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第6話 散策(旧熱海)


 俺は落書きまみれの公衆便所の個室で、便座に座りながらうずくまっていた。


「……うへェ……」


 月庵の病室で目覚めたのが朝の十時頃、最下層に落下してあの少年と老人の声に連れ去られたのが十二時頃、あの家に運び込まれたのが夕方以降だから十六時半頃。ついさっき街中の小さな公園で見た時計台は二十一時を指していた。


 もう夏だ。

 季節でいうとまだ六月かそこらだが、汗がじんわりとにじみ、皮膚にはりつくような蒸し暑さに体力が奪われていく。


 ここはネオミナトミライの外にある街だ。

 海が見える。入り江のようになっている海沿いの街といえば、もう熱海にある集落か仙台の集落しか残っていない。地形からして相模湾だろう。おそらく、熱海の温泉街を再構築した街だ。


 てっきり、強固な壁でもなければチルドレンの襲撃を耐えられないと思っていたのだが、街中にチルドレンがいる気配はない。

 代わりに、昆虫のジ――というハムノイズのような鳴き声がやかましい。


 俺はちらりと軟禁されていた家の方角を振り返った。手錠どころかろくな拘束もされてなかったおかげで勝手に外に出てきてしまったが、あれでよかったのだろうか。今ごろあの少年が見張りをすっぽかしたことで、一緒にいたもう一人の男に叱責されていると思うとすこし良心が――


「…………」


 いや、あれはヒト飼いか人身売買の業者の類だろう。スカベンジャーの手口を調べてきたから分かる。あの部屋の中に血痕こそなかったものの、あそこにいたら家畜同然の奴隷にされていたかもしれないし、使えそうな臓器だけぶっこ抜かれて捨てられていたかもしれない。すでに血を抜かれているのだ。その可能性は充分にあった。


 思えば俺は、数日前のレベル5とたたかってから何も口にしていない。月庵の病棟で投与されていた点滴や栄養剤だけで、今やすっかり飢餓状態になっていた。


 俺は――を拭いてから立ち上がると、個室の扉を開け、円環の盟約のリーダーとやらに会うため歩きだした。すでに日は暮れ、周囲に人通りはなく、ポツンと明かりを灯す電灯がひとつ坂道の脇に生えているだけだ。

 坂の下の先で広がっている相模湾は、すでに星の見えない夜空との境界線が分からないほどに暗くなっていた。海面で赤く点滅する光は、海洋型チルドレンの侵攻を防ぐための半永久機雷か何かなのだろう。




        ***




「よいしょっと、それでクロノさん。うちの団長が会いたいって……って、あれ! いない!」


 少年は隣の部屋から戻って来るや否や、持っていた鞭を放り捨てながら、一階へと続く階段を慌ただしく降りていく。


「師匠、すみません! クナイさんに連れていく予定だったひとが逃げました!」

『くそっ、ちゃんと見張っておれといっておいたじゃろ! これじゃ、回収屋の名折れにじゃぞ!』


 地下室があるらしい。そこに繋がる階段から慌てた様子で駆けあがってきたのは、これまた少年と同じのっぺらぼうのような顔をした老人だった。だが、その顔の色は少年と同じ色白のものではなく、どこか日焼けしたときのような真っ黒なものだった。


「くっそー、まずい、まずいぞ。……あいつ、まだ血を入れ替えて時間がないだろう。クナイに頼まれてせっかく運んだのに、ここまで来て事故って死んでおったとか勘弁じゃぞ」

「ですが、もうじき闘技場コロシアムに搬入する時間です。時間に遅れると、それこそ暴動が起きかねないですよ」


 黒い肌のマネキン老人は顎に手を当てて考える素振りをしたあと、頭を横にふった。


「まぁいい。どうせ、この街から出ることはあるまい。……それよりも、まずはコイツを引き渡しにいく。クナイに搬入するための要員をよこせと連絡しておけ。事情を話して、ヤツからも捜索隊を派遣してもらう。報酬を差し引かれるやもしれんが、もらえないよりはマシじゃろう。それに――」


 部屋には巨大な檻が置かれていた。

 大型自動車が丸ごとすっぽり入りそうなその檻には、鉄格子に何かの体表がぎっちりと食い込んでいる。それだけのサイズの檻でありながら、まるで身動きが取れないほど巨大なその生物に、鉄格子はギチギチと悲鳴をあげていた。


「こやつの管理も今日までじゃ。これでようやく、ワシらも回収屋から足を洗える。……さ、本部に行ってきなさい」

「……はい」


 少年は持っていた鞭を放り捨てると、その部屋の照明を消して外に出ようとする。

 瞬間、少年はぶるりと身震いをした。後ろを振りかえってみると、そこには檻の中を埋め尽くすほどの数の紫色の眼球が少年を吟味していたからだ。今にも喰い殺されそうなほどの殺気に、少年はそそくさとその場を後にするのだった。




