最近の機種は
自宅に帰り、煽子が夢の世界へ旅立ったのを確認した時、時計の短針は十をさしていた。
客室に敷いた布団の上で、穏やかな寝息をたてている煽子。明日には村に帰る予定だ。
寝静まったのを確認し、音をたてないように慎重に扉を閉めてから、七春はリビングに戻ってきた。
「さて、じゃあ、ここからが本題だ。」
明かりをつけた広いリビング。死体のように、八神が床に倒れている。
その死体の服の中に、モゾモゾと赤い羽の蝶が入り込んでいくのが見えた。図書館から頑張って飛んで戻ってきた八神だ。
「うっ……。」
わずか数秒後、苦しそうな声をあげたかと思うと、ユックリと死体が起き上がった。
体から抜け、魂だけで一人歩きをしていた蝶の八神が再び体に戻る。戦闘不能の味方に回復アイテムを使った時のように、少し気だるそうに復帰した。
「ふぅ。無駄な準備運動しましたにゃ。」
語尾がゆるい。
眠たいようだ。
「大丈夫か?」
声をかけると、まるで機械人形のように、無表情のまま首だけをキュイッと動かして、八神がこちらを向く。
「だいじょうばないです。お腹すきました。」
そして悲しげな表情をして、ミャーンと捨てられた子猫のような声をだした。
動きがぎこちないのは、抜け出していた分、どこか体に上手くなじんでいない所があるのかもしれない。非常に危なっかしくて気になるところだ。
毎度のこと八神は、七春のヘルプに答えて、結構な無理をしてくれている。
「ナスがあったからな……。後で中華炒め作ってやる。」
「わあい!」
七春はだいぶ八神の扱いを覚えてきました。
とてもわかり易く喜ぶ八神。両手を突き上げて、空を支えて立つような格好をする。
これで大抵のことはしてくれるだろう。
「煽子が明日には帰るってことは、コケ神さまも明日には村に戻るってことだ。要件を今夜中に済ませないとな。」
「その今夜があと二時間くらいしかないんですが。」
「サクサクいこうか。」
サクサクいくことになりました。予定していた話数もたいぶ過ぎているしね。
「ではコケ神さまに会う前に、センパイが図書館に行っていた間に、俺がコケ神さまに聞いていた話を説明しましょう。」
毎度のことなので今更驚かないが、極めて真剣な顔つきに一瞬で早変わりした八神が、そう言った。
テンションの振り幅が極端にできている八神。常に針がメトロノームのように揺れている。
そしてそのままチョコンと床に座るので、七春はソファに移動してクッションをギュッと抱きしめた。
その硬い表情に、
「緊張してますか。」
と何気なく八神が問いかけた。
「少し緊張感があるほうがスリリングかな、と。」
「面白い虚勢です。でも、やることはそう難しくない。」
「シリカさんを助けられる?」
「ホントに助けたいですか?」
例えば、といういかにもな問いかけを、八神が提示した。
「例えばこことは空気の成分が全く違う世界へ行っていて、帰ってきたらシリカさんがオバケみたいになっているかもしれません。あるいは、ここより時間の流れが早い世界へ行っていて、おばあちゃんになって帰ってくるかも。助けてあげたいという優しいお気持ちは結構なんですが、万が一そういう現実に直面しても、彼女を連れて戻れますか?」
シリカではなく、七春の身を案じての質問だ。
実際のところは、例にあげた話しよりも悲惨な状況を想定している八神だが、それをわざわざ口には出さない。
あくまで可能性の話なので。わざわざ、七春を怖がらせる必要もないかなと思っている。
「当たり前だ! どんなことがあっても、助けないよりはマシだろ!……って、このくだり図書館でもしたな。」
「センパイの意志の確認です。」
八神は楽しげに目を笑わせている。
聞いてはみたものの、そういう答えが返ってくることは知っていたよ、という顔だ。
「さてさて、ではここからは、救出の具体的な手段を説明していきましょう。まず、要となるのはマッキーです。」
「マッキー?」
七春が常時腰に吊るしているアレです。
意外と使い勝手がいい。叩くとか、引っ張るとかに関してだけだが。
