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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第4章 翡翠と瑪瑙と黒皇子
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2


「ああ、やっぱりこちらでしたか」


 カレルの褐色の手がリールの指先をすくい、不埒な空気にキィが膝を立てた頃合いだった。

 指揮官室の扉が開いて、真っ白な髪のエルがひょいと顔を出した。声に気を取られたカレルの鼻先をリールの指が弾いたので、む、と珍妙に唸りながら狼は正座の姿勢に戻った。

 主人がおさまった場所に呆れた表情を浮かべたエルは、薄荷色の目を細めてから腰を折り、丁寧な挨拶をした。


「お話の途中で失礼致します。カレルにいくつか報告がありますので、よろしいでしょうか」

「どうぞ。むしろ連れて行っていいよ?」

「そうすると後々面倒ですのでこのままで」

 面倒ってなんだ、だがそうしろと、キーサの皇子はアヤにすら言葉が読めるほど豊かな表情でエルを促していた。それでいいのか。


 狭い室内、エルは立ったまま動力炉の様子、航行の速度、天候、首都までかかる時間の推定など運行に関わる事項を報告した。

 白い髪のエルはアヤと同じ年だと聞いた。彼みたいにはなれないと眺めていたアヤの視線に気づいたのか、薄荷色の目がこちらを向いて、にこりと笑った。

 ううん、美少女か。

「エル。陛下からの返答は?」

「……それを聞きますか」

「聞くだろう!俺が嫁を連れて帰ると言ってるんだ!」

「そのままお伝えはしましたけど…」

 したんだ。

 キィの尻尾がびたんと床を打った。怒っているというよりひどく動揺しているらしい。わかる、アヤだってそうだ。国の情勢、個人の思惑、立場と責任、そんな事の前に、アヤとキィには口を挟む権利はひとかけらもない。

 だが腹の底がぐるぐるする。


 リールを慕う二匹、いや二人のわかりやすい表情と、初恋に浮かれて無駄にきらきら期待している主人の表情との対比を見て、エルは可憐な顔立ちに憂いをのせて浅い溜息を吐いた。

「お伝えはしましたが、返事はいただいてません。宮に戻ってから、カレル自身で陛下を説得なさってください。あと、『カレルの妃候補』がリールミール王女殿下であることはお知らせしてませんので」

「だからか。それを伝えていたら、母上からさぞや罵倒する返信があっただろうに」

「自覚してるようで何よりです」

 楽しそうに笑うカレルの横顔を、わりと近い位置から眺めつつ、今度はリールがなるほどと納得した。

 今の段階では、皇子が気紛れで市井で見つけた娘を連れ帰る、という事になっているようだ。でなければまず首都の地を踏めず文字通り門前払いされてもおかしくない。それくらい亡国の姫は厄介だ。

 しかし、皇族であるヴァーハル一族は一夫多妻でなかった気がする。このあたりは大陸諸国でもキーサは特有なので確認しないと定かではないが。

 だが、もしもカレルが本気だとすれば、リールの正体を隠し通すわけにもいかない。


 だったら、と。

 リールは白い髪をした優秀な少年に視線をやった。

「エルは、飛空艇団の所属ではないと言ったね。君の『役職』はなに?」

 美しい姫からの問いかけに、エルは薄荷色の目をぱちりと瞬かせた。自分よりずっと濃く深く澄んでいる、春の息吹そのもののような翡翠の瞳に、目を伏せる形で軽く頭を下げた。


