Vol.01 Ch.010 羽冬夜良と紫木理香は、どうやら間違った答えを選ばなかったようだ。(Vol.01 END)
38
「これより、表彰式を始めます――」
パンドラ祭の閉会式は、講堂で厳かに、でも堅すぎない空気のまま進んでいった。
夢ちゃんたちと、助っ人に来てくれた姉さんは、さっきの最後の演目を終えると先に帰ってしまった。
本当に最強の助っ人だ。姉さん、愛してるよ!
陸上競技
一年男子組 200メートル競走
3位 羽冬 夜良(1-D)
一年女子組 200メートル競走
3位 望月 奏音(1-D)
二年男子組 100メートル競走
1位 風 仙(2-A)
二年男子組 200メートル競走
1位 風 仙(2-A)
一年女子組 走り幅跳び
2位 望月 奏音(1-D)
二年男子組 走り高跳び
1位 風 仙(2-A)
二年男子組 走り幅跳び
1位 風 仙(2-A)
二年男子組 4人400メートルリレー
2位 2年A組
一年生クラス対抗リレー
2位 1年D組
二年生クラス対抗リレー
3位 2年A組
球技種目
バスケ組
優勝 2年A組
準優勝 1年D組
男子MVP
風 仙(2-A)
女子MVP
望月 奏音(1-D)
男子得点王
風 仙(2-A)
女子得点王
望月 奏音(1-D)
男子アシスト王
高木 陽輝(1-D)
男子リバウンド王
羽冬 夜良(1-D)
男子スティール王
風 仙(2-A)
女子スティール王
望月 奏音(1-D)
男子ブロック王
高木 陽輝(1-D)
ベストファイブ(3男2女)
風 仙(2-A)
高木 陽輝(1-D)
羽冬 夜良(1-D)
望月 奏音(1-D)
そもそも知っている人も、運動をやっている人も少ない。聞いていて覚えたのは、僕、望月、高木、それから風くらいだった。
いや、二年男子の陸上個人種目、一位をなんで一人で全部さらってるんだよ!陸上部、しっかりしろよ!
バスケのベストファイブのもう一人の女子は、望月とマッチアップしていた29番みたいだ。女子のリバウンド王とブロック王も、彼女が取っていた。
高木は決勝で僕との連携からアシストを量産して逆転し、アシスト王になった。
僕は速攻を何本か外したおかげで自分のリバウンドも増え、どうにかリバウンド王を守り切った。
意外だったのは、ろくに何もしていない僕までベストファイブに入っていたことだ。
本気でベストコーチ賞を新設して、ヒロにあげてほしい!
クラス対抗バスケの準優勝表彰では、クラス全員で望月を代表に選んだ。彼女がいなければ、そもそも決勝まで来られなかったし、あんな試合にもならなかった。MVPは文句なしだ。望月の永遠のファンだ!
表彰が終わってD組の席へ戻ると、紫木の隣にいた小山は、表彰を受けた僕らの席のあたりを左右に見回し、最後には僕に視線を留めていた。
席へ座ろうとした瞬間、小山が勢いよくそこへ座り込んだ。
「やだ~この席はもう埋まっちゃった。理香ちゃんの隣なら空いてるけど、そっちに座ったら?」
……分かったよ。
「よう。」
そう言って紫木の隣へ座った。
「えっ、なんで羽冬?真衣は?」
僕は親指で元の席を指した。
「うわぁ、真衣ってほんともう……」
「今さら驚くことか?」
そう返すと、紫木は困ったように、それでいて優しく笑って壇上へ目を向けた。
「それもそうだね。」
小山のやり方は、どう見てもわざとらしかった。
でも、この機会を作ってくれたことには、むしろ感謝していた。
この、いつ失うか分からない、紫木とのこの気楽で穏やかな時間を、もう少し味わっていたかったからだ。
「そうだ、羽冬。おめでとう。ちゃんとリバウンド王だったね!」
「ギリギリだけどな。高木に抜かれるかと思った。」
「うん、最後は高木より二、三本多いくらいだったよ。ねえ、こっそり教えて。第三クォーターの速攻、何本かわざと外してたでしょ?」
「そんなことするわけあるか。」
