幸福と呪いは2LDKにいる~呪いの市松人形奮闘記2~
以前書いた話の続編ですが、単体でも読めるはずです。
三月某日、とある2LDKの賃貸マンション。
若い男女が隣の部屋へ引っ越しの挨拶をしていた。
「隣に越してきた沢田です」
「よろしくお願いします。これ、良かったら」
二人とも二十代半ばだろう。男性が同じ品物が入っているらしい紙袋を持っている。これから他の部屋も回るのだろう。
「どうもご丁寧にありがとうございます。ご夫婦ですか? 私も夫と二人暮らしなんです」
「いえ、きょうだいです」
この間取りでは、若夫婦やカップルが多いので勘違いしたようだ。言われてみれば、どことなく似ている。
「あら、一緒に暮らすなんて仲がいいんですね」
「父が、姉の一人暮らしを心配しまして」
兄と妹ではなく、姉と弟だった。男性の方がしっかりしていそうな雰囲気であったため、兄妹と勘違いするところだった。
新しい隣人は、第一印象は悪くなかった。賃貸なので最悪、引っ越せばいいのであるが、隣は良い人に越したことはない。
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ここは、引っ越しの挨拶をしていた姉弟の部屋。荷物が整理しきれておらず、段ボールがいくつか置いてある。
その引っ越しの段ボールの中、呻くものたちがいた。
「いつになったら外に出られるんだ」
「うう、真っ暗ですわ」
いわゆる『呪いの人形』である。しかも二体。市松人形というおかっぱ頭の、着物を着た人形だ。沢田姉弟の姉が一人暮らし時代、酔った勢いで購入したものだ。引っ越しで処分されずに済んだらしい。
「私は幸福の人形。呪いでまとめられるのは不本意ですわ」
不服申し立てをしたのは、幸福をもたらす(はずの)人形。赤い着物を着たお松。
「誰に何を言っているんだ。お前は」
突っ込みを入れたのは、不幸をもたらす(はずの)人形。紫の着物を着たお市。
「紗枝さんも拓海さんも、早く荷物の整理をして欲しいものです」
「お前のことは気にくわないが、そのことは同意する」
超常的な存在であっても、荷解きされないとどうにもならないらしい。
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上下左右の部屋に挨拶をしてきた姉弟は、自分たちの部屋へ帰ってきた。
姉のサエは、会社員で先日まで一人暮らしをしていた。
弟のタクミは、数日後に入社式を控えた新社会人である。
「挨拶終わったー。疲れたー」
「サエちゃん、まだ片付け残ってるから」
近隣に挨拶に行く前に、生活するのにすぐ必要なものは開封して設置した。他に、各自の細々したものが残っている。
サエの荷物が地味に多い。三年間の一人暮らしで、ちょこちょこ変なものを買っていたせいだ。
2LDKの二部屋の大きい方は、相談することもなくサエの部屋と決まっていた。
ここで休むとそのままだらけてしまいそうなので、一番近くにあった段ボールを開けるサエ。出てきたのは、半年ほど前に買った人形だ。二体の日本人形。
「この子たち、どこに飾ろうかなあ」
サエは三秒ほど考えたのちに、リビングの棚の上に置いた。直置きである。
「こういう人形ってケースに入れなくていいの?」
サエの人形の扱いを見たタクミが聞く。こどものころ、サエの雛人形と一緒に飾られていた人形がこんな感じだった。その人形はケースに入れられていた。
「え? 買った時も段ボールにつっこまれてたよ」
「それで今回も段ボールに突っ込んだ?」
「うん」
タクミは、サエの反応にこれ以上突っ込んでも無駄だと悟った。
棚の上に置かれた二体の人形をみて、「結構でかいな」と思った。だが、この話は切り上げることにした。まだ他にもやることはある。サエほどでないにしても、タクミにも私物はある訳で。
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草木も眠る丑三つ時、やっと段ボールから出された人形たちは新居の感想を述べ合う。
「いくらかマシになったな。この家は、独立した部屋があるようだ」
「前は玄関からお部屋が丸見えでしたものね」
昔は、人形を持つのは裕福な家だった。裕福なら家もそれなりに広いものである。以前サエが暮らしていた単身者向けアパートは、二体にとって驚きの狭さだった。まあ、主人の観察は楽であったが。
