馬賊ジェフヴァの腕
ジェフヴァの腕は、軽騎兵を中心にした馬賊として構築された。馬賊といっても、その装備と質は異常な水準だった。
軽い革の鎧には軽量化と強化の付呪術式が刻まれ、さらには使用者が魔術師でなくとも魔力を練り上げるのを補助するように作られていた。動物の骨と腱から作られた弓は正規軍の弓に質では劣らず、さらに付呪を受けた矢を1人1本ずつ所持していた。風の魔術により、狙い違わず眉間を射る魔術の矢だ。
特別な事情がなければ、明らかにどこかの貴族の息がかかった私掠兵として、周辺の貴族1人1人に帝都からの諮問官が回ったことだろう。しかしその特別な事情があったのだ。
まずそのジェフヴァの腕が現れたトランフルール領は、元々トラン領とフルール領の2つに別れており、フルール卿の不名誉な死によって1つとされた経緯がある。フルール卿は怪しい噂の絶えない男であった。天才的な魔術の使い手であったと同時に、貪欲な野心家だったとされる。
私兵をかき集め、新兵器を宮廷に任せずに独自に行い、反乱を企てたのである。その際に拵えた武具がそっくりそのまま流出しているのだ。高度な付呪により新品そのものの武具は高値で売れ、市場でも人気の1つだ。あまりの性能に軍務大臣と財務大臣が流通に待ったをかけるほどで、旧フルール製武具で身を崩した行商ギルドは10を超える。
しかし流通に待ったがかかれば、流れる先は闇市場しかない。
「治安を優先して規制した先に賊の強化があることくらいわかりきっていたことで、お上は経済ってものがわかっていない」
自らが売った旧フルール製武具で大儲けした行商人が、飲み屋で美人の娼婦を侍らせて高価な料理に舌鼓を打ち、エールを煽って言った。その後、自らのキャラバンが売った旧フルール製武具で武装したジェフヴァの腕に襲われたという話は、しばらく行商人の間で笑い話となった。
ジェフヴァの腕はしばらくトランフルール領で暴れ回り、それからエクスリーガ騎士団に追われ、南へと逃れていき、ベーティエ公爵領へと活動拠点を移したという話だった。
*
太陽があとしばらくすれば頂点にこようとしていた。フリードリヒは馬に跨りながら、首に下げ、胸のあたりで沈黙している革の網に包まれた小さなガラス玉を見つめる。目玉くらいの大きさのガラス玉には繊細な魔導術式が刻まれていた。
通信明滅球といい、念話球ほどではないがこれも貴重な魔導具の1つで、作製方法が魔法大学の校長マーリンの名を受け継ぐ者しか知らされない秘術だ。
これ1つで家が立つほどの高価なもので、対になったガラス玉を練る魔力の質によって4色に淡く光らせることのできるものだった。火、水、風、土の4色はそれぞれ赤、青、緑、黄の色へと変化する。これによりモールス信号のような使い方ができるのだ。
その極秘中の極秘の魔導技術の結晶を、アンジェリカはテーブルにまるで貴族の子供が持つビー玉のように、いくつかの革袋に入れて並べてみせた。その数は10袋で、しかも対になっているだけでなく、いくつかのグループに分けられていて、1つを光らせるだけで他の4つが光るようにできていた。
「距離は使用者の魔力によりますが、伏兵への合図も思いのまま。これで正規軍にも勝てないわけがないでしょう?負けは許しませんよフリードリヒ」
アンジェリカの冷たい言葉が胸に刺さって抜けない。生殺与奪を握る彼女は、それでいてどこか優しいように感じた。彼女は平伏して忠誠を誓う者には、無制限に優しいのだろうとフリードリヒは推測していた。
明滅球が青く3度光り、赤く1度光った。攻撃開始の合図だ。
「行くぞ!」
素早く弓を構え魔力を練り込んで斜め上に射ると同時に、フリードリヒは馬と共に駆ける。キャラバンは丘の向こう側を進んでいる。
フリードリヒが風の付呪を授けた矢と同じ風の魔術を帯びた矢は、その尻にあたる矢筈からジェットのように風を噴出させ、上空に突き進む。遠隔視の魔術を頭たる矢尻に施したので、まるで遠隔操作されるミサイルのようだ。
この魔術が使えるのはフリードリヒ以外にはいない。そもそも魔術師ならそのまま魔術を使えばいいのだから、こういった応用魔術……とフリードリヒが勝手に呼んでいるものは発展していなかった。
