なんか始まったっぽい。
人を騙すのが好きだ。
悪い意味じゃなくって。有りえない展開を用意して驚いて欲しい。
純粋に楽しませたくて、ドキドキしてる顔を見たくて、そんな気持ちで俺は前に進んできた。
俺は、演出が好きだ。
そして演出を同じように愛して、楽しんでくれる仲間が好きだ。
好き、だった。
(どこで間違えたのかな)
そんなことをボンヤリと考えて、青春という時間を棒に振っているのが俺。
椅子に座ったままゆっくり頭を後ろに倒していくと、天井と目が合う。学校最寄りの図書館四階。
お気に入りの場所だ。
この自習スペースは、机が仕切りで完全に区切られている。自分の世界で勉強に集中したい優等生や、自分の世界で思考作業に没頭したい俺のような劣等生で、放課後は椅子がうまっていることがほとんどだ。
俺はこの近くの学校に通う、演出家志望のしがない大学生。
今は一人この自習室で、演劇部の新しい舞台演出を考案しているところだった。
授業はサボった。最近なんか、面白くないんだよね。
気がつくと机に頬杖をついてため息をついていて、体もどことなく重たい。机に広げたノートも、この二時間かけて一行も進んでいない状態で沈黙している。
(俺はただ、楽しくしてたいだけなのに…。)
電灯に照らされ、手元は明るい。広げただけのノート。アイデアの枯渇した俺の左手。
演出ノートはこれで十五冊目。実年齢といい勝負になってきた。
あー。
だめ。
なにも思いつかない。
何気なく時計を見ると、丁度夕飯の頃合いだ。今頃、寮の食堂はごった返していることだろう。
別に人に会う気分でもないしなー。食事が喉を通るテンションでもないさー。
いっそこのまま閉館時間までズルズル残ろうかなー、と考えていた時だった。
「こんばんは。」
と幼い声がかかり、椅子をずらして振り返る。
そこには小さな女の子が立っていて、丸い瞳でこちらを見あげていた。小学生だか中学生だか、そのくらいの年の子だ。
最近はそれくらいの年齢の子と関わる機会がないから、一見しただけで年齢が判別できません。
「はい、こんばんは。」
と律儀に返す。
進まないペンを握っているよりは、気分転換した方がよさそうだ。自習室に子供がいるってことは、退屈したのか、迷いこんだか。
ボブショートの髪に勝気な瞳。半袖シャツにショートパンツ姿の彼女の肌は、小麦色に焼けている。ずいぶん健康優良児のようだ。
都会育ちとは思えない。
ニッタリ笑って走り去るのかと思いきや、彼女は俺の左傍らに視線をうつした。
「こんばんは。」
とまた挨拶がくる。
ずいぶん時間の遅い図書館で、変わった女の子に出会ったものだ。
ぶっちゃけ、思考作業にも飽きたよ。
「はい、こんばんは。」
椅子に座り直し、また返す。
広い図書館の一角。気まぐれに会話を始めた少女は、どんな反応をするのかと思いきや、
「見えないの?」
と深刻な顔をする。
見えないの?
見えないよ?
何が?
「綺麗な花嫁さんね。」
気を取り直してという感じで、彼女は満足気に頷きながらそう言った。
その意味深な一言に、彼女の視線の先を見上げてみるけど、そこには何も浮かんでいない。独特な紙の匂いが朧げに漂う空間に、不確かな天井がどこか遠い。
「花嫁…が、君には見えるの?」
俺には見えない。
花嫁というイメージも、それをより面白く魅せるための手法も。ここ最近はホントに、何も見えてこない。
だから行き詰まっているし、ペンも動かない。
「何か見えるの」
思わず重ねて質問する。
何かいると言われればいるような気がしてきてしまう。
「見えるわよ。…ただの柄だと思ってたけど、それ血なのね。」
また深刻な顔つきに戻って少女が言う。
どうやら、彼女の視線の先に何か見えるみたいだ。俺と目が合ってないんだけど。
怖ぇ〜、なんだこの子。
それ以上どう返事をしたものか迷っていると、そこでやっと第三者の声が割って入った。
俺じゃないし、この少女でもない声で、
「煽子、離れろ。」
と声がかかる。
俺の正面、少女の後方だ。丁度、建物中央にある階段から上がってきたところに、一人の男が立っている。
ん? 見覚えのある顔。
ていうか、声もすごい聴き覚えあるぞ。アルカナ?