「でも、自分の評価のために数字を稼ぐ選手っているんでしょ?」
「紫木理香さん、これはただの校内クラス対抗戦です……」
紫木は、いつも一生懸命に自分の役割を果たそうとする。
完璧な姉がいる家庭で、家族の期待に応えようと、自分の得意なことを必死に続けてきた。
県内随一のパンドラ高校に入ると、その制服にふさわしくなろうと、以前にも増して勉強した。
実行委員になってからも、仕事は多くなくても、一つ一つ全力でこなしていた。
紫木理香は、自分というものを認識できない人だ。
彼女のすることはすべて、誰かの期待に応えるためのものだ。正確には、「誰かが自分に期待している」と彼女が思い込んだ期待に応えるためのものだ。
それは社会に揉まれ、空気を読むことを覚えた末の選択ではない。何かの気配を感じ取れば、考えるより先に自然と反応してしまう。それが彼女の本能なのだ。
紫木は白紙というより、透明で色のない水に近い。
川のように、地形が変われば流れ方を変える。
湖のように、空いた場所があればそこを静かに満たす。
海のように、何度も、いつまでも、砂浜に同じ場所で足踏みするような波を残す。
だから彼女が下した決意も、彼女が思い描いた誰かの期待に応えようとしたものにすぎない。
たとえ途中で何かに違和感を覚えても、彼女は自分が間違っているとは思わない。その違和感も、川辺の石や湖底の水草、浜辺の砂粒のように、ただそこにあるだけで、気にする必要のないものだと思う。自分の流れや形、寄せては返すリズムを変えるほどのものでもない、と。
「羽冬。」
「どうした?」
「お昼に話したこと、覚えてるよね?」
「ああ。どこへ付き合えばいい?」
「教室に残ってくれるだけでいい。」
だから、最初から、これはただの誤解だったのだ。
39
閉会式が終わると、生徒たちはそれぞれ教室へ戻り、鞄を取って帰る準備を始めた。
青春の熱さと悔しさに満ちた一日が、終わろうとしていた。
「やっと終わったなあ~」
講堂を出たところで、僕は大きく伸びをした。
「週に二回の会議生活もこれで終わりだ~残念だったね、羽冬。もう私と二人きりになるチャンスがないよ。」
始まったな。
「そんなに惜しいなら、今から友子先生に頼んで、十一月の文化祭実行委員も僕らの分、予約しておくか?」
「やだ、無理。ほんとに疲れたもん。」
紫木の返事を無視してスマホを取り出し、わざと電話をかけるふりをした。
「もしもし、友子先生ですか?」
「えっ、羽冬!?ちょ、ちょっと待って、落ち着いて!」
僕は立ち止まり、左手のスマホ画面を紫木に向けた。
通話中の表示なんてなく、あるのはホーム画面だけだった。
同時に、ほかの女子もつけている、同じデザインの宝石のブレスレットを、わざと不自然に揺らした。
「……あ。」
気づいたか。
「ほんと羽冬って、毎回そうやってからかうんだから!」
「だって、反応が面白いし。」
ずっと変えていなかったデフォルトの壁紙を、さっき夢ちゃんたちが帰る前に姉さんに撮ってもらった写真へ変えた。
僕の描いたメインビジュアルを背景に、四人で撮った写真だ。
―「ヨルが自分から写真撮ろうって言うの、珍しいね。」
―「高校入って最初の学園祭だし、記念にしとこうと思って。」
―「いいじゃん!」
―「今度はあの35番も呼んで一緒にバスケしよう。」
―「はい、撮るよー!」
夢ちゃんには、八割本当の理由を言った。
残りの二割は、このためだ。
一つ小さな異常では足りないでも、積み重ねれば無視できない違和感になる。
認めたくはない。
けれど今の僕は、みんなの期待に応え、誰も傷つけず、自分が大切にしたい絆を守るために、使えるものは何でも使おうとしている。
「望月、高木と僕と三人で撮ったユニフォーム写真、あとで送って!」
教室に、わざとそう言った。
「いいよ!」
「えっ、羽冬、みんなで撮った写真もあるじゃん!」
「ハハ、悪い悪い。野球部は特別扱いってことで。」
