第44話 ギルド支部長は将来後悔することとなった
領主様と剣を取り合うこと二刻――ようやく決着がついた。
「はあ……はあ……。では、冒険者ギルドに五十振、領主様に五十振ということでよろしいでしょうか……?」
「はあ……はあ……異存ない……。後日の追加納品も折半で頼む……」
こんな簡単な結論を出すだけで、なぜ二刻も費やしてしまったのだろう。
気づけば周囲はとっくに解散し、皆それぞれの持ち場へ戻っていた。
その場に残っていたのは、俺と領主様、そしてサイモン氏だけだった。
会議室へ戻った時、出席者たちは何とも言えない顔で俺たちを見ていた。
その後、会議そのものは何の滞りもなく進み、ゴブリン殲滅戦は一週間後の早朝に開始されることが正式に決まった。
会議が終わると、俺とサイモン氏は領主様に誘われ、公邸の開けた庭に面したテラスで茶を頂くことになった。
「二人とも、今日は急な召集に応えてくれて感謝する」
席に着くなり、領主様は俺たちに向かって頭を下げられた。
「領主様、どうか顔をお上げください。冒険者ギルドでも、ちょうどゴブリン殲滅戦を実施する必要性を確認していたところでした。こちらからご提案しようかと考えていたほどです」
「当商会の商会長は、奥様を厄災戦のゴブリン襲撃で亡くされております。ですから、当商会は今回のゴブリン殲滅戦に全面協力する覚悟で参りました」
「そうか……。私も妻を亡くした。あの悲劇だけは、もう繰り返したくない。だから、今回のことは本当に助かった」
「もったいないお言葉です。剣の製作者にも、必ず伝えておきます」
「ああ、そうしてくれ」
俺もサイモン氏に礼が言いたくて、彼の方へ向く。
「サイモン氏、私も今回のこと、心から感謝している。あなたのおかげで幾人もの冒険者の命が救われた。……いや、正確には、サイモン氏が剣を持って立ち上がったあの瞬間、私は頼もしい剣士が危機に駆けつけてくれたような気分だった」
「私はそんな肉体派ではありませんが、そう感じていただけたなら光栄です」
サイモン氏は穏やかに笑った。
「それにしても、よくアダマンタイトの剣を鉄の剣で斬ろうと思ったものだ。あなたのことだ、あの剣がミスリルではなくアダマンタイトだと分かっていたのだろう?」
俺は見抜けなかった。
だが、商人である彼なら見抜いていても不思議ではない。
「ええ、分かっておりました。もっとも、あの剣、鉄製の無属性剣ならアダマンタイトでも斬れると思っておりましたので。それに、あのアダマンタイトの剣の品質は最低ランクでしたから」
「素材だけではなく、品質まで分かるのか?」
「ええ、見えるんですよ。虹の順番で、最高品質は赤、最低品質は紫に。あのアダマンタイトは紫でした」
「私も能力的には見えるのだが、会議室では鑑定範囲外でな。見抜けなかった」
「領主様が研究好きであることは存じ上げておりましたが、品質鑑定までおできになるとは思っておりませんでした」
「私の職業は研究者だからね」
「では逆に、バルターはそこまで見えていなかった、ということですか?」
俺が尋ねると、サイモン氏は頷いた。
「私が彼に剣を鑑定させた時、彼は素材名しか答えませんでした。おそらく職業は下級商人でしょう」
「……では、今回の勝利はサイモン氏の情報戦による勝利ということだな」
言葉にした途端、胸の内に苦いものが広がった。
(情報戦か……やはり俺には、決定的に欠けているものがあるな……)
俺がそう内省していると、領主様が不穏なことを口にされた。
「先んじて情報を得ることは重要だ。私は最近、この公邸や政庁が何者かの諜報対象になっているのではないかと疑っている」
「何があったのですか!?」
「私が街の外へ視察に向かう際、視察ルートに沿って、複数回、その場にいるはずのない魔物に奇襲された」
「偶然……ではないのですか?」
「あり得ない。確率からして、何者かが私の通るルートを事前に察知していたとしか思えん。ヴァン支部長、西の平原にオーガやコボルトが現れたことはあるか?」
「あり得ません! あそこに生息するのはホーンラビットと、それを狩るグラスウルフ程度です。本当にオーガとコボルトが出たのですか!?」
「本当だ。オーガには逃げられたが、コボルトは駆逐した。今は情報統制で外には漏らしていないが、間違いなく遭遇した」
「事実なら、初級冒険者たちに西の平原へ近づかないよう通達を出します」
「それには及ばない。その後、定期的に領兵に巡回させているが異変はない。新人試験の際にも問題はなかっただろう?」
「それは……そうですが……」
「私は、強力な魔物に襲われるよりも、小さく弱い存在に情報収集される方が脅威だと思っている」
「それは、どういう……?」
「分からないかね、ヴァン支部長。蟻は一匹一匹は弱い存在だ。だが、彼らは互いに情報を集め、共有することで繁栄している」
「そ、それは……そうですね」
「君は今日の会議の場で、強さだけを見れば誰よりも上だった。だが、それでも君は今日、あの三人に敗北を味わわされたのではないかね?」