だが、二体がサエの元にやってきて約半年、不幸にも幸福にもできずにいた。お互いメンツがあるので、こじつけに近い成果を主張し合う不毛な日々を過ごしていた。
そこにこの引っ越し、弟との同居である。環境が変われば何か糸口が見つかるかもしれない。
仲の良い弟と喧嘩させるのはどうだろう、とお市は考えた。一緒に暮らす人間とギスギスするのは、いくら鈍くて適当なサエといえども気分が良くないだろう。
お松はお市と長い付き合いである。何を考えているかなんて手に取るようにわかるのだ。能天気なサエを不幸にするのは難しい。幸せにするのも難しかったのだが、日々の小さな幸せと考えれば達成できている。うん、できている。だからお市の妨害をすればいいのだ。
人形たちは、新居で目標を達成できるのであろうか。
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翌朝、軽い朝食をとってサエは仕事に行った。一人暮らしをしていたアパートより、何駅か職場に近い。そのため、少し余分に寝ていられる。トーストと牛乳だけだった朝食も、グレードアップしている。料理が趣味のタクミが、パンに乗せるだけで良いおかずを作り置きしてくれた。キャロットラペや鶏肉を茹でたもの、他にも美味しそうなあれこれ。シンプルだけど美味しかった。
「今日の晩ご飯は何かな。タクちゃんの料理楽しみ」
姉が気分良く職場に向かった時、弟はまだ寝ていた。今日は特に予定はない。それなら寝られるだけ寝ていたいのだ。昨日の引っ越しでタクミが力仕事を引き受けた分疲れているのもある。お姉ちゃんが怖くて引き受けたわけではない。多分。
タクミは昼近くになってようやく起き出した。昨晩作り置きしていたおかずを利用して簡単に食事をとる。どうやらサエも食べて仕事に行ったらしい。一人でブランチをとっていると、自然と人形が目に入る。
40cmほどの大きさの日本人形が、二体も棚の上に無造作に置かれている。目立つので嫌でも目に入る。
小さい女の子向けのお人形や、美少女フィギュアなどとは違って、わかりやすいかわいさはない。
まあ、昔の人はこれをかわいいと思っていたのかもしれないが。歴史の教科書に載っていた美人画とか、よくわからなかったし。衣装の着物は本物っぽいかもしれない。女の子の着物は成人式で見たくらいだが。
「そうだ。ばあちゃんに写真送っとこう」
思いつきで人形の写真を撮って祖母に送る。その後、家事をはじめると人形のことは忘れてしまった……といきたいところだが、場所と大きさからどうしても目に入る。
「やっぱり、結構でかいな」
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リビングの棚の上、無造作に置かれた人形たち。家事をしているタクミには聞こえない会話をしていた。小声ではない。超常現象的なものだ。
「意外と一緒にいないな」
姉弟喧嘩を目論んでいたお市としては、不都合である。サエの生活が、住処以外、変わらないなら当然なのだが。同じ仕事というわけでもないようだ。
「タクミさんが寝坊助なのは意外でした」
お市の企みが順調にいかなそうなのを察した上で、お松は素知らぬふりをする。
タクミはサエの一人暮らしの部屋に何度か来ている。そのため、二体も知っていた。姉のサエよりしっかりした印象だった。
「サエにこき使われて疲れたんだろ」
「サエさんは、そういうタイプではないでしょう」
世の中、最恐姉に逆らえない弟というものが多いようだ。沢田姉弟はそうは見えない。お市としては、怖い姉ちゃんの方がやりやすいのだが。
夕方になると、タクミは夕食の準備を始めた。その姿を見てお市は思いついた。料理を失敗させてやろう。サエはタクミの料理を楽しみにしている。その料理を残念な仕上がりにしてやればいい。ちょっと手を滑らせて、調味料を入れすぎたりさせるのなら簡単だ。
喧嘩まではいかなくとも、微妙な空気くらいにはできるだろう。
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「ただいまー、ご飯なに?」
一九時ころ帰宅したサエは、開口一番がこれだった。お市の料理失敗作戦が進行しているとも知らずに。
「クリームスープ風のポトフみたいなの」
タクミがメニューを答える。サエは帰宅後、手洗いうがいをして、通勤バッグを自室に置いてリビングに戻る。姉弟そろっての夕食だ。
「うん、美味しい!」
「良かった、失敗しかけたんだよ。アレンジ大成功」
