第19話 怪物、再来――
とくに目立った負傷者や重傷者、死人が出ることなくグループのほとんどが無事に夜営地点に集まり、空が暗くなり始めた頃だった。雨雲の間から漏れていた陽光もなくなり、遠くの山脈を夕日が煌々と照らしている。
そのときだった。
「た、……たす、け……て……」
血反吐を吐きながら、ふらふらとした足取りの覚束ないようすで集合場所である広場に入ってくる者がいた。その正体を捉えた瞬間、俺たちは戦慄した。
(……アルト……)
衝撃緩和用ジャケットは見るも無残に破け、インナータイプの強化服も何かの爪痕によって肉ごと傷跡が刻み込まれていた。歩くたびに肋骨もちらちらと剥きだしており、既に彼女の右腕はない。彼女の口が死にかけの金魚のようにぱくぱくと開閉する。
――――ドォォンッ。
直後、廃墟群にある一棟のビルの上階が吹き飛び、そこから“黒いシルエット”が跳躍した。上階フロアが爆風で窓ガラスが四方に飛散し、凄まじい衝撃音とともに廃墟ビルが倒壊していく。ソレは小雨降る暗雲の中、アルト・サインめがけて着地するのだった。
衝撃で地面は揺れ、大量の砂埃が舞い上がった。爆風は周囲に広がり、耳をつんざく轟音が響き渡る。小雨が降りしきる中、俺たちは呆気にとられていた。三、四メートルほどの巨大な物体は、獰猛な熊のような唸り声を上げながら、やがて真っ赤な眼光をあたりにまき散らしはじめる。
ソレはやがて自身の足元でぴゅうと噴水のように出る青い液体を踏みしめながら、煙の中でゆらりと立ち上がる。俺はアルトが死んだことを察知した瞬間、とてつもない悪寒に襲われた。
「…………ッ」
アルトたちは確かに精鋭だった。レベル1程度であれば難なく討伐しきり、レベル2が数体いたとて装備と情報がキチンとあれば充分に倒せるだけの力は持っていた。それが、それだけの実力者が一瞬で死んだ。
視界に映るすべての文字が異常表示されていき、情報端末からはノイズが走りはじめる。やがて正確に相手の情報を読み取ることを諦めたようにして、そのシルエットの頭上にタグ付けがされる。
【 Rate Level.5 】
【 Name [Vanara MULE] 】
自分の喉元から零れた声は、雨音で掻き消されそうなほど掠れたものだった。
「……レベル5……」
***
レベル5の全容は、間近で見れば見るほど異形としか言いようのないものだった。まるでニンゲンの毛髪のような黒い体毛に、耳元まで裂けた血まみれの口元、両方の前腕に明らかに不釣り合いな刃が三枚重なっている。
忘れるはずがない。あの紅の鬣、四つの深紅の眼光、鎧のように覆われた漆黒の外皮、そしてその熊のようなシルエット。レベル5は広場に一定数の傭兵がいることを確認すると、体内で籠った熱を排出するように白い煙を漏らすと、肩を縮こませるようにして息を吸い始め――
(なんだ、息を――)
その瞬間、仮想訓練でのサンドワームの咆哮が脳裏をよぎった。直撃はマズい。そう直感した俺は庇うようにしてステラを抱き寄せると、偶然、隣にいた蔵馬の名を――
「蔵馬ッッ、――――防御だッッ!!」
『――――――ッ‼ 』
直後、衝撃波としか思えないほどの咆哮が広場に轟いた。
近くにあったタイルが全損するほどの地割れが発生し、天変地異を思わせるほどの咆哮は、蔵馬が瞬時に地面に杭を打ちつけて固定した大楯に直撃した。無色透明な不可視の衝撃。耳を塞いでいるにも関わらず、かすかに聞こえてきた悲鳴は、物陰に隠れることができなかった傭兵たちが吹き飛ばされた際の断末魔なのだろう。
俺はその事実から必死に目を背けるようにして、瞼で眼球を守り続けた。
意識が遠のく。
耳鳴りは酷くなっていく。
