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Ch.011③ 意図的な呼び方

3

 深い赤色の髪を、左側で高く一つにまとめたサイドポニー。どこにいても目を引く髪型だった。

 瞳の色は夢ちゃんに似ているが、それより少し暗い黄色だった。


「夏目は学校でも楽しそうね。彼氏できた?」

「まだですよ先生!会っていきなり恋バナって、ドキドキしすぎじゃないですか!」


 そう返した直後、夏目の視線が、一瞬だけ僕に止まった。

 偶然か、それともわざとか。


 夏(なつ)目(め)映(うつ)璃(り)。

 名前すら口にしたくなかった人が、まさかもう一度僕の人生に現れるとは思わなかった。


 彼女はいつも、質問には軽く、器用に答える。

 けれどよく聞けば、実際には何ひとつ答えていないことも多い。


 今の僕は、夏目を前にしても何も表に出さない。視線すら、意図的に逸らしたりはしない。

 心は凪。それこそが、「羽冬(はねふゆ)夜(よる)良(ら)」という人の完璧な姿だ。


「ヨル……」

「大丈夫。」


 夢ちゃんの小さな声で、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。

 ヒロとツネも何かを察したらしい。篠原先生が夏目たちと話している間、二人はすぐ別の話題を始め、こちらへ話を振られにくい空気を作ってくれた。


 だが、先生が夏目たちとの話を終えると、再び僕へ矛先が戻ってきた。


「さっきパンドラ祭の話してたけど、羽冬は何してたの?」

「デートしてたんだろ。他に何すんだ。」

「仕事だって。祭り当日はクラスメイトと写真撮って、イベントの記録してたんですよ。」


 ヒロがこういうことを言うのはいつものことだ。

 ただ、今はタイミングが悪すぎ!