ちなみにアルカナは『アルカナ・イラフレン・イェーカット』の略で、俺が大好きなアニメ『でき魔』に登場する使い魔の名前です。
あ、『でき魔』は『できなくてもなんとかしろよ、魔法少女だろ!』の略だよ?
「ナナハル。」
と少女が呼びかける。
アルカナによく似た声のナナハル?
そういえば、エンドロールはいつも絵の方に集中しちゃってよく見てないけど、アルカナの中の人はそんな感じの名前だったよな。
「え!? じゃ本物のアルカナの中の人!」
思わず声をあげてしまうと、周囲からチラホラ視線が刺さってくる。
階段の方からアルカナの中の人が駆け寄ってきて、
「アルカナに中の人なんていません。子供の前で滅多なこと言わないでくれ。」
と釘を刺された。
しまった。
子供の夢を壊してしまうところだった。危ない危ない。
アニメのキャラはもちろん、キグルミの中にも、中の人なんてものは存在しません。背中のチャックはただのチャームポイントであって、開いたりはしません。
訂正してお詫び致します。
で、その返答が証拠付けたが、どうやら本物のアルカナの中の人みたいだ。まさか!すげぇ、マジで?
同じ国に住んでてよかった。
こんな偶然てあるんだね。
「煽子、下の階に下りよう。」
話しかけてきた少女はどうやら、アルカナの中の人と知り合いのようだ。
アルカナの中の人が、かがみこんで目線を合わせる。
手は腰に吊るしたペットボトルホルダーにのびていて、中に入れている何かをしきりに撫でていた。
なんだろう。ボトルじゃなさそうだ。
「待ってナナハル。血のついたドレスの人がいるんだよ。」
「あぁ。この階にあがった途端、久々に腰のバイブがきたからな。なんかいるんだろうけど……煽子見えるのか?」
「うん。ここよ。…見えない?」
さっきから「見える?」「見えない」のやりとりが立て続いているが。少女が指差すのは、またしても俺の左傍らだ。
マジでなんか憑いてんのか?
とか、考えてから思い出す。アルカナの中の人といえば、最近は心霊的な番組でも有名だとか雑誌で書いてたよーな気がする。
ん?
じゃあ、やっぱり俺には何か憑いてる?
「こら。煽子。」
俺の顔色が変わったのに気がついたようで、アルカナの中の人が、不用意な発言をした少女をたしなめる。
だってホントなんだもん、と言いたげな彼女の顔に、俺は慌てて口を挟んだ。
「大丈夫ですよ。俺、そう言うの半信半疑だけど、視える人を変に思ったりはしないから。」
それに、そういうものを題材にした芝居だってあるのだから。どんなネタでもより面白く、より魅せるのが俺の仕事だ。
と、自負しています、はい。
俺のその一言で少しは安心してくれたのか、アルカナの中の人と、アオリコちゃんとかいう少女の表情が晴れた。
そして俺はさらに付け足す。
「俺……に、何か憑いてます?」
その質問に、目の前の二人の声がピッタリとかぶった。
「うん、たぶん。」
「と、思うよ。」
これが俺の、長い一日の始まりだった。
改めて、俺と煽子ちゃんとアルカナさんは、二階の読書スペースへ移動した。ちなみに、二階は児童書、実用書のコーナーだ。
個別に区切られた勉強机とは違い、丸テーブルがいくつか置かれている。テーブルも椅子もかなり低くて、なんか巨人になったような気分だ。
子供用だから仕方ないんだけど。
でしてその子供たちも、この時間だとほとんど見かけない。
その丸テーブルに三人で輪をかくように席をとり、俺は一番に口を開く。
「アルカナの中の人にこんなトコで会うなんて驚きましたよ!『でき魔』いつも見てます!もう一期は終わりそうですけど、二期はいつやるんですか?」
本物のアルカナの中の人に出会う機会なんて、今後滅多にないだろう。つい早口に質問攻めにすると、アルカナさんは困ったように笑った。
「悪いけど、アニメのことは此処では色々話せないから…。それより君、ウエディングドレスに何か心当たりはない?」
ウエディングドレス。
心当たりあります!
