第三話 春の女王が住んでいたところ
シャルロッカはいつものように床に座って、ひざの上に絵本をおいて読んでいます。
「この本だいすき」
兄のヘイミッシュはいつものように机に座っていましたが、妹をからかいはしませんでした。
「う、うん」
シャルロッカは、いつになくまじめな様子のお兄ちゃんにいつものようにお話を語って聞かせるのです。
「あるところに、春、夏、秋、冬、それぞれの季節をつかさどる女王様がおりました。女王はきめられた期間、交替で塔にすむことになっています。そうすることで、その国にその女王の季節がおとずれるのです」
「決められた期間―――」
「まって! シャルロッカがよむのじゃましないで」
兄のヘイミッシュはシャルロッカが怒り出さないように口をつぐみました。
「ところがあるとき、いつまでたっても冬が終わらなくなりました。冬の女王が塔に入ったままなのです。辺り一面雪におおわれ、このままではいずれ食べ物もつきてしまいます。こまった王様はおふれを出しました」
―――なぜ冬の女王は塔にい続けたんだ?
ヘイミッシュは心の中で一生懸命考えました。
「冬の女王を春の女王と交替させた者には褒美をとらせよう。ただし、冬の女王が次に廻ってこられなくなる方法はみとめない。季節を廻ることをさまたげてはならない」
―――だけど冬の女王を連れ出した夏の騎士には褒美は与えられなかった。なぜ?
「なぜ、冬の女王は塔をはなれないのでしょうか。なぜ、春の女王は塔におとずれないのでしょうか」
―――なぜ春の女王はやってこない?
「お兄ちゃん。お話終わったよ。お兄ちゃん」
「ああ、ごめん、シャルロッカ。冬の女王ばかりか春の女王までやってこない理由を考えていたんだ。決められた期間があるならおくれるのはおかしい。ひょっとして期間ってのは日にちで決まってたのではなく、何か別のものをたよりにして決めていたんじゃないかなあ。つまり、冬の女王も春の女王もカレンダーをもっていなかったとしたらどうだろう」
「お兄ちゃんすごーい! おばあちゃあああん」
シャルロッカはさっそくタカタカと足音を鳴らしておばあちゃんのところへかけていきます。
その間にヘイミッシュはそっと図鑑を閉じ、でかける用意をしました。
にょっきりと二本のキバをのばしたミニサーベルタイガーのサンタンも、にじいろの羽根をもったケツァールミノバトのケティもすでに用意しています。
シャルロッカはタカタカと足音を鳴らして帰ってきました。
「お兄ちゃん! おばあちゃんが半分正解ってー!」
「え!」
「だいぶ真相にちかづいてきたね。ヘイミッシュ」
おばあちゃんが焼きたてのパンを持ってあらわれました。
「おばあちゃんはこの話の続きを知ってるの?」
「このお話は『紡がれなかったお話』さ。続きなんてないよ」
「じゃあなぜおばあちゃんは真相を知っているの?」
「わたしにも十一歳のころはあったさ」
ヘイミッシュはおどろいて聞き返しました。
「おばあちゃんも<十一歳の旅人>だったの!?」
「そうさ。わたしも国中を旅してまわって、うまい小麦を作るところを見つけ、うまいパンの焼き方を習ったから、国でもっともうまいパン職人って呼ばれるようになったのよ」
「なぜ物語の続きを紡がなかったの?」
「そりゃ、ヘイミッシュ。それはわたしの夢じゃなかったからよ。わたしの夢はうまいパンを作ること。それ以外知ってることはこま切れだし、物語の紡ぎ方だって知らない。でも、あなたはひまさえあれば本や図鑑を読み、旅から帰ると手に入れた知識を文にまとめている。だから、この続きを書くのはあなたの仕事よ。さあ、今日はどこまで行くんだい」
ヘイミッシュはうなずいて答えました。
「今日は<青の大河>を越えようと思います」
「そうかいそうかい、今の時期はあの辺りも見どころが多いのよ。それにあの辺りの小麦はわたしのパンにぴったりなの。いい出会いの知らせをケティが運んできてくれるのを楽しみにしているわ。はい、パンを持っておゆき」
「ありがとう、おばあちゃん」
シャルロッカは今日も精一杯手を振っていました。