「さすがは王女殿下でございます。我が国のこともご存知でいらっしゃるとは」

「話を聞く前に、ねえエル、その口調戻そうか?」

「先ほどの答えは、私には『役職』がございません。故に、王女殿下に対しての今までの非礼を」

「わかった。カレル、なんとかして」

「俺にできると思うな」

「むしろ何でできないの?」

「今エルが言ったように、エルには様々な立場はあっても国内で『役職』を持たない。表向きには俺も命令はできるけどな、従わなきゃいけない法はない」

「あー、そのへんも含めてキーサの文化っていうか慣習を理解しないと、ややこしくなるなあと思ったのに」

 最初からつまづいた、とリールが嘆いてみせた。

 それを受けて、いや少々前から、我慢していた空気がぽんと弾けた。


「ごめん! 無理!!」


 アヤが、文机の簡素な椅子から立ち上がった。

「こういうの苦手だ!空気薄い!あっ空の上だから空気薄いのか!ごめん俺じゃまだから外に」

 逃げようとした黒猫の首根っこを、リールがつかんで、エルの前にさし出した。

 リールにとってみれば、本当にもうアーヤは可愛いなと思っているのだが。他から見ると生贄をさし出す絵面でしかない。

「エル。こういうわけだから。…普通にね?」

 友達からのお願いだから、と。金色の美しい人に言われ、エルはきょとんとしてから「はい」と笑った。

 後々アヤいわく。あの時の笑顔はあれだ、もう絶対勝てる気しない、女子として。だそうだ。


「それで、何でしたっけ。カレルが宮に戻ったら、陛下からのお叱りを受けて、宰相閣下へ胃薬をお贈りして、副団長殿から躾られるという話でしたか」


 開き直ったように笑顔全開でエルから語られた内容に、リールたちよりカレル本人から激しく抗議があった。

 信頼されているんだろうが、ここの主従の関係とは、とアヤが難しく眉間にシワを寄せた。

 それを補足するように、エル少年が簡単にキーサの有り様について説明してくれた。


「王女殿下はご存知と思いますので、アヤ様キィ様に対して簡単に。大陸諸国は、ヴァイン王国を始めとして王制の国がほとんどです。我が国キーサも君主制ではありますが、多様な民族の集合国家ともいえます。貴族が領地を治める形に近いですが、その地が王より与えられたものではなく、彼らがもとより住む土地、という点が違います。彼らはその土地、その部族のある意味『王』なのです」


 キーサは乾いた土地だ。

 鉱脈が連なり、どの土地からも資源は採れるがその利権を販路をめぐって争いが絶えなかった。

 それをまとめたのが現在の皇族でもあるヴァーハル一族。

 武力で他部族を圧倒し、各地の自治を認め、しかし一つの国家として国交易をまとめることによって、食糧の輸入安定と各部族で格差のあった技術の統合を計った。

 今では各部族の筆頭は王でなく「長」となりその土地を治めている。

 長たちは定期的に首都に赴き、君主を含めた議会で決定された法が、キーサの最高権力である。

 キーサ皇国の君主は、他国にわかりやすく皇、皇后と呼ばせているが、立場としては各部族の長をまとめる筆頭の役目を担っているのだ。


「もちろん、各地から招集した若者で国軍を編成したり、特定の土地のみに利になる法の制定を棄却する権限があったりと、君主がキーサ皇国の要で頂点であるのは間違いありません」

「そこで世襲と役職の話になる」

 エルの言葉に続けたのはカレルだった。

 ここまでの話はざっくり皇族についてだったが、ここから個の話になるからだろうか。

 カレルの言葉に、エル少年は何も言わず静かに控えた。


「広義では、君主も各部族の長たちも個人が得た『役目』だというのがキーサの考えだ。相応しいから就く、怠慢であれば退く、親の背を見るので同じ職業に就く者は多いが、宰相の息子が文官になれても宰相に就けるかは本人次第だ」

 それって当たり前では?と首を傾げたアヤに、リールは生温い視線を送った。

 元気な黒猫にはそのままでいて欲しい。

「そうでもないから、いろいろ腐るんだがな。たぶん、キーサはわかりやすいぞ? 個が、そいつ自身が手に入れた役職は本人の証明そのものだ。宰相も、大将軍も、そこにいるから偉いんじゃない。それだけの事を成したから役職を持っている」

 それでももちろん、誰々の息子だとか、そういうのが無視されるわけではないが。


 話を聞いていて、アヤの価値観と照らし合わせ、難しいことを省いた結論は。


「え。カレル何したの?」


 ひどい言われようだった。

「何もしてねえ。いやしたけど。お前言い方考えろ」

「つまり、皇子様っていうのはカレルが生まれ持った立場で、飛空艇団の団長っていうのが役職なんだろ」

「しかもちゃんと理解しててその言い方か」

「……何したの」

「悪いことした前提みたいな言い方だなオイ。そうだった、お前は帝国軍人に丸腰で向かっていく奴だった」

 ダメだこれ敵わないやつだと、この場にいる最後の一人カレルも観念した。そうでしょうウチの猫可愛いでしょうと自慢げなリールのが可愛いとか言ってエル少年に冷ややかな視線を頂いたのはとにかく。


