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オル・トア ―短編集―  作者: 流留架
千夜の一葉
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EP-02.芽吹きを待つ

 樹里の保管庫には、様々な植物が蓄えられている。


 加工のために乾燥させた草や蔓。

 薬になる樹皮や樹液。

 冬越えのための食料など。


 この付近に自生する種類だけでなく、麓の森や、もっと高地に育つものまで。

 何年もかけて皆で集めた種や木の実の中には、まだどんな植物なのか分からないものもある。

 季節ごとに少しずつ植えて、土地に馴染むものを探しながら、共に時を過ごす。

 野兎(ヤト)族はそうやって、自分たちの暮らす土地を育てていくのだ。



 保管庫の中から、目当ての植物を探す。

 まずは、身体を冷やさないように温めること。

 それから、栄養をしっかり摂ることだ。


 生姜と、リッカの樹液。

 高山人参は希少だが、今の彼には必要だ。

 それから……ヨモの薬湯に手や足を浸すのも良い。


 あと、彼に頼まれた穀物を持って行こう。


 手に持った籠に必要なものを集めていると、ふと、セッカ草が目に入った。

 冬の早朝に青い花を咲かせる野草……

 彼の言っていたアスミナとは、セッカ草のことだと思う。


 皮膚の症状ではないような気はするが、それは推測でしかない。


 効かなかったと言っていたが、何か別の方法を試せるかもしれない。

 乾燥させたセッカ草を一束手に取り、籠に入れる。


 血の巡りが悪くなっているのだとするなら、それは何が原因なのだろう。


 血の通り道が狭くなっている、血を送り出す心臓が弱くなっている……

 彼の症状がここ最近のものではないなら、冷えだけが原因とは思えない。

 冬に症状が悪化するのなら、冷えによって身体の活動自体が弱くなっているとも考えられる。



 ……まだ、なんとも言えない。

 分からないことが多すぎる。


 寒い時期に元気な植物は、寒さに強い。

 そういう植物は、冬越えを助けてくれるものが多い。

 冷えを抑えたり、栄養価が高かったり、霜焼けの薬になったりもする。


 セッカ草の下の段を覗き込む。


 葉や茎に対して、根が大きく成長するシモガクレだ。

 セッカ草が咲く頃、シモガクレの葉は萎れていく。

 だが、根は土の中でしっかりと踏ん張り、栄養を蓄える。

 そのまま土の中で静かに眠り、翌年にはその根から、新たな芽を出す。


 ヤトにとって、シモガクレは冬の栄養補給に良い食料だ。

 薬効というほどのものではないが、元気になる。


 獣人と人では身体が違うとはいえ、セッカ草の使い方が近いのなら、似ている部分もあるのだ。

 もしかしたら、何かの役に立つかもしれない。



「リュイ、人の様子はどうですか? 何か手伝いは必要ですか?」


 振り返ると、保管庫の入口からリノが入ってきた。

 こつこつと杖をつき、乾いた木の軽やかな音を鳴らす。


「目を覚ましてからは、落ち着いていました。食料が心もとないそうなので、穀物を分けようと思います」

「うむ、滋養に良い物も持って行ってあげるといい。冬は体力を使いますから」

「……よろしいのですか?」

「ミィミやウーリも、お前も。その人のことを心配している。良い人なのでしょう? 他の者の手前、樹里に迎え入れることはできないが……できることはしてあげなさい」


 リノは籠に目を向け、中にある物を確かめた。


「セッカ草ですか……けがをしているのですか?」

「いえ……実は――」



 リノは、こちらの話を静かに聞き、考えるように目を閉じた。

 彼は、この樹里で一番の年長者だ。

 誰よりも深い植物の知識を持ち、その扱い方にも詳しい。


「……皮膚か、血か……もしくは、その両方か。その症状が出ているのは、手だけですか?」

「色が変わっていたのは手だけでしたが、動かしにくさは足にもあるようです」

「身体の末端に出ている……血の巡りが悪くなることで、皮膚にも異常が出ているのかもしれませんね」

「別々の症状ではなく、繋がっている……」

「身体というのは、そういうものです。木も草も、そうでしょう? 根の異常が葉に現れる、葉の異常は幹の内部に原因を持つこともある……」

「リノ様ならば、まずはどうしますか……?」


 リノは膝を曲げて、シモガクレをひとつ手に取り、籠に入れた。


「うむ……シモガクレはとても良い方向だと思います。まずは身体を回復させて、それでも改善しないものに目を向けるのが近道ではないでしょうか」

「……ありがとうございます!」


 小さく頷いて、リノは外へと出て行った。



 籠に布を被せ、保管庫から出る。

 部屋に戻り、大急ぎで出掛ける準備を始める。



 体内は巡っている。

 その通りだ。

 木を調べるときは、いつもそうしているのに……

 人の身体は、植物よりももっと複雑に巡っている。


 彼の体内の魔素には、異常を感じなかった。

 それなら、身体の方に何かがあるはずだ。


 何はともあれ、まずは体力を戻すところからだ。





 崖沿いの洞窟に向かう。

 心なしか、足の運びが速くなっている。

 早く彼に伝えて、意見を聞きたい。


 クヌイの木の裏手に繋がる細道を抜けて、崖側の高台に出る。

 昨日とは打って変わって、澄んだ水色の空が崖の向こうまで広がる。

 吹き抜ける風は冷たいが、陽射しがあるだけで随分温かく感じる。



 彼が寝泊まりしている洞窟の入口から中を覗き込む。

 焚火は消されている。

 まだ、彼の匂いはしっかりと残っている。

 ほんの今まで、ここに居たはずだ。


 荷物はそのままだ。

 帰ったわけではないのだろう。

 体調が落ち着いたとはいえ、昨日の夕方に倒れたばかりだ。

 まだ休んでいた方が良いに決まっているのに……



 辺りを見回す。


 匂いを追って進むと、滝の前に膝をついている彼の背中が見えた。

 イグナー山脈から繋がるこの滝の水は、雪の影響で刺すほどに冷たい。

 指先が冷えているときに、悪化してしまったら大変だ。


 彼に近づくにつれて、血の匂いが漂ってくる。


 ――けがをしたのか……!?