と言いたいのだが、全くもって縁遠い。
首を横に振って否定をあらわすと、アルカナさんは煽子ちゃんを見下ろした。
「煽子にだけ視えるっていうのも変な話だけどなぁ。煽子、他に何か特徴は?」
「美人。」
と、かなり抽象的な煽子ちゃんの追加情報。
足を組むという、子供らしからぬ座り方だ。煽子ちゃんは、ちょっと大人っぽいのかな。
「あと、ドレスがセクシー。」
「セクシーなドレスか…。俺も目視したいな…」
アルカナさんのコメカミに、煽子ちゃんが手近な本の角を振り下ろす。
コーンと何も詰まっていない音がした。
なんかコミカルなシーンだ。俺はどこにいればいいんだろう。
「痛い…。」
「ナナハル真面目にやる気あるの?」
「あるよ!と、とにかく、どうせしばらくはこの図書館で時間潰さないといけないんだし、その花嫁さんについてもう少し調べてみるか。血まみれってのが、気になるし…。」
血まみれというとやはり、事故か事件かということなのか。近所に事故が相次ぐ交差点はあるけど、霊的なものとは関係ないと思っていた。
あれは普通に交通量が多いせいだろ。
「そのドレスの人って、ホントに俺に憑いてるんですか?図書館にいる幽霊…とかじゃなくて?」
何気ない俺の質問に、アルカナさんが悩ましく唸る。あぁ、完全にアルカナ。
この人、素でアルカナだあ。
「八神くんがいないとハッキリしないな。君の身の回りで最近、何か変化とかは?」
「変化と言われても、調子が悪いくらいでしょうか…。大学で演劇してて、俺は演出担当なんですけど。最近あまり上手くいかなくて。」
「演目は何を?」
そう聞かれて、漠然と胸の鼓動が早くなるのは、探偵に出会ったような気になるからだ。
なんだろう。尋問されているのに、秘密の話に入れてもらったかのようで、ドキドキする。
幽霊だとか妖怪だとか、俺は身近に感じたことは一度もないけど。やっぱり、人の注目をたくさん集めるような人は、見えてる世界が全然違うんだな。
「演目は…『ナイトメアバージン』。昔からあるお伽話を、現代風にリメイクしてるんです。」
「あぁ、あの呪われた花嫁がなんちゃらかんちゃら…ってやつか。」
どうやら前もって『ナイトメアバージン』を知っていたらしいアルカナさんが、頷きながらそう言った。
いち。
に。
さん。
「てか、それ花嫁カンケーあんだろ。」
三秒の後、アルカナさんの指が俺の額を弾いた。いわゆるデコピンか。
完全に不意打ちだった俺は、弾かれた勢いで首が後ろに傾く。
「いてっ。」
「あ、ごめん!つい、いつもの八神くんのノリで!」
ヤガミくん?
あ、ルエリィの中の人だ。
「それってナナハルの最終兵器でしょ。離れてても、傍にいるみたいに感じるのね。」
急に機嫌が悪くなって、煽子ちゃんが冷たく言い放つ。
最終兵器?
と一瞬わずかに思考が飛んだ時だった。
パシッ!
と、何かを強く叩くような音がした。
二センチも離れてないような、すぐ手元からの突然のその音に、全員の口が塞がる。
一拍開けて。
カチン
と音がして、天井の照明がおちた。
広い室内はいくつも照明があるが、カチン、カチンと音が連続して、合計三つの電気が消える。
「え…?」
天井を見上げると何もない。黒いのっぺりとした平らな天井だ。消えた照明は、俺達の真上と、絵本コーナーの上、読み聞かせコーナーの上の三つ。
児童書コーナーに俺達三人以外の客はいない。まるで、俺達だけが取り残されたみたいだ。
「閉館時間にはまだ…少し早いですよね?」
司書さんが閉館時間を間違えたのだろうと単純に考えた俺が、アルカナさんや煽子ちゃんに話を振った時、二人はすでに立ち上がっていた。
テーブルから少し離れて立ち、煽子ちゃんは前方に指をのばして何かを示す仕草をする。
アルカナさんは腰のペットボトルホルダーに手を当てた。
「ナナハル、今、花嫁さんが。」
「動いたか。今のは、よくあるラップ現象だな。」
ん?
俺だけついて行けてないが。
なんか始まったっぽい。