街の反対側にも門があって門番さんが立っています。
「君はヘイミッシュだね。弟から聞いているよ。こちらの門から出るなんて珍しいな。今日はどこまで行くんだい?」
「<青の大河>を越えてみたいんだ」
「気をつけて。ああ、弟が言っていたよ。『ヘイミッシュは時々おばあちゃんのパンをくれるのだけど、それを食べると一日門のところに立っているのがとても楽に思える』って。そりゃあもうよっぽどおいしいのだろうね。わたしも一度食べてみたいもんだ」
<白の道>側の門番さんのお兄さんなのでしょう。そう言われるとヘイミッシュも鼻が高い気分になりました。
「よかったら、ぼく用のパンですけどどうぞ。焼きたてですよ」
「本当かい。ああ、ありがとう。そうだ。<青の大河>の向こうはそろそろ<春降賀節>の時期だ。このお面をつけて祭りに加わるときっと楽しいぞ」
ヘイミッシュは門番さんからお面を受け取ると手を振ってでかけました。
門番さんも力強く手を振り返してくれています。
城郭、塔、大木。<白の道>のときとは左右が逆ですが、同じものが見えます。
「塔の窓からきっと見えるあの<エターナルグレイスの木>は、一年中葉を落とさない常緑樹か」
青々とした葉を繁らせる木を見てヘイミッシュはつぶやきました。
「きっとお話に出てくる塔からは落葉樹が見えていたんだろうなあ」
ヘイミッシュは「移り変わる四季により姿を変える木を見て、女王たちは交替の時期を決めていたのではないか」と考えたのです。
「冬の女王が塔から出ないから冬が終わらないんじゃなくて、冬が終わらないから女王は出られなかったんだ」
ヘイミッシュは<青の大河>の向こうまでいけば、そんな話が聞けるのではないかと期待でそわそわしました。
しかし、<朱の川>を過ぎ<青の大河>まで来て、向こう岸に渡るのがむずかしいことを知るのです。
ヘイミッシュは、渡し守のおじいさんに川を渡るのをきびしく止められてしまいました。
「ならんならんならんのじゃ! 川の向こうは<春降賀節>が行われておる。関係ないもんを渡すわけにはいかんのじゃ」
「え!」
「<春降賀節>っちゅうもんはな。跳梁跋扈する悪いもんを川向こうに囲いこんで追いたたく祭りなんじゃ。関係ないもんを行ったり来たりさせるわけにはいかんのじゃ」
ヘイミッシュは門番さんからもらったお面をかぶって言いました。
「それだったら問題ありません。ぼくも祭りに参加するのです」
「ほうほう。それならええ、それならええ」
川を越え、峠を越えると、大きな広場で忙しそうに祭りの準備している人たちの姿が見えました。
ひとりだけじっと作業の様子をみている人物がヘイミッシュの目にとまりました。ヘイミッシュは静かに近付くと声をかけました。
「あの、こんにちは。ぼくはヘイミッシュといいます。少しおたずねしてもいいですか。お兄さんはこの祭りをおこなう神官の方ですか」
ほかの人たちとは違う四角ばった衣を身につけたそのお兄さんは、ゆっくりとふりかえってヘイミッシュを見ました。
「いかにもそうだが。君かい? トラにのった<十一歳の旅人>というのは」
ヘイミッシュの肩の上でケティが抗議するようにパタパタと飛んでは鳴きはじめました。
「訂正しよう。小鳥を肩にのせてトラにまたがった<十一歳の旅人>というのは君かい」
「お兄さんも<十一歳の旅人>をご存知なのですか」
「こう見えても<春王朝>の学問を司る陰陽寮の筆頭でね。中央政府から<十一歳の旅人>は温かく迎えるように言われているよ」
「<春王朝>?」
「ここは<一年の無病息災の祈りを捧げる王>が住んでいる国なのさ」
ヘイミッシュはまた新たな国までやってくることができたことに感動しました。そしてこの若いお兄さんはきっとなんでもよく知っていて、この祭りを取り仕切る仕事だって任されているのだということに感心しました。
「君は何をしにここまで来たんだい?」
「ぼくは、物語の紡ぎ手になるためにいろんなところを旅しています。各地で色々な話を聞いたり、様々な生き物を見たりしてきました。ここでも何か学べるのではないかと思ってやってきました」
