第5話 目覚め
気を失っている間、瞼の隙間からわずかに射し込む景色と誰かの会話が聞こえてくる。気絶とはいっても意識が朦朧としているせいか、夢と現実の間を行き来しているような感覚だった。
おそらく、何かの寝袋かソリのようなもので引き摺られていたのだろう。定期的に後頭部が上下し、たまにゴリッと頭蓋骨が削れるような音がする。線路のレールにでも乗り上げたのだろうか。痛みはない。ただ、代わりに雲の上にいるようなふわふわとした感覚がしている。
どれくらい運搬されていただろうか。
しばらくすると、ガソリンの臭いが漂う何かに入れられ、ぶぅんとエンジンに火が入った揺れが体に伝わってくる。車のトランクに押し込まれたらしい。地面を車輪で走るタイプらしい。ときおり、運転手と助手席に座っている者たちの話し声が聞こえてくる。
『ゴホッ、ゴホッ……それにしても、くっさいのぅ、こいつ。これじゃ洗っても臭いがとれないじゃろうな』
『水とかかければ……』
『いや、いい。時間がない。前金持ち逃げはヤバイからのぅ。……オェー』
車窓を開けたのか、タイヤが凹凸のある道を踏破する音が聞こえる。砂の音。廃棄された線路の上を走っているのだろうか。明かりは見えない。だが、ときおり、車のヘッドライトが洞窟の壁に反射してかうっすらと見えている。
ブレーキを踏むたび、後ろのテールランプの赤い光も瞼を透かしてちらついている。
車は数時間走ったあと、甲高いブレーキ音を鳴らしながらゆっくりと停車した。車の扉が開き、乱雑にバタンと閉じられる音が響く。トランクが開いたのか、俺はしばらくしてテールランプの充満する外へと担ぎだされた。
階段を上がっているのか、一段上がるたびに首がかくんと上下する。
やがて、俺は肌をじりじりと焼く、ぼんやりと赤い夕日が射し込む街へと運び込まれるのだった。
***
意識が朦朧としている。
自分が見ている景色のはずなのに、どこか水中から水面を見上げているような感じがする。思考が溺れている。痛い、寒い、臭い、苦い。普段なら、その五感と紐づけられた感想が出てくるはずなのに、今だけは放心した状態で目を閉じているだけだった。
体も当然、動かない。
まるで遺体のように、自分の意識さえもが鈍重としている。俺はやがて、眩い光の中で台の上に寝かせられた。声からして一人は老人、もう一人は若い少年らしい。
『月庵に仕込まれた位置情報・送信用のナノマシンを潰さないと』
『簡易EMPか、電気ショックを――』
『……いや、どっちもダメだ。あれは威力が高すぎる。もし、こいつの内臓のひとつでもメカデバイスだったら死ぬぞ』
『なら、下剤と医療用のバイオ・ヒルで体液を抜かないと……』
『ああ、それしかない。高熱と痛みで瀕死になるかもしれんが、ナノマシンを排出するためだ。……点滴と輸血剤を用意しろ』
『はい』
俺の右腕の血管に何かが刺さり、冷たい液体のようなものが入ってくる。異変はすぐに訪れた。皮膚の下が痒い。まるでノミやダニが這いずりまわっているような感覚に、俺は夢と現実の狭間で発狂しそうになった。
その痒みはやがて、沸騰した水銀を体内に注入されているような激痛へと変わっていく。
『……ァ……、……ッ!』
何度、吐いたかわからない。何度、発狂したか分からない。
記憶が定かではないが、譫言のように何かを騒いでいたかもしれないし、殺してくれと懇願していたかもしれない。吐瀉物と糞尿をまき散らしていたかもしれないし、逆に、ただいびきをかいて寝ていただけかもしれない。
拉致監禁。
そんな嫌なワードがうっすらと脳内に浮かび上がるくらいには回復したころ、俺はようやく目を覚ますのだった。
***
最初、目に入ったのはぼんやりとした光だった。
それは白熱電灯とでも呼べばいいのだろうか。一匹の蛾のような羽虫がぱたぱたとその周囲を飛び交っている。あまりの眩しさに、右手を持ち上げてそれを遮ろうとすると、自分の前腕が赤い瘢痕まみれなことに気がついた。
「…………」
何かに吸血されたような痕は、よく見れば全身にあるらしい。なにやら全身がむず痒い。
黄ばんだシーツに埃くさい枕、消毒用アルコールの特有の臭い。それに懐かしさを感じていると、ふいに部屋に入ってくる者がいた。体が重い。顔すら動かせないまま天井を見上げていると、年端もいかないぐらいの少年がこちらを覗き込んでくるのだった。