        ***




 俺は街の中を歩きながら、改めて周囲を見渡してみることにした。


 熱海あたみ

 静岡県の伊豆半島にあり、相模湾に面した温泉街として人気のあったスポットだ。


 だが、当時も海面上昇の煽りを受けてから、海沿いのバイパスや県道がいくつも封鎖されたと聞く。そのせいで使える道路が山側だけに絞られたこともあり、常に渋滞していたという記憶しかない。新たな道路建設の話もあったらしいが、ついぞ行くことがないままコールドスリープしてしまった。


「…………」


 記憶と違うのは、熱海にあんな工業用の煙突は立ってなどいなかったということくらいか。


 街の外れでは風下で濛々(もうもう)と黒煙を吐きだす煙突が何本も直立しており、街全体に響きわたる衝突音は鍛造たんぞう用の巨大なハンマー装置が複数稼働しているようにも思える。まるでNMM都市下層のセクター1のようだが、周囲の空気はあそこほど粉塵にまみれてはいないらしい。それもそうか。あんな密閉された空間ではないのだから、空気くらい簡単に入れ替わる。


 いくつかの建物や電柱が海面から飛び出している。

 海の潮の臭いは三百年経っても同じで、むしろ安心感さえ覚えてしまう。俺は経年劣化でほぼ砂に帰化したアスファルトの残骸に座り込みながら、坂の下で白い泡を立てる波際を眺めていた。


「………………」


 自分だけが年を取らないまま、こうして場違いならぬ時代違いの世界で生きている。時代に取り残されたのではなく、時間だけが無情にも進んでいってしまったような寂寥感に、俺は泣くでもなくぼんやりと暗い海を眺めていた。


 この一年、色々なことが起こりすぎて疲れてしまったのだろう。

 放心した馬鹿面を笑ってくれる仲間も、心配してくれるような同居人もここにはいない。


 空腹を訴える腹の虫がときおり『くぅ』と鳴いているが、近くに飲食店はおろか人の住んでいそうな家もない。ほとんどが倒壊した廃墟そのものだった。


 俺は一度でかいタメ息を吐くと、ふと、意識がその波に吸い込まれていくような感覚に陥った。月の見えない曇り空と、墨汁のような大海原。俺の足元をいったり来たりする白波は、よく見るとこちらにおいでおいでと手をこまねいているようにも見える。

 いつしか、俺はまたあのノイズが聞こえたような気がして――



 そのときだった。



 自分の背後で突然、重く野太いクラクションを鳴らされたのだ。

 ギョッと心臓が跳ねるのと同時に、俺は反射的に近くの電柱の影へと隠れてしまう。さっきまで俺が座っていた坂の後ろにある未舗装道路に、三台の黄色いダンプカーが列を成して走ってきたのだ。


 中央分離帯に植えられたヤシの木を薙ぎ倒しそうなほど巨体なそれは、相当重量のある荷物を積んでいるのか三十キロほどの低速で、砂を踏みにじりながら右から左へと去っていく。ネオミナトミライの方から来たのか、そのダンプカーの側面にはデカデカと『三ツ橋重工』の文字が――


「――――っ」


 ぱらぱらと黒い結晶のようなものが落ちている。

 俺はようやく手がかりらしい手がかりを見つけ、その積載車の後を尾行するため、赤いテールランプの尾に向かって走りはじめた。



        ***



 ネオミナトミライから来たらしい運搬用のダンプカーには、大量の鉱物資源が積載してあった。その重さ故か、遠目からでも凄まじい威圧感を放っている。万が一、タイヤが外れて転がろうものなら、坂下のトタン小屋はすべて下敷きとなって潰されるだろう。それだけのサイズを誇っていた。


 場所は街の外れにある赤レンガの倉庫が立ち並んだ区画だった。

 俺は倉庫手前の産業用道路で、停車した三台のダンプカーの陰に潜みながら、運転手がどこにいるか目を皿のようにして探す。すると、話し声が倉庫脇の方から聞こえてくるのだった。


『また、重原しげはらのライセンス料が上がったってよ』

『……やつら、なに考えてんだろうな』

『オレたちに金が転がり込むのはいいが、それにしても都市の大企業メガコーポどもはやり過ぎだぜ。……とくに三ツ橋重工なんざ、怖くて手が出せネ~~よ』


 ダンプカーの運転手らしき男たちは倉庫の空きを待っているのか、路上で愚痴のようなものを吐いている。気づかれないようさらに近づいていくと、運転手たちは目隠し用のフェンスに寄りかかりながらタバコをふかしているのが見えた。


