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遠回りしたぶん、幸せになれる  作者: あーちゃん


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最終話 遠回りしたぶん、幸せになれる

第29話では、悠斗がこれまで出会った人たちへ「ありがとう」を伝えました。


父、美月、恒一、山口さん、佐原、西野、村瀬、そして弥助。


ずっと一人だと思っていた遠回りの道には、たくさんの灯りがありました。


いよいよ最終話です。


悠斗は、自分の遠回りを物語に変え、最後の宿題へ向き合います。

朝倉悠斗は、白いページを前にしていた。


 机の上には、いつものものが並んでいる。


 白い花。

 歩の駒。

 黒いペン。

 宿題ノート。

 小説ノート。

 そして、福神弥助から渡された最後の紙切れ。


『最終話。遠回りしたぶん、幸せになれる。』


 その言葉を見た瞬間、胸の奥が静かに震えた。


 このタイトルを、最初に思いついた時の自分は、まだその意味を知らなかった。


 遠回りしたぶん、幸せになれる。


 それは、ただの願いだった。


 遠回りしてしまった人生にも、いつか報われる日があってほしい。

 遅れてしまった自分にも、幸せになる理由があってほしい。

 負けたまま終わるのではなく、何か優しい答えに辿り着きたい。


 そんな、祈りのようなタイトルだった。


 けれど今、悠斗は少しだけ違う場所に立っている。


 遠回りしただけで、自動的に幸せになれるわけではない。


 迷っただけでは、苦しんだだけでは、泣いただけでは、人生は変わらない。


 でも。


 遠回りした道で出会った人を大事にできたなら。

 負けた話を隠さず、誰かと分け合えたなら。

 置いてきた夢を拾いに戻れたなら。

 ありがとうを受け取り、ありがとうを返せたなら。

 その遠回りは、ただの失敗ではなくなる。


 悠斗は、ペンを握った。


 小説ノートの最終ページに、ゆっくり書き始める。


『男は、ようやく気づいた。

 遠回りした道は、ひとりで迷った道ではなく、たくさんの人に出会うための道だった。』


 書いた瞬間、胸の奥から何かが込み上げてきた。


 第1話の自分。


 人生に置いていかれたと思っていた自分。


 雨のバス停で、濡れた靴を見つめていた自分。


 他人の成功を祝えず、父の背中を見ることもできず、美月への後悔から逃げ、夢を諦めた駅に近づけなかった自分。


 あの自分は、弱かった。


 情けなかった。


 でも、終わってはいなかった。


 終わっていなかったから、ここまで来られた。


 悠斗は書き続けた。


『男は、負けた話をした。

 すると、勝っているように見えた友人も、負けた話を持っていた。

 強いと思っていた父にも、諦めた夢があった。

 厳しい上司にも、戻れなかった後悔があった。

 幸せそうに見える人ほど、見えない場所で泣いていた。』


 恒一の顔が浮かぶ。


 陽菜の誕生日会。

 絵本を読む自分の隣で、子供たちが息をひそめて聞いていた時間。


 父の顔が浮かぶ。


 少し苦いコーヒーを淹れながら、「まだ安定しない」と不満そうに言っていた姿。


 美月の言葉が浮かぶ。


『悠斗がちゃんと自分の人生に戻っていく姿を見られて、私も嬉しいです。』


 佐原の声が浮かぶ。


『泣いても、明日来ていいですか。』


 山口さんの声が浮かぶ。


『いってらっしゃい、朝倉さん。』


 西野の言葉が浮かぶ。


『持っていきたい重さでした。』


 村瀬の低い声が浮かぶ。


『逃げ場所ではなく、戻れる場所を作れ。』


 そして、弥助の声。


『遠回りした道で拾ったもんを大事にできるなら、人は幸せに近づける。』


 悠斗は、書きながら泣いていた。


 でも、その涙を止めようとは思わなかった。


 泣ける場所を作れ。


 そう言われた自分が、今は自分の机を泣ける場所にしている。


 涙が落ちても、ページは終わらない。


 泣いても、次の一文を書けばいい。


『男は、自分を許す日を決めた。

 許すとは、過去を消すことではなかった。

