女神と女騎士と価値観の違い
「ふうん。クルシアン……ですか。それは具体的にどんな場所なのですか?」
アンジェリカが質素だがふかふかの椅子に座りながら、勅令書を乱雑に机の向かい側に座るマリアンヌに投げて返した。12歳ほどの幼女に見えるアンジェリカは、白いトーガを身に纏い、長い金髪を手で弄びながら、黄金の瞳を突き刺すようにマリアンヌに向けた。
対してマリアンヌは騎士の儀礼服を着ている。白シャツに黒ズボン。そしてエクスリーガの担い手に代々受け継がれる紅蓮のマント。マントに留められた胸元の勲章が、静かに輝きを放っているが、七天騎士としては少ない。
「わかりません。開拓領だとは聞いていますが……、行ってみなければ実情は何とも……」
「位置は?エルフの地を奪い取った上であるということは、アルヴス連合国の国境近くだとは思いますが」
アルヴス連合国とは、最近出来たエルフによる国のことだ。いくつもの森に分かれて部族ごとの生活を送っていたエルフたちだが、今は状況が変わった。各部族の教えが多少異なろうとも、結託して人間たちに抗おうということだった。
だが具体的な交戦は聞かず、やはりエルフたちは散発的な抵抗を繰り返すだけであるらしかった。
「それはそうだと思います。ベーティエ領からだと船でグランマルナという新しい港町に行って、そこから南東にしばらく行ったところだそうです」
「具体的な距離や日数はわかりませんか?」
「申し訳ありませんがなにぶん新しい領土ゆえ…」
エルフたちから奪った領地は、基本的に統治者を置き、エルフたちを使って開墾する。女子供を人質にとり、男たちだけを労働に駆り出すのだ。極端に高い税をかけ、それを納められなければ、統治者の元で働く女子供たちが奴隷として売られることで税を補うことになる。
「まあいいでしょう」
アンジェリカは初めから期待はしていない、とでも言いたげに鼻から息を吐いて、首を横に振った。
「先遣隊はあなたを筆頭に200名の騎士を選抜してください。それに同行させる支援隊としては、旧フルール領の者を優先的に徴収すること。支援隊はそのまま移住する可能性があることを予めリークしておきなさい」
素早く必要な要件を伝えつつ、アンジェリカは机の中から拳くらいの大きさの水晶玉を、1つ取り出した。真球に限りなく近いその表面には、薄っすらと純金で魔術式が彫られている。見た目は宝石類の装飾品と引けを取らない美しさで、そしてただの宝石より価値のあるものだ。
魔素伝導式交信結晶球と呼ばれるそれは、かなりの距離を離れても対になった結晶球を持つ者同士の念話を可能にする魔導具の1つだった。遺跡から発見されるのが唯一の入手方法で、帝国が保有しているだけで10対にもならない超貴重品である。宮廷魔導師の間でも、魔法大学でも研究対象になっていて、未だ解明できていない古代魔導技術の1つとされる。
「作り方が定命の者に忘れられただけの単純な技術を再現することが、完全無欠なるこの女神アンジェリカ様に不可能だとでも?」
アンジェリカが国宝級の魔導具を無造作に机を転がして寄越すので、マリアンヌは大慌てでそれを受け止めた。
「壊れやすいのが難点だの何だの言われていましたが、私から言わせてみればあなたがたの生きる世界に不壊なるものがあったとて手に余るでしょうに」
やれやれと首を振って、アンジェリカは対になっているもう1つの念話球を取り出した。
簡単に言うものの、アンジェリカ自身も無茶をして作り出した一品である。ただでさえ自分の身体を維持するだけでも精一杯な魔力運用体制なのにもかかわらず、精巧な魔導工芸品を作り出したのだ。
そのため、魔力を貯めておくための純白のトーガ風の衣は、かなり短く、扇情的な格好になっている。幼い太ももは、無防備に新雪の白さと柔らかさを晒している。
「船に乗り込み終えたとき。船がグランマルナに着いたとき。グランマルナからクルシアンへ出発したとき。クルシアンについたとき。そして毎日昼食を終えたときに逐次報告しなさい。報告を意図的にしなかった場合は……、言わなくてもわかりますね?」
にっこり、とアンジェリカは笑う。
「……わかりました」
マリアンヌの脳裏には、隷属紋を刻まれた時の記憶が蘇っていた。
激痛を超えた激痛。今まで生きてきて味わったどんな痛みより痛く、どんな苦しみよりも苦しかった。全身が熱く燃えて焦げるようでいて、冷たく凍り付いて壊死するようでもあった。
見えない4つの卸金で手足の先から擦り下ろされる感覚。灼熱の窯で生きたまま焼かれる感覚。氷の槍で全身を刺し貫かれるような感覚。
あの苦痛を味わわされるくらいなら、自ら命を断つほうが数倍マシだ。
「20日間あげましょう。それまでに出発準備を整えなさい」
「そうそう。騎士たちに伝えておいてください。旧フルール領の者に対して差別的な発言や行動をすると罰の発動条件にひっかかりますからね。それを意図的に煽った場合も同様。よろしいですか?」
2人だけの会議が終わって、アンジェリカが不意に思い出したかのように告げる。
「かしこまりました」
マリアンヌはそう言う他なかった。
隷属紋が刻まれているのは、エクスリーガ騎士団のメンバーだけだ。旧フルール領の領民には、アンジェリカは何の魔術的干渉もしていなかった。
したことといえば、特に反乱の意志が強そうだと彼女が判断した者たちを、エクスリーガ騎士団内のフルール派と呼ばれる者たちに護衛させて、追放という形で他領に送り込んだことくらいだ。
「ところで、フリードリヒとはどうでしたか?私への報告より優先させてあげたのですから、何かしらの発展はあったのではないですか?」
「へ?……ええっ!?」
一瞬でマリアンヌの顔が赤くなる。紅蓮の髪色に近付く。
「子孫繁栄は定命の者たちの悲願でしょう?」
きょとん、とアンジェリカが首を可愛らしく傾げる。
「いやいやいや!そんな!そんなことは!」
「なぜですか?あなたはフリードリヒを想っているのでしょう?」
「そ、それは……」
「そしてフリードリヒもあなたを想っている。となれば子孫を残さずしてどうするのですか?ずこばこ」
アンジェリカは左手の親指と人差し指で輪を作り、右手の中指をその輪に抜き差しした。
「とてもそんな雰囲気ではなかったのです!」
「雰囲気、ですか。ううん……。イクトールのときはあんなボロ小屋で大丈夫でしたが、やはり種族の差ですか……」
アンジェリカはしばらく悩むように左手の輪っかに右中指を抜き差しし続けていた。
「それならまた別の褒美を考えましょう。今回は繰越ということにして、次回にプラスです」
マリアンヌは、アンジェリカの無垢な笑顔を心底嫌そうな顔で見ていた。