「特別なのって、望月のほうじゃないの~?」
「ちょっと、変なこと言わないでよ~」
「Oh~no~俺はただの煙幕役だったのか~」
どうしてそこで「望月が特別」なんて話が出てきたのかは分からないし、高木の自嘲も意味不明だ。
でも、きっと紫木は、そういう言葉もちゃんと耳にしている。
気持ち悪い。
こんなふうに振る舞う自分が、ひどく嫌だった。
自分のすることすべてに、意図があるみたいで。
それでも、ここを乗り切れば、元に戻せるはずだった。
もし僕の考えが正しいなら、紫木は傷つかない。
紫木姉の言う「勘違い」とは、紫木が「羽冬夜良は紫木理香を好きで、紫木理香に何かを期待している」と思い込み、その期待に応えるには「紫木理香も羽冬夜良を好きになるべきだ」と勘違いしている、ということだ。
つまり、紫木は本当は僕を好きなわけじゃない。ただ、好きになるべきだと思い込んでいるだけだ。
なら、「羽冬夜良は紫木理香を好きだ」という最初の認識そのものを、大きな行動や十分な異常で崩せばいい。そうすれば、もう存在しない期待に応える必要もなくなる。
紫木は昔から男子との接点が少なく、僕は彼女が初めて本気で「男」として意識し、近い距離で接した相手だった。そうした偶然が重なって、こんな勘違いが生まれてしまった。
仮にあの時、紫木に「本気で私を口説くつもり!?」と聞かれて、僕がきっぱり否定していたとしても、たぶん彼女の中で固まり始めた結論は変わらなかった。
だから、たった一ヶ月足らずで、こんなところまで来てしまった。
これは紫木のせいじゃない。あの容姿と性格なら、自意識過剰とは言えない。ただ、彼女が勘違いした期待の相手が、たまたま僕だった。羽冬夜良という、致命的すぎた相手だった。
望月の言う「本当の傷」とは、加害者が、被害者の一方的な、あるいは誤解から生まれた感情を、永遠に対等になれない関係へ変えてしまうことだ。
望月は、最初から僕と自分が「同じタイプ」だと分かっていたのかもしれない。
だから、僕と紫木の間に何が起きても、どれだけ曖昧に見えても、僕にとってはそれだけのことだと、望月には分かっていたのだろう。
僕と紫木の間に、そういう化学反応は起きない。
少なくとも、僕から紫木へ向かう側では。
そして紫木自身も、自分の感情が恋なのかどうか、きっと分かっていない。
だから望月の考えでは、いつか紫木は僕に告白する。関係をはっきりさせたくて、あるいは僕の気持ちを確かめたくて。
断れば、短くても強い痛みになる。
受け入れてしまえば、紫木を決して幸せにできないその関係が、紫木にとって永遠の傷になる。
要するに、前提が最初から間違っていた。僕たちは互いに傷つけ合う関係なんかじゃない。
僕が一方的に、紫木を傷つける側になる関係だ。
紫木姉と望月、どちらの見立てがより本当の紫木に近いのか、今は分からない。できるのは、自分のいつも通りの軽さを保ちながら、少しずつ紫木に「異常」を積ませていくこと。
そして何より、紫木を傷つける側にならないこと。僕に傷つけられる人にしないこと。
けれど、紫木が本当に僕を好きかどうかに関係なく、「受け入れる」か「断る」かを選ばなければならない状況になった時点で、「紫木を僕のせいで傷つけない」という条件は成り立たなくなる。
実際、一度だけ考えたことはあった。紫木と付き合う未来を。少なくとも僕の感覚では、男が女を好きになるのは、そこまで難しいことじゃない。
一目惚れでもいいし、いつの間にか好きになるのでもいい。何かの瞬間、恋に落ちることだってある。
それに、紫木と一緒にいる時間が心地いいのも事実だった。
でも、その先の光景を本気で思い描こうとすると、胸の奥のどこかが強く拒絶する。これ以上進めば、すべてが壊れてしまうような圧迫感があった。
なぜそうなるのか、今の僕にはまだ分からない。突き詰めようとも思わない。