 もう一度歩いていいと、自分に言うことだった。

 男は、夢を語るのが怖かった。

 けれど怖いのは、その夢がまだ生きている証拠だった。

 男は、人に読まれる怖さを知った。

 そして、人に見つけてもらえる喜びも知った。』


 ページが少しずつ埋まっていく。


 最終話。


 でも、人生の最終話ではない。


 これは、ひとつの遠回りに区切りをつけるための文章だ。


 悠斗は、夜明け近くまで書き続けた。


 書いて、消して、また書いた。


 うまいかどうかはわからない。


 けれど、逃げてはいなかった。


 自分の言葉で、最後まで取りに行こうとしていた。


 そして、最後の一文を書いた。


『遠回りしたぶん、男は幸せになったのではない。

 遠回りした道で拾ったものを、幸せと呼べるようになったのだ。』


 ペンを置いた時、外は少し明るくなっていた。


 カーテンの隙間から、朝の光が入ってくる。


 白い花が、静かに揺れていた。


 悠斗は、小説ノートを閉じた。


 終わった。


 いや、始まった。


 その両方だった。


 その日の朝、悠斗はいつものようにコンビニへ行った。


 山口さんがいた。


「おはようございます、朝倉さん」


「おはようございます、山口さん」


 悠斗は、お茶とパンを買った。


 会計のあと、山口さんが聞いた。


「今日は、すごくすっきりした顔ですね」


 悠斗は少し笑った。


「最終話を書きました」


「小説の?」


「はい」


 山口さんの顔が明るくなった。


「おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「最後まで書けたんですね」


「はい。まだ誰かに見せるには直すところだらけですけど、最後まで書けました」


 山口さんは、レシートを差し出しながら言った。


「それは、すごく大きいですね」


 悠斗は頷いた。


 本当に大きかった。


 賞を取ったわけではない。


 出版が決まったわけでもない。


 でも、最後まで書けた。


 自分との小さな約束を、最後まで守れた。


「いってらっしゃい、朝倉さん」


「いってきます」


 その挨拶も、今日で終わりではない。


 明日も、明後日も、続いていく。


 それが嬉しかった。


 会社に着くと、佐原が机に向かっていた。


「おはようございます、朝倉さん」


「おはよう」


 佐原の机には、今日もメモが貼ってある。


『すぐ謝る前に、まず確認する。』

『五分だけ復習する。』


 その横に、新しいメモが増えていた。


『泣いても終わりじゃない。』


 悠斗はそれを見て、胸が熱くなった。


「いいメモだね」


 佐原は照れたように笑った。


「朝倉さんに言ってもらった言葉です」


「俺も誰かに言ってほしかった言葉だよ」


「じゃあ、僕がいつか誰かに言います」


 佐原のその言葉に、悠斗は静かに笑った。


 言葉は、渡っていく。


 自分がもらった言葉を、誰かに渡す。


 それが、遠回りの意味なのかもしれない。


 昼休み、悠斗は恒一にメッセージを送った。


『最終話、書けた』


 すぐに返信が来た。


『すげえじゃん。読ませろ』


『直してから』


『途中でもいいって何回言わせるんだよ』


 悠斗は笑った。


 そのあと、父にも送った。


『小説、最後まで書けた』


 返事は少し遅れて来た。


『よくやった。今度読ませろ。コーヒーを淹れる。』


 悠斗は、その文を何度も読んだ。


 よくやった。


 父から、そう言われた。


 短い言葉。


 不器用な言葉。


 でも、長い遠回りを越えて届いた言葉だった。


 美月にも送った。


『最終話まで書けました。読んでくれて、背中を押してくれてありがとう。』


 美月からは、昼過ぎに返信が来た。


『おめでとう。最後まで書けた悠斗を、私はとても嬉しく思います。どうかこれからも、自分の言葉を大事にしてね。』


 悠斗は、公園のベンチでその文章を読み、静かに目を閉じた。


 大事な人たちは、それぞれの場所で生きている。


 父はコーヒーを淹れている。


 美月は花を飾っている。


 恒一は父親として迷いながら笑っている。