馬に駆けるのを任せ、フリードリヒは重力に従って放物線を降りてくる矢を操作する。脳裏にキャラバンの姿が映し出される。護衛の兵が見えた。騎兵が前に10、後ろに7。
(さて、誰を狙うか……)
とりあえずキャラバンの動きを止めようと、フリードリヒは馬車を引く馬の1頭の眉間を狙う。矢筈からさらに突風が吹き出して、矢を加速させる。
護衛からすればキラリと何かが光った瞬間、馬の眉間に矢が現れたように見えただろう。忽ち動力を失った馬車が横転する。それでキャラバンの足は止まる。
「敵襲!敵襲!」
「この矢、ジェフヴァの腕だ!」
「隊伍を組め!」
素早く護衛たちが、馬を操作して隊列を組む。
(浮足立つのが短い……。手練だな)
フリードリヒが率いているのは12人だ。元騎士団員が2人に元盗賊が10人。フリードリヒが元騎士団員に下命し、彼らがそれぞれ5人を率いて戦う。矢の訓練はいくらでもできた。優秀な矢の使い手を騎士団員から選抜して、元盗賊たちに叩き込む手法だ。
アンジェリカの施した隷属紋は、所有権の移動が容易であったため、命令系統に従って所有権がピラミッド形式に連なっている。だからこそ盗賊を容易に従えることができた。生物であれば与えられる苦痛と、簡単な服従の選択は、それこそ容易だった。
むしろ本来であれば死刑となる盗賊を生かしておくどころか、兵隊として召し上げるという形であるため、盗賊たちは納得している節もある。中にはアンジェリカに心酔している者もいる始末だ。
だからこそ、少数精鋭で構わなかった。戦意はこちらの方が圧倒的に上回る。フリードリヒは再び矢を斜め上に射る。今度は獲物を選別せず、速さだけを込めて矢を加速させる。
ジェフヴァの腕について流れている噂は、とんでもなく遠い場所から矢が飛んできて、半数はやられてしまうという情報だった。それを警戒して護衛は四周に気を配って弓を構える。だが、真上ががら空きだ。矢を引き絞って伸ばした腕を、上空から高速で飛来した矢が貫く。
丘の頂上に出て、初めてキャラバンが目視できた。
2つのなだらかな丘を挟んで川が流れるように道がある。踏み固められた滑らかな地面の道は、格好の標的である。兵法を少しでも知っていれば、ここが待ち伏せにはもってこいの場所であり、普通であれば避ける場所だということがわかっただろう。
だがキャラバンはそれをしなかった。理由は簡単だ。彼らが手練であり、その分だけ油断していたからだ。
彼らは鎖持つ青い鷲の旗と、黒い山羊の旗を掲げていた。ベーティエ公爵の紋章と、そのお抱え騎士団である黒山羊騎士団だ。
黒山羊騎士団は練度十分にして、開戦派たるベーティエ公爵の槍となって、エルフ大陸を攻略する主力だ。だがそんな状況でも本土に残って護衛任務に就いているということは、それだけ信頼されており、また実力もある証拠である。
実力が無ければ護衛任務は任されず、権力がなければ本土にはいない。つまりそれだけ装備が充実しており、剣と魔術に覚えのある者だということだ。
(さて、前情報によれば徴税官の馬車ということだが……。おそらく相当な手練だろうな……)
フリードリヒはそこで無駄な思考を止めた。ほとんど同時に向こう側の丘の上にも馬賊が姿を現す。弓を構えて、射って、矢が届くのを待たずに馬を走らせる。下りの加速も付いて、かなりの速度だ。
挟撃する形で放たれた矢は、かなり離れた位置からでありながら、寸分違わず彼らの左肩を射抜いた。
彼らも阿呆ではないから、飛来する矢を剣で落とそうと試みた。普通の矢なら簡単に斬り伏せただろうが、矢はひとりでにふわりと軌道を変えて剣を避けたのだった。
魔術の心得があるのなら、それが魔術の矢であったことを理解するだろう。市場価格にすれば1本につきマルクス金貨20枚になる、熊の爪を矢尻に、鹿の角を軸に用いた超高級魔導矢だ。
矢尻には麻痺の術式が組み込まれていて、人体に突き刺されば体内の魔素と反応して意味のない電気信号を身体に送るようにできている。獲物を捕らえて逃さないためだ。
2度目の矢で、すでに勝敗はほとんど決していた。まともに動ける護衛はもう3人しかいない。馬賊といっても装備は正規軍並だ。弓と魔術の訓練を受けた13人の弓騎兵の突撃を受けられるはずもない。
素早い判断で馬を翻し、護衛すべきキャラバンを置いて逃げていく。
(遅すぎる……!)