「大丈夫か?!」


 屈んでいる彼の肩に手を掛けると、ビクッとして振り返る。


「あっ……驚かせてすまない」


 慌てて手を引っ込め、半歩後ずさる。


「君には会う度に心配されている気がするな。様子を見に来てくれたのか? 君たちのおかげで、もういつも通り動けるよ。本当にありがとう」

「いや、別に……じゃあこの血の匂いは……」


 彼の膝元に目をやると、ホオの葉の上に、捌かれたばかりの見事な山鳥が2羽も置かれている。


「何日か前に仕掛けておいた罠を見てきたんだ。2羽もかかっているとは思わなかったが……」


 ここまで大きな鳥は、我々ではなかなか狩ることができない。

 肉を日常的に食べることはないが、たまに手に入るとみんな大騒ぎだ。

 ヤトにとっては、年に数回食べられるかどうかのご馳走だ。


「すごいな……罠でこんなに大きな鳥が狩れるのか……」

「君たちは、肉を食べるかい? ひとりでは食べきれないから、良かったら貰ってくれるとありがたいんだが……」

「いいのか!? みんなとても喜ぶと思う」

「そうか! じゃあ、これで朝食にしよう。一緒にどうだい? 余った分は持って帰ってくれ」

「食料があまりないと言っていたから、穀物を持ってきた。それから、滋養にいい高山人参やきのこもあるが……」

「高山人参!? そんな貴重なものを……それなら、温かい雑炊でも作ろうか。山鳥ときのこの出汁を取れば、きっと美味い」


 ゾウスイとは……どんな食べ物だろうか。

 よく分からないが、山鳥ときのこの出汁というだけで、とんでもなく美味しいことは想像できる。


「雑炊がわからないか? じゃあ、試しに味をみてくれ。美味しかったら、仲間たちにも作ってあげると良い」


 よっぽど呆けた顔をしていたのか、彼は半分笑いながら立ち上がった。

 改めて隣に並ぶと、やはり人は大きい。


 だが、それが気にならないくらいには、彼に心を許している。


「ありがとう……とても……楽しみだ」


 彼はとてもゆっくりと、長い足に見合わない狭い歩幅で歩き始めた――。





「……美味しい」


 鳥の風味が口いっぱいに広がる。

 淡い琥珀色のスープは、美しく澄んでいる。

 練り上げる粥と違って、スープに具材として穀物が入っている。


「さらさらしていて食べやすいだろう? 君たちなら、あっさりした方が食べやすいんじゃないかと思ったんだ」

「……肉は美味しいと思うんだが、脂が強くてたくさんは食べられない。体質に合わないのだと思う。でも、これなら身体も重くならないし、皆で取り分けて食べられる」

「……君たちは……獣人……だよな? あまり詳しくないんだが……」

「そうだ。野兎に起源をもつ獣人で、ヤト族という」

「野兎か。兎は草食だもんな」


 彼はあっという間に食べ終えて、余った鳥肉をホオの葉で包み始めた。

 半分ほどを料理で使い、残っている1羽と半分を全てくれるつもりらしい。


「あなたの分も残しておいた方がいい。まだこの山にいるのだろう? この寒さなら、しばらくは傷まずに保存できる」

「大丈夫だ。罠を仕掛けてあるから、また手に入る。君たちの暮らす場所に、仲間はどのくらいいるんだ? これでも足りないかもしれない」

「樹里にいるのは、30人ほどだが……」

「大鍋で作れば……ぎりぎり足りるか?」

「充分だ……問題は、このゾウスイを僕が上手く作れるかどうかだ……」


