名ばかりの秋
その日は雨が降っていた。
だがそんなことは、一人の少女がビショ濡れになって帰宅する理由にはならない。
何故なら彼女は、カサを持って出たのだから。
「只今戻りました。」
と彼女が言った。
出迎えた俺は「おかえりなさい」の「おか」まで口に出して、あわててタオルを取りにとってかえした。
買い出しから戻った彼女が、ズブ濡れといえる状態だったので。
彼女の名前は雪解。境界の巫女という永久就職についている、将来安泰な女の子である。
で、その彼女にちょっかいをかけている俺の名前は八神夜行。一般的に世間からスレているなんて表現をされる、先行不安の十五歳。
ここは彼女の自宅で、神社の敷地の隅の方に申し訳程度に造られた小さなお家である。
「なんでビショ濡れ。」
と問うた通り、彼女の柔肌を包む巫女装束は上から下までグッショリ濡れていた。
一目でわかる。買い出しにでていた彼女が、傘をささずにここまで歩いて帰ってきたことが。
スーパーのレジ袋をその場において、結っていた髪をほどく。艶のある長い黒髪が、首の後ろにはりついている。
「お気になさらないでください。」
「お気になるんですけども。」
正確には、気になるのは彼女が何故傘を使わなかったのかではなく、濡れた着物がはりついて、下から肌色が透けているという事実である。
下着のおかげでバストトップは安全圏だが、肩や胸元は白衣がなんの仕事もしていない。
「とりあえずこれ着て。」
と、私物を隠すため常時腰に巻いている上着を外して渡す。
彼女のことだから「それだと、その上着も濡らしてしまいます。」だとか遠慮するに違いない。
予想通り、上着を受け取ってから物言いたげにジッとしているので、
「いいからね。」
と先回りして言っておいた。
すると彼女はカクンと頷いてそれを肩から羽織った。
袖が邪魔で腕を通せないようだが、両手で上着を引き寄せて隠す部分は隠してくれたので、よしとする。
「何があったか知らないけど、熱いシャワーくらいあびてくれば? 体冷やすのはよくないよ。」
「すみません。」
パクンと彼女が腰をおり、深々と頭をさげた。
それから、草履の中まで雨水が侵入してきたらしく、白足袋を脱いで裸足をさらす。
そのままフローリングの床をペタペタ歩いて、脱衣所へ急いだ。
「悪かったな。」
彼女のその後ろ姿を見送っていると、ふいに違う方向から声がしたので首をふる。
下駄箱の上に、小さなフェレットに似た茶色毛の動物が乗っていた。雪解の使う霊獣だ。
なんかジッとこっちを見ている。
「うわっ。いたのか荒天鼬。何が悪かったって?」
聞き返すと、小動物らしく鼻先で彼女の後ろ姿をしめした。
「雪解が、お前に借りた赤い傘を、持って帰ってこれなかったことだ。」
珍しく渋い顔をして、そんな事を言い放つ。
意外なところがあるものだ。そんな殊勝な態度をとれる奴だったか。
「いいよ傘なんて。もともと、そんなに高いものじゃないし。でも雪解が傘を失くして帰ってくるなんて、珍しいよね。」
「失くしたんじゃない。持って帰ってこれなかったんだ。」
「ん?」
失くしたのも、持って帰ってこれなかったのも、さして違いはないと思っていた。
俺のその理解できていない顔に、荒天鼬はまた口を開く。
「帰り道の途中に、逝けずにさまよっている女がいた。ちょうど雪解と年は同じくらいでな。」
逝けずに、ということは、その時点で霊だという事だ。
そう、俺や彼女が日々関わっているのは、生きている人間だけではないのだ。
死んでいるけど、何処にもいけないもの。
死んでいるけど、悲しみがとまらないもの。
死んでいるけど、痛みが消えないもの。
ただ人と違って「それらが視える」というだけで、そういうものに関わっていくことを強要されている。
例え救えなくても。
「その女が逝けない理由には、事故で死んだ時に失くした傘を、探しているとのことだった。それで雪解と探したが見つからなかったんだ。」
「古い霊だった?」
「みたいだな。」
「じゃあ、多分もう残ってないよ。」
「弟に傘を届けないといけないと言われたんで、雪解がお前に借りた傘を勝手に貸した。」
「そっか…」
弟に傘を届けないといけない、ということは、その霊が亡くなった日も雨だったのだろう。
傘を持たずに家を出た弟のために、傘を持って行かなければいけなかった。
そしてその気持ちのまま、おそらくその女の時間は止まった。
止まった人生の秒針は、もう二度と動きだすことはないだろう。
永遠に。
その事をわかっていたからこそ、自分が雨に濡れるとわかっていても、彼女はその霊に傘を貸すことを選んだ。
いつだって、そう。
雪解は優しくて正しい。
「じゃあ、いつか、一緒にかわりの傘を買いにいけるといいなぁ。」
思いついて口にすると、荒天鼬には鼻で笑われた。