でもたぶん、これが望月の言っていた「心の向かう先」なんだろう。
だから無理だ。
僕にはできない。
そして、起こさせてもいけない。
気づけば教室には、もう誰も残っていなかった。
黒板の上に掛かった時計だけが、規則正しく秒を刻んでいた。カチ、カチという音が、さっきまで笑い声に満ちていた校舎を死んだような静けさで包み込み、僕の心を少しずつ削っていった。
今の紫木は、きっとこの教室の空気を、僕が緊張しているせいだと受け取るだろう。そして次の瞬間には、いつもの明るい声で僕の名前を呼んで、安心させようとするはずだ。
羽冬夜良。
どれだけ苦しくても、これはやり遂げろ。
紫木がこのあとどれだけ明るく、魅力的な顔をしても、絶対に間違えるな。
「羽冬!」
「紫木。」
受けることも、断ることもできない今の僕に残された道は、一つしかない。
紫木にあの言葉を言わせないために、声を聞いた瞬間、「どうした?」と返す身体に染みついた習慣を押し殺し、先に名前を呼んだ。
「えっ、どうしたの?」
まるで頭の中の筋書きを狂わされたみたいに、振り向いた先の紫木には、さっきのような明るい表情はなかった。
本当は、こんな気まずい本音なんて、今ここで言いたくなかった。
「君と一緒に行事をやれて、本当に楽しかった。」
「入学したばかりの頃は、袖だけちゃんと整ってなかったり、眼鏡を上下逆にかけてたりして、ああいうの、ほんと面白かった。」
紫木は無表情のまま、淡い茶色の目でじっと僕を見る。
「でも、知っていくうちに、君は自分で見せているほど抜けてるわけじゃないんだって思った。」
「勉強してる時も、実行委員の仕事に真剣な時も、何をやっても中途半端な僕には、君はずっと眩しい存在だった。」
「高校入ってすぐに、君みたいな友達ができて、本当によかった。」
40
翌日、5月2日、朝八時。パンドラ高校の校門前。
やっとゴールデンウィークを満喫できる日に、なんでこんな時間にこんな場所にいなきゃいけないんだ……。
そうだ。話は昨日の放課後、僕があの一言を口にしたところから始まる。
───────────────
「高校入ってすぐに、君みたいな友達ができて、本当によかった。」
その言葉を聞いた紫木は、しばらくぽかんと固まっていた。
10秒くらいは止まっていたんじゃないか。異性との交流経験ほぼゼロな紫木のキャラ設定に、あまりにもぴったりだった。
「……え!?ってことは、羽冬って私のこと好きじゃなかったの?」
「うっ……」
いや、なんでそんなことを真正面から聞けるんだこの女は。
「羽冬が恥ずかしくて言えないだけなのかなって思ってたから、私から告白して、羽冬の気持ちを自然に受け入れてあげようと思ってたのに。」
「……あ。」
何だその勢いだけの理屈は。全然筋が通ってない。
「もう、ほんと。私、こんなに大ごとにしちゃったじゃん。」
紫木は少し頬を膨らませた。
え、これってもしかして――
「……怒ってる?」
紫木はゆっくり目を閉じ、ふうっと息を吐いた。
「はあ~これでやっと本当に楽になった。さっき羽冬、『やっと終わったなあ~』って言ってたけど、私、全然そんな気分じゃなかったし。」
わざわざ僕の声と口調まで真似してきやがる。
「ふはっ……」
「え、ど、どうしたの?」
「はははははっ……!」
三週間前、Purple Forestで紫木姉と夜中に話してからずっと背負っていた重荷が、ようやく下りた。その直後に紫木のものまねで笑わされるなんて、思ってもみなかった。
だめだ。面白すぎる。腹が痛い。涙まで出そうだ。
「な、何なのよ!」
紫木は顔を真っ赤にして口を尖らせていた。
このまま笑い続けたら、また平手打ちが飛んできそうで、慌てて息を整えた。
「やっぱ君と知り合えてよかった。高校生活の笑いの八割、もう紫木が担当してる。」
「羽冬夜良!」
「はいはい、ごめんごめん。」
