40.招待状
バルトロジカ王国魔王城通信部国外通信課所属の通信員、バルデス・レトは今朝がたルサリカ関の職員から届けられた一通の手紙を手に、憂鬱な気分で魔王陛下の執務室の前まで来ていた。
ここ暫くはめっきりなかったお役目を胸に、深呼吸をする。気を抜くとふらつきそうになる足を叱咤し、扉を叩いた。
「入れ」という短い返答に、もしかしたら不在かもという希望を打ち砕かれ、思わず眉間に皺が寄ってしまう。返答があった以上あまり長い事ここで立ち尽くし入らないのも変に思われると、バルデスはぐっと気合を入れてドアノブを捻った。
「どうした」
扉を開けると、執務室の奥の机で魔王は何かの書類に目を通している最中で、書類から目を離すことなく短く要件を聞いてきた。それにバルデスはかちこちに固まってしまった声で、極めて短く要件を告げる。
「フィロジーア王国より、魔王陛下へ手紙が」
挨拶も何もかも吹っ飛ばしてしまった事に気付いたのは魔王がバルデスから手紙を受け取ってからで、バルデスは背中を流れる冷や汗を止めることができなかった。
そのまま死刑を告げられるのを待つかのように直立不動で固まっていたが、特にその態度を気に留めることもなく魔王は封を開け、手紙に目をやる。
実際のところ、バルデスはこの手紙を魔王に届けるだけが役目なのでもう下がってもいいはずなのだが、魔王本人より下がるように言われていないので(それから緊張で下がっていい事に気付けなかったので)そのまま立っていると、不意に顔を上げた魔王と目が合ってしまう。
その金の目に射抜かれたバルデスは何を言われるのかとどぎまぎしていたが、魔王が告げたのは死刑でもなんでもなく、ちょっとしたお使いだった。
「すまない、ヘイゼルと、それからリリシアを呼んでくれないか?」
「はい!!!!」
極めて穏やかに言われたはずなのに大げさなまでに緊張した大声で返事をしたバルデスは、魔王がその態度に目を丸くするのを見る事なく、勢いよく反転して大股で執務室を出ていくのだった。
「随分と元気のいいやつだな」
「……いや、これは無理でしょう」
「私は行こうと思う」
呆れたようなヘイゼルさんの声にしれっと魔王さまが返す。
妙にかちこちの通信員さんに鬼気迫る表情で魔王さまが呼んでいると告げられ慌てて執務室に来てみれば、ヘイゼルさんが何かを難しい顔をしながら読んでいるところだった。
「あの……どうしたんですか?」
「ああ、リリシア、来てくれたか。これを読んでくれ」
「無理って言ったでしょ今」と頭を抱えるヘイゼルさんから何枚かの紙をもぎ取ると私に寄越してきた。どれどれと見てみると、そこには随分見覚えのある筆跡の文字が見える。
時候の挨拶からはじまるそれは手紙のようで、本題に入ったところで私の眉間にもぎゅっと皺が寄ることとなった。
父が書いたと思われる手紙には、あろうことか「魔王陛下を娘の婚約者として我が家に招待したい」といった内容が綴られていたのだ。
「いや、何言ってるの父さま!!」
全てを読み終えた私がそう叫ぶのを、ヘイゼルさんだけが納得するように頷く。
本当に、我が父ながら何を言っているのか、相手が誰かわかっているのか。昔からちょっとふんわりして何考えてるかわからないところがあったけれど、ここまでとは思わなかった。母さまは止めなかったのか、いや、母さまは輪をかけてふんわりしているから無理か。ならば兄さまは!?
