フリードリヒとマリアンヌと、罪と罰
転生者。それは選ばれた運命を持つ、唯一の存在だと思っていた。
だが、そんな考えは打ち砕かれた。
必殺とも思っている俺の魔術は、同じく転生者であるオークによって防がれた。それも全く理解不能な攻撃によってだ。
俺の魔術ですら、簡単に封じ込められた。空間から魔力どころか魔素すら消え去っていった。俺が手塩にかけてつくった魔導鎧も一撃でただの鉄の塊に変えられた。
そしてもう1人のエルフだ。俺の体内魔素を使った魔術。久しぶりの自分の魔力による魔術も、圧倒的な魔力による魔術で相殺された。精霊魔法に、そんな威力があったなんて知らなかった。俺の知っている魔術が、ハーフエルフのものだからだろうか。
とにかく、俺は負けた。味方だと思っていた騎士団の奴らにも裏切られ、拘束された。
それから、女神が降臨した。
もう俺の理解の及ぶ範囲じゃなかった。特別なのは、俺だけじゃなかったんだ。この世界には俺よりもっと凄いやつらがいて、俺なんか、ただの周りの見えていないガキだったってことだ。
それから、俺とマリアはその身柄を女神アンジェリカに預けることとなった。
マリアにかけられた隷属魔術の効果を見て、これからどんなに酷い扱いを受けるかと震えていたのだが、アンジェリカは特に俺たちをいたぶる趣味はないようだった。
ただ、すこぶる人使いが荒い。フルール領とトラン領の2つを調査し、あらゆる物事を調べ上げ、さらに緊急用の地下通路を掘らせ、セーフハウスを各地に設けさせ……。とにかくいろんなことをやらされた。
それから、口論とも呼べない、一方的な説教で精神をボコボコにされた。
でも、それでも俺は知識を得た彼らの方が幸福だと信じている。知らないまま生きるより、知って可能性を広げた方がいい。その上で、農民として生きるか。それとも行商人とかになって、新しい人生を切り開くか。その選択肢はみんなに与えるべきだ。
俺はそう信じている。
「別にあなた個人がそう信じるのは構いませんよ。でも私の管理下にあり、私の所有物である彼らに不要な知識を植え付けるのはやめろということです」
俺の言葉を受けたアンジェリカは、興味がなさそうに言った。
この幼女はいつもこうだ。俺の意見など羽虫の囁き程度にしか思っていないのだ。
フルール城の最外縁城壁の外側。直轄農地が広がる土地。そこには俺が建てた石造りの小屋が立ち並んでいた。そのどれもが打ち壊されて、修復か破棄を余儀なくされている。
農地の被害も大きい。あちこちで略奪が行われていて、その修復にはある程度の時間がかかりそうだった。
家畜たちに被害がなかったのは幸いであった。どうも皇帝軍が攻め入る前から、2つの子爵領が合併されてトランフルール伯爵領となるのが決まっていたらしく、そのトランフルール伯爵の……つまりマリアンヌの財産に手を付けることは皇帝の名の元に許さないというお触れが出ていたそうだ。
それでも管理を離れた傭兵たちが自分勝手に略奪を行っていたようで、保有数の再確認の段階ではかなりの数が合わない結果になっていたけど。
「ところで、アスファルトの精製魔術は習得できましたか?」
「はい、できました。すげえですね。アスファルトって魔導率がないと思ってました」
魔導率ってのは、魔素がその物質をどれだけ伝わるのかというものだ。一般的に無機物は魔導率が低く、有機物は魔導率が高い傾向にある。もちろん例外がいくつもあって、ミスリルやアダマンタイトみたいな所謂ファンタジー物質は魔導率が高いらしい。ミスリルもアダマンタイトも見たことないが、貴金属は魔導率が高いことは実験済みだ。
「アスファルトは根本的に生物の死骸みたいなものですから。魔導率は一定数値を示すし、だからこそ単純な錬成魔術で生み出せるのです」
