映画『花の香り匂い立つ』
お読み頂きましてありがとうございます。
拙作『帰還勇者のための休日の過ごし方』にて志保が登場した後の話となります。
こちらでは殺人事件で命を狙われるヒロイン?役となっております。
https://ncode.syosetu.com/n7440ed/
「志保。相手役の俳優が決まったそうだな。どういう男なんだ?」
『一条ゆり』プロデュースの第5作目の映画『花の香り匂い立つ』はスギヤマ監督を迎え、スポンサーも付いていたのだけど企画後3年経っても相手役が決まっていなかった。
濡れ場があるあの映画を和重が嫌がって妨害をしているのかと思っていたがそうじゃないらしい。
「那須くんよ。和重も知ってるでしょ。」
那須新太郎と聞いて直ぐにわかる人間はかなりの野球通だけど、私たち山田ホールディングスの元従業員の仲間内では可愛い後輩だ。山田社長が今一番可愛がっている人物と言って過言じゃないからある意味嫉妬の的だったりもしている。
プロ野球選手としても超一流だったけど経営者としてのセンスも抜群だったらしく自ら会社を設立し、山田ホールディングスでは社外取締役となっている。
「おう。ってお前大丈夫なのか?」
「何が?」
「何って、ナスシンっていいやつだけどお前にだけ冷たいじゃないか。いつも喧嘩しているイメージしかないぞ。」
那須くんは選手時代に付けられたら愛称で呼ばれることが多い。どんなに体勢を崩されてもホームランを打つバッターボックスの姿がある有名な時代劇俳優に似ていることから付けられたらしい。
普段は優しくて素直という仮面を被っているのだが心の中は冷酷非情で鬼畜で狡猾だったりするのだ。
何故か私にはその仮面を外して見せつけてくるのである。ある意味同族嫌悪なのかもしれない。
周囲にはじゃれあっているようにしか見えないらしいけどね。本気で心配してくれるのは和重くらいである。
「そうね。でも男らしい面もあるのよ。」
犬噛巳村での彼の大きな背中を思い出す。私に対して悪意を持つ人間は多いけど、その前に立ちはだかってくれる男性は少ない。まあ私が真っ正面から喧嘩を売ってしまうかららしいのだけど。
「犬噛巳村の件か。あれは渚佑子さんが命令したからだそうじゃないか。俺だってその気になれば。」
犬噛巳村で起こった連続殺人事件は一星テレビのディレクターが巧妙なトリックを使う冷酷な殺人鬼だったのだけど那須くんの巧妙な誘導にマスコミが引っ掛かり、ホモの痴話喧嘩のような扱いがされている。
お陰でスターグループとしては大ダメージを回避できたのである。和重としても悪くは言えないのだろう。
「本当に? 本当に私の前に立ちはだかってくれる?」
和重はしばらく考え込み首を振る。
「無理。お前はとにかく敵を作り過ぎなんだよ。俺が真正面に立ちはだかった途端に後ろからズブリとやられるぞ。」
旦那さまでさえこれだからね。嘘は方便と言うじゃない。嘘でもやると言ってほしいのになぁ。
「私はあの背中を探していたのよ。あんなに頼もしくて大きな背中は今まで見たことは無かったわ。」
和重が居なかったら何が何でもモノにしようとしていただろう。それが映画の中だけとはいえ叶うのである。これを逃がす手は無い。
「確かにあの映画は男の背中が印象的だか、今度の映画では顔も出せばセリフもちゃんとあるんだろ。大丈夫なのかそんなド素人を使っても。」
『一条ゆり』主演で撮影された作品でその役は、クレジットはおろか濡れ場さえも出てくるのは背中ばかりでセリフが出てきても吹き替えで別の役者の声という徹底ぶりでその俳優の痕跡が消されているのである。
「何、あの映画に出たかったの?」
「じょ、冗談じゃねえよ。お前の相手役なんか務めたら自分の大根ぶりを世間に晒すだけじゃねえか。そもそもその所為で今まで決まらなかったんだろ。」
和重は昔俳優をしていてその映像を見たことがあるが技量は凄いのだが感動が伝わってこない。そんな俳優だった。
「じゃあ何で?」
ワザと笑顔を作って言ってみる。人からは何か企んでいると思われるらしい。
「それを聞くのかよ。嫉妬しているんだよ。お前の相手役を務められる才能を持つ人間に、お前と濡れ場を演じられる人間に。これでいいかよ。」