落ち着いて互いの顔を見ると、また二人で吹き出してしまう。
ん?これって、いわゆるよりを戻すってものか? いっそこの流れで本当に付き合うか。
もちろん、冗談だ。
「ねえ、羽冬。」
「どうしたの?」
「ゴールデンウィーク、何するの?」
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「やっほー、羽冬!」
「八時集合って言い出した人が遅刻するなよ。」
紫木は緑のUネックの半袖トップスに、ゆるめのデニムという格好だった。鎖骨の下まで開いた襟元は、少しかがんだだけで危ないんじゃないかと思うくらい大胆だ。
……まあ、これまでにそれ以上のものを見たことがあったけど。
あの目を離せなかった光景を思い出して、ふと気づいた。紫木って意外と緑系の服が多い。髪色に合わせてるんだろうか。
「家が近い人は、電車で来る人に優しくするべきでしょ!」
「時間を守るのは大事だぞ。」
「一時間目まるごと寝てた人には言われたくないな~」
「じゃあ今後、毎朝電話して起こしてくれる?」
「うん~考えとく。」
……考えるんだ。
そう言うと紫木は少し前へ駆け出し、僕がついてこないと気づくと振り返って文句を言い、そのまま先へ進んだ。
「早く!中間考査の範囲は全然分かってないでしょ?授業中いつも寝てるし!」
関係を「仲のいい友達」に制限した後、紫木は前より少しだけ素直に明るくなった気がする。
たぶん、こっちのほうが元々の姿だ。
「置いてくよ!」
「分かったよ。走りたくないんだって。速すぎる。」
校内の図書館へ入ると、紫木は鞄の中から真新しい参考書を何冊も取り出して、向かいの席に座った僕の机へどさっと置いた。
「はい、これ。」
図書館なので声は小さい。
「え?」
「学校の教科書なんて全然役に立たないんだ。この出版社の参考書、私ずっと使ってるの。おすすめ!」
とりあえず数学の参考書を手に取ってぱらぱらめくる。
……ああ、そうか。
紫木の細かすぎる書き込みがないから、妙に白く見えるんだ。
「これ、くれるの?」
「まさか。ちゃんと払ってもらうよ。定価で。送料はサービス。」
……それ、強制購入じゃないか?
「まけてくれない?」
少し考えたあと、紫木は何か思いついたように目を上げた。
「今回の中間考査、平均90点以上取れたら、タダであげる。」
「いくらですか?今払います。」
「諦めるの早すぎるでしょ!」
思わず声が大きくなったらしく、紫木は慌てて自分の口を両手で押さえる。
やっぱりこういうところは変わっていない。
パンドラ祭の準備期間中にも、各教科で小テストはいくつかあった。
中学までの感覚で適当にやっても八十点か九十点はいけるだろうと思っていたけど、実際にテストの答案と点数を見て、自分の実力をとんでもなく見誤っていたと気づいた。
その日、僕が少しでも眠そうな顔をすると、紫木は遠慮なく肩を揺さぶってきた。それでもだめなら、ボールペンで僕の頭を直接こつんと叩いてきた。
サボる隙なんて、まったく与えてくれない。
いや、何でこんなに元気なんだよ。昨日あれだけ――
ああ、そうか。彼女は昨日ほとんど運動してないんだった。
結局、紫木が夕飯のために帰らなければならず、午後5時ごろに本日の「紫木先生による地獄の補習」は終了した。
学校を出たあと、紫木と一緒にパンドラ商店街を抜け、日吉駅まで歩いた。
ホームへ入る直前、紫木は振り返って、いかにも元気少女らしい笑顔で言った。
「明日も同じ時間ね! 用事があるなら仕方ないけど、寝坊したいだけなら絶対許さないから!」
どうやら、「普段はしっかり勉強して、たまに安心して友達と遊ぶ」という紫木の原則は、なぜか僕にも適用されるらしい。
「もしもし?どうしたの?」
紫木が改札を抜けてホームへ消えたあと、僕はさっそく電話をかけた。
「明日、どこかへ遊びに行かない?」
「まだ一日しか勉強してないでしょ! すぐにサボろうなんて考えは却下!」