だが、時間を数えるのも億劫になるほどの咆哮も終わりを迎え、レベル5は満足げにその巨体を揺らしながら小さく、獣のような唸り声を上げた。
あのときのサンドワームの教訓のおかげもあってか、眼球も潰れていないし、鼓膜も破れていない。耳鳴りも突発的に訪れるあのノイズに比べたらマシだ。脳みそが揺れているような感覚もじきに元に戻るだろう。
(……味方は、……思っていたよりも生き残ってる。……これなら……)
八割方ふきとばされて死んだかと思っていたが、半分以上が障害物の裏に隠れるなり、装甲板を立てて衝撃に備えるなりして無事らしい。予想よりもかなり多い数が生き残っている。これならばと思い、すぐにレベル5に視線を向ける。
――カクン。
瞬間、後ろから誰かに膝をどつかれたようにしてカクンと足から力が抜けた。尻餅をつきながらも、何の悪ふざけだと眉を顰めて振り返る。――が、後ろには誰もいない。それもそのはず、俺の近くには大楯を地面に突き立てる蔵馬とステラがいるだけなのだ。俺はそこでようやく、足がガクガクと震えていることに気がついた。
(……なんで、……こんな……)
武者震いでもなんでもない。ただ、恐怖で震えているだけだ。その事実を受け止めきれずに、俺はしばらくの間、言うことを聞かない自分の足を見下ろしていた。
『B、Dパーティーは、そのまま後方で援護‼ ここで防衛陣形を組んで、即座に目標を討伐するぞ‼ 』
パニック状態に陥りそうになった他の者たちも、三ツ橋重工の男によって放たれた指示によって、すぐに体勢を立て直し始める。吹き飛ばされた者たちも、義体者だったのか次々に起き上がり、前線へと駆けていく。
腐っても傭兵なのだ、程度の差こそあれど修羅場を潜り抜けてきた経験は誰しもが持っている。
(だけど、俺は――)
瞬間、後方から爆竹よりも凶暴な発砲音が鳴り響き、凄まじい量の銃弾が飛んだ。即座に外殻を固めて防御体勢に入るレベル5を、一斉に放たれる銃弾がヤツの動きを封じていく。当然だ。そのすべてがコンクリート壁を貫通するほどの威力を持っているのだから。
だが、同時にヤツの爪が収縮していき、青みを帯びた光が徐々に勢いを増していくのにその場の全員が気がついた。爪がスクリューのようにして回転していき、一定の回転数を以て火花を散らしはじめる。巻き込まれた銃弾がスライスされ、金属の粉塵へと変わっていく。
『どいてろ、オレが撃つ!!』
そのとき、俺たちの背後でレベル5討伐に自信があると豪語していた者が、対物ライフルを瓦礫と化した広場の中央モニュメントに固定すると、強化服の出力を上げながらトリガーを引いた。対物ライフルの銃口からX状に凄まじい量のマズルフラッシュが二連続で咲き、ニ発もの銃弾が怪物へと飛んでいく。
だが、レベル5はさらに外皮装甲を使って身を縮こませると、銃弾を滑らせるように弾いていき、二つの白い点は震えるようにして彼方へと飛んでいく。二つの白点は遠くの山脈の断崖絶壁へと到達すると、やがて崖ごと消滅させる勢いで着弾するのだった。
数瞬の間をおいて、ようやく衝撃音が戻ってくる。
『一発、十数万もする弾が……』
『GRL仕様じゃないからだ! だが効いてないわけじゃない! 三ツ橋重工の簡易戦略兵器が正面を足止めする。オレたちは側面からヤツを叩くぞ――ッ‼ 』
何を言っているんだと呆然としていると、後方から黒い球体でしかなかった三ツ橋重工の箕弐ヒドラが勢いよく転がっていき、レベル5の前で三叉の龍のように展開したのだ。
ヒドラは自身を神話に登場する生物だと言わんばかりに吠えると、そのままレベル5の顔面に向けて中央の首で頭突きをし、ゼロ距離で咥内からエネルギー質量弾を発射した。瞬間、ヤツの顔面に直撃したそれは、凄まじい爆炎と衝撃波をまき散らす。だが――
――――――!!