そうそうそれが聞きたかったのよ。
「うん満足よ。」
「お前なあ。うわぁああっ・・・殺してやりてぇ。」
「ダメよ。那須くんを殺したら、社長がスターグループを潰しにくるわよ。」
乗っ取りにくるのかも・・・いや、やっぱり乗っ取った上で潰すくらいのことはするだろう。
「ちげえよ。お前だ。そんなことばかり言っているから、渚佑子さんのところにブラックリストが出来上がっているなんてことになるんだ。」
あれれ、本気で怒っているみたい。今日の夜は激しそうね。
☆
スギヤマ監督の目の前で那須くんが演じてみせる。3分以上のセリフも難なくこなす完璧な演技をしてみせた。
「なるほど。志保くんが1人2役をやるわけか。これなら期待できそうだ。」
那須くんには人の動きを全てコピーする特技があり、私が演じた通りの演技が出来るのだ。
しかも男女間の微妙な仕草とかは勝手に置き換えてくれる。その辺りはダンスの振り付けで培ったらしい。
「それにしても、既にお知り合いとは知りませんでしたわ。」
驚いたことに那須くんとスギヤマ監督は知り合いで監督の作品でいくつか踊りの振り付けを担当したことがあるらしい。
「ああ。彼は荻尚子の愛弟子なんだ。振り付けをコピーできるとは聞いていたが演技まで出来るとは聞いておらんぞ。何で言わんのだ。」
荻尚子といえば東京オリンピックの開会式の演出家として有名だ。世界的に有名な映画監督の下で振り付け師として世界中を飛び回っているらしい。
「自分の色の無い演技は見たく無いと思いまして。それにギャランティに惹かれて来ただけですからね。いいように使おうなんて思わないでくださいね。」
珍しく那須くんが本性を見せている。監督に『自分の色が無い』と言われたらしい。
「何だ。あんな言葉を気にしているのか。あれは貶すところが無かったので言ってみただけだぞ。」
貶すところが無いくらい完璧なコピーだったらしい。凄いわね。
「そんなことを言って。演技指導を助監督に任せて消えることがあるそうじゃないですか。泣いていましたよ彼。」
「退屈なんじゃよ男優相手は。彼ら独自の色を付け過ぎて映画を台無しにしてしまうんだ。だから徹底的に色を剥ぎ取る必要があるんだよ。それでも下手な奴に任せると俳優に引っ張られてしまう。君なら均一な指導が出来るだろう。」
男性俳優はベテランになればなるほどアドリブが多くなる。俳優が勝手に演出を変えてしまう。アドリブが多い喜劇役者を下ろして、アドリブのなんたるかを知っている噺家を俳優として迎えて成功した例も多い。
目の前で監督の意図する演出の完全コピーを見せつけられれば、それに沿った演技をしなくてはならない気持ちになるわよね。
「でも、それには『西九条れいな』さんのような完璧な演技が必要では本末転倒じゃ無いんですか?」
「そうでもないぞ。こちらの意図通りに演技できる俳優はごまんといる。なあ和重くん。」
「そこで俺に振りますか。えーえー、どうせ意図通りにしか演技できませんよーだ。」
和重も監督に『自分の色が無い』と言われたくちみたい。監督の口癖みたいなもんなのかな。
役者の演技は演技指導通りに演じるものでは無い。そこから1段掘り下げて演じて見せることが出来て初めて一人前と言えるらしい。
だが独自の解釈を入れすぎて監督の意図するものとは違う方向性になってしまってはダメなのだ。
「じゃあ、そういう方々に演技指導して貰えばすむ話ですよね。」
本気で面倒臭がっている。もうちょっと気を使おうよ。周囲のスタッフの顔が・・・あ、あれ、意外にも穏やかだ。私ならば敵意剥き出しの視線のひとつやふたつ・・・多分片手ですまない視線が送られてくるところなのに、どうやってか懐柔されている。何故よ。
「いやいやプライドも高いベテラン俳優たちに演技指導しようとすると指導する側にもネームバリューがなくては従ってくれんのだよ。面倒だが何年も育てた助監督を投入せざるを得ないというわけだ。」
「それは荻尚子のネームバリューを使おうというのでしょうか。」
「そこらへんはお互い様だろ。」
「それでもギャランティによりけりですね。今のところ、長期、海外の仕事はお受けするつもりはありません。」
