹿、いや皇子が惚れて連れ去ってきたのか、相手の方からカレルの身分を知って言い寄ってきたのか知らないが、どう対応すべきか。
できれば皇后陛下や宰相閣下に会わせる前に何とかしてしまいたい。これ以上カレル皇子の立場を危うくするのは避けたいと。
考えていた。しかし思考が飛んだ。
獣騎士キィが一歩退いて主を迎える姿勢をとり、兵士たちは先ほどキィに道を開けた時より広く、ある意味慄いた様子で「彼女」を通した。
黒髪の従僕をひとりだけ連れた少女は、旅装というより男装のような格好だった。
しかし薄く上等である白いシャツは体の線を隠しもせず、胸の下から腰に巻かれた薄布が腰の細さをことさら強調していた。それだけなら何と華奢で可憐な少女だと思うが、その腰布に控えめで繊細な細工の中剣を通してあり、それが不似合いでなく馴染んで見える。
眩しい朝の光を束ねたような髪を、令嬢らしく編みこんでまとめており、下ろした前髪と耳横の一筋だけが風に揺れて少女を彩った。
さらに真っ白な、リスのような小動物が大人しく彼女の肩に乗っていて、その気配が地の精霊に似ていて困惑もする。耳にあたる毛並みがくすぐったいと言わんばかりの少女の表情に、ただの愛玩動物か精霊か判断もできない。
そうして静かに、美しい、翡翠の瞳がレオポルト副団長をとらえる。
「不躾な訪問となりましたこと、まずはお詫び致します」
雪解けの頃、精霊たちが日差しを喜ぶ時に似ている澄んだ声。
少女はわざとキィと同じような騎士の礼をとり、カレル団長やレオポルト副団長に頭は下げなかった。
「ヴァイン王国王女、リールミール・メルニーナ・ヴァインでございます」
圧倒された。
少女の美貌にか、所作の美しさにか、名乗った身分にか、わからないが「そうか」と素直に信じてしまうほど「彼女」は凛とした空気をまとっていた。
レオポルト副団長は普通に慌てていた。表には出さなかったが。自分の見目をよく知っているレオポルトは、妃候補にお引き取り頂く作戦としてまず第一声に威圧くらいするべきだろうと考えていた。
貴族のご令嬢だろうが市井の娘だろうが、雄々しい獅子の獣人の見た目だけでも恐怖だろうが、狼の獣人を連れているような少女には効果もないだろう。
なのにごく普通に、むしろ礼儀正しく名乗っただけで終わってしまった。
あああ何をやっているんだ!と近年稀にみる動揺を胸の内に抑えるのに必死な副団長を置き去りにし、にやにやと悪戯をする子供のような顔をしていたカレルが王女の前に進んだ。
その時には、子供じみた笑いではなく、やわらかな表情で。
王女の右手をすくい、自分の額に軽く押しあてた。
額中央にある洗礼の証、小さな刺青、それに触れてつむぐ言葉の意味を、この場にいたキーサの民は皆知っていた。
「ようこそ我が妃。キーサ皇国はあなた方を歓迎する」