あ、切っちゃった。
どうやらこれから先、かなり長い間、妙に世話焼きな監督役が僕の勉強を見張ることになりそうだ。
そして夜。寝る準備をしていたところで、不意にスマホが鳴った。
「うっ……」
うっすら見覚えがある番号。
「もしもし。」
「ヨ~ル~」
どこで覚えたんだ、その無駄に伸ばす呼び方。
「何の用ですか。」
しばらく沈黙があったあと、向こうが口を開いた。
「うまくいったみたいね。」
紫木姉の声は柔らかかった。
「別に、大したことはしていません。」
「そう?一応確認だけど、理香とは付き合ってないのよね?」
「自分の命を懸けるような冗談は言いません。」
「ハハハ、何それ。大げさ。」
いや、あの時「理香と付き合うのは許さない」って言った君、間違いなく本気の殺気を出してましたけど。
「でも、今の状況がいいのも、あくまで今の時点では、ということでしょう?」
やっぱりこの女は、鋭すぎて腹が立つ。
「まだ何か頼みでもあるんですか?」
「いいえ。正直、この結果はもう予想以上だ。理香が笑っていられるなら、それ で十分。」
「期待に応えられて、光栄です。」
「ああ~青春っていいわねえ~」
……何だその感想。
「とにかく、これからも理香のことよろしくね。暇な時は飲みに来て。Purple Forestでいつでもお待ちしてるから。じゃあね~」
この女、本当に僕を未成年だと認識してるんだろうか。
そう。僕は何もしなかった。ただ先延ばしにしただけだ。誰にも予測できない結末が、早く訪れてしまうのを防いだだけ。
もしあの時、紫木姉の頼みがなくて、望月の忠告もなかったら、今ごろ僕と紫木の関係は、たぶんもう変質していた。それが良い方向に変わったのか、悪い方向に変わったのかは分からない。ただ、どちらに転んでも、ろくな結末にはならなかったと思う。
紫木が僕のせいで傷つくかどうかなんて、今でもそこまで気にしていない。ただ、彼女を傷つけないやり方が、ちょうど僕の心の向かう先と重なっていただけだ。
僕がやったことは、たくさんある選択肢の中から、自分がこの先も平穏に暮らせそうな道を、勝手に選んだだけだ。
そもそも紫木が、なぜ僕が彼女を好きだと思ったのか。なぜ自分も僕を好きになるべきだと思ったのか。なぜ僕に告白しようと決意できたのか。最後まで、本人に聞くことはなかった。
もしかしたら、紫木は本当に僕を好きだったのかもしれない。
でも、僕の言葉を聞いて、最後の最後で自分を偽った可能性だってある。
どれだけ多くの人が分析して、同じ答えを出しても、紫木の本当の気持ちは、彼女自身ですらまだ言葉にできていないのかもしれない。知っているのは、彼女の心の奥だけだ。
僕は、紫木の本心を知ろうともしなかったし、知るつもりもなかった。
今がうまくいっているなら、それで十分だ。
僕の選んだ道が正しかったのかどうか、最後の最後まで分からないのだろう。あるいは、そもそも正解が明かされる日なんて来ないのかもしれない。
それでも僕は信じている。無数の選択肢から、あまりにも間違ったものを一つずつ取り除いていけるなら、少なくとも僕らは正解に一歩ずつ近づいているのだと。
第一巻はこれにて完結となります。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!
羽冬夜良と紫木理香の関係は、ひとまずの答えに辿り着きました。
しかし、彼らの物語はまだ続きます。
第二巻は9月より連載開始予定です。
「続きも読みたい!」と思っていただけたら、
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「キャラが魅力的!」「感情描写が繊細!」と思っていただけましたら、
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