「何故だ。海外だろうが日本だろうが関係ないだろ。君たち『勇者』にとっては。」
「監督! 僕たちの能力を私ごとに使おうとなされば、渚佑子さんが抹殺に動きますよ。まずは球団社長の許可を得てからにしてください。」
彼ら仲間内の会話には、各個人の特殊能力について窺わせる言葉が挿まれているのだが、それについて触れると山田社長が悲しげな顔をすることもあって誰も触れないことが暗黙の了解になっている。
「すまない。調子に乗ってしまった。このことは山田さんの耳には入れないでくれ。この通りだ。」
監督がその場で土下座して見せる。私に対してもしているところをみると私の口から漏れることも心配しているようだ。
「大丈夫ですよ。球団社長を通してもらえば、そう無茶な金額も出さないでしょうが助監督を育て上げるよりは高いと思いますよ。」
その高い彼らを偶然とはいえ使ってしまったわけだが、スターグループには一切請求書は回ってこない。
映画の主要スポンサーでもあり後見人でもあった山田社長にとっては、当然のことらしく甘えてしまっている。
私に出来ることといえば、私の醜聞に巻き込まないように近づかないようにするだけである。
☆
そうやってクランクインに辿り着いたのだったが、いつもの何倍も時間が掛かっている。
「『西九条』くん。このシーンはこれで終わりにしよう。」
それもこれも那須くんの所為である。彼も彼なりに1段掘り下げて演じて見せるのである。それが悪い方向性のときもあれば、私が思い付かない良い方向性の時もあるから厄介なのである。
私は良品と呼ばれている映画をヴァーチャルリアリティ装置を使って最大10倍速で頭に詰め込み、そこから演技の幅を広げていっているのだが、彼はインスピレーションで良い演技をするのである。本物の天才というのはこんな人のことを言うのだろう。
そんなときに監督に止められるほど何度も自分の演技にNGを出してしまうのである。
「監督。それは方向性が違うということでしょうか?」
「方向性は合っている。君がNGを出すたびに質は上がっているのだが、このシーンは重要な見せ所じゃないんだ。ここだけ変に熱の入った演技をされてしまっては浮いて見えてしまう。」
自分の演技にNGを出しては彼がコピーする私の演技にも粗が見えてしまいやり直して貰うことを続けていたら15回もNGを連発してしまった。
「そうだぞ。ひとつのシーンを撮るのに5時間も掛けるなよ。本当なら10分で終わるところだぞ。」
確かに1発OKが出たシーンは撮影時間の大半が準備と撤収だったりするのである。
まあ普通の俳優相手ではそこまで短時間で終わらない。さらに彼のコピー能力が優秀なため1カットが3分から5分と長く取られているからで、本当ならば1シーン丸1日掛かっても不思議じゃないはずである。
「わかったわよ。」
でもド素人の那須くんに言われると腹が立つのよね。
「大丈夫なのか?」
その彼がこちらに近付いてきて気遣いの言葉を投げかけてくれる。
「何がよ。」
そんな彼を思わず突き放してしまった。誰が悪い訳じゃない。彼が悪いわけじゃない私が悪いのだ。私が私の演技に満足出来ないだけなのである。
こんなことは初めてだ。コンプレックスなど誰にも抱いたことなんか無かったのに。
「これから濡れ場なんだぞ。君は清楚な社長令嬢で遊び人の男の部屋に上がり込んでいくシーンだろうが。」
誰の所為よ。やっぱり那須くんの所為よね。
「大丈夫よ。濡れ場は別撮りだし。」
「・・・。」
「聞いて無かったの? 私には和重が居るのよ。映画の中とはいえ、余所の男の人と身体を重ねるわけがないでしょ。」
やった。鳩が豆鉄砲を撃たれたような顔をしている。一矢くらいは返せたようね。
「聞いてねえよ。僕は人形相手に濡れ場を演じなくてはならないのか?」
「本当に聞いて無いのね。貴方の相手役は『ユウ』が務めるわ。良かったわね。身体の線が崩れない女で。」
この男はよりにもよって全身美容整形の裕也と私を比べて、身体の線が崩れているなんて言ったのである。その後、必死にエステとフィットネスクラブに通って元のラインに戻したなんて絶対に言わないけどね。
☆
那須くんを侮っていたわ。彼は映画の振り付け師として活躍していたことをすっかりと忘れていた。