「ダイジョーブですか?」
少年の顔が天井の照明を遮り、明るさに眼を慣らそうとしていた眼の光彩が再び拡がるのを感じた。目の奥、視神経がじんわりと温かくなる。
少年にそう言われて、俺はべとべととした全身とどうにも気持ち悪さの抜けない気分に吐きそうになっていた。
「……大丈夫、じゃ、……ないかな」
「あははは。でしょうね。輸血剤を入れたとはいえ、800㎖も血を抜いて平気なひとなんていませんよ」
掠れた声でそう言うと、少年はへらへらと笑った。
俺は肉体が徐々に解凍されるように、指先からじんわりと動かせるようになっていくのを感じた。同時に、俺は近くにいた少年の顔を見て、度肝を抜かれそうになった。
少年には口以外の眼、鼻といった部位がなかった。
いや、正確にはその部位にそれらしき窪みと凹凸はある。だが、まるでマネキンのような真っ白い肌とその造形は、とても人間のものとは思えなかったからだ。
「その、顔、どうしたんだ」
掠れた声でそう言うと、少年は合点がいったように手をポンとうった。
「ああ、その、小さいころにオペラキャットの群れに襲われたとき、そいつの爪で顔の皮をはがされちゃって、今じゃ仮の人工皮膚で補ってるんですよ。……すみません、こんな醜形を晒してしまって。驚いたでしょう?」
「……そうか……」
のっぺらぼうの少年は作業着を纏っていた。
服には大量の電磁石らしきプレートと、そこに電気を流すためのケーブル入りのゴムホースが纏ってある。あれは本来であれば水を撒く用のやつか。だとしても、なぜそんな使い方を……。
「あーあ、あのネオミナトミライでオプション盛り盛りの義体化手術でも受けられれば、僕だってこんなセンサー便りの生活からは抜け出せるんだけどなー」
「……見えてないのか? 俺の顔も?」
「はい、残念ながら。……ただ、すこし前に蝙蝠の超音波みたいな擬似器官を移植したので、白黒のぼやぼやが見えるっちゃ見えますよ。でも、脳の視覚野を酷使するせいで頭痛は酷いわ、熱は出るわで、やっぱり安物って感じですけどねー」
少年は近くのスタンドにかけられた点滴のパックを取り換えると、近くにあった箪笥の引き出しから着替えを出していく。どうやらここは物置のような部屋らしい。
「祖父のものなのでサイズが合わないかもしれないですが、一応、替えをここに置いておきますね」
「…………」
必死に吐き気を抑えていると、俺はそこで全裸でベッドに横たわっていることに気がついた。体はまだ動かない。だが、ようやく腕が上がるようになってきた。脚にも感覚が戻ってくる。
「動けるようになったら言ってください。僕は隣の部屋ですることがあるので、――では」
少年はそう言うと、パチンと照明を消して隣の部屋とを仕切るカーテンを潜るのだった。部屋の中の窓すべてに雨戸が閉められているせいか、室温は高く湿度もかなりあるらしい。じめじめと汗が肌に張りついていて気持ち悪い。
しばらくは状況が分かるまで、ここで落ち着いていた方がいい。
そう思っていたときだった。
『こら、暴れるなってッ!!』
隣の部屋から突如、何かの呻き声とガシャン――という破砕音が響き渡ったのだ。次いで、何かを鞭で叩くような音がする。少年は檻の中に閉じ込められた何かを執拗なまでに叩いているらしい。俺は戦慄していた。
俺はすぐさま近くのカーキ色のズボンとパーカーを着ると、泥で汚れたサンダルに足を入れて立ち上がった。ゆっくりと足音を消しながら、床に散乱している小物の中で使えそうなものを探していく。
ビニール袋、ネジ、廃棄されたタイヤ、洗ってない服、大きな輪として丸めたアルミ線。幸いにも、隣の少年がいる部屋から漏れる光で視界はうっすらと確保されている。少年もまだ、こちらに気づいてはいないらしい。
俺はその中のひとつ、金属製のスプーンに目をつけると、その柄の先端を使って金属プレートを固定するネジを外していく。掃除はおろか、整備もロクにされていないらしく、本来固定されていた四つのうち一つはすでに床に落ちていた。プレートを外すと、窓の鍵を外して雨戸をゆっくりと上げていく。
すこしカラカラと音が鳴ったが、少年はまだ奥の部屋で何か作業をしているらしい。気づかれることなく雨戸を上げ切ると、俺は隣家とを区切るブロック塀に跳び移り、足音を消しながら電灯の明かりの滲む夜の街へと走りだした。