混乱する私に、魔王さまが追い打ちをかけるように口を開く。
「この誘い、受けようと思うのだがとりあえず君にも言っておかないといけないと思ってな」
「何を言っているんですか魔王さま!」
「あ、リリシア、魔王さまは禁止だろう」
「えっ二人きりじゃない時にも適応されるんですか!?」
「そりゃあ勿論」
二重に頭を抱える事になった私を、ヘイゼルさんがかわいそうなものを見る目で見てきた。そんな目で見るくらいなら助けてほしい。
「私としても、一度君が育った家を見てみたい気持ちがあってな。だいたい君をお嫁にもらうのにご家族にこちらに来てもらうばかりではよくないだろう」
「だからって、ジークハルトさまは魔王さまなんですよ!?」
「だから何だ」
「だから……!」
本当にわからないという風に首を傾げられて、何と言えばわかってもらえるのかわからず言葉に詰まる。
「ヘイゼルさんも何とか言ってやってください!」
考えても考えても私のちっぽけな頭ではどうすることもできず、文官長であらせられる秀才ヘイゼルさんに助けを求めた。
「貴方の身分が知れた状態でかの国に行けばとんでもない混乱になりますし、最悪リリシア様のご家族の身に危険が及びます。また、護衛の問題もある。私としては諦めて頂きたいところです」
至極真っ当な意見に内心「そうそう!」と声援を送る。それを聞いていた魔王さまもぐ、と息を飲んでいた。この調子で諦めてほしいと祈っていたが、ヘイゼルさんの言葉はあらぬ方向に向かった。
「まあ、でも、別に魔王の顔は割れてませんし、夜闇に紛れてこっそり行ってこっそり帰ってくるなら、大丈夫じゃないですかね?護衛も別にいらないでしょ」
「ヘイゼルさん!!」
魔王さまの表情がぱあ、と明るくなって思わずぐっときてしまったが、今はそれどころではない。
止めてくれるはずのヘイゼルさんが魔王さまと一緒になってフィロジーア行きの話を詰めはじめる。なんだかデジャビュを感じたが気のせいだろうか。
「ではそのように返事を出そう」
「本当に行くつもりですか?色々まずいんじゃないですか?」
駄目押しで止めてみたが、「リリシアは何も心配することはないよ」と優しく微笑まれただけだった。この国のひとたち、少しばかり楽観が過ぎないだろうか。
しかし、こうなっては矮小な人間の小娘にできることはなく、せめて何事もなく行って帰ってこれますようにと天に祈ることが唯一できる抵抗であった。
父からの手紙が届いてから半月と少し経つ頃、我が家の馬車が魔王城の前に到着した。扉を開けたのは兄で、私の姿を見たと思ったら熱い抱擁を仕掛けてきて面食らってしまった。
「ご無沙汰しております、この度は父の突拍子もない申し出を受けて下さり、ありがとうございます。不肖ながら私がお迎え役を務めさせていただきます」
「いや、わざわざ迎えに来させてすまなかったな。よろしく頼む」
兄は私を一通り堪能してから深く腰を折って魔王さまにそう告げる。キャラがぶれぶれでその温度差に風邪を引きそうなので勘弁してほしかった。主に私への抱擁の方を。
バルトロジカ側から突然出向いては何事かと思われるということで、まず前例のある我が家がバルトロジカへ行き、私と魔王さまをこっそりと乗せてフィロジーアに入ろうという策になったのだ。正直お粗末すぎないかと思ったが、そういうポーズをするのが大事らしい。
馬車に乗り込み、まずはバルトロジカの関所を越える。わざわざ関守長のヴォルガン氏が対応してくれたくらいで、当然だが何事もなく越えることができた。関所の奥で簡素な服の白い短髪のやたら顔がいい人が一瞬見えたが、あれはもしやファウストさんだったのだろうか。印象が変わりすぎててわからなかったけど、もしそうなら頑張ってやってるようでよかった。
「いやあ、ひと冬もご無沙汰してしまって、申し訳ない限りです。結婚となるとこちらも色々支度に忙しくて」
「それを言うならこちらもだ。せめてリリシア嬢の近況でもお伝えできればよかったのだが」
かろかろと軽快な音を立てながら馬車はルサリカ大橋の石畳を進んでいく。そして馬車の中では緊張に押し黙る私を置き去りにして、魔王さまと兄が談笑に興じていた。
「どうしたんだいリリシア、もしや車酔いかな?」
硬い表情の私にやっと気付いたのか、兄が顔を覗き込んできた。私の隣に座る魔王さまもその言葉に心配そうに眉根を寄せる。
「そうなのか?気休めにしかならないだろうが治癒の術でもかけようか?」
「いえ、気分が悪いわけではないので大丈夫です、ありがとうございます」
魔王さまと兄の「じゃあどうした?」という視線が投げかけられるが、私としてはそんなにけろりとしている二人の方が不思議でならなかった。
「今回のことが、無事に終わるのか不安なだけです」
「なんだ。まったくリリは心配性だなあ」
「私にはなぜ兄さまはそんなにけろりとしていられるのか不思議でしょうがないのですが」
兄はあっけらかんと笑っているが、私はフィロジーアの関所だって無事に越えられるか、今から心臓が破裂しそうだというのに。しかし私のそんな不安は、とりあえず関所を越えるという部分では杞憂だったようだ。
あれよあれよという間に到着したフィロジーアの関所では、馬車の中を確かめられることもなく、運転手が出した通行手形を流し見しただけであっさりと通れてしまったのだ。
ぽかんとしていると、向かいの兄は「ほらね」と笑っていた。
人通りもまばらな懐かしい通りを進み、これもまたあっさりと懐かしい我が家に到着することができてしまった。
おかしいくらい容易くここまで来てしまって、なんなら夢でも見ているのではと思いながら恐る恐る馬車を降りる。夢ならここで足元に大穴が開いて真っ逆さまに落ちて目が覚めるところだが、地面は正しく私を受け止め、私はほとんど一年ぶりに我が家の門をくぐることとなった。
「ここがリリシアの生家か」
まさかの、魔王さま連れで。