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「バルドル神教の教えでは、魔獣は殲滅対象だもの。わたしが罪に問われる事はないはずよ」

「よっ、よさないかルミナ! 兄上、ルミナには僕が後でちゃんと言って聞かせます。だから、どうか──」

「言いたい事はそれだけか」


 思ったよりも事態は切迫していた。

 一刻も早く仲介なり阻止するなりしないと、流血沙汰は避けられない。


(でっ、でも。どうやって止めたらいいの?)


 目の前に飛び出す? いやダメだ。間違ってでも斬られたら死ぬ。じゃあ腕にしがみついて──いや無理だ。力で勝てないのはすでに実証済みである。

 睨み合う三人の近くに駆け付けてはみたものの、クラリスはジェイクの背後で固まってしまっていた。


《ああもう、じれったいわね! そういう時は、こうすんのよ!!》

「えっ? ──きゃっ!」


 天井近くまでぱたぱたと飛び、勢いよく急降下してきたルッカにドゴッ、と背中に体当たりされ、クラリスは前のめりによろけた。

 黒い壁に額をしこたま打ち、くらりとして倒れかけ──思わずガバッと壁に抱きつく。


「た、助かった……」

「……クラリス?」


 少し戸惑ったようなジェイクの声が、想像よりもやけに近くで聞こえる。

 目をまばたかせ、そろりと顔を上げると、振り向いたジェイクが目を真ん丸くし、自分にしがみつくクラリスを凝視していた。

 宝石みたいな瞳に長いまつ毛。改めて間近で見ると、目も鼻も口も全部、クラリスの好きな形をしている。

 つまりは好みの顔立ちだった。

 肩越しにチラッと見えたミカエルの顔も見ものだったが、今はそれどころではない。


「ど、どうしたんだい? き、きき、君のほうから、そんな大胆な……!」

「ジェ、ジェイク様。ご、ごめんなさい、あの、その」


 一秒遅れでぽっと顔を赤らめるジェイクを見て、クラリスの頰にも一気に熱が集まる。ひたすらふたりで見つめ合い、もじもじしていると、頭を三連続で突つかれた。


「いっ、痛っ!!!」

「! そんなに頭が痛いのか? た、大変だ。すぐに部屋に連れて行って休ませないと」


 ジェイクは剣を魔法で消すと、慌ててクラリスを横抱きにした。

 朦朧とする意識の中、《あとは上手くやりなさいよ》とにんまりするひよこモドキが見えた気がするが、とりあえず記憶から割愛しておく。


「部屋に、って……兄上、貴方はクラリスとどういう関係なんだ」

「ひとの婚約者を気安く呼ぶな。不愉快だ」

「こ、婚約者?」

「そうだ。僕とクラリスは生涯を共にしていくと神に誓った」


 婚約というか、まるでもう婚姻を済ませたかのような口ぶりだ。

 魔法でふわりと宙に浮かされ、左手を取ったジェイクに唇を落とされると──クラリスの血圧が急上昇し、のぼせたように頭がくらくらした。

 これなら、鳥肌のほうがいくらかマシである。


「だからもうお前の出る幕はない。さっさと王城に帰り、グリームの後始末でもつけてこい」

「グリーム? 後始末って、一体何の話を」

「やはり知らなかったのか。お前の直属の部下であるグリーム・サイレスは昼間、国境前の広場で流血騒ぎを起こした。そろそろ王城に苦情が殺到してる頃だろう。──被害者はクラリスの父上だ」


 青褪めるミカエルを見るのは、今日、これで何度目だろう?

 言葉を失くし、潤んだ青い瞳でクラリスを見る。十年前、求婚してきた王子様の顔と重なり、クラリスは胸を突かれた。


(一度くらい、ちゃんと話してみれば良かった)


 けれどそう思えるのはきっと、ジェイクと向き合ってみようと決めた、今の自分だからなのだろう。


「ルミナ・セントローズ。お前にはこの際はっきり言っておくが、この森にいる魔獣はただのペットじゃない。サーヴェとの対戦中に住処を戦火に追われて迷い込み、棲みついた者たちだ。それを我が国で保護し、管理するという協定をサーヴェの皇帝と交わしている」

