第二話 夏の女王が住んでいたところ
シャルロッカはいつものように床に座って、ひざの上に絵本をおいて読んでいます。
「この本だいすき」
兄のヘイミッシュはいつものように机に座って、図鑑を読みながら妹をからかいます。
「そのお話のどこがおもしろいの」
そしていつものようにシャルロッカは、わからずやのお兄ちゃんにお話を語って聞かせるのです。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。今日のお兄ちゃんは『ちゅうとはんぱ!』って言わなかったね」
「あ、うん。考え中なんだ」
「いつもの『わかったぞ!』は?」
「ああ、わかったぞ。今度はきっと間違いない」
「ホントー!?」
「冬の女王は恋をしていたんだ」
「こい?」
「だいすきな人をいつも窓からじっと見ていた。だがあろうことか、春の女王もその人が好きで毎日会っていたんだ。嫉妬に燃える冬の女王は塔から紙飛行機を飛ばしたのさ。毎日、毎日飛ばすんだ」
「紙ひこうき?」
「そう、その人が気付いてくれるまでね。だけど紙飛行機は雪にさえぎられ、風にさらわれてなかなか思うようには届かない。春の女王はいつまでもその人の家から出ていかない。冬の女王は期間を過ぎても、毎日毎日紙飛行機を飛ばし続けた。そして、ある日ようやく一機の紙飛行機が届くんだ。その人と春の女王はそろってその紙を開いて読む。中にはこう書かれていた。――――――『私、あなたを見ています』とね」
「こわいー! おばあちゃぁああん」
その間にヘイミッシュはパタリと図鑑を閉じ、でかける用意をしました。サンタンとケティはいつものようにヘイミッシュのまわりに集まりました。
「ヘイミッシュ、今日もお出かけかい?」
おばあちゃんがシャルロッカに引っぱられてやってきました。
「お兄ちゃん、またはずれだったー」
「うん、ぼくもそうだと思った」
シャルロッカは、んーっと声をあげて床をふみならします。なぐさめるようにサンタンがシャルロッカにすりよります。これもいつものことです。
「今日はどこまで行くんだい?」
「あっちの川をいけるところまでずうっとずうっと行くよ。なあ、サンタン」
かしこいサンタンにはだいすきなくだものを食べさせてあげました。
「気をつけてお行き。おとまりさせてもらうときはどうするんだったかい?」
おばあちゃんはお出かけのきまりをたしかめます。
「ケティに手紙をゆわえてとばします。な、ケティ」
かしこいケティにはだいすきなむぎのつぶを手にとってあげました。
「お世話になるところにはこれをおあげ。そして、あなたの分も。ハイ」
「ありがとう、おばあちゃん」
ヘイミッシュは、大人気のおばあちゃんのパンをリュックにつめて出発しました。シャルロッカは今日もいっしょうけんめい手をふりました。吐き出す息は真っ白でした。
<塔の街>の半分をくるりと巻くように流れる川は、塔よりも巨大な木とは反対側に向かって流れていきます。川にかかる橋に立って塔を向くと<白の道>は左手に見えます。
この川は街の人から<朱の川>と呼ばれています。街で使った水を流すのでお世辞にも|綺麗《きれい
》な川とはいえません。
ただ、川の両岸には今朝ふった雪がのこっていて、それがキラキラと輝くのはとても美しいのです。ヘイミッシュは川下をめざして進んでいきます。
くねくねした川沿いの道をどこまでも進み、丸太だけの小さな橋や立派な石造りの橋などいくつもいくつもすぎても、川の幅が最初の何倍の広さになっても、塔越しに巨大な木はまだ見えています。
「本当にどこからでも見えるんだなあ」
川はいくつかに分かれました。ヘイミッシュは一番キラキラした水面の川を選んで進みます。川にはさまれたこの場所だけは雪がなく、地面もあたたかいような気がします。サンタンはヘイミッシュを乗せたまま、そっと脚を水に入れました。ケティも楽しそうに歌います。
「わあ、海だ。海まで来たよ」
茂みをぬけると目の前には、海が広がっていました。川はこの先で小さな滝になっているので、海に出るには滝を下らねばなりません。
サンタンはヘイミッシュを乗せたまま、川の中をバシャバシャ駆けると大きくジャンプしました。タンタンっと身軽く岩場を蹴って綺麗に着地しました。
「きゃあ!」
突然現れたサンタンの姿に驚いて尻もちをついた人がいます。
「大丈夫ですか? お姉さん」
それは長い黒髪を肩のところでゆったお姉さんです。
伸ばしたヘイミッシュの手をとって、お姉さんはいいました。
「平気平気。まさか見たことない生き物がふってくるなんて思わなかったからおどろいただけよ。ああ、びっくりした。この<テラドゥヴェラォン領>にはそんな子いないもの」