アンジェリカの魔術に対する知識は凄い。圧倒的だ。魔道書に書いていないことを知り、さらには俺たちの世界の科学にまで成通している。やはり女神だからだろうか。ではなぜ男神である俺を転生させた存在のジェフヴァは、アンジェリカみたいに干渉してこないのだろう。疑問に思うことは少なくない。
だが、今重要なのは、この知識を少しでも多く吸収することだ。この知識を活かせば、より豊かな生活をこの世界のみんなに行き渡らせることができるはずだ。アンジェリカとの会話でその自信は揺らいだけれど、それでもまだ俺はそう信じている。
アンジェリカが示したアスファルト精製魔術は、錬成魔術の応用だ。
素材を用意して、術式に従って魔力を通す。するとその術式が示す物質が、素材から作り出される。それが錬成魔術だ。
大抵の場合、魔術師は錬成魔術を浄水なんかに使う。素材となる泥水を、水を精製する術式を使って水を生み出すのだ。他にもジュースから水とそれ以外を分離させることで濃縮したりもできる。肉から水分を取り除いて干し肉にすることもできる。
それを、アンジェリカは肉や骨を素材にしてアスファルトを精製する術式を示したのだ。
これを教えたアンジェリカが俺に言ったのは「世界を構成する要素がわかるのなら、それを精製する程度子供の遊びにも及ばない」とのことだった。
彼女が本当に創世神の1柱であるなら、それも正しいのだろう。ただ1つ気付いたのが、この術式を応用すればガソリンが生成できてしまうということだった。
この世界に石油王はいませんでした。
でも、このアスファルト精製にかかる魔力は膨大で、アンジェリカの持つ2つのアーティファクトが持つ膨大な魔力と、俺の魔力操作の能力がなければ、採算の取れるアスファルト精製は不可能だろう。
となると、石油王の席はまだあるということかもしれない。今のうちに燃える水や土の存在を探しておくべきだろう。
「とりあえずそのアスファルト精製の魔術を、1人で動かせるようにしてくださいね。エルフ大陸に道路網を敷く予定ですから」
壮大すぎる目標を掲げられ、俺は言葉を失った。
「我が手足となって働きなさい、転生者フリードリヒ。働けば働くほど私が褒美をあげましょう」
悪魔の甘言。そう評価するに相応しいアンジェリカの言葉は、思わず縋り付きたくなるほどの魅力を放っている。
敵であったのにもかかわらず、厚く遇するには何らかの意図があるのだろう。それでも、彼女の甘言の魅力に抗うことができない。
アンジェリカの背後には、申し訳なさそうな顔をしたマリアがいたからだ。
*
比較的破壊の爪痕がない小屋に入り、フリードリヒとマリアンヌは木のテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。小屋の中は埃が舞っていて、調度品は古くボロボロだが頑丈そうな作り。一般的な農民の小屋という感じだ。
「伯爵位、叙爵おめでとう。マリア」
「ありがとう、フリード」
2人の会話の切り出しはそんなものだった。
「……話さなくてはならないことがたくさんある」
マリアンヌが深刻そうな顔で言った。
「……フリードの両親が処刑された」
「……そうか」
それはフリードリヒにとって、覚悟していたことだった。彼に爵位を譲り、帝都で慎ましやかな生活を送っていた両親は、反逆罪によって処刑された。
帝都の第三城壁外の商業地区と呼ばれる場所。そこにある噴水広場に備え付けられた十字架。その上で、フリードリヒの両親は手足を杭で打ち付けられ、磔刑に処せられた。
この世界においても、処刑は見世物の1つであり、民衆の娯楽の1つだった。磔刑はその中でも皇帝の威光を高める役割が強く、受刑者が苦しむ姿を民衆は恐いもの見たさで楽しむのだ。
「…………」
手足を穿たれ、藻掻き苦しみながら、死にゆく両親を想像して、フリードリヒは何とも言えない気持ちになった。この世界での両親は、第2の両親であるが、それでもかけがえのない両親だ。肉親だ。