「救出にあたり、まずはどうしても神域に入ることになります。今、コケ神さまには神域の穴を大きめに開いて貰うように時間かけて準備して貰っていますので、そこから入りましょう。」
「神域って、入っちゃダメなんだろ?」
「はい。無装備で入ると二の舞いが関の山なので、ある程度神域の中で神の力に抗うことができる武器が必要です。怪しものとか。」
言ってから、八神はチョコリと手をあげる。床に置かれた招き猫みたいだ。
その手はクルクルと包帯が巻かれている。
「………でも八神くん、怪我してるじゃん。」
八神は先の幽霊ホテルの一件から、掌に境界を開けられない状態が続いている。いや、開けなくて普通なんだけど。
「はい。なので俺には頼らないでください。」
「ん? 俺に行けと?」
「助けたいって言い出したのは誰ですか?」
「俺。」
「じゃあ、行ってくださいよ。」
事実なので反論できない。確かにそうですよね。
常に『八神くんがなんとかしてくれるから安心だ!』を掲げて生きている七春は、当然少し躊躇った。
「神域に入る以外の方法はないんだよな?」
「ないかどうかはわかりませんが、コケ神さまが協力的なうちは、これが一番安全なルートかなぁと。」
「そだよね…。俺、一人で大丈夫かな……」
「面白いほどわかりやすくテンション下がりますね。そんなセンパイをナビゲーションするために、携帯で電話は繋ぎっぱなしにしておきましょう。神域が圏外でなければ、連絡は取り合えるはずです。」
神域は、海外でも繋がる機種なら大丈夫です。
八神の打開策を受けて、七春は静かに目を閉じた。
煽子の学校、神域に落ちたシリカ。逃げ惑う足音。甲高い悲鳴。全て耳にこびりついていて、離れない。
「わかった。じゃあ行こうか。最近の機種はだいたい海外繋がるから。」
「物分りがいいでふね。では行きながら神域についておさらいしましょ。」
七春の踏みきりのよさに感心したのか、ここでやっと、八神は優しい声をだす。そういう声をだされると、無条件に安心させられる七春さん。
単純だ。
電気をつけて廊下へ。
窓の外はすっかり暗くなり、廊下の壁はすっかり緑になっていた。
ん?
と首をひねる七春。
天井、床、壁。ツタ性の植物がはっている。カボチャとか、葉っぱがこんなカンジだったような気がするけれど、そもそも何故こんなことになっているのか。
(草?…あ、コケ神さま?)
連想する想像力もだいぶついてきた七春さん。
ツタの根本は一番奥の和室のようで、閉まった扉の隙間から、ウネウネと今もツタは更新されているようだった。
どんどん伸びて、リビングに迫ってきている。
「足下、気をつけてください。」
ふいに背後から腰に腕をまわされ、「うひゃあ」と謎の声をあげてしまう。そして見事に足を滑らせたので気がついた。
床は、草というより苔だ。
しかも踏むとなんだかフニュルンと滑る。山中の斜面にほどよく生息していそうな苔。
「う、わあ。」
バランスを崩しかけて、支えてくれていた八神の細い腕をつかむ。馬鹿にされたのか、八神が微かにを笑ったようだ。気配でわかる。
「言ったそばから。」
「どうなってんの。」
「神域を開き過ぎてるんだと思いますよ。中身が溢れてる。」
今や三つくらいしか扉が並んでなかったはずの廊下も、随分長く感じてしまう。
コケ神さまに待機して貰っていた部屋が、随分と遠い。
「戸を開けばもう、神域の中です。さぁ、おさらいしながら進みましょう。何があってもいいように、マッキーは構えておくか、紐を外しておいてください。」
事務的な八神の声に、ピシリと緊張がはしった。
腰に吊るしたペットボトルホルダーから、巻物のマッキーを取り出す。ツヤツヤとした上質な和紙の感触を確かめながら、止め紐だけ外しておく。
滑る足下の苔に気をつけながら、ゆっくりと歩きだした。
(ここ俺ん家なのに……)
なんで心霊スポットに来たみたいな緊張感を持って進まなくてはならないのか、さっぱりわからない。