夕食を頬張りながら、サエは首をかしげた。何があったかをタクミが話した。
今日は本当はポトフの予定だった。が、調理中に手を滑らせて、胡椒をぶちまけてしまった。ぶちまけた先は、鍋の中だった。ここまでは、お市の作戦どおりである。
大量の胡椒を入れてしまった鍋を数秒間見つめていたタクミはスマホを取り出す。こういう失敗例と対策はネット上にいくらでも転がっているのだ。いくつかの対処法と、自宅の冷蔵庫を見てアレンジをした。それだけである。
「これ美味しいし、結果オーライじゃん」
サエは夕食に大満足のようだ。お市の作戦は失敗に終わる。
姉が鈍いなら、弟はトラブル対応が上手い。事態は全く好転していないのではないか、いやまだ最初だ。きっと何かある。うん、何か手段はある。と自分に、言い聞かせるお市だった。
一方で隣のお松は、この事態に微妙な思いを抱いていた。サエは鈍くて人形のもたらす幸不幸に気がつかない。弟のタクミはサラッと切り抜けてしまう。二人は幸福でも、自分のやることが本当にないのではないか。お市とは別の焦りを感じてしまう。
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引っ越しから数日は、サエが仕事に行き、タクミが昼近くに起きて家事をする生活が続いた。
その陰で、人間たちを不幸にしようとする人形と幸福にしようとする人形が暗躍しようとしていた。
つまり、引っ越し翌日と、ほぼ同じことを繰り返していた。お市が生活感のある呪いをかけ、タクミが対応し、サエは気がつかず、お松はやることがない。
人形たちがそれぞれ異なる悩みを抱え始めていた。そんな時、また人間たちに少し変化があったのだ。
「今日から社会人かあ」
「タクちゃんスーツ似合うよ。はいこっち向いて」
四月一日、タクミの入社式の日である。母と祖母から、息子・孫のスーツ姿の写真を求められている。自撮りは苦手だという弟に代わり、姉のサエが撮影係だ。写りのいいやつを家族のメッセージグループに送る約束になっている。
「そろそろ行かないと。入社式遅刻は洒落にならないし。会場ちょっと遠いし」
「そだね。入社式用に場所借りるなんて大きいとこは違うね」
新しいスーツ、ではなく就職活動中から使用しているスーツを着たタクミが家を出る。サエは、タクミとのやりとり以外はいつも通りに、職場へ向かっていった。
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部屋の住人が仕事に出ていった後のリビング。誰もいないはずの場所で、会話をするものたちがいる。
「タクミはプー太郎ではなかったんだな」
「せめて主夫と言いませんこと?」
お市の言い方には棘がある。地味な呪いを何度も無効化されてきた悔しさだろう。お松も言葉が違うだけで、同じような勘違いをしていそうだが。
「今時の人間というのは、なかなか家にいないものなんだな」
タクミが今日から働きに出るらしいということは、人形たちにもわかる。お市としては、うまいこと呪いの対処をしてしまうタクミがいないのは良いこと……なのだろうか。今のところ、目の前にいる相手しか呪えない。やれることが少なくなっただけの可能性もある。
「次に二人そろうのは、週末でしょうかねえ」
「今夜は、サエが夕食を奢るとか言っていたな」
「働きに出たお祝いでしたっけ」
ライバルであるが、長い時をともに過ごしてきた二体である。たまにはこんな雑談もするのだ。常に一緒にいるため、互いに秘密を持つこともない。呪う対象がいなければ、普通に仲がいいのかもしれない。
「週末にも家族と行くんだろう。働くことの何がめでたいのやら」
「あら、家族仲良いのは素敵なことですわ」
サエとタクミの二人暮らしになってから、主人たちの行動に関する情報量が増えた。姉弟の会話があるからだ。サエの一人暮らし時代は、彼女の行動やたまに漏れる独り言から推測するしかなかった。
だから、今夜や週末の予定がわかるのだ。
(しばらくできることがなさそうだ。観察して、時期を伺わないと……)
(なんとかしてお二人の幸せを増やす方向を探さないと……)
人形たちの推測とは違い、週末にそれはやってきたのだ。
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タクミが社会人になって初めての金曜日。サエは一人で夕食をとっていた。お市の策が見事成功したわけではない。タクミが職場の同期たちと飲み会に行ったのだ。サエの夕食は、しっかり作り置きしてある。