 彼は顎の下に手をやって、ひとしきり考える。


「……君たちの暮らしている場所の近くに、焚火ができる場所はあるかい? 私は大鍋を持っていないから、貸してくれれば私が作れる。大鍋を持って帰れば、そのまま食べられるだろう?」

「……そんなことまで……」


 言葉が詰まる。


 彼は、樹里に足を踏み入れるのは良くないと思っている。

 申し訳ないが、きっと怖がる者の方が多いだろう。


 それを分かった上で、提案してくれている。


「私はね、とても嬉しかったんだ。あの寒さの中、もし一人きりだったら……命を落としていただろう。実際、そうなってもいいと、どこかで思っていたのかもしれない。君たちが人にあまり近付かないのは、きっと今までに色々あったからだと思う。それなのに、君たちは私を救ってくれて、今も気にかけてくれている。何かを返したいと思うのは当然だ」


 人と獣人は、相容れない部分が多い。

 自然と共に生きる獣人と、自然を気に留めない人との間には、埋められない溝がある。


 価値観の違いだ。

 土地を離れられない獣人たちは、自分たちの土地を守るために、人と衝突することもある。


 ヤトがこんな山奥に暮らすようになったのは、ずっと昔に人に追われたからだそうだ。

 争いを好まないヤトは、人から離れて暮らすことを選んだ。

 相容れないなら、関わらないようにする。

 それが、お互いにとって一番良い解決方法だと、先人たちは思ったのだろう。


 だが、それは自分たちでもなければ、この人でもない。


「僕たちは、人に何かされたわけではない。進んで近付こうとは思わないけれど、恨みもない。だが、命を落としてもいいとは聞き捨てならない。そんなつもりで山に来たのか? 治療法を探しに来たのだろう?」

「もちろん、最初はそのつもりだった。でも、ずっとひとりで、誰もいない山の中にいると……心は弱っていくものなんだな。珍しい薬草に喜びながら、ふとしたときに、ああ、もういいか……と思ってしまうこともあった。だが、昨日君と話をして、違う見方もあるのかもしれないと思った。目の前が明るくなった気がしたよ」

「そんなに、身体が辛いのか?」

「……今までに数人、同じ症状の人を診たことがあるが……」


 彼はそれ以上続けなかった。

 沈黙が、言葉よりも強く、胸の内を伝えてくる。


「聞いてくれ。僕は君に伝えたいことがあって、ここに来たのだった」



 保管庫でリノと話した内容を話し始めると、彼は真剣な表情で耳を傾ける。

 持って来た薬草を見せると、目を輝かせた。


「アスミナ……と、ヨモか。これは初めて見る。根に栄養を蓄えるなら……黄養(こうよう)に近い種だろうか」

「アスミナというのは、やはりセッカ草のことか。セッカ草は、我らも皮膚の薬として使う。ヨモは、薬湯にして手や足を浸すと、身体が温まる。シモガクレの根は、栄養価が高い。高山人参は病気の回復に使うが、シモガクレは身体を強くするために使う。なんというか、身体を活性化するというか……病気にならない身体を作るというか……」

「活性化……」


 興味津々にシモガクレを手に取り、匂いを嗅ぐ。


「僕は、人も植物も……似ている部分があると思う。人も植物も、体内は常に巡っていて、それが滞りなく流れているほど活き活きと丈夫に育つ。シモガクレは、体内の巡りを強くするのだと思う」