 山口さんはレジで誰かに「いってらっしゃい」と言っている。


 西野は新しい部署で迷いながら道を作っている。


 佐原は五分だけ復習している。


 村瀬は厳しい顔で誰かを見守っている。


 それぞれが、それぞれの遠回りを歩いている。


 夕方、仕事が終わると、村瀬が声をかけた。


「朝倉」


「はい」


「最近、顔が変わったな」


「またですか」


「悪い意味じゃない」


 村瀬は少しだけ口元を緩めた。


「佐原の教育、引き続き頼む」


「はい」


「それと」


「はい」


「小説、書けたらしいな」


 悠斗は驚いた。


「佐原から聞きました?」


「聞いた」


「すみません」


「謝るな」


 村瀬はいつものように言った。


「最後までやったなら、それは仕事でも夢でも、簡単なことじゃない」


 悠斗は胸が熱くなった。


「ありがとうございます」


「続けろ」


 その言葉は、父の言葉とも重なった。


 続けろ。


 小説も、人生も、終わりではない。


 会社を出た悠斗は、いつものバス停へ向かった。


 夕暮れの商店街。


 看板に灯りがつき始め、風が少し冷たい。


 バス停のベンチには、福神弥助が座っていた。


 今日は、たい焼きも、肉まんも、どら焼きも持っていなかった。


 ただ、いつもの古びた上着を着て、ぼんやり空を見上げていた。


「弥助さん」


「来たな」


「最終話、書けました」


 弥助は、ゆっくり悠斗を見た。


「そうか」


「はい」


「どんな最後にした?」


 悠斗は少し考え、言った。


「遠回りしたぶん、幸せになったんじゃなくて、遠回りした道で拾ったものを幸せと呼べるようになった、って」


 弥助は、しばらく黙っていた。


 そして、深く頷いた。


「ええ最終話や」


 その一言で、悠斗は胸がいっぱいになった。


「弥助さん」


「うん」


「本当に、ありがとうございました」


「昨日も聞いたで」


「何回でも言います」


「ほな、何回でも聞いたる」


 悠斗は笑った。


 でも、すぐにその笑いは少し揺れた。


「弥助さん、これで宿題は終わりですか」


「終わりや」


「もう、会えないんですか」


 弥助は答えなかった。


 商店街の灯りが、二人の足元を淡く照らしていた。


 しばらくして、弥助は言った。


「兄ちゃん、もう宿題なしでも歩けるやろ」


「まだ迷います」


「迷ってええ」


「また落ち込むと思います」


「落ち込んでええ」


「また自分を責めるかもしれません」


「その時は、花の水を替えろ。名前を呼べ。一文書け。誰かに頼れ。ありがとうを言え」


 悠斗は黙って聞いた。


 全部、これまでの宿題だった。


 全部、今の悠斗の中に残っている。


「弥助さんは、本当に福の神なんですか」


 悠斗はずっと聞きたかったことを聞いた。


 弥助はにやりと笑った。


「どうやと思う?」


「わかりません」


「それでええ」


「答えてくれないんですか」


「大事なのは、わしが何者かやない。兄ちゃんが何を拾ったかや」


 弥助は立ち上がった。


「福の神ってな、幸せを持ってくる存在やと思われがちやけど、ほんまは違う」


「違うんですか?」


「幸せに気づく目を、ちょっと貸すだけや」


 悠斗は、その言葉を胸に深く受け取った。


 幸せに気づく目。


 弥助は、幸せを与えたのではない。


 悠斗が自分の道に落ちていたものを見つけられるように、何度も宿題を出したのだ。


「兄ちゃんはもう、自分の目で見られる」


 弥助は言った。


「遠回りした景色も、手の中の幸せも、誰かの涙も、自分の夢も」


 悠斗の目が熱くなった。


「また会えますか」


「バス停に来たら、たまにはおるかもしれん」


「本当ですか」


「おらんかもしれん」


「どっちですか」


「人生はそのくらいでええ」


 弥助は笑った。


 そして、ポケットから最後の紙切れを取り出した。


「これは宿題やない」


 悠斗は受け取った。


 そこには、こう書かれていた。


『幸せは、探しに行くものでもあり、気づくものでもある。

 遠回りした道を、誰かの灯りに変えろ。』


