お風呂の時間。
ソファの上でクッションに埋もれながら、七春はウトウトしていた。
八神が麻婆豆腐を食べ散らかしていった皿を片付け、貰った資料に目を通した後だ。
丸くなってジッとしているだけで、視点はテーブルの角に置かれている。
今日という日を、振り返っていた。
反魂歌についてザックリまとめよう。
「囲え囲え」で人を一人、魔法陣のような凝った描き方の円の中で殺します。
するとその円の中に「加護の中の鳥居」が現れるという画期的な仕組みになっている。
鳥居はいわゆる冥土につながる扉を示すそうです。わかりにくい言い回しをするなと言いたい。
「宵明けの番人」とは、冥土の扉を見張る門番のことで、「弦と瓶」は二人の門番が持つ武器のこと。弓と水瓶のような武器だそうです。弓はともかく水瓶でどう戦うのか知りたい。
殴るのか?
それはそれとして、それらを「統べる」、つまり支配下に置くことによって、望んだ相手を一人冥土から呼び戻すそうです。
「後ろの少年」は、蘇った誰かを比喩的に現しているらしい。
で、
何が言いたいのかといえば。
お金さえあれば、こういう怪しい情報を誰でも仕入れることが出来るということだ。
ロクでもない世の中になってきている。
そしてそういう情報を仕入れるロクでもない奴が、今はこの国の中にいて、自分もいつまた狙われるかわからないということだ。
それから話は変わるけれど。
本日の祟り神との遭遇についても考えておこう。なんだか突然祟り神に力量をはかられる運びとなりまして、非常にストレスでござるよ。
しかし、七春が役たたずで実力をかねていないことは、言うまでもなく周知の事実なので。結果が最悪なことになったのは、この際気にしないでおこう。
テストの結果が悪くても、七春は三日たてば忘れる性質がある。
だが。
境界の巫女に接する八神の態度は、普段の七春にするそれと、恐ろしいほどの差があった。
怪しものに名付ける力は七春にだってある。価値は同等なはずなのに。
(優しくされるたびに……苦しかった。)
考えながら、さらにソファに深く沈む。
「境界の巫女に対する優しさはこのくらいです。七春センパイの扱いとは、この程度の差がありますからね。」
とか、優しくされるたびに言い聞かせられてるような気がして。
(なんか、感じ悪い。)
胸の中でわだかまりとなって残っているのは、むしろそちらの件だ。
心臓の右横がサワサワしていた。
落ち着かない。片足が浮いたような、億劫な不安定感だ。
(……なんか、茶碗蒸し食べたくなってきた。)
同じ頃、亜来はお風呂の時間だった。
薄ピンクの壁が見えなくなるほど、あたたかい湯気に包まれた空間。最高の癒しだ。
虹色のシャボン玉がたくさん浮かんでいる。
亜来は湯船に、京助は洗面器にプカプカ浮いていた。
尻尾がはみだしている。前足を上手に洗面器のはしにかけている姿は、人間みたいだ。
「はああ〜」
と大きく息を吐く。亜来の声が、くぐもって響いた。
ぐいーと伸びをすると、亜来が動くたびお湯が揺れて、水音をたてる。
「収穫ゼロかあ。」
「ご苦労だったな。」
京助が労いの言葉をかけた。
「結局、初春さんには会えなかったなぁ…」
あれから、しばらく扉の前で粘った亜来だが、最後まで初春なる人物の姿を目にすることはできなかった。
初春の娘だという小さな芽吹も、家の中から出てくることはなかった。
(不思議の国のアリスは、追いかけていた時計ウサギに追いつけたんだっけ?)
ボンヤリとそんなことを考える。小さいころには何度も読んでいたはずなのに、よく覚えていない。
「アリスといえば、バイトに行ったホテルの内装は、不思議の国みたいだったよね。」
洗面器の京助に話しかける。
虹色のシャボンが京助の鼻先ではじけて、亜来は楽しそうに笑った。
「亜来は優しい。」
と、ふいに京助が口にする。
言われた亜来は自覚もないようで、
「なにが?」
と首をひねった。
濡れた髪から雫が垂れている。白桃色の肌に、シャボン玉がぶつかった。
「亜来はそうやって笑っていてくれる。夜行なら、初春の態度に今頃グチグチやっているだろう。自分もちょいちょい居留守を使うくせにだ。」
八神はインターホンだけでなく、電話もちょいちょい居留守を使う。立ち上がりたくない時とか、立ち上がるのが面倒くさい時とか、立ち上がることが出来ないほどゲームが忙しい時は、特にそうだ。
元主人の悪口を言ってから、京助は鼻で体をゴシゴシこすった。キレイにしているのだ。
「私は優しいわけじゃないけど……。今はただ、せっかく楽しいことに巻き込んで貰っているから、全力で楽しみたいかな。」
ちなみに全く楽しいことではないのだが、亜来の価値観は常人のそれの遥か斜め左上を通過しているのだ。
「なんか、こう、ミステリーの香りがするよね!人を避け、ひっそりと暮らす父娘!そんな二人が握っている事件の鍵!」
ザバッと湯船のお湯を溢れさせたのにも構わず、亜来はお湯につかったまま大袈裟に拳を握る。
キラキラな瞳からシューティングスター。
のぼせてきたのか、頬が徐々に赤く火照ってきている。
「それに、一人じゃないんだなぁって思うから。京助はもちろん、七春王子も、同じ目的のために別のどこかで動いているんだろなぁって思うと、嬉しいもん。」
ミステリーダイスキーの亜来からすれば、事件の聞き込み調査だって、立派なミステリー研究会の仕事なのである。
非日常的な事件に、非現実的な生き物と挑む。豪華声優陣という仲間までいる、最高にドキドキする非日常を満喫している亜来は、今が一番楽しい。
そういう単純計算なところは、七春と思考が近い。
「そうか。」
と京助は満足気に返した。
それから尻尾の裏まで短い手足でしっかり洗う。
「どうやら俺の人選は、間違いではなかったようだ。」
「うんっ。これからも、よろしくね。京助。」