彼は気が散るからとカメラを外部からのオートコントロールに変えて貰い、私と『ユウ』を残して引き上げさせたのである。
そして、私が『ユウ』相手に演じて見せろというわけである。それを3台のカメラで撮りそれを見た那須くんがコピー能力を発揮する。
私と『ユウ』では間違いもありえず、前バリも無しに身体を重ねる。これって和重は許してくれるだろうか。イヤイヤ、和重が言い出したことなんだし、わかりきっていたことよね。
「志保と身体を重ねるなんて十年ぶりだな。」
リハーサル中だから音は拾っていないとはいえ、傍に那須くんが居るのに何を言い出すんだか。
それでも那須くんが驚いていないのは既に調査済みのことらしい。和重の話だと渚佑子さんのブラックリストには裕也も注意人物入りしているそう。その上に要注意人物と危険人物。そして超危険人物が居るらしい。
「そうね。演技中はどっちを攻めて欲しい? 裕也は後ろが好きだものね。」
「そう仕込んだだけだろ志保が。時々、志保の指使いを思い出して疼くんだからな。」
隣では私の言葉の意味を理解した那須くんが顔を歪ませている。流石に其処までは調査していないらしい。
「ごめんね。あの時は、あれしか手段が無かったのよ。」
「志保には、初めから性同一性障害だとわかっていたのか?」
そういえば、あれからずっと裕也とは2人きりになったことは無かったわね。今も那須くんが傍に居るけど、こんなに近い距離は本当に10年ぶりだわ。
「そうね。初めは年上の女性にそう仕込まれただけだと思っていたのだけど、裕也のエッチって裕也が受け身になることが多いじゃない。しかもイクのが目的じゃなくて身体を重ねるのが目的なんだもの。」
そこから行われたことは異常だったかもしれない。裕也と私がシンクロしながら那須くんにされたいエッチを思い描きながらしたんだもの。これって浮気かしら、違うわよね和重。
☆
何かしら。この感情は。
流石に私の演技をそのまま演じるつもりは無かったらしく。那須くんは壊れ物を扱うように優しく優しく裕也を抱く。泣き言を言い出す裕也に対して私には見せたことがない優しい笑顔を見せる那須くん。
まさに愛しい男の下で花開く女性にしか見えないシーン。決して私にはできないシーンだった。
そうよ裕也に嫉妬しているのだわ。
やっぱり那須くんとの濡れ場を志願してみようかしら。たとえ和重と別れることになったとしても裕也に恨まれたとしても、ここは絶対にやるべきよね。
「嫌です。絶対に嫌です。お断りします。逃げていいですか。逃げますよ。」
全力で嫌がられた。でも彼の視線は違うと言っている。
「こんな良い女が言っているのよ。受けなさいよ。」
これがお互いの距離感よね。わかっているわよ。
「本気で逃げますよ。」
それでも強く抱きしめられるシーンもあれば、キスシーンもある。そして、前作と同様に男の背中が印象的なシーンもたくさんある。
プロ野球選手を引退して随分経つというのに鍛えられた肉体。包容力もハンパない。スッポリと全身を包み込まれて今まで感じたことの無い安心感に包まれる。
いやある。母を捨てるまえの父親はこんな感じだった。年下の那須くんに父親を感じているらしい。
☆
そうして、幸せを感じている間にクランクアップした。
偶然、2人とも同じ日に撮り終わった。
花束を受け取る。今まで何故、撮影終了日に花束をくれるのかと疑問だったけど。これは区切りをつけるために必要なもの、映画の中の恋人同士を離れ。現実に戻るための儀式。
こちらから那須くんにアイコンタクトを送ると返ってきたのは冷たい視線。そうよね2人はそういう関係だった。私は和重のものよね。
私の周囲には誰も寄ってきてくれない。プロデューサーと監督がいるだけ。那須くんの周囲にはスタッフが人だかり、中には涙ぐんでいる女の子も居る。裕也も向こう側だ。
いつもの光景で寂しいなんて、思ったことが無かったはずなのに。今日に限って、何故こんなに切ないのよ。
皆で最後に写真を撮る。スタッフも監督も俳優も一緒の写真。
これで最後の触れ合い。那須くんが私の肩を抱く。たったそれだけなのに、何故こんなに心臓がバクバク言っているのよ。