レベル5は同じ背丈ほどの箕弐ヒドラに対し、回転させていたスクリューの右腕を引き絞ると、躊躇なくそれを振りかぶった。甲高い音とともに、金属に無理やり穴を開けようとするような火花が散る。一方、箕弐ヒドラも負けじと他の二頭の口を開けてゼロ距離で砲撃をしていく。
あまりにも次元の違う戦い。
だが、勝敗はあまりにも呆気なく訪れた。
箕弐ヒドラの開いていた口に、レベル5が死角で回転させていた左腕のスクリューを捻じ込むと、そのまま文字通り首を捻じ切ったのだ。喉元の液体弾薬の暴発を起点に、見るも無残な鉄屑へと変わっていく。
あまりにも一瞬の攻防、見ていた者すべてに戦慄が走る。
そして、その余波は箕弐ヒドラを破損させただけでなく、爆炎と熱風はこちらまで余すことなく到達し、蔵馬の大楯の裏にいるというのに露出した右腕と顔の皮膚がわずかに焼けた。眼球が蒸発しそうなほどの熱と火花に揉まれながらも、俺は何とかヤツの居場所を把握しようとする。だが――
「と、跳んだ――」
誰が言ったのかは知らない。
だが、その言葉の通り、レベル5は爆炎から逃れるようにして高く垂直方向に跳ぶと、滞空時間を利用して広場にいる傭兵たちを一瞥していく。
(……なんだ、アイツ、飛び退く前に目を閉じて――)
そのとき、左右で二つずつ並列していたヤツの瞼が瞬膜もろともギョロリと開き、その奥のヤツの真っ赤な双眸が俺の意識とぶつかった気がした。ヤツの口元が酷く歪み、俺の体はさらに震えていく。ヤツの狙いは――
「逃げるぞ! あいつの狙いはオレたちだッ!!」
蔵馬の叫び声で、俺はヤツの落下地点がここであることに気がついた。だが、慌てて飛び退こうにも体は金縛りにあったようにして動くことができない。俺はヤツの姿を直視した瞬間から、一切の挙動をすることが出来なくなっていた。
(――あいつだ)
一年前、俺の左腕を切り飛ばしただけでなく、かつてのパーティーを壊滅させ、俺の仲間達を皆殺しにした正真正銘の化け物。
(あいつには、誰も勝てない――)
神々しさすら感じさせるヤツの存在が、俺の精神を急速に蝕んでいき、かつて刻まれた恐怖と絶望は凄まじい勢いで精神さえもを吹き飛ばしていく。四肢の感覚が遠のき、視界がぐにゃりと歪む。呼吸は乱れ、心拍数がいつまでも上がっていき、銃を握る手がカタカタと震え始める。
『オーナーッ‼ 』
ステラが傍らで俺を呼ぶ声がする。
だが、その泣きそうな声も既に、意識が底のない水の中に沈んでいく俺には届いていなかった。
歪む視界の中、今でも覚えているのはたったこれだけ。
圧倒的な暴力の前では、武力もまた塵芥に等しいのだと。
***
「オーナ――ッ‼ 」
ステラは叫んだ。明らかに今のオーナーの意識は混濁しており、それはバイタルの変調による『警告バナー』が視界に現れたことからも明らかだった。ステラは思わず、ギリッ――、と音がするほどまで人工歯を食いしばりながら納刀し、何とか彼の体をひっぱろうとする。
(――逃げ切れない)
オーナーの体は重く、それに対してレベル5の落下速度の方が圧倒的に速い。その事実に、ステラは思わず自らの大破を覚悟してしまう。だが――
「せああぁぁああ!!」
その瞬間、蔵馬がこちらに落下してくるレベル5に向けて、優に百三十キロは超えているであろう大楯をぶん投げたのだ。無茶苦茶な使い方をしたせいで強化服が破損し、利き手である右腕を痛めたのか苦悶の表情を浮かべている。
だが、結果的に大楯は空中で身動きのとれなかったレベル5の腹部に直撃し、ヤツは鞭か何かで叩き落とされたようにして墜落していく。広場の離れた雑木林へと落下したレベル5は、凄まじい砂煙と衝撃音、義足がビリビリと痺れるほどの地響きを発生させた。