「……協定?」

「そうだ。ここまで言えば、頭の弱そうなお前でも分かるだろう。魔獣の殺戮がサーヴェ側に知れれば、間違いなく戦争が勃発する」

「僕ら王族しか周知してない協定だ。──ルミナは知らなかったんだよ。頼む、許してやってくれ。兄上」

「どうかな? それを決めるのは僕じゃない」


 ジェイクが口端を上げた瞬間、応接間に光が満ちる。

 すると──眼をぎらつかせながら唸り声を上げていた魔獣たちが、一匹残らず消え失せた。

 最後まで笑みを絶やさなかった、桃色頭のルミナと一緒に。


「ル、ルミナ? あっ、兄上! まさかルミナを」

「魔獣たちに謝罪する機会を与えてやった。──親が集まってる巣に招待したから、生きて帰れるかは分からんが」


 冷ややかに告げるジェイクに、ミカエルがわなわなと拳を震わせる。


「何て事を……! 兄上、僕は貴方を絶対に許さない」

「好きにしろ。お前も、もう二度とここには来るな」


 その言葉通り、ジェイクを睨み付けるミカエルは一瞬で消え、だだっ広い応接間は静寂を取り戻した。

 フェンがしっぽを振りながら「お帰りなさい」と言い、双子の侍女が蝋燭立をシャンパンタワーのように積み上げて運ぶ横を、手を振りながら通り抜け、廊下へと出て行く。

 愛おしげに自分を見つめる、ジェイクとふたりきりで。


 いや──正確には、ふたりと一羽か。


「君は寝台でゆっくり休んでいるといい。……ああ、頭痛薬は錠剤より粉薬が好きだったよね?」

「はい」


 だからどうしてそんな事まで、と一々つっこむのももはや面倒くさい。素直に頷き、ぱたぱたとドアを出て行くジェイクを見送る。

 脱いだドレスをクロゼットに仕舞っていると、キラキラとありがたくもない聖霊が舞い降りて来た。


「あとは任せる、とか言ってませんでしたか? ルッカ様」


 手のひらの上で毛繕いならぬ羽根繕いをし始めた、ひよこそっくりの聖霊を半眼で見ながら言う。正直、神々しさの欠片も感じられない。


《仕方ないでしょ。ジェイクがアタシにこれっぽっちも気付かなかったんだもの》

「ルッカ様の姿って、他の人にも見えるんですか?」


 唯一の聖霊っぽさが崩れ落ちていく。クラリスがあからさまにがっかりすると、ルッカが手のひらにザクッとくちばしを突き刺した。


「痛っ! い、一々突っつかないでください!」

《おだまり。いい? アタシの姿は、アンタとジェイクにだけ見えるのよ。──ただし、心にちゃんと『愛』があればね》

「あっ、愛? 愛って、あの愛のこと?」

《……他になんの愛があるのよ。アンタって女は本当に、歳のわりにガキっぽいことばかり言うのね》


 はあああ、と黄色い毛玉が深いため息を吐く。正直、酷い屈辱である。このまま握りつぶしてやろうかと肩をぷるぷる震わせ──ハタと気付く。

 あまり嬉しくはないが、クラリスにはこのルッカの姿がはっきりと見えている。姿が見える=愛がある、と言うことは……。


「まっ、まさか。わたくしがジェイク様を……! あ、あい、愛しているということ?」

《ぶっぶー、残念ながらそれは不正解。アンタのそっち方向の愛は今、ほぼ皆無だもの。あるのは家族愛だけよ》

「家族愛? で、でも。それならジェイク様にだってあるはずでしょう」


 母親である王妃殿下は七年前に亡くなったものの、父親の国王陛下は健在だし、弟妹だってミカエルを含み五人もいる。

 末っ子の姫を連れて一緒に中庭を散策しているのを時折見かけた。後妻である現在の王妃殿下とも、仲が悪いなどという話は聞いた事がない。王城での式典が行われた際には、ジェイクがにこやかに王妃殿下をエスコートする姿に、取り巻きの貴婦人方がため息を漏らしていたものだ。


《他人から見た仲睦まじさなんて、アテにできるもんですか。アンタとミカエルだって、国民の皆にはきっと、仲のいい婚約者同士に見えてたはずよ》

「そ、それは……」


 否定出来ない。ぐっと詰まったクラリスの頭の上に、ルッカがぽすんと舞い降りる。


《空っぽの心に愛は育たない。こりゃ、ちょいと荒療治が必要ね》


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