それでも無理矢理、笑顔を貼り付ける。
撮影所の外で和重が待っていた。
「ほら、もう泣いていいぞ。」
私が車の助手席に乗り込むと肩を抱いてきた。その言葉を聞いた途端に堰を切ったように涙が零れてくる。
「ようやく、本物の女優になったな。今日はずっとついていてやる。ノロケでもなんでも聞いてやる。役に引きずられないように、井筒志保に戻ってくれ。」
どうやら、役に引きずられているらしい。傍にいるのが元俳優の和重で良かった。
☆
今日は映画『花の香り匂い立つ』の完成披露試写会。
その日の朝にテロ事件があったとかで開催が危ぶまれたが夜6時からの開催ということで配給会社が押し切ったらしい。
だけど那須くんが打ち合わせ時刻になっても、舞台挨拶の時刻になっても現れなかった。そして現れたのは試写会が終わる寸前だった。
この後は週刊誌記者たちの囲み会見がある。大抵はそのときに私と噂になっている男性の話に終始するだけ。
その日は週刊誌の記者たちだけじゃ無かった。大手新聞社から全テレビ局のレポーターに、外国のマスコミの皆さんまで集まっていた。
おかしいわね。こんなに集中攻撃を受けるほど、大物と噂になっていないはずなのに。
今日は那須くんへの仕返しとして噂の恋人役を受けて貰うつもりなのよね。それだけで攻撃対象が分散されるはず。本人に了解は取ってある。山田社長至上主義の彼らにとって私と山田社長とのスキャンダルは絶対に避けたい要素の一つらしい。
もちろん和重にも了承を貰っている。その辺りの噂は私と結婚するときに覚悟していたそうだ。失礼ね。
記者たちに囲まれると那須くんがそっと寄り添ってくれる。記者たちからガードするようにスッポリと包み込まれると本物の恋人同士のようである。
いつもの記者たちのように下品な質問は飛んでこないが。それでも中心となるのは私と那須くんことばかり。
「ええそうよ。彼って、世界一包容力がある男性なの。」
私がノロケて見せると記者たちの顔に緊張が走る。いつもと反応が違うわね。
「プライベートですか。もちろん、お付き合いさせて頂いてます。この間は一緒にパフェを食べたかな。」
上手い返しだわ。確かに那須くんの経営するドッグカフェで試作品というパフェを頂いている。嘘は吐いていない。
「このところの朝食は彼の作る料理ばかりなの。とても上手なのよ。」
出勤前にドッグカフェに押し掛けて、その日の気分でサンドイッチやパスタ、ホットケーキと少し太ったかもしれない。
☆
「お前って、本当に新聞を読まないんだな。」
散々、ノロケてスッキリと控え室で幸せな気分に浸っていると和重がやってきて恨めしそうな顔をしている。
「今日は夜勤明けだったから、週刊誌で私の噂が無いチェックしただけだわ。」
和重の持ってきた号外版新聞紙には今日のテロ事件の記事が全てを使って書かれていた。
「なんで那須くんの写真が。しかもなによ。この姿。笑っちゃうわね。」
トップ面に那須くんの上半身の写真がデカデカと載せられていた。上半身は彼の属していたZiphoneフォルクスのユニフォームだったが頭からスッポリと頭巾のようなものを被り、顔にはプラスチックのヘルメットのようなものを付けていた。
「おいおい。そんなこと、余所で言ってくれるなよ。悪口も禁物だぞ。」
記事の内容を読んでいくと自分でも顔が青くなっていくことがわかる。
「何よ。これっ。何で那須くんがヒーローになっているのよ。テロリストに立ち向かったですって!」
や・ら・れ・た。
私は、あの瑤子というオバさんのスケープゴートにされたらしい。
「そうだよ。明日には、その国民的ヒーローを誑し込んだ悪女になっているぞ。良かったな。箔がついたぞ。全世界に認められた悪女だ。」
騙されたと知っても、こちらから振ることも出来ないじゃない。そんなことをすれば全世界から敵認定されかねない。今でも世界中の多くの女性の敵認定されているかもしれないってのに。
「和重は知っていたんでしょ。何故、教えてくれなかったのよ。それに強引に試写会を行ったのも和重の指示よね。」
どうやら、私は和重に売られたらしい。
「あれだけの大事件になったんだ。普通、知らないとは思わないだろ。それにこのタイミングだ。宣伝に使うに決まっているだろ。俺は女房を取られた情けない男の役を演じてやるよ。頑張れよな。」