「いまだ、救難信号をッ――‼ 」
「もうやってる! だが、反応がないんだ‼ 」
そもそも視界に入っているレベル5の反応が、いまだにレーダーに映っていない。視界に映る敵が、地形把握機器に投影されていない。それはすなわち――
「電波障害……?」
「まさか、チルドレンがそんなものを……」
苦し紛れに吐かれた誰かの言葉が、いましがた始まった惨状の発端を表していた。
漂白地帯などの地形が特定の電波を妨害するのは、いまや常識として誰しもが知っている。だが、それを単独で引き起こせるチルドレンなど聞いたことがない。
そのとき、ふと三ツ橋重工の役員の男がぼそぼそと小声で喋っていることに気がついた。
持っているのは小型の録音機だろうか。なにを喋っているかまでは分からないが、ステラは脳核に標準搭載されていた読唇術ソフトを起動し、脳内であの男の話している内容を聞き取りはじめた。
『――レベル5相当の……濃度だ。ヤツは、……を使って、……気づくのに遅れた。おそらく、我々は、生き残れない。この録音機は、三ツ橋重工の、ビーコン、……装備されている。ジャミング、晴れたら、見つけられるはず。ヤツは、餌に食い付いた』
役員が何を言っているのかまるで分からなかったが、それでも三ツ橋の男がまるで死を受け入れているかのような冷静さに、ステラは思わず戦慄した。
『わたしの脳核は後で、……回収して……ればいい。こちらは全滅……ろうが、レベル5が確認できただけでも……としよう。本社にバックアップ……ある。レベル5は存在……する。おそらく、ここにいる誰か……の接続者……、感応波で……おびき寄せ……』
雑木林から再度、レベル5が激昂したような咆哮が広場に轟く。のそりと姿を現したレベル5にエイドフェイカーの成体が薙ぎ倒され、見せしめとばかりにへし折れた幹が踏み潰される。レベル5は次に三ツ橋重工の役員に狙いをつけたのか、再度、跳躍して男の前に着地する。
ふき荒れる暴風、抉れる地面のタイル。涎を垂らしながら目の前に迫るレベル5に対して、それでも三ツ橋重工の役員の男はその場から動くことはなかった。
『アルト・サイン率いるチームは全滅。レベル5はここで……、……別動隊は【深部】にある……施設に突入しろ。ヤツは、こちらで引き付け……』
「おい、アンタ、はやく逃げろ!!」
「アイツの護衛はどこに行ったんだ!!」
まわりの傭兵が注意を呼び掛けているにも関わらず、三ツ橋重工の男は逃げる素振りもせずに目の前に肉薄するレベル5をじっと見ている。ヤツが腕を振りかぶっている。三ツ橋重工の男はまるで他人事とばかりに、その様子を眺めているだけだった。
あれだけ偉そうに立っていた護衛はどこにいったんだ。
ステラがそう思うも、護衛二人はいつのまにか姿を消しており、周囲を見渡してみてもまるで見つけることができない。
直後、寸分違わぬ精密さで三ツ橋の男の頭部がふきとばされ、レベル5が振り抜いた箇所から噴水のように大量の青い血がまき散らされる。背後にあった帰投用のトラックをも巻き込んでの攻撃は、荷台を紙のようにぺちゃんこに潰し、直後、エンジンから発火した炎は二台とも呑み込むようにして爆発した。
(あのひとたち、最初から死ぬのも見据えた上で、ここに――)
レベル5は粘液質な笑みを浮かべ、自らの存在を誇示するようにして左腕のドリルを高く振りかざす。ヤツは次に大楯を投げてきた青年に目をつけたらしい。狙いを定めるようにして、突進の予備動作へと入る。
直後、大楯をもう一度構え直した青年に対し、レベル5が地面を抉りながら飛び出した。
瞬時に距離を詰めたレベル5は、自身の勢いをすべて乗せるようにして青年の大楯にドリルを突き出す。
――――――ッ!!
