疑心暗鬼⑱
何が起こったのか分からないまま戦いが終わってしまったようなものだ。
私はその様子を眺めながら、もう一度魔王の残骸へ視線を戻した。
狙い通り、細胞まで完全に破壊できていると良いんだけど。
実は、今回『アブソリュートゼロ』を選んだ理由は、単に魔王を倒すためだけじゃなかった。
あの肉体をできる限り利用できない状態にしておきたかったのだ。
特に、マリスが魔王の肉体を手に入れたら正史通りの流れを行くだろう。
魔王細胞を人間へ埋め込むような悪魔の実験は、ここで頓挫してくれた方が良い。
完全に死滅した細胞しか残っていなければ、持ち帰ったところで大した成果は得られないと信じたい。
……まぁ、あの人の技術力を考えると、絶対に大丈夫とは言い切れないんだけど。
私はちらりとマリスの方へ視線を向けた。
彼は少し離れた場所に立ち、魔王の残骸を静かに眺めていた。
周囲には相変わらず数名のアルカナの人たちが付き従っている。
だけど彼の目は誰にも向けられていなかった。
ただ地面に散らばった魔王の死骸全体を見渡しているだけのはずなのに、私と目が合っているような錯覚を覚えてしまう。
もちろん、そんなはずはない。
私は今も《HidePC》を使用している。
彼の視線だって明らかに魔王の残骸へ向けられている。
それなのに、まるでこちらの存在を見透かされているような錯覚を覚えたのだ。
「……っ。」
私は思わず身を震わせた。
何だろう、この感覚。
別にマリスがこちらを見たわけでも何かを言われたわけでもない。
ただ彼の視線の行方が気になっただけだ。
私は小さく首を振ってその感覚を振り払った。
少なくとも今は魔王を倒すことができたんだから、それだけでも十分な成果だと言える。
あとは今回の一件をきっかけにシン共和国がまたおかしな方向へ舵を切らないことを祈るばかりだ。
……シン共和国といえば。
私はふと、ある人物のことを思い出した。
「ねぇ、シルフ、ドライアド。アサシンさんについて聞きたいんだけど。」
「アサシンさん?」
シルフが首を傾げた。
「アイラと一緒のテントの?」
ドライアドも不思議そうにこちらを見た。
「うん、その人。」
私が意識して話すと、二人ともすぐに誰のことか理解してくれた。
それ自体は別におかしなことじゃない。
アサシンさんは、これまで何度も一緒に行動してきた人なんだから。
だけど、よく考えてみると奇妙なことがある。
私たちは誰も彼女の名前を知らないのだ。
「私たちは、どうしてアサシンさんの名前を知らないんだっけ?」
私は二人へ尋ねた。
「えっ?」
シルフが目を瞬かせた。
「ん……確かに、名前を聞いた覚えがないかも。」
ドライアドも考え込むように首を傾げる。
そうなんだよね。
これまで何度も顔を合わせているし、一緒に行動したことだってある。
それなのに、どうして誰も名前を尋ねようとしなかったんだろう。
私自身、今の今まで不思議に思っていなかった。
まるでアサシンさんという呼び方が当たり前であるかのように受け入れていたのだ。
「それと、アサシンさんって魔力が希薄な感じがしない?」
私は続けて尋ねた。
「う~ん、言われてみれば、この国の人間にしては少ないかも?」
シルフが少し考えてから答えた。
ドライアドも頷いている。
「ん。でも、それがどうしたの?」
二人とも、不思議そうに私を見つめていた。
……あれ? 私は少し違和感を覚えた。
いつもの二人なら、これくらいの話をすれば何かしら察してくれるはずだ。
特にシルフはこういうことに妙に勘が鋭い。
ドライアドだって、普段は周囲の変化によく気付いている。
それなのに今は私が何を言いたいのか全く理解していないようだった。
まるで、何かに思考を阻害されているかのように。
「この世界に来たとき、命令違反してモンスターを倒してた三人組がいたじゃない?」
私は話題を変えた。
「あぁ、確かにいたわね。」
シルフが頷いた。
「でも、それがあの人と何の関係があるっていうのよ。」
「その三人組が持っていたのと同じ武器を、アサシンさんが持ってたんだよね。」
「……えっ?」
シルフが目を見開いた。
ドライアドも驚いたようにこちらを向く。
「同じ武器って、あの人たちの?」
「うん。見間違いじゃなければね。」
私は頷いた。
あのとき、命令を無視して魔物を倒していた三人組。
彼らが持っていた武器は、この世界の一般的な装備とは明らかに異なっていた。
そしてアサシンさんが所持していたものも、それによく似ていたのだ。
もちろん、それだけで彼女がシン共和国の関係者だと断定することはできない。
だけど他にも気になる点がある。
「そんな人の名前も知らない。なのに、それをさっきまで不思議に思ってなかったんだよ。」
私は二人へそう告げた。
「……あ、あれ?」
シルフが困惑したように自分の額へ手を当てた。
「そういえば、どうしてあたし……。」
何かを思い出そうとしているようだけど、上手く考えがまとまらないらしい。
ドライアドも眉を寄せていた。
「……確かに変。」
二人とも、ようやく違和感に気付いたようだった。
私たちはこれまで、アサシンさんのことを何度も見ている。
一緒に食事をしたこともあるし、同じ場所で寝泊まりもしている。
それなのに、名前すら知らないことを誰も気にしていなかった。
しかも、彼女が持っていた武器には明らかに気になる点があったというのに。
……これは、どう考えてもおかしい。
私はゆっくりと顔を上げた。
少し離れた場所では、マリスとアルカナの人たちが魔王の残骸を調べている。
彼らの姿を眺めながら、私はアサシンさんのことを考えていた。
彼女は一体、何者なんだろう。
そして、どうして私たちは今まで、その正体を疑おうとしなかったんだろう。
魔王の死骸が散らばる場所で、私はしばらく考え込んでいた。




