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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第2章 紅と銀狼
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2


「あっははは。紅のも、ちっとはそういう顔をしてりゃあ可愛げもあるのにの」


 ご機嫌よく笑うのは、フィールズの街で一番顔をきかせるドゥーレ商会の会頭。黒砂糖のような髪は白く衰えることもなく、かといって豊かなヒゲを見ていると少なくなる心配もなさそうに見える。

 以前、リールはこの会頭に飲み比べで勝ったことがあるとはいえ、一般的な基準からいえばかなりの酒豪である彼も、今はほどよく酒が回っているようだ。


「とにかく飲め。心配もいらん。明日からも好きにしてくれてかまわんよ」

 だからその拗ねたクソガキのような面を拝ませろ。


 アヤはよくリールのことをスラングで罵るが、このじじい、いや会頭もけっこうな趣味である。

 店の者が別個に椅子を用意してくれたが、どういう訳か、リールは先客のとなりにおさまっている。どうにかソファの端の端っこまで寄っているのは、ささやかな抵抗だ。それもまたくそじじい、いや会頭のご機嫌につながっているようで何よりだ。

「…嫌われたなあ」

 グラスを唇にあてて、となりの先客が小さな声をもらした。向かいで大笑いしている会頭には聞こえないように。

「知らなかったの?」

「今日ばっかりは俺のが先約だ。今日ここへ来たお前が悪いな」

「そうだけどさあぁ……」

 腹が立つのはしょうがないよね。苦虫を潰したように顔をゆがませてもきれいなものだと感心されても、本当に腹が立つ。


 ソファに浅く腰掛けて、自分の膝に体重をかける姿勢は尊大。会頭に対する言葉や雰囲気は尊重しているが、己の立場を主張するような姿。

 沈んだ草色の、帝国軍の軍服。


「帝国軍にも、このきれいで生意気な坊主の話は広まってるようですな」

「そうですね。けれど、坊主がもっとクソガキの頃を知っていると、これでも大きくなったなあと思わずにいられません」

「ほうほう。それで嫌われているのか、納得納得」

「こーんなチビの頃は可愛かったんですがね」

「…………いやもう、本当にどっか行って」

「ほれ紅。いつものように飲め」

「………………この店の酒全部飲んでも記憶が飛ばない自分が恨めしい」

 和やかな空気で豪快に笑うな。

 彼が軍服だということは、仕事中だ。店内の連中もふらふら遊びに出ている暇軍人ではなく、おそらくは彼の護衛だろう。


 ルイス・トライバル。階級は中佐。肩書はリィン帝国軍司令部第三支部司令官。28歳。


 短く刈り上げた髪は薄茶、日に焼かれてさらに色素が抜けたのか一部はキラキラ光を反射する。おそらく晩年は白髪だ。

 大きくはないが猫のように印象的な瞳は青灰色。軍人にしては人当りの好さそうな印象の容貌。いや人懐こい表情によるのかもしれない。


 歓談しながら、ふと思い出したように軍服の上着に触れたトライバル中佐は「失礼」と会頭に許可を求めた。ご機嫌の翁は店の者に灰皿を持ってこさせ、中佐は遠慮なく紙巻の煙草に火をつけた。そういえばいつでも煙の臭いのする男だった。

 あの頃はもちろん、護衛の任務中に吸うことはなかったけれど。

 窓のない店では空気が流れず、中佐が吐き出した煙はリールたちの頭上でゆらゆら揺れていた。

「それでは会頭。充分なご留意を」

「その言葉はそっくり返しておきましょうかな、司令官殿。もはや軍人たちが落とす経済効果も含めてフィールズは回っておる、今さらいなくなられても逆に困るというものだ」

「努力しましょう。街への影響がないように」

 では、と煙草の火が灰皿に押しつぶされ、トライバル中佐は立ち上がった。


 やっと解放されると、ソファの肘掛けにうなだれたリールの、二の腕が強引な力で上に引き上げられた。

「は?」

「それから、これお持ち帰りしますんで」

「あっははははは」

 笑うところじゃないだろうこのジジイ。

 助けろとまでは言わないが、少しは何かないのか。なにか。


 無理やり立たされたリールは向かいの会頭への悪態が精いっぱいで、状況打破のための策など何ひとつ出てこなかった。結果として、母猫に首根っこをつかまれて移動する子猫のように、そのまま店を出ることになってしまった。

 リールの用件は挨拶だったので、せっかくの酒の味がまったくわからなかったのはついでだ、目的は果たしているが。

 どうして、店の入り口を固めた軍人たちに挟まれて、この男と並んでいるのか。

 トライバル中佐は、また懐から箱を出して煙草に火をつけた。


「で? どこ泊まってんだよ」

「――…教えるか!」

「なんだよ本当に嫌われてんなあ。ユング大佐にはもちっと愛想よかったんだろ?」

「ああ! 大佐経由か!」

「研究所絡みで派手にやれば、俺んところにも情報よこすって」

「派手にやってくれたのはレイの方だけどね…!」

「まあ、俺でもお迎え係できるからよ。ユング大佐じゃなくて、俺ならついて来てくれるか?」

「絶対いやだ」


 ああ、嫌われたなあ。と。

 トライバル中佐は笑っていた。


 遠い昔。新緑の王都で。

 お前の婚約者だよ、と。引き合わされた黒い皇子様の後ろに彼はいた。


 軍人さんの格好をしていたから、王女自身にもついている護衛という人なのだと理解していた。ラ・パルス殿下は地の精霊と似た気配と少しの油の匂いがしたけれど、彼は苦い煙の香りがしたのを憶えている。