それが自分の行動によって、死を招いてしまった。オークの集落に攻め込んだことは関係ない。フリードリヒが貴族社会を鑑みない行動をしたからこそ、皇帝の怒りを買い、フルール子爵領は破壊され、両親は殺されたのだ。
「……アンナは?妹はどうなった?」
アンナ・カイザル・ド・フルールは、フリードリヒの妹だ。年の離れた妹で、フリードリヒが魔法大学に入学した翌年に生まれた。今は8歳で、両親と一緒に帝都で暮らしていたはずだった。
「アンナ、は……」
マリアンヌが言い淀む。それをフリードリヒは縋るような目で見た。銀の瞳が自信なく、マリアンヌの緋色の瞳を見る。
つい、と目線を外し、マリアンヌは小さく息を吐き出す。
「奴隷になった」
吐いた息に、言葉が混じっていた。
銀の瞳が、絶望に歪む。
幼馴染であり、メイドでもあるエティルの行方もわかっていない。事前に、何かあった時のために示してあった作戦通りに彼女が逃げているなら、トラン子爵領に逃げ込んでいるはずなのだ。
だが、今日に至るまでエティルからの連絡はない。幼い頃から姉のように自分にくっついてきていたエティルを失ったフリードリヒは、まるで半身を引き裂かれたような気持ちだった。
「どこに売られたのかははっきりしない……。どこかの豪商が買ったとは耳にしたが、それ以上の情報はない……。それに、それだって正しい情報かどうかは……」
マリアンヌの頬を涙が伝う。
「わ、私が、もっと気を配っていれば……」
マリアンヌがぐしぐしと袖で涙を拭う。彼女が謝っても、フリードリヒの心には届かなかった。そんな謝罪よりも、フリードリヒはマリアンヌが未だに袖で涙を拭う癖が抜けていないことが、何だか懐かしく感じた。
マリアンヌのせいではない。マリアンヌは騎士団長として、宝具エクスリーガの担い手として十分に職責を全うしていた。むしろ、彼女を助けたいという気持ちを盾に、自分勝手にエクスリーガ騎士団に上がり込んだフリードリヒの方が、責めを受けるべきなのだ。
自分のせいで、父も母も妹も幼馴染も失ったのだ。
「謝らないでくれ……。誰が悪いかなんて、はっきりしてる……」
自罰的になっている。その自覚はフリードリヒ自身にはあったが、だからといってやめられはしなかった。
だがマリアンヌはフリードリヒの言葉を受けて驚いたような顔をした。
「フリードリヒ……、まさか……」
フリードリヒの言葉を、マリアンヌは違う意味で捉えていた。それはまさに無実の罪を着せられたフリードリヒが、その罪を自らの依代としたかのように。
「まさか、本当に皇帝陛下に反逆を……!?」
「は、反逆?いやいやそうじゃなくて……」
と言って、フリードリヒは固まった。
思い当たってしまったのだ。
この状況を作り出した原因。両親を殺し、妹を奴隷に落とし、悪辣にも平民を虐げて搾取している原因。
「……そうだよな。誰が原因なんてそんなのはわかりきってる。簡単な話じゃないか」
フリードリヒは口の端を歪めた。その姿を見て、マリアンヌはやっとフリードリヒが戻ってきたと感じた。感じてしまった。
あの自信に満ち溢れ、彼なら何でもできるのではと予感させる、謎の存在感。フリードリヒがフリードリヒたる魅力。
「マリア。俺は皇帝を殺す。皇帝が反逆をお望みなら、いいさ。殺してやる。皇帝の持つ何もかもを壊してやる」
復讐。フリードリヒの脳裏には「復讐なんて何にもならない。虚しいだけだ」なんて、前世の陳腐な言葉が思い出されていた。
「復讐だ。これは俺のケジメだ。両親を殺され、妹を辱められ、それで黙ったままでいられるやつがどこにいる」
幸いにして、アンジェリカから復讐の機会は与えられている。皇帝に与する奴は、できるだけ惨たらしく殺す。
フリードリヒにはそれを可能にする力がある。
「マリア。俺は、皇帝に反逆する」