「分かるよ。人も、そういう状態の方が病にかかっても回復が早い」

「シモガクレは、身体の冷えを抑える。冷えや寒さから悪化する不調には、強いのではないかと思うんだ」

「実際、暑い土地の植物は身体を冷やし、寒い土地の植物は身体を温める作用を持つものが多い……」

「ああ。同じことが、季節にも言える」


 彼は深く頷き、調合用の道具を引き寄せる。


「ちなみに、君たちはこれをどうやって使うんだい?」

「我らは濃く煮出して飲むんだが……お世辞にも飲みやすいとは言えない……」

「ははっ、そうだろうな。私が知っているものに、これと似ている黄養という薬草があるんだ。それは粉にして丸薬にしたり、生のまま絞って薬油と混ぜ、塗り薬にする」


 粉に……

 そこまで細かくする方法が思いつかない。

 彼の道具があれば、それが可能だということだ。


「このシモガクレ……貰ってもいいのだろうか」

「もちろんだ」


 彼はシモガクレを柄の長い棒のようなもので掴み、焚火で表面を炙った。

 細いひげがチリチリと焦げる。

 表面を軽くこすると、薄い皮がぽろぽろと剥がれていく。


「乾燥具合は申し分ないな。良い丸薬になる」


 乾燥したシモガクレは、切れ目を入れると簡単に裂けた。

 白い器に入れ、先端に丸みが付けられた棒で、軽く叩いてはすり潰す。


 何度も何度も、丁寧に。

 一定のリズムを崩さず、彼は右手を動かし続ける。


 根気のいる作業だ。


 この作業が楽しくて仕方ないのだろう。

 彼の口角はずっと上がっている。



 手を止めて、ふっと息をついた。

 器の中を覗き込むと、光沢のあるきめ細かな粉になっている。


 まるで、芋の絞り汁から作る芋粉のようだ。


「すごいな……すり潰すだけで、粉になった……」

「時間はかかるけどな」


 彼はそこに、琥珀色の蜂蜜を垂らし、練り上げた。

 小さく丸められた丸薬は、薬とは思えないほど美しい。


「……よし。これなら、多少苦くても飲み込めるだろう?」


 彼は仕上がった丸薬を、眩しそうに見つめる。

 穏やかで、幸福そうな表情だった。


 調合が、心底好きなのだ。



 作業を終えると、丸めていた背中をぐっと伸ばし、姿勢を崩した。

 右手を軽く振りながら、僅かに顔を歪める。


「痛むのか?」

「いや……ちょっと痺れただけだ。こんなに短時間なのにな……」

「短時間? かなりの時間作業していたぞ?」

「こんなのは作業した内にも入らないよ。下手をしたら、一日中やり続けることもあるんだから」

「一日中……? 肩も凝るだろう?」

「肩凝りなんて、もう忘れたかもしれないな」


 笑っているが、それすらも繋がっている気がした。


 彼の皮膚の変色は、右手に集中しているように見える。

 血の巡り、冷え――その上、長時間の作業で右手を酷使している。


 色々なことが重なって、今の症状になっているのかもしれない。



「やっぱり楽しいな。調合は」


 ぽつりとこぼれた言葉が、妙な余韻を残す。


 何気ないそのひと言が、胸を刺した。

 彼の言葉には、憂いを感じた。

 まるで……もうできなくなることを見越しているような――。


 なぜだか分からない。

 諦めて受け入れているような彼の表情が、腹立たしかった。



「……せっかく作ったのだから、今日からこの薬を飲んでみるか。何か変化があったら知らせるからな」

「いい。見に来る」


 低く響く鋭い声に、自分でも驚く。


「毎日、見に来る。ちゃんと薬を飲んで、ちゃんと食べて、ちゃんと休んでいるか。あなたはすぐに無理をして、すぐに諦めてしまいそうだ。まだ何も分かっていないのに。これからできることが、たくさんあるかもしれないのに」


 彼は驚いている。


 誰かに、感情をぶつけたのは初めてかもしれない。

 怒りというものも、今までほとんど感じたことがなかったと思う。


 彼にはそう思って欲しくないという、自分のわがままだ。

 それを、子供のように自分勝手にぶつけているだけだ。



「……ありがとう」


 ため息とは違う。

 静かに深い呼吸をして、彼は優しい目でこちらを見ていた。


 彼の目を見ることができなかった。

 自分にも呆れている。


 恥ずかしさと腹立たしさが、自分の中でごちゃごちゃになって溢れ返る。



「ずっと聞きそびれていたんだが……」


 彼は言葉を切って、じっとこちらを見る。


「なんだ?」


 彼は気まずそうな笑みを浮かべて、照れくさそうに言った。


「私は、ムランという。君の名前を、聞いても良いだろうか?」


 ――!


 そういえば、そうだ。

 名乗ってもいなかったし、聞いてもいなかった。


 おかしなことではない。

 彼を知って11日目、話すようになったのは昨日だ。

 まだそれだけの時間しか、経っていないのだ。


「リュイ……」


 自分の名前を言うのが、なぜだか恥ずかしい。


「リュイか。これからしばらく、私の見張りをよろしく頼むよ」



 ごちゃごちゃの心が、すっと軽くなる。


 “これから”という言葉がこれほど重く、こんなにも安心することが。

 今までにあっただろうか――。



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