そしてさっぱりわからないながらに、余計な事を考えをている横で、八神の説明は始まっている。
「再三の説明になりますが、もう一度説明しておくとすれば、神域というのは、神様が創りだす空間のことです。どこにもないし、どこにでもある。創りだした神自身か、境界を操る力のある巫女だけが、それを開くことができます。」
というのを小耳にはさみながら、慎重に前へ。
現実味がなく、下手するとテーマパークのアトラクションにでも入っている気分だ。
「警備システムがオートというわけではないですが、人が神域に入れば、まず間違いなく弾き出されます。」
「今回みたく、ワケあって入るケースでも?」
「ワケといっても、あくまでこちらの都合ですからね。コケ神さまは比較的友好な神のようですが、それでも人を招き入れるようなものじゃない。人間の感覚で考えてるとダメなんです。」
またしても短い走馬灯。
八神と中華料理店に行く道すがら、通りかかりに関わった、川の神の一件。
そう、人間の感覚で考えていてもダメだ。それは七春もなんとなくわかる。難しい言葉を使って、説明とかはできないけど。
価値観も考え方も、人と交わるような代物じゃない。もっといえば、意志の疎通すら怪しい。
それが、これまで七春が出会った神様だ。
「全面協力とか、さすがに無理か……。人間同士ってわけじゃないし、それを望むのはおこがましいよな。」
「そこでマッキーです。弾き出される瞬間、その力にマッキーで逆らう。俺も神域に入ってはじき出された経験ないんで、詳しくレクチャーできないですけど。」
その言葉に閃いた。
もしや、これって前人未到のチャレンジなのでは。
「いいですか、センパイ。マッキーを使うタイミングは二回です。一度目は神域に入る時、平たく言うと和室の扉を開ける時です。」
「入る時って痛いのか。」
「穴を広げて入るので、多少は痛いとか聞きますが、それよりも外に向かってかかる圧力に、押されないように気をつけてください。」
なるほどそこで踏み込みが甘いと、アッサリと外へ飛ばされるようだ。
そこでマッキーを使うということは、コケ神さまを多少傷つけるという意味になる。
そしてコケ神さまも、それを承知した上で付き合ってくれている。あるいは、それくらいなら耐えられるということなのか。
ゴチャゴチャ考えているせいなのか歩みが遅い。
苔の生え方に規則性がないようで、自宅の廊下のハズが山道のように凹凸のある地形になっている。
「そしてタイミング二回目は、コケ神さまが見つけてくれた『シリカさんが落ちた何処か』に、神域から移動する時です。コケ神様が繋ぐだけ繋げてくれる手筈になっているので、マッキーを使って自力で神域をこじ開けて移動してください。」
「な、なんか、わかんなくなってきた。」
七春の脳内キャパは、せいぜいお買い物メモくらいの容量しかない。
「移動しなくてもいいんですけどね、手が届くなら、シリカさんをこちらに引き上げればいい。」
「な、なんて?」
「しっかり、俺は外にいますから。何かあるたび電話で言ってくれればいい。外からフォローできることがあれば、俺がやります。」
言って、八神がスマホを引っ張りだす。コソコソ弄って、すぐに七春の携帯が鳴り出した。
「もしもし? ふふふ、センパイですか?」
肩が触れ合うほど傍にいるのに、面白がって電話ごしに話しかけてくる。現実とスマホごしと、二重に聴こえる八神の声。
七春もそれに乗っかって、電話ごしに返事をした。
「全くわからんから、進行形でレクチャーしてくれ。以上。」
一体いくつになって、電話ごっこなんてやってるんだ。
それでも、おかげでいくらか気持ちも軽くなり、歩調を速めて、一番奥の扉に辿り着いた。
すでに扉すら苔むしているので、爪をたてて剥がしていく。
枝やらツタやらで壁と扉が一体化しているので、引き剥がすので力が要りそうだ。
ちなみに、洋室扉と和襖が表裏一体の仕様になっております。
「では、あとは自分のタイミングでどうぞ。」
バンジージャンプの直前のような任せ方がきた。