「若いってすごいなあ。っていうか大手っていいなあ同期がたくさんいて」
サエは豚の生姜焼きをレンジで温めて、数日ぶりに一人での夕食だ。先日社会人になったばかりの弟は、定時勤務でも疲れたと言っていた。でも、飲み会は別らしい。
弟お手製の豚の生姜焼きを食べていると、スマホに着信があった。おそらく母あたりだろう。明日はタクミの就職祝いでお寿司を食べに行くことになっている。スポンサーは両親と祖父母。サエの時は感染症の自粛モードが抜けきらない時期だったので、今回まとめて奢られることになっている。
「あれ、おばあちゃんからだ」
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土曜日、前日飲み会だったタクミだけでなくサエも昼近くまで寝ていた。平日はちゃんと起きるけれど、休日はゆっくり寝ていたいものだ。ほぼ同じ時間に起きた二人は、一緒に食事をとった。
「タクちゃん、二日酔い大丈夫?」
「……大丈夫」
「声に元気がない」
「二日酔いじゃなくて、眠いだけ。寿司は夜だしそれまでには大丈夫」
タクミはまだ、眠い目をこすりながら、サエに返事をする。
「その前におばあちゃん来るって」
「……なんで来るの?」
昨夜、サエに電話があったのだ。おばあちゃんが、二人の部屋に遊びにきたいと。
「この子たち見たいんだって。なんかお土産もくれるって」
サエの言う、「この子たち」は二体の日本人形のことである。数日前に、タクミが写真を送っている。祖母は人形に興味があるらしい。
「お土産何かなあ。おばあちゃんだし、お菓子とかお饅頭かな」
サエは暢気に、お土産を楽しみにしている。タクミは、あの写真かあ、と眠い頭でぼんやりと考える。そして、お目当てにされた人形は……。
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主人たちの会話を聞いた人形たちは、少なからず驚いていた。
今日、沢田姉弟が家族と食事をするのは知っていた。昨夜、サエが祖母と電話していたのも見ている。その流れなら、食事会に祖母が参加するのはおかしくない。
「どうして二人の祖母とやらが、私たちを見に来るんだ」
「お人形が好きな方なのかもしれませんわ」
今ではケースの中で飾られていたりするが、市松人形は元々着せ替え人形だ。姉弟の祖母世代なら、着せ替え人形として遊んでいるかもしれない。もう少し若いと、髪が伸びるだの不気味だの言われて怖がられるが。
「私たちは髪が伸びたりはしないからな」
「誰に言っているんですの? お市さん」
数日前と逆のやり取りをしている。この二体、実は仲がいいのではないだろうか。
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数時間後、サエとタクミの暮らしている部屋に祖母がやってきた。
「サエちゃん、タクミくん、こんにちは! はい、これお菓子」
「おばあちゃんありがと。このクッキー美味しいんだよね」
「ばあちゃんいらっしゃい」
サエはお菓子を受け取り、タクミは祖母にお茶を出した。あいにく急須がないので、ペットボトルの緑茶であるが。
祖母は七十代くらいだろうか。成人した孫がいるにしては、若々しい。今時のお年寄りは、これくらい普通かもしれない。
「結構広いのね、サエちゃんの一人暮らしのお部屋にも遊びに行ったけど」
「ワンルームと比べないでよ。それより、お土産のクッキー美味しい」
緑茶とクッキーで世代の違う女性二人はおしゃべりを始める。タクミはたまに振られる会話に返事をする。
ここはリビング、人形たちのいる部屋である。目の前の光景を見ながら人形たちは……。
「祖母は私たちを見にきたんじゃないのか」
「目の前にいますのに。おしゃべりが盛り上がってますわ」
呪いの人形とはいえ、女児向け玩具なのだ。そういう方面で注目を浴びるのも悪い気はしない。お市は警戒していたが。自分たちを見にきたはずの人間が目の前で他の話題に興じているのはどうにも不可解だ。まさか、呪いの人形と知っていて様子を窺っているのではあるまいか。
「そういえば、おばあちゃんこの子たち見にきたんじゃないの」
クッキーに満足したサエが人形に話を向ける。祖母は思い出した、といった感じで紙袋を差し出す。
「そう! タクミくんに写真もらってかわいいなと思って」
(ばあちゃんからは、かわいく見えるんだこの人形たち)