「ほんと、ほぼ無償でおろしてくれるフリーアイアン様々だぜ。スカベンジャーに金を払う心配もないのがマジででけェ~~」

「……ああ、感謝だな……」


 タバコ休憩をしているのは二人だ。

 残りの一人は見当たらない。そのうち、一人が何やら気になることを駄弁だべりはじめた。


「知ってるか、トーキョーまで直通の地下トンネルのハナシ」

「……地下トンネル……?」

「ほら、隕石が降ってくる前の時代に当時のトーキョーって首都と、大阪城砦武装都市との間にハイパーループっつう真空列車を通す計画があっただろ? 熱海ココも経由してるって話だから、建設途中だった地下トンネルを通ればネオミナトミライまで直で行けるらしい。……な、帰りはそっち使ってみないか」


 一人はおちゃらけた様子で話しているが、もう一人はどうも気が乗らないようだった。


「やだよ。あれ、トンネルを掘って仮設線路を敷設しただけでプロジェクトがおじゃんになったんだろ? トンネルも何箇所か崩落してる。たしか、どっかの建設会社が勝手にした拡張工事とかでサンドワームの癇癪を買っちまったんだろ。青富士の麓あたりで崩落してるし、万が一、チルドレンと遭遇したら逃げられないだろ」

「それもそうか~~、人生ってうまくいかネ~~もんだなー」

「どちらにしろ、このダンプじゃ地下道は通れない。……行けたとしても、最下層でスカベンジャーに通行料をせびられる。給料をこれ以上減らしたくないね」


 フリーアイアン。

 たしか、自由主義に基づいた鉱石の違法取引をしている地下組織だったはず。詳しくは知らないが、最下層を中心に活動しているのだとか。それと彼らの運搬してきた鉱物資源はなんの関係があるのだろうか。


「そういえば、今日はやけに人がいなくネ~か。どこに行ったんだー?」

「あれだよ、あれ。半年に一度の入団テスト」

「あ~ア、バグーラさんが参加者を集めてるやつか。あのひと、今年も参加者が多くてよかったとウキウキだったもんなァ~。……オレもいつか、あの入団テストに合格してみたいもんだゼェ~」

「無理だろ。喰われて死ぬのがオチ――、……ん?」


 直後、彼らの元に自律式の樽型ロボットがやってきては、口頭で倉庫が空いたことを知らせたらしい。喫煙者二人は『あーあ、もっと金がほしーぜ』と吸い殻を投げ捨てながら、大型倉庫の中へと去っていくのだった。


「…………」


 首筋に爆弾が埋め込まれていなかった。

 となれば、彼らは企業の使い捨ての駒ではなく、自ら志願して運転していたということになる。


 俺はアヌビスと名乗ったピンク髪の少女の言葉を思い出していた。


『……熱海って分かる? 温泉街だったところよ。あそこに都市連合が()()()()()()()非正規の集落があるの。そこを管理してる『円環の盟約』って組織のリーダーに会ってもらう。話はそれからよ』


 この集落はなにか、都市にバレてはまずい違法な卸先おろしさきということになるのだろうか。違法であればあるほど、その報酬も比例して増えていく。彼らの言うバグーラという人物も気になる。円環の盟約のリーダーと繋がりがあるのなら、その人物から接触してみても――



「おい!」



 そのとき、後ろから誰かが話しかけてきた。

 俺が振り返ると、そこには三台目のダンプの運転席から降りてきた青年がいた。道路の砂利を踏みしめながら、青年は物陰に潜むこちらを訝しむような表情で見つめたあと、何かに怒りを覚えたような顔をしながら大股で詰め寄ってくる。だが、その手が俺の胸倉を掴もうとした、直後――


「おい、お前、何もの、……だっ――」


 俺はすぐさま青年が伸ばしてきた腕の手首を掴み返すと、ぐいと引き寄せて彼の腹部に膝蹴りを入れる。青年の体が“く”の字に曲がるが、俺は彼の背後に回りながら膝に蹴りを入れてひざまずかせると、右腕を蛇のようにしならせてそいつの首に巻き付ける。

 残念ながら、左腕は肘先からぷらんと袖が垂れているだけだ。だが、切断されて丸くなった箇所を使うことはできる。俺はきちんと右手で左腕の肘をつかむと、そのまま力を込めるのだった。


「バグーラとやらの居場所を教えろ。どこにいる?」

「グェッ。し、しらな――」

「余裕がないんだ。……俺を殺人鬼にさせないでくれ」

「こ、こ、の倉庫、の奥に、い――」

「そうか、近くでよかった」

「ま、まさかオマエ、……き、きぎゅうのしかぐッ――」


 俺はそのまま運転手を締め落とすと、近くの草むらまで引き摺っていき、そのまま地面へと寝かせた。首の骨は折っていない。きっと日頃の疲れも溜まっていたのだろう。ぐっすりと眠りこける青年を横目に、俺は影を伝いながらそのバグーラとやらがいる赤レンガ倉庫の奥へと侵入していく。


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