ー後編ー
バタン!と大きな音を立てて戸が開いた。コウキが息を弾ませてやってくる。
「リュダ!引越すのか?っておい、何でそんなに目を腫らしているんだ!何で泣いた!誰にやられた!言えよ!」
コウキに大きく肩を揺すられ、私は慌てて、コウキの腕を掴む。
「苦しいって。誰にもやられてない、ちょっと情緒不安定になっただけです。どうしたのですか?こんな朝っぱらから。」
「……聖女から、リュダが引越すみたいだって聞いて、慌てて……」
聖女様、ちょっと片付け始めただけなのによく見てる。
「わかりました。引越す時はキチンとご連絡します。それより勇者様…」
「コウキだ!」
「え?」
「何故コウキと呼んでくれない!?」
「私は……リュダでもありますが、やはり見ての通り別人格なのです。15も年下ですし、呼び捨てはよくないと……」
「別人格になったら、もう友達じゃないのか?年が離れたら心も離れるのか?」
「そんなこと、ありません!でも声も違いますしコウキ様がイヤではないかと……」
「コウキだ、言って?」
「……コウキ。」
「やっとだ……」
コウキはぎゅっと私の手を握り、私の隣に腰掛けた。
「聖女様に、もうチキュに戻れないとお聞きしました。」
「……はあ、それでか。チキュじゃない、チキュウだって何回も言ってるだろ?」
コウキが穏やかに微笑むのを見て、私の目に再び涙が浮かぶ。
「あんなに!あんなに帰りたがっておられたのに!優しいけど怒ると怖いお母上がいらして、剣術のお強いお父上と、読書家の兄君と待っておられるのに!学舎で、ご学友と球を蹴る戦いを早くしたいと!将来は医術を学ぶ学舎に行きたいって!可愛らしい女性と歌を歌いに行きたいって!こんな汚い世界じゃなくて、平和な元の世界でいっぱい寝たいって!なのに!なのに!うう、ううう………」
私は手を掴まれているせいで涙が拭えない。
コウキはそっと私の手を引き抱き上げて、頭に手をやり泣き濡れた私の顔を自分の胸に押し付けた。私は昔はなかった体格差に戸惑いつつも、恐る恐るコウキの背に手をまわす。
「俺ってば、ほっんとリュダに甘えてたんだな。そんなにぼやいてたっけ。そして、そんなに覚えてくれてたんだ。もう俺の記憶よりも詳しいかも。」
「コウキ……」
「クソみたいな大人だらけの中、リュダだけが年が近くて話しやすかった。リュダだけが真剣に俺の話を聞いてくれた。リュダだけが信じられた。リュダだけが友達だった。俺は心の澱を吐き出して楽になってたけど、リュダは逆に重荷を募らせてた。それに気づいてた。でも、それでもいいと思ってた。オレも苦しいんだからお前も少しくらい苦しんでもいいだろって。ガキで最低な甘ったれだ。リュダが一番大事だったのに。」
私は違うと首を振る。あなたの苦しみとは比べようがない。
「あの日、お前はオレの何百倍もデカイ器と、俺への忠誠を見せつけて死んだ。俺が殺したのに最後の望みは俺の自由。自由って何だ?お前いないのに。」
「あなたは殺してなどいないっ!」
「呆然としたまま王の元に帰還すると、何と地球には戻れない。約束を反故したことで俺が暴れるとでも思ったのか俺を取り込もうとしたり、逆に俺を排除しようとしたり。お前を殺した罪人にもされそうになった。まあそれは否定できないけれど。」
「なんて……愚かな……」
あまりの国の仕打ちに私はますます涙を流す。すると、コウキがそっと親指でそれを拭った。
「でもね、リュダの最後の願いが俺を何ものからも守った。『勇者に自由を』。権力も武力も魔法も俺の自由を遮るものは全てはねつけた。俺の前に立ち塞がるやつはいなくなった。俺は自由に旅をした。」
「もう…………チキュウに戻ること、諦めたのですか?」
「諦めたというか、優先順位の変更だ。チキュウに戻るより、リュダを探すほうが先決だった。リュダを探しているうちに……じわじわともう帰れないと実感した。」
「そうですか……。」
俯く私のアゴをコウキの指が引き上げる。目を合わせられる。