 悠斗は、紙を握りしめた。


「はい」


 顔を上げると、弥助は商店街の奥へ歩き出していた。


 いつもと同じ背中。


 でも今日は、どこか遠く見えた。


「弥助さん!」


 悠斗が呼ぶと、弥助は振り返らずに片手を上げた。


「ちゃんと幸せになれよ、兄ちゃん!」


 その声だけが、夕暮れの道に残った。


 悠斗は、しばらくその場を動けなかった。


 涙が出た。


 でも、泣いても終わりではない。


 泣いたあとも、明日は来る。


 泣いたあとも、書けばいい。


 泣いたあとも、歩けばいい。


 家に帰ると、悠斗は机に向かった。


 花の水を替える。


 歩の駒を、そっと一番前へ進める。


 ノートを開く。


 そして、最終話を書き終えた日の記録を書いた。


『最終話を書いた。

 弥助さんから最後の紙をもらった。

 宿題は終わった。

 でも、人生は続く。

 遠回りは終わりではなく、誰かに渡せる景色になった。』


 続けて書く。


『僕は、まだ完璧ではない。

 まだ迷う。

 まだ比べる。

 まだ怖い。

 でも、もう何も持っていない人間ではない。

 僕には、名前を呼べる人がいる。

 ありがとうを伝えたい人がいる。

 泣いても戻れる場所がある。

 毎日一文を書く机がある。

 そして、遠回りした景色がある。』


 悠斗はペンを止めた。


 窓の外は夜だった。


 街の灯りが、静かに揺れている。


 小説ノートを開く。


 最後のページには、すでに最終話が書かれている。


 悠斗はその下に、もう一文だけ書き足した。


『遠回りしたぶん、幸せになれる。

 それは、遠回りした人間だけが、道端の小さな灯りに気づけるようになるからだ。』


 ペンを置く。


 悠斗は、深く息を吐いた。


 終わった。


 けれど、明日の朝も花の水を替えるだろう。


 コンビニで山口さんに挨拶するだろう。


 会社で佐原の机を見るだろう。


 父のコーヒーを飲みに行くだろう。


 恒一と陽菜にまた物語を読むだろう。


 美月の幸せを祈るだろう。


 村瀬に怒られながら仕事をするだろう。


 そして、夜には一文を書くのだろう。


 人生は続いていく。


 劇的ではない。


 完璧でもない。


 でも、もう置いていかれてはいない。


 悠斗は、自分の人生の中に戻ってきた。


 翌朝。


 目覚ましが鳴る五分前に、悠斗は目を覚ました。


 カーテンを開ける。


 朝の光が部屋に入る。


 白い花が、静かに揺れる。


 悠斗は水を替え、ノートを開いた。


 今日の一文。


『今日も、遠回りの続きを歩く。』


 それだけ書いて、悠斗は家を出た。


 コンビニに寄る。


 山口さんがレジにいる。


「おはようございます、朝倉さん」


「おはようございます、山口さん」


 会計を終える。


 レシートを受け取る。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


 その言葉を背中に受けて、悠斗は朝の街へ歩き出した。


 空は青かった。


 電車は混んでいるだろう。


 仕事は忙しいだろう。


 また迷う日も、落ち込む日も、泣きたくなる日もあるだろう。


 それでも、悠斗は歩く。


 一歩ずつ。


 遠回りした道の続きを。


 その先にある幸せを、今度はちゃんと見つけながら。

最終話を読んでくださり、ありがとうございます。


『遠回りしたぶん、幸せになれる』は、これで完結です。


悠斗は、劇的に成功したわけではありません。

すべての問題が消えたわけでもありません。


けれど、父と話し、美月に感謝を伝え、恒一と負けた話をし、山口さんの名前を呼び、佐原の涙に寄り添い、弥助の宿題を一つずつ受け取りながら、自分の人生へ戻ってきました。


遠回りしたぶん、幸せになれる。


それは、遠回りした人だけが、道端の小さな灯りに気づけるようになるからなのかもしれません。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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