「いいときに来たね。今夜は<春降賀の夜>だよ」
「はるふるぎす? それはどんな夜なんですか」
「新月の夜に火を焚いて地面を火のついた棒でたたくお祭りの夜さ」
「そのお祭りはどんな意味があるんですか」
「木の芽吹き時は体調をくずしやすい。昔は何かよくないものがあばれるからって考えたんだね。だから、火の明かりと熱でよくないものを追い立てて、棒で叩いて囲いこんでしまおうっていうお祭りになったのだよ。そうすれば一年無病息災でいられるって信じられたのだろうね」
「だから、春の女王は<一年の無病息災の祈りを捧げる女王>なんですね」
「春の女王? 先ほども言ったようにこの国におられるのは男王なのだよ」
「ああ、ぼくはてっきり女王国だとばかり」
「ひょっとして、君はあの千年前の話を知っているのかね」
ヘイミッシュはおどろきました。
「千年前? あれはこの国のできごとなの!?」
お兄さんは少し考えていいました。
「やはり、君は<紡がれなかった物語>を読んだのか。そりゃあ春の女王とはいい加減な女王だと思っただろうね」
「ううん。ぼくは女王の交替期間は木の変化を見て決めていると思ったんです。でも、あの塔の前の木は常緑樹だから別の国の話だと」
「あれは<冬の将軍>の死後植えられたものさ。千年前はフシザクラというそれは大きな木があったという」
「フシザクラが芽吹くと春の女王の番だったんですね」
「ああ、だがその年はいつまでも芽吹かなかった。周りの海は氷に閉ざされ、我が国で作られるはずだった野菜は育たず、海沿いの果樹で飢えをしのいだそうだ」
「その年はとても寒かったんですね」
「元の気温に戻すためにどの国の人々も力を尽くした。その結果、フシザクラはその命を終えた。そこで陰陽寮の先輩たちは、暦法を公開することにしたという」
「レキホウ?」
「君たちもカレンダーをもっているだろう。あれだよ」
「寒い年や暑い年があるのにどうやって交替期間を決めるカレンダーが作れるの?」
「月の満ち欠けはいつだって規則的なのだよ。だから月を毎日観察し温度や作物の関係を調べて編み出したものだそうだ。でもどうしても季節とズレが大きく閏月が必要になる。そこで今は太陽や星の位置や方角から割り出した数値を元に新しい暦法を編み出しているところだ」
「あれ?」
ヘイミッシュは腕組みして考えました。
「太陽は気まぐれで昇る位置も時間も決まってないんじゃなかったっけ。それにコンパスも使えないって言ってたのにどうやって方角がわかるんだろう」
お兄さんは中央にコンパスの付いた盤を懐から取り出して、まだ青い空の一点を指差すと、こう言いました。
「この指の先に常に北辰の太極がある。見えると見えざるとに関わらず、常にだ。夜になったら星を見るといい。どの星もその星を中心に回っていることがわかる」
<オオトヨアキツ国>でおじさんが北極星の話をしてくれたのを思い出して、ヘイミッシュは何となく言っている意味がわかった気がしました。
「コンパスの針はその星を追いかけているんですね」
「私はそうは考えていない。ただ指し示す先にその星があるだけだと思うね。結果的に追いかけているように見えるのだろう」
この辺りはもうヘイミッシュには理解できませんでした。こうつぶやくのがやっとでした。
「おじさんのコンパスがこわれたわけじゃなかったのかあ」
「そのおじさんというのは?」
「元船乗りで<オオトヨアキツ国>に住み着いたおじさんが言っていたんだ」
「ふむ、船乗りらしからぬ発言だな。いや、船乗りだからこその誤解かもしれないな。少年。祭りが終わればじっくりと話してあげよう。<春降賀節>の間は滞在できるのだろう? 陰陽寮に寄宿するといい。ただし仮の職員としての扱いだからしっかり働いてもらうぞ」
「ハイ! ありがとうございます。あの、おばあちゃんのパンをどうぞ」
「いただこう」
ヘイミッシュは、ケティに手紙を持たせ塔の方向に飛び立たせました。
そしてその夜、仮面を付けたヘイミッシュは松明の明かりだけがあかあかともえる闇の中を、陰陽寮の人たちと一緒に躍り明かしました。