「俺は自由に旅をしてきたけれど、自由とは縛られはしないが一人で寂しいもんだってわかった。で最初に戻る。自由って何だ?お前いないのに。異界で一人、いよいよ俺の精神も限界だなって思った矢先に……見つけた。」
コウキが私の頰を撫でる。
「お前を見つけたら、最初は勝手に死んだこと、めっちゃ怒って、その後は一緒に旅したいとか、店を持って商売したいとか、色々夢みてた。だけどリュダは、オレに誠実なままとっても可愛い女の子になってた。ちょっとショックだった。」
「私が男であれば……よかったですね。」
私も心底そう思う。男であれば、コウキの望みとあればどんな旅でも、どんな夢でも付き合えた。チキュウに帰れないコウキの力になれたのに。
「リュダがまた男であれば、こんなにも心配しないで済んだな。こんな森深くに住んでることとか。かといって街に住まれたら他の心配が生まれる。でもそれよりも、俺の知らないところに引越すとか絶対勘弁してくれ。」
「えっと……では、私、女を捨てましょうか?私が女であることでコウキが不自由を被るのなら。」
「はあ?何言ってんだ?お前は俺が女を捨てろって言ったら捨てるのか?」
「はい。コウキが少しでもそれでこの世界で生きやすくなるのなら。」
「…………」
「コウキには、幸せになってほしいのです。」
コウキが目をしばらく閉じた後、私の瞳を見据える。ごまかしなどできないように。
「お前にとって俺は何だ?」
私にとってのコウキ。友、憧れ、尊敬、愛、弱さすら愛おしい。前世……命を捧げたコウキ。
「全て、です…ん!」
言い終わらないうちにコウキが強く私を抱きしめた。グッと背中を逸らされて……口づけをされた。
触れるだけ。次は唇で挟むように、何度も。
上から覗き込まれる。
「俺にとっても、この世界、お前だけが全てだ。男のリュダであれば親友だった。でも今お前は女でソフィー。女であれば、二度と離れないで済む。親友以上に近くなれる。女は捨てるな。」
何が起こったのか?そっと中指で自分の口元をなぞる。
「ソフィー、俺を幸せにしてくれ。」
「……どうすれば?」
「俺と、結婚してほしい。」
驚きのあまり、目を見開く。
「……正気ですか?」
「正気だけど。」
「でも……あの、私をそういう対象として見ることができるのですか?」
リュダとの時間のほうが長いのに。
「再会した瞬間、戸惑いと同時に恋に落ちた。誰にも渡さないって決めた。15の年の差には怖気付いてるけど。一番大事な人が異性であれば、恋に変化するのは自然だと俺は思う。ソフィーは俺を親友としか思えない?男として意識してもらえない?」
私は顔を真っ赤にして、ふるふると首を横に降る。
「リュダでなくソフィーだからキスできるし抱きしめられる。俺の気持ちを最大限に表現できる。頼む、ソフィー…………俺をもう一人にしないでくれ。」
コウキはとても切なそうな顔をして、私にすがる。思わずその頰に手を当てる。
私はコウキに15年間も……こんな顔をさせてしまったのだ……
コウキが私の手の上から手を重ねる。
「私はもう……コウキの苦しむ姿など見たくないのです……」
「ならば一緒に幸せになろう。ソフィーが俺の横で笑っていてくれれば、俺も笑っていられるから。」
コウキの隣で、コウキの笑う姿が見られるの?そんな夢、願ったこともなかった。
「『帰れない』コウキの上で、幸せになってもいいの?」
「ソフィー、俺はそれだけを望んでいる。」
ああ……女神よ……
涙声を紡ぐ。
「……勇者の……『自由』にしてください。」
きちんと笑えているだろうか?
「ソフィー……愛してる。」
コウキの声が震えた。
額を合わせ、瞳の涙が混ざる。
どちらからともなく口づけた。
…………時を超えて、私達はそっと、ずっと近くに、重なった。
◯◯◯◯◯
『死の森は安息の地。何人も近づいてはならぬ。』
魔王討伐に同行し、最大級の回復魔法を誇り、歴代最高の権力を手にしていた三代前の聖女の法度。
『彼の地の『自由』を脅かしたものには、天罰が下る。』
おしまい。
お読みいただいた全ての皆様、ありがとうございました!