「……それは……」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
確かに、戦闘力だけなら俺があの場で一番強かった自信はある。
だが、俺はあの三人の奸計に追い詰められ、抗いようのない無力感を突きつけられた。
その事実は、深く胸に刻み込まれていた。
力だけでは勝てない戦いがある。
「サイロスは本来なら君の部下だ。だが彼はある意味、必死に情報と、強い者に勝つための権威を集めていたのではないかね。目的も方法も感心はしないが」
「確かに……」
その言葉は、思いのほか深く刺さった。
サイロスはいつだって、俺に対して優位に立てるように動いていた。
俺はあいつを卑怯な男だとしか思わず、自分は真正面から正直に生きることばかり考えていた。
だが結果は敗北だ。
俺は彼を忌避するだけではなく、もっと知ろうとすべきだったのではないか。
「そう言えば、サイロス副支部長が酒場で情報収集をしていたようなことを口にしていましたが、あれは何だったのですか?」
「ああ、あれは私の部下が酒場で酔って、ご令嬢の情報を漏らしてしまったのが原因だと思う。部下には注意していたのだが……領主様、申し訳ございません」
「ああ、あれは遅かれ早かれ知られていたことだ。構わない。それよりも、パーティメンバーのミオ君の情報が漏れなかったことの方が幸いだった」
「彼は平民については無関心でしたから」
「つまり、サイロスにも情報の穴があったということだ」
「どういうことです?」
「彼が言っていただろう。私の娘をF級冒険者として送り出したと」
「そう言えば……確かに」
「ヴァン支部長。今、娘の冒険者ランクは何かね?」
「G級です」
「え? でも……」
「君はサイロスの情報の穴を突いたのではないかね?」
「は、はい。確かに私は新人育成制度を利用し、彼女たちに教官を付け、E級までのクエストを受けられるようにしました。そして、可能な限り情報が漏れないよう、ゴブリンダンジョンに籠るよう指示しました」
「それだけではないだろう。彼の情報網がどこまで及ぶかを予想し、その外側に娘の情報を隠したのではないかね?」
「そ、それは……そうです!」
「君はサイロスの情報の穴を突いて、娘の情報を守ったのだ。ある意味、その一点では君は賢明に立ち回り、彼に勝っていたのだよ」
(何てことだ! 俺は、彼に勝つ道を既に知っていたんだ。なのに、そのことに胡座をかき、それ以後の彼の動きを見ようとしなかった!)
「厄災戦で街を失って十年。私たちは街を取り返し、必死に復興してきた。その結果、街は以前にも増して豊かになった。だが私は今、この街に無関心があふれているのではないかと感じている」
(無関心……確かに俺は、サイロスに対して無関心すぎた……)
「私たちが経済的に成長してきた一方で、脅威もまた無関心を糧に成長しているのではないか。私は今日、それを思い知った。ナイジェル司教は言っていた。バルターの家族を保護していると。バルターはひどく怯えていた……」
その時だった。
領主様の秘書官が駆け寄り、領主様の耳元で何かを囁き、一枚の書類を差し出した。
領主様の表情が、見る間に曇る。
そして低い声で、こう言われた。
「バルターが獄中で死亡した」
「「え!?」」
「牢の中で首を吊ったそうだ……」
「そ、そんなことができるのですか!?」
「衛兵が見張っていた。だが、それをかいくぐって何者かが紐を持ち込んだらしい」
「そんなことが……」
「私は情報の穴を突かれた。……私の敗北だ」
その一言に、領主様がこれまで幾度も同じ敗北を味わってきたのだと知った。
だからこそ、この人は俺に情報の重要性を説いているのだ。
「バルターの家族についても調べた。二年前に聖地巡礼の旅に出たきり、マナエルには戻っていない」
「二年前!?」
「最近、聖地巡礼を理由に街を出る者が増えている。それも、貧民街やスラムの人間に多い。彼らは総じて職業スキルが低い傾向にあり、それゆえに貧しさから抜け出せない者が多い」
「ですが、領主様は彼らに教育と医療の施策を進めておられるではありませんか?」
「ああ。だが、まだ足りない。……バルターは下級商人だったと君は言ったな?」
「ええ、そう見えました」
「彼は商いに失敗し、貧しさゆえに奴隷となった……闇奴隷だったのではないか?」
「そ、そんな! それは王国法で禁じられています!」
「私は正統神聖教会を疑っている。だが、まだ情報戦では、あちらが一枚上手だ。彼らは私の情報の穴をよく知っている。私がまだ目を向けていない場所をかいくぐり、今も勢力を広げている」
俺はその時、はっきりと感じた。
俺たちが無関心でいた場所で、脅威は静かに育っていたのだと。
そして後に、俺はこの教訓を思い起こし、深く後悔することになる。
その時、俺はこう思った。
脅威とは、無関心を食べて成長する生き物だ。
脅威の成長が人の成長を上回る時、脅威は現実となり、人はその餌食となる。