「大丈夫ですよ。カレルはちゃんと兵士の昇格試験も受けましたし、何より、物理的な動力と精霊石の現象による推進力の掛け合わせを実用化しました」

 リィン帝国に追い抜かれて久しい飛空艇技術を盛り返したのは、カレルの功績だったのだ。

「だから、飛空艇団での役職が本来っつーか。兄上のことがなければ、本職軍人だったんだよ」

「ああ、だから今は立太子のための実績づくりで隠密作戦してたんだ」

「実績、とまでいかなくても、帝国の動向を正しく把握するのにどうしてもな…」

 乱暴に頭をかいてみせたので、好き勝手にはねていた黒髪がさらに乱れて額に落ちていた。


 カレルにとって、君主になるというのは、優秀な第一皇子に任せて得意な分野で身を立てようとしていたら、思わず転がりこんできた道なのだろう。

 他国では身分、地位と表される言葉をキーサでは役目、役職と言う。言葉の意味だけを探れば根本は同じかもしれないが、今ではおそらく違う意味を持っている。

 もしくは捉え方の違いが、国の慣習の違いというのかもしれない。


 現場で怪我して皇族が何していると呆れたリールに、いろいろあって、とカレルが返したのも。異国の部外者に説明すべきでない、という意味と、みずからの役職をまっとうしているという抗議と、兄である第一皇子を喪った過程があったのだろう。

 それは詫びる事項ではないが、思った以上に観点の違いがあるようだ。

 ではなおさら、これから降ろされるキーサの首都でどう振舞うべきか。その判断材料として、改めて聞いておきたいのは、やはり人についてだ。


「エルは、強いて言えば今回はカレルの護衛、が一番近いかな?」

「お世話係ですかね?」


 もしくは暴走の歯止め役、などとわりと真面目な顔をされた。ちなみにカレルもそこは反論していなかったので、多少自覚はあるようだ。

 以前、エルは自分で護衛というか側近というかお世話係というか、最終手段?などと言っていたが。

 飛空艇団に所属していないエルがそれを担うなら、それなりの立場にいるはずだ。キーサにおいての役や身分やそれに対する人の考え方の指針にするには、エルから推し量るのが良いだろうと思われた。


 リールの選ぶ言葉でそうと気づいたのか、エルはああ、と納得したような顔をした。

「父が、皇族に近い役職におりますので、カレルとは小さい頃から会う機会は多かったんです。そういう関係性は、やはり環境ですから」

 これから異国のど真ん中に放り出される姫君に情報を、思い出話のついでのように与えてくれた。

「カレルはまあ、皆様の想像通りかと思います。第一皇子であったイザーク様は幼い頃から思慮深い方でしたが、対してカレルは毒の研究用で運ばれてきたサソリの箱を、宮の廊下で引っくり返しまして」

「おいエル、本気で昔話しなくていいんだぞ?」

「庭で逃げたら野生化して手がつけられなくなるので、そこは考えているのか強運なのか」

「兄上にその毒の抗体にするだとかいろいろ盛られたが」

「そんな訳で、たいそう快活な皇子殿下にいつも胃を痛めている宰相が、僕の父です」


 その話の流れだと、重要な部分がすごく霞むんですが。

 すごく。


「父はシウノ・モア、僕らの首都ですが、そちらの出身ではありません。西寄りの少数部族の出です。一族の血は誇り、けれど今のキーサは立身出世の機会が誰にでもある、ともいえます。単身で首都にやってきて、今の役職に就くまでの父の努力を、僕はとても尊敬しています」

 だから今度は本当に良い胃薬をさし上げてくださいね。

 にこりと笑顔を向けられたカレルは、それは、うん、と言葉は濁して低い天井を仰いでいた。心当たりがよほどあるようだ。


 宰相の息子。なるほど。それはエル自身が役職についていなくとも、なにかと注目される立場だ。

 各部族も頭脳となる役割の者がいるだろうが、宰相という名はキーサでも国内でたった一人が持つものだ。議会での発言権は君主に次いで強い、その子息となれば。


「ていうか、まず、エルは俺の義弟だしな」


 だからその話の流れだと、重要な部分がだな!

 と、憤るのも忘れて、さすがのリールもペットたちと同じような驚愕の表情を浮かべてしまった。

 義理の弟ということは。


「はい。僕の奥さんが、カレルの双子の妹なんです」


 後々アヤいわく。

 あの時の笑顔はあれだ、争う気にもなれない、女子として。

 だそうだ。




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