結局、『一条ゆり』プロデュースの映画『花の香り匂い立つ』は全世界に向けて配給されることになり、世界の興行収入のトップ10入りを果たすことになった。
☆
「あの映画がアメリカで配給されただけでも驚きなのにブリリアントリリー賞にノミネートされるなんて!」
映画の内容はある企業の遊び人の兄と父の跡を継ぐために必死に働く弟の物語で私はライバル会社の社長令嬢という役柄だ。
ありがちだが父親は兄に跡を継がせたいと思っていて、その確執にウンザリした兄が家を飛び出したところから話は始まる。那須くんが演じる遊び人の兄と偶然、危ないところを那須くんに助けられた私が演じる社長令嬢がいけないとは思いつつ次第に惹かれあっていく。
「ワシもそう思うが、これはアメリカ映画界からのテロに屈しないという強烈なメッセージだと思うのだよ。」
さらにありがちだが父親が死に直面し会社が企業買収という危機を迎え、社長の弟に兄が裏世界から協力して立ち向かっていく。兄が弟を庇い銃弾に倒れ、そして最後には恋人同士となった私の父親が乗り込んで危機を回避する。
企業も一つになり、私たちもハッピーエンドになる物語だ。
この企業買収という買収される側からみれば一種のテロリズムに見立てて揶揄しているのだろうということだった。
「そういえば以前、この会場でテロに遭われたのでしたよね。ということは、今日もテロの標的にされるかも知れないということですか?」
監督が山田社長と出会ったときのことを話してくれたときに話題に上がったのを覚えている。そのときもアメリカ軍の特殊部隊が活躍したそうだ。
「前アメリカ大統領も招待され、アメリカ軍が厳戒態勢で見守っている中でテロ事件か。それは無理だろう。」
「那須くんも居ますからね。」
山田社長は居ないがイギリス公爵という軍人さんや渚佑子さんに那須くん、前アメリカ大統領の傍には何故か幸子さんまで居る。話している様子をみるとかなり親しいらしい。
「それにしても、敵役のイメージが山田社長に被るんですけど。」
冷酷非情の乗っ取り屋として有名だし、ダークサイドとの噂もある。実際に入れ墨を背負っているような人物が傍に居るのを見たことは無いけどね。
それに背の低い俳優さんを使っていて、やたらと山田社長のイメージがちらつくのである。
「それはそうだ。監修を頼んでいたからな。やっこさんもノリノリだったぞ。一時期は出演しようという話もあったんだが、周囲の反対に遭って断念したからな。」
それはそうだ。周囲の人々は山田社長のダークなイメージを払拭しようと躍起になっているが、本人に至っては面白がっている節がある。
でも山田社長と共演したかったな。惜しいことをしたかもしれない。
ちなみに今回私はブリリアントリリー賞にノミネートされていない。1度辞退したところ作品賞も辞退させたと噂になり、ノミネートされなくなったのだ。
監督が言ったとおり、アメリカ映画界のテロに屈しないというイメージなのか。作品賞と主演男優賞と助演賞を受賞した。
壇上では那須くんと裕也が喜びを分かち合っている。別に濡れ場のシーンが認められたわけじゃない。『一条裕也』として、那須くんの弟役として男優の再デビューを果たしたのである。
良かったね。父を抜かしたわね。おめでとう裕也。
でも、授賞式では『ユウ』の姿でスッポリと那須くんの腕の中に収まっているのは何故なのか。まるで本物の恋人同士のような雰囲気を醸し出しているのは何故なの。
こちらに顔を向けて『ドヤ顔』してくる意味は何?
何よ。これ。映画の中だけでは飽きたらず、ふたりに嫉妬を燃やさなくてはならないっていうのだろうか。
ひとつだけ思い当たる節がある。もしも、那須くんが父と同じ行為をしていたら・・・。
有り得ないわ。有り得ないよ。誰か嘘だと言って!
如何でしたでしょうか。
久し振りに短編を投入してみました。
このまま志保は周囲に迷惑を掛け続ける人生を歩んでいきます。
その中で那須くんだけは彼女を隠れ蓑として利用し続けることになるでしょう。
性格が悪いもの同士対決の勝者は意外な人物に軍配が上がったようです(笑)