タクミは、そう思った。席を外すタイミングも理由もないので、おとなしくお茶とクッキーをいただいていた。
「おばあちゃん的にはかわいいんだ、この子たち」
「かわいいじゃない。だからサエちゃん買ったんでしょ?」
「かわいくて持ってるんじゃないの?引っ越しでも捨てなかったのに」
(おい、どういうつもりだ。確かに扱いは雑だが)
(サエさん? 私たちはかわいい着せ替え人形ですわ)
持ち主のサエの発言に総突っ込みが入る。ラスト二名、いや二体は人には聞こえない声ではあるが。
「酔った勢いで買っただけだからなあ。……それよりおばあちゃん、その紙袋なに?」
サエは、総突っ込みより紙袋の中が気になるらしい。再び思い出した、という顔をした祖母が自慢気に中身を取り出す。
「かわいいお人形さんたちに、新しいお着物を持ってきました! 手作りよ」
取り出されたのは、色とりどりの人形用の着物だった。
「この子たち、着せ替えとかできるの?」
「そうよ、おばあちゃんが小さいころは市松さんが憧れでね。今はお雛様と一緒に飾られてたりするけど」
若いころ洋裁の仕事をしていたというのは、孫たちも知っている。だから作れることには驚かない。趣味の和裁で人形用の着物を作ったことがあったが、肝心の人形がなくてお蔵入りしていたそうだ。
数日前のタクミからの写真を見て、その着物の存在を思い出した。せっかくなら使って欲しい、と。
祖母の熱弁を聞いている孫たち。サエは面倒なことになったなあ、と考えている。
横にいるタクミは、サエと祖母の考えを察して、やはり面倒になったなあ、と考えている。
「サエちゃん、着せ替え方教えてあげるから、お人形さん持ってこっちへいらっしゃい」
祖母の中では、お市とお松の着せ替えを行うことは既定路線らしい。そしてサエにもやらせる気満々である。
「いや、いいよ。こどものころ着せ替え人形持ってたし、教えてもらうことないって」
サエは面倒くさいので断ろうとする。購入してから人形たちにしたことといえば、埃を払うくらいだ。なんとなく買ってなんとなく持っているだけで、そこまでかわいがるつもりはない。まして着せ替えなんて。
「いいえ、お着物ですからね。サエちゃん着付けの仕方わからないでしょう」
うん、わからない。七五三、成人式で着たくらいだ。当然着付けはやってもらっている。右前とか左前とかもよくわかっていない。
結局サエは断りきれず、祖母の市松人形着せ替え講座を受ける羽目になってしまった。
「タクちゃん、どこ行くの」
「人形でも女の子だし、着替えを見るのは悪いかなって」
「そうねえ、タクミくんはちょっと自分のお部屋に行っててもらえるかしら」
弟は上手く逃げた。後でサエが面倒な反応をしそうだが。
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呪いの人形とはいえ、新しい着物を着せてもらうのは、悪い気がしない。
「なかなかいい仕立てじゃないか。サエの祖母とは思えないほど器用だな」
「器用さはタクミさんが似たのかもしれませんね。あら、かわいらしい帯」
結構ノリノリで着せ替えされている二体だった。着物を持ってきた祖母、着せ替えられている人形たちはご機嫌。その中で持ち主のサエだけが浮かぬ顔をしていた。
小さいころ、お人形遊びをしたことはある。着せ替えとかもしていた。雛祭りのお雛様はきれいで嬉しかった。でも、全てこどものころのことである。今更、お人形遊びをする気にはなれない。洋服ならまだしも、着物だし。着せるの面倒くさそうだし。おばあちゃんは教える気満々だけど。
「お人形さんですからね、人間の着物とも少し違うのよ」
人間の着物もよくわからないのに、人形の着物の着せ方を覚えなければならないのか。昔持っていたお人形の服は、確か背中が面ファスナーになっていた。ああいう感じでバリッとできればいいのだけど。
目の前の光景、説明しながら人形を着替えさせている祖母を見る限りそんな簡単でもないらしい。
「人間みたいに動かないし、その分シルエットに気を使ってもいいわね。おままごとしたいなら別だけど、サエちゃんそんな小さくもないでしょう」
人形を着せ替えるほど小さくもありません、といいたいところだが、ずっと年上の祖母が楽しんでいる。人がどんな趣味を持っていようとさして関心のないサエであるが、巻き込むのは勘弁してほしい。友人に勧められたソシャゲもいくつかやったけどすぐに飽きた。