瞬間、大気が裂けたと錯覚するほどの衝撃波。たったそれだけで、遥か後方にいたわたしたちの体さえもが吹き飛ばされる。結果、終焉の訪れすらも予感させるその攻撃は、地面に巨大なクレーターを軽々と穿ち、その青年を軽々とふきとばした。
「まずい、蔵馬の生命維持活動が停止した。――B班、D班はヤツの注意を引いて蔵馬から引き剥がせ‼ その後、C班がアルトの救出と蘇生、F、H班はB、D班の援護に回れ‼ 」
「「「了解――――ッッ!!!!」」」
それでも、精鋭の高ランクの傭兵たちは淡々と自分にできることをこなしていく。前衛はすぐさま新たな戦線の構築にとりかかり、後衛はその射撃援護と簡易的な救命処置を行う。
「くそっ! アイツのせいで救難信号が送れねえ。このままだと、俺たちが全滅するのも時間の問題だぞ‼ 」
誰かが悲痛な声を上げるも、それで状況が一変するほど対峙している相手は簡単ではない。ジャミングの影響でありとあらゆる武器・兵器がうまく作動せず、さらには相手はレベル5というチルドレンの個体の中では最強クラスの化け物。
ランクAが十数名いて、ようやく対等に渡り合えるかもしれない。そんな領域の怪物なのだから。
――咆哮。
聴覚保護機能を貫通するほどの衝撃波に思わず身動きの一切が封じられ、さらには縮こまってしまう。ただ、吠えるだけ。それだけで、周囲の空間が爆発するほどの衝撃波が発生する。雨が降っているにも関わらず、周囲の傾いていたビルは倒壊し、地響きを鳴らしながら瓦礫の山へと変わっていく。
誰も生き残ることのできない、虐殺が始まる惨劇の開幕。
そこには当然、彼も含まれているのだろう。
「オーナー……」
ステラの傍には彼がいた。
わたしと同じく先の咆哮によって紙切れのごとく吹き飛ばされて、いまは濁流が渦巻く運河が見える谷際にいた。
彼は動くことができないらしい。
ならば、いっそ――
そう思った、瞬間、わたしはオーナーの背中に手をかけ……
***
重力がなくなった不思議な感覚の中、ふと後ろを振り向くと、なぜかステラが俺を突き飛ばしたような姿勢のまま、固まっているのが見えた。
いつもの俺ならば、その光景からすぐに何が起きたのかを、理解できていたのかもしれない。
「――――ッ!」
声にならない叫びを上げながらも、重力の枷によって俺の視線は下へと向けられる。
そこには、全てを飲み込まんとする欲望に満ちているような、黒く塗りたくられた濁流の川が流れていた。思考が爆発的に駆け巡るのに対して、周りの世界は遅く流れていく。
(あのときも、俺は、こうして……)
そのとき、ステラと俺の最期の視線が交錯する。
どこか悲しむような目を向けてくるステラは、まるでそれが最期の言葉であるかのようにして、唇を動かして呟いた。
『ごめんね』
その言葉は……かつて俺から、希望を捨てさせた言葉だった。
世界に絶望し、世界から色が消えるかつての感覚が、呼び戻される。
記憶の中でかつて肩を並べた彼女もまた、魂が体から離れる前にその言葉を呟いていたのだった。
その言葉を聞いた瞬間、体からのしかかる重力が消え、気付けば宙へと舞っているのだった。
『死』が最も身近に迫る感覚と同時に、意識がどこまでも時間を引き延ばしていく。
やがて鼓膜を突き破るほどの重低音を響かせる濁流が、凄まじい速度で目の前へと迫っていた。すべてを呑み込む茶色く濁ったソレは、俺をも例外なく捕食して――
――衝撃。
直後、俺の体は底なしの川へと、音を立てながら呑まれていった。