「え、ここは、<フォーシーズンズ>じゃないの?」
「君は<塔の街>から来た子? 心配しないで。同じ国よ。ここの女王さまは、七夕のころに先祖の霊への祈りを捧げるために塔の最上階に行くの。だから、塔の王様に<夏の祈りを捧げる女王の領国>って認められてるの」
ヘイミッシュはうなずいてから聞きました。
「お姉さんはここで何をしているの」
「この子たちの観察よ」
ゴツゴツした岩場の上に何だか大きなトカゲのような生き物がいます。ケティがチチチッと鳴いてヘイミッシュの肩の上で尻もちをつきました。ケティも見たことのない生き物におどろいたのでしょう。
ヘイミッシュはサンタンから降りると図鑑を急いで広げました。
「まさか、そんなはずが」
ヘイミッシュは目を丸くしました。
お姉さんも図鑑をのぞきこんでいます。
「やっぱり、ウミイグアナだ。すごいよ、サンタン。こんな生き物がこの国で見られるなんて」
「やっぱり珍しいよね、この子たちって」
ヘイミッシュはお姉さんと同じように腕を組みました。
「ぼくは前にこの国でタイリクアカネって生き物をみたんだ。その生き物は北の大陸で大きくなって、風にのって移動するんだ。でもこのウミイグアナは南の島にわずかに生きているはずなのに、一体どうして」
「ふしぎだねえ」
「不思議です」
「ふふ、わたしがふしぎなのはキミだよ」
「え!」
お姉さんはつやつやとした黒髪をふわりと揺らしてわらいました。
「わたしも十一歳のころキミのように国中を旅してまわったんだ。この子たちがこのあたりにしか住んでいないことがわかって観察するようになったんだけど、何年たってもこのあたりにしかいない理由はわからなかったの。なのに、キミは一目みただけで、名前も元々住んでいた場所まで明らかにしちゃうなんて。うん、キミはすごい!」
お姉さんにほめられてヘイミッシュは照れ笑いをしました。
「てはは、これは図鑑がすごいだけで。てはははは」
「キミならいろんななぞがとけそうだね」
「そうかなあ」
「そうだなあ。えーっと私が旅をしているときによく聞いた話なんだけどね。私のような長い黒髪は<命の鎖>って呼ばれてたんだけど、これずっと私の中でなぞだったんだよね」
ヘイミッシュはパラパラと図鑑をめくり、植物の項を見ていましたがため息をついて首をふりました。
「そんなツタがあるのかなとおもったけど」
「ふふふ、さすがにないかー。でも、私の話が終わる前に図鑑をめくりはじめたところがすごいよね。じゃあ絶対に図鑑に載ってない話にしましょう。たとえばこんな話はどう? 冬の女王が塔から出ないから冬が終わらないって話」
「あ、その話ならぼく毎日妹にきかされています」
「え、すごい。じゃあ、冬の女王が塔から出て来たとき、手をとっていたのが<夏の騎士>だって話は?」
「それははじめてききました」
「よしよし、これはわたしが<十一歳の旅人>をしていたときに聞いた話だもん。ここからがなぞなの。王様は『冬の女王と春の女王を交替させたものには褒美を取らす』と言っていたのに、手をとって外に連れ出した<夏の騎士>には一切褒美は出なかったの」
「うううん。まだ春の女王はこなかったから?」
「ううん」
「ううううん。何か<夏の騎士>はよくないことをしてしまったから?」
「ううん」
「うううううん。王様はケチだった?」
「ううん」
「ううううううん。<夏の騎士>の他にもたくさんの人がいて、<夏の騎士>の分の褒美が足りなかった?」
「ふふふ」
「当たった?」
「あまりによく思いつくから感心してわらっちゃった。実は私もはっきりと答えを知っているわけではないの。私が知っているのは、<夏の騎士>は女性だったということ。私のように長い髪だったのに、冬の女王を外に出した時、バッサリときって短い髪になったってことくらいかな。ねえねえ、キミ。今日泊まるところはもう決めたかしら」
お姉さんはほほえんで言いました。
「また気温が下がってきたみたい。この続きはわたしの家で考えましょう。『このウミイグアナちゃんたちが、どうやってこの国へやってきたのか』もね」
「泊めてもらえるんですか」
「<十一歳の旅人>の先輩ですもの。歓迎するわ」
「これ、おばあちゃんのパンです。よかったらどうぞ」
「まあ、素敵。わたしときは貝の干物だったわ。今日もあるから食べてね。この国は海産物が自慢よ」
「すごく綺麗な海ですね」
「でしょ。でも不思議なこともあるのよね。おとといは遠くに島影が見えていたんだけど、今はまったく見えないの。海の上はあんなに晴れているのに」
「不思議ですね」
「ふしぎだね」
その夜、ヘイミッシュは夜中までたっぷり話をしたあと、<テラドゥヴェラォン領>の穏やかな海を照らす半月とたくさんの星空を見てから眠りにつきました。