せめて初めの矢で逃げてくれていれば……、と思ったときには隷属紋が発動した。
全身が引き攣って、強烈に燃えるような苦痛がフリードリヒを包む。馬が駆けていたのだから、落馬した衝撃が全身を襲う。レザーアーマーに施された防御の術式が骨折や内臓破裂は防ぐが、全身を強く万遍なく地面に打ち付ける。
「がああああああ!!!」
落馬して丘を転がり落ちながら、フリードリヒは火炙りになったかのような苦痛に藻掻き苦しむ。敵を逃がそうとした罰として、猛烈な痛みをフリードリヒに与える。
アンジェリカの隷属術式は特別だ。普通の隷属術式は、通常特殊な刺青によって身体に刻むものか、首輪によって外付けをする2種類に大分される。
だがアンジェリカのものはそのどちらでもない。魂に直接刻まれているのだ。
なので、隷属術式に付随する懲罰術式も、普通のものの痛みとは比べ物にならない。肉体的苦痛だけではなく、精神的な苦痛も同時に与えるのだ。
フリードリヒの肉体は燃えるように痛み、凍り付くように痛み、切り刻まれるように痛む。だがそれ以上に脳裏に映し出される光景が精神を蝕む。
裸にされ、四肢を釘で打ち付けられ、磔にされて石を投げられる両親。息子の無実を信じて涙ながらに声を上げるが、皇帝は聞く耳を持たない。
奴隷に落とされ、醜悪な男たちに輪姦される妹。抵抗し、殴られ、蹴られ、片目は大きく腫れ上がり、前歯は欠けて、以前の美しい妹はもういない。
崩落した家屋に腰を挟まれ、火に炙られる苦しみに悶えながら、地面を指で掻いて逃げようと藻掻く幼馴染のエティル。掻く指の爪は剥がれ、焼かれる足は炭化し、挟まれて潰れた骨盤は砕け、腹から飛び出た骨が見え、そこから腸が飛び出ている。
皇帝にフリードリヒを助けてくれと嘆願し、代わりに身体を差し出すマリアンヌ。皇帝の寝室に呼び出され、その肌を晒し、下唇をきゅっと噛んで屈辱に耐えている。
その誰もが口々にフリードリヒの名を呼ぶ。
叫び、呪い、呟き、祈り、縋るようにフリードリヒの名を呼ぶ。
「うわあああああああああああ!!!!」
痛みを解くには、手段は2つある。
フリードリヒは全身を包む痛みの隙間から、肉体のコントロールを取り戻す。痛みで掠れる視界を捨て、悲しみで沈む精神を引き摺り上げ、魔力操作の感覚だけを研ぎ澄ます。逃げる護衛の背中に狙いを定め、魔術の礫を射出する。
鎧をぶち破って、逃げる護衛の腹に穴が開く。それで、フリードリヒの焼けるような苦痛が嘘のように消えた。
残った落馬による鈍痛を治癒魔術で治してから、フリードリヒは自分を落とした馬を口笛を吹いて呼び戻す。それと同時進行で、撃ち落とした騎士のうち、息のある者に治癒魔術をかけてやる。
「大丈夫ですか?」
元騎士団員の1人が近付いてきて問う。
「……大丈夫だ。くそ、やはり猛烈に痛いな」
「お気をつけください」
「わかってる……。わかってるはずなんだ……」
「それにしても、隷属紋の懲罰を受けながらの魔術発動とは、さすがです」
「もう1つの方の懲罰術式の解除方法はしたくないからな」
そう言った瞬間、再びフリードリヒの全身を焼ける痛みが襲った。
「おおおごごこここごめんなさい!ごめんなさいアンジェリカ様!女神アンジェリカ様!おゆっ、お赦しくだっさい!どどどうか哀れででで学習能力のない、高貴なる貴女様のお側にいいいいることすら叶わない、情けないゴミクズにどうかじっじっひ慈悲をお与えくくください!」
それがもう1つの解除方法だった。
最後はギャグ