 春の庭園で、わずかな人数のお茶会をした時にもいた。

 芝生に布を敷いて頂くという、母である王妃に見つかったらとんでもないお叱りをうけるだろう温かなお茶会だった。

 そこには婚約者も、その時まだ皇太子だったル・クリフもいた。

 自分の侍女たちにも「食べてね」とお菓子を配った。その流れで、黒い皇子様の後ろにいた軍人さんにも紅茶のクッキーを渡した。その時に初めて彼の名前を知った。


『ルイス・トライバルと申します』


 士官学校を卒業してすぐに自分の護衛についてくれたのだと皇子は言っていた。飛び級だったんだって、すごいね、と言われて素直に感心したものだ。

 ヴァイン王国にも騎士団がある。努力したのですねと声をかけると、これからもしますと答えた彼はその場でクッキーを食べて同僚に叱られていた。

 そうだ。白い皇太子の後ろには彼らもいた。金髪のレイリック・ユング。それから黒髪の。


「―――……、」


 駄目だ。これは駄目だとリールは頭を抱えた。

 すでにトライバル中佐と別れ、諜報部なのか、なかなかの隠密っぷりの軍人を振り切り、豪華絢爛の宿まで戻ってきたがこのままでは駄目だと毛足の長い絨毯の廊下で立ち止まった。

 先日、中央のパークの街で虹の織姫から『過去』の影響を喰らってから、どうにも調子が悪い。


 あの頃を、よく思い出すようになってしまった。


 人は、手が空いて時間に余裕ができると思考にふける生き物だ。だから考えないようにしていたのに。平和にのんびり生きたいのは願いだが、時間に隙間をつくってしまえば考えずにいられないことばかりだったから。

(思い出したくもない)

 聖属性の精霊による影響が一番だろうが、そうでなくともユング大佐やらトライバル中佐やらと顔を合わせること自体がいけないのだ。今さら恨みつらみを述べるつもりもないが、皇帝の命令だとかで迎えに来るぐらいなら返り討ちにしてやる。


『自分で来てくれたら考えてもいいよ』


 そうなのか? 自分で言っておきながらリールはその言葉がよくわからない。

 すっかり姿を見せなくなったらしい皇帝が、直々に来ればいい。ユング大佐たちもそうだ、命令でなく、自分の意思で亡国の王女を殺してやりたいならすればいい。

 そうしたら、


(もし、―――ラルスが迎えに来たら?)


 ごつ!という鈍い音で瞼を上げ、廊下の壁に激突した自分をリールはようやく把握した。

 瞬くと、我ながら紅いなと思う前髪が乱れて視界に散った。

 来ない。来るわけがない。あの皇弟はリールミール王女が帝国に捕らわれるのを望んでいない、本当にそうだろうか、ただもう利用価値がないだけだ。だからやっぱり来ない。


(だって、ラルスは)



「――― アーヤ!!」



 けたたましく扉が開く音と、聞いたこともない大音量で名前を呼ばれ、ソファの上でぬくぬく眠っていた黒猫は文字通り飛び起きた。

 寝起きで現状が把握できず、右、左、と確認した視界の中に鮮やかな紅い髪を見つけた。

「リール?」

 豪華な宿の豪華な部屋、壁の一面にはしゃれた酒瓶が品の好い店のように並んでいた。そこまで大股で歩いたかと思えば、リールは無造作に1本をつかみ、コルクの栓をあけ、そのまま天井を仰ぐ格好で飲み始めた。そしてわずかな時間で空にして、ようやく息ができた、みたいな様子で背を丸めて息を吐いていた。

 ええ?とアヤは目を丸くして驚いた。リールの血液はたぶん酒でできているから、1本や2本、こんな上品な大きさの瓶は余裕だろうが、その乱暴な行動に驚いたのだ。きっつい蒸留酒だろうと優雅なお茶の時間にしてしまうようなリールが、どうしたというのだ。


「えーっと、リール?」

 ソファに膝で立ち、背もたれをつかんでおそるおそる呼び掛けてみた。

「アーヤ」

「お、おう」

「明日は出掛けるよ。店が開いたらすぐに」

「お店? どこ、…っていやいい。わ、わかった」

「作る時間はないから、既製品でも多少直せばマシだろうしね」

 既製品。お直し。その単語から嫌な予感を感じ取ったが、とてもじゃないが口を挟める雰囲気ではなかった。酒が置いてある棚に片手をついたまま、うなだれたままのリールは、どうやら笑っているらしかった。

「というか、見てろよヒゲの悪趣味じじい。好きにしていいと言ったことを心底後悔させてやる… ドゥーレ商会の賭場から根こそぎ持っていってやろうじゃないか…」

「あ、あのう… リールさん?」

「楽しみにしててね、アーヤ。一晩でこの街一番の富豪にしてあげるよ?」

「えんりょします……」

 自棄の勢いならいいのだが、リールの場合は本当にやりそうで怖い。この街そのものから出入り禁止くらいそうだ。

 しかし禁止されたとて、それだけ稼げば一生分か?


 いや、いろんな意味でダメだろそれ。



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