面倒くさくてで頭に内容が入ってこないサエを横目に、祖母の市松人形着せ替え講座は進んでゆく。数十分後、お市とお松は新しい着物を着せてもらってまんざらでもなかった。着付けをした祖母もご機嫌。渋々付き合わされたサエだけが疲れた顔をしている。
「前の着物も良かったけど、これもいいでしょう」
「……そだねー。薄い紫とピンクの着物になったね」
「藤色と桃色とおっしゃいなさいな。せっかくだしお写真撮らせてもらいましょ」
祖母が写真を撮っていると、いつの間にか自室から出てきたタクミがサエにお茶を出している。労わっているのか、それとも逃げてごめんの意味なのか。
「ばあちゃん。父さん、母さんとじいちゃんもそろそろ着くって。寿司屋行く準備しなくちゃ」
「そうね、今日の本命はそっちですもの。お片付けしなくちゃ。夜は美味しいお寿司よ」
そうだ、今日は寿司なのだ。両親と祖父母の奢りで回らない寿司。こうなったら、普段食べられないようなものをたくさん食べてこよう。ウニとか、トロとか、あとなんか美味しそうなやつを。
「二人とも忘れ物はない? ハンカチとティッシュは持った?」
「大丈夫」
「小学生じゃないんだから」
元気な祖母とその孫たちは、寿司を食べに意気揚々と出かけて行ったのだった。
そのころ新しい衣装に着替えた人形たちは……。
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「薄い紫にピンクとは、サエは情緒がないな」
「今時の若い方は、藤色や桃色とは言わないのですね」
「それにしても、たまには新しい着物もいいな」
「サエさんはそういうことに無頓着でしたからねえ」
人形たちは、普通に雑談していた。サエたちは寿司を食べに行ってしまったし、やることもない。そう、人形たちの本分である呪いのことだ。藤色の着物を着せられたお市は持ち主を不幸にする。桃色の着物を着せられたお松は持ち主を幸福にする。
二体とも、雑談の途中で自分たちの役目を思い出したようだ。会話内容が突然変わる。
「……祖母の来訪により、サエがこれまでに見たこともないほど、嫌そうな顔をしていた。だから新居の第一勝負は私の勝ちだ」
「いいえ! お寿司を食べに出かける時のサエさんはとても幸せそうでしたわ」
自分がやることを思い出した人形たちは、なんとか成果を捻り出してみる。しかし、主人であるサエが嫌そうな顔をしていたのも、幸せそうな顔をしていたのも人形たちの能力とは全く関係のないことだ。言うだけ言って、虚しさを覚える。
「……虚しいな」
「……ええ、同感ですわ」
((次こそは、まともな成果を……!))
それぞれ、まだ見ぬ成果を夢見るのだった。二体の夢が叶う日は来るのだろうか。
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「お寿司美味しかったー。ウニもトロも回転寿司とは違うねえ」
「回らない寿司は、だし巻き玉子まで味が違うんだなあ」
回らない寿司を堪能したらしい姉弟は、とても満足した様子だった。
食事を必要としない人形たちにはわからないが、回らない寿司はすごいものらしい。わざわざ回らないとつけるくらいだから、回る寿司もあるんだろう。何がそんなに違うのか。
「お父さん、お会計でフリーズしてたけど大丈夫かな」
「四人で払うんだし大丈夫じゃない?」
「そうだね。あー、美味しかったー幸せー」
回らない寿司というのは高いものらしい。高い分美味いものなのだろう。
タクミが用意した飲み物で二人は一息ついている。今日の人間たちは、食べることばっかりだ。祖母のお人形着せ替え講座を除いては。
ふと、サエの目に人形が映る。
「お市とお松も新しい着物着れてよかったねえ」
美味しいものをたくさん食べて機嫌がいいせいか、昼間の面倒はすっかり忘れているようだ
「人形、名前あったんだ」
「そうだよ。紫のがお市でピンクのがお松」
タクミからすると、サエが人形に名前をつけているのは意外だった。こどもの頃に持っていた人形にはつけていなかったと思う。呼ぶ時は商品名をそのまま呼んでいた。
「なんでお市とお松?」
「市松人形っていう人形だから」
姉のネーミングセンスは、あまり変化していなかった。
姉との二人暮らし、そして社会人生活が始まったばかりだが、しばらくはこんな日々が続くのだろう──。
「それは困る!」
「このままは困りますわ!」
人間には聞こえない声で叫ぶ人形たちがいることなど、沢田姉弟は知らないことだった。