「デート?」


 夏目が、その言葉だけを拾った。

 視線が真っ直ぐ僕の目に刺さった。暗く、底の見えない瞳からは、何の感情も読み取れなかった。

 もしかすると昔から、何の感情もなかったのかもしれない。


「ただのクラスメイトだよ。祐(ひろ)太(た)が勝手に言ってるだけ。」

「そういうこと。今後ヒロが男女関係について言うことは、全部でたらめだと思ってください。」


 夢ちゃんに続いて、僕もすぐ補足した。

 言いながら視線をヒロへ移し、「頼むから黙ってくれ」という意味を込めて笑ってみせた。


「へえ~?」


 夏目がわざとらしく語尾を伸ばす。

 反射的に視線だけがあちらへ動きかけたが、顔は篠原先生のほうを向けたままにした。


「それで、他には?」

 先生がこの妙な空気に気づいているのかは分からない。

 とにかく、話はそのまま続いた。


「メインビジュアルもヨルが描いたんじゃなかった?」

 考え込んでいる僕を見て、ツネが思い出させてくれた。

「ああ。先輩たちがデザインで詰まってたみたいで、委員会に入ってすぐ委員長に手伝うよう言われた。」


「でもヨル、なんで絵が描けるって知られてたの?」

 夢ちゃんが尋ねた。

 そうだな。高校に入ってから、僕は絵が描けることをわざわざ周りに話した覚えはない。


「あ……説明しづらいけど、担任にバレた。」


 入学前、両親がD組担任の茂木(もぎ)友(とも)子(こ)先生を訪ねていた。

 そのせいで、僕についていくつか事情を知っている。


 もちろん、全部あいつらの一方的な話でしかない。


「もう、絵は描かないんだと思ってたよね?」


 また夏目だった。

 僕と夢ちゃんの会話へ、何気なく割り込んできた。

 少し黙ってから答えた。


「仕事だったし、断るのもどうかと思って。」


 考えてみれば、僕自身が思っていたほど嫌だったわけでもないらしい。


 食事中、夏目から直接話しかけてくることはなかった。なのに先生が僕の話をするたび、何でもない顔で一言だけ入ってくる。

 まるで反応を確かめているみたいだった。


 全員が食べ終えた頃には、二時半近くになっていた。

 店の休憩時間に入るらしく、店員に促され、僕らも順番に外へ出る。


「今日はみんなに会えてよかった!清水が用事で来られなかったのは残念ね。津(つ)桐(ぎり)、ちゃんと大事にしてあげなさいよ。」


 うっ、最後にそれを言うのか。


「はいはい。」

 ヒロの口元が一瞬だけ引きつった。


「じゃあ先生、先に帰るね!」

 篠原先生が去ると、みんなもそれぞれ帰る準備を始めた。


 クラス全体の仲は悪くないけど、全員が親しいわけでもなく、この人数のまま次の店へ行くような雰囲気でもなかった。

 夏目も、隣に座っていた二人の友達と帰ろうとしていた。

 その途中で、こちらを振り返った。


「梧(ご)原(はら)、また学校でね。津桐も霜(しも)目(め)も、本当に久しぶり。二人とも全然変わってないね。またね!」


 三人に別れを告げてから、最後に僕を見る。


「またね、『夜良』。」

「うん。また。」


 本当は、もう会う必要なんてない。

 それでも最後まで演じる。それが僕だ。

 何もなかったように、彼女は僕を名前で呼んだ。僕自身、一瞬だけ、自分の「また」が嘘ではないようにさえ思えた。


 もっとも、昔の彼女は、僕をそんなふうには呼んでいなかった。


 駅まで四人で歩いた。

 並び方も歩く速さもいつも通りだったが、ほとんど会話はなかった。

 大口駅に着くと、ヒロとツネは突然「先に帰る」と言って、僕と夢ちゃんだけを改札前に残していった。


「ヨル。」

「ん?」

「大丈夫?」


 話せるように、二人きりにしてくれたのか。意外と優しいじゃないか。

 まあ、ツネには普通に話せるけど。ヒロはあまりにも真っ直ぐだから、こういう感覚はたぶん理解しづらい。


「うん……」

 少し考えてから、苦笑した。


「なんか元恋人みたいだな。自分でも意味分かんないけど。」


 そんなはっきりした関係とは違って、僕らはもっと曖昧で、いったい何と呼べばいいのかも分からないような関係だった。

 思い返してみれば、僕はどうしてあのとき受け入れたのかさえ分からない。


「でも、前より普通に話せてたよね?」


 それは、何でもない顔で話せるようになってこそ、本当にどうでもよくなった証拠だ。

 ……なんて、口に出したら中二病すぎるので、話を逸らした。


「学校では彼女とよく話すの?」

「クラス違うし、たまに少し話すくらいだよ。」

 夢ちゃんは首を横に振った。

「そっか。」


「一人になりたい?」


 大きな目で、僕の返事を静かに待っている。

 その顔を見ていると、今落ち込んでいるのがどっちなのか分からなくなりそうだった。


「じゃあ、家まで送ろうか?」

「うん!」


 夢ちゃんはいつも、必要なことだけ聞いて、それ以上は無理に聞き出そうとしなかった。

 だからこそ僕も、少しずつ自分の気持ちを話せる。

 そして彼女も、ずっと隣にいられたのだと思う。


 それでも、家へ帰ったあとも、夏目の姿はしばらく頭から離れなかった。


―「もし今、キスしたら……好きな相手、私に変わる?」

―「じゃあ……ヨルには、今の私がその先へ進みたそうに見えるか?」


 忘れたはずの言葉が、静けさが戻るたびに、何度も耳の奥で響いた。

 翌日の日曜日、僕は紫(ゆかり)木(き)と勉強した。慣れているはずなのに、どこか自分だけが切り離されたような時間だった。そしてゴールデンウィークが終わり、一週間続いた勉強漬けの生活も終わった。


 けれど僕は、朝六時半に一年D組の教室へ足を踏み入れるまで、あの息苦しさから抜け出せないままだった。


Ch.011お読みいただき、ありがとうございます!


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