それから機嫌よさそうに、フェレットは尻尾をチョロチョロ揺らす。
「その雪解にあてて、一つ伝言を頼みたい。風呂から上がったら、巫女服じゃなく、神職として正装に着替えろと言ってくれ。」
「正装?」
「土地神がまた怪しものを感知した。回収は今夜だ。」
「え!? 今夜?」
また急な話だ。
彼女の傍にいると、落ち着く暇がない。
いつだって、ジリジリと焦らされるように生きるよりは、多少忙しないくらいの方が性に合ってはいるが。
「俺も一緒に行きたい。傍にいて護ってあげたい。」
「なら支度をいそげ。」
小さい霊獣に急かされて、急いでその場を後にした。
八月が過ぎたからって秋になるわけじゃないんだなーとか考えながら、七春は仕事場から駅への道をフラフラ歩いていた。
暑い。
ただの夏だ。
いや、もう暦の上では九月だからな。残暑というべきなのか。
呼び名はどうあれ首の後ろが夕陽を真に受けてジリジリと暑い。誰かに後ろから火であぶられているような気がする。
誰もいないよな、と背後を確認。
広い車道に、自分の長い影が伸びている。左右には乱雑に生えた電信柱。
夕陽が落とす赤いグレーが、車道を染めている。
片側には住宅が並び、片側には背の低い植込み。陽が落ちるまで時間がない。
(黒い影でも立ってたら、話が違うんだけどな。)
ボンヤリとそんなふうに思った。
実際にそんなものが立っていたら声もでない気がするが、今はそういうものが出てくれるくらいの方が気が楽だった。
九月にはいった。
『夏だから』という理不尽な理由で行われていた心霊スポットでの撮影が終わり、それから七春は、これまで通り忙しく仕事をしてすごしている。
何か物足りないような、家を出る時に忘れ物をしてきたような、そんな落ち着かない気持ちのまま毎日は進んでいく。
八神からの連絡はない。
一緒に怪しものを集めようと七春が言った時、「それは死亡フラグだ」と言いながらも、八神は悪い顔はしなかった。
事実、夏祭りにかこつけて、怪しものの回収に誘われたこともあるのだから。
悪く思われていたわけではないはずだ。
だが夏が過ぎると、今日まで八神からの連絡はない。
(心当たりはスゴいあるんだよなぁ…。)
駅に用があったわけでもなく、ただひたすら歩きたかっただけなので、もともと急いではいない。
考えながら、七春はノロノロ歩く。
そう、心当たりがないわけではない。あるといえば、ある。
二度目のロケで幽霊がでると噂のホテルに行った際、七春はずいぶん危険な目に合った。細かい怪我もまた増えた気がする。
でもそれは割といつものことだったので、いちいち気にはしなかった。
でも八神は気にしていたし、距離を置くことも考えようと言い出した。
そして、
「八神くんも…幽霊も……全部夢だった、とか。」
と七春がつまらない事を真剣に考えるくらいには、二人の間には距離ができていた。
一緒に色んな霊に出会ったのも、空想の世界だったとか。
アニメや小説によくある夢オチ的なやつだったかもしれない。
(だとしたらすっごい寂しいし、八神くんからの連絡をすごく待っている俺がいてすごく気持ち悪いやい…)
ごく普通に仕事の関係で顔を合わせる八神は、猫をかぶったいつもの八神。余所余所しい素振りがないのが、かえって詮索を拒んでいるようにみえる。
人のいる場所で怪しものの話はできないのをわかっているからか、二人きりになる隙をつくらない。
そんな八神に心を乱されるままに、時間だけは進んでいく。
めっちゃ気が重いんやけどー。やーがみくーん。
「せめてこの世のものじゃないものに会いたい…そしてそれを口実に八神くんに会いたい…。」
気持ち悪い。
亀のように気長な歩き方をしていると、ふいに道のはずれから人影が姿をあらわした。
歩道と車道を区切る白線から顔をあげると、意外な人物が道の脇に立っている。
「よぉ。」
とその人物が声をあげたので、思わず七春は足をとめた。
片手を絶妙な角度であげて、気安い挨拶をしてきたのは、これまで何度か姿を見てきた少女。
白衣に緋袴。長い黒髪を束ねた物静かな佇まいは、俗世との繋がりを感じさせない。
「祟り神…!」
八神が最警戒であたっている、その人物だった。
いや、人物というか、人かどうかわからないが。
「うむ。ちゃんと覚えていたな。」
満足そうに大きく頷いて、境界の巫女の姿を模したものはニヤリと笑った。
それからネコ科の生き物のように、そうっと狙いを定めてから、七春めがけて飛びついてくる。
「うわ」
正面から来られて、驚きつつも抱きとめる。小さい。
「ははは。驚いたか?」
喋るとあまり女の子らしくないな。
人をからかい、楽しそうに笑う。通常運転の自由奔放ぶりを振りまく祟り神。
「巻物を持っているうちは、自分は安全だと思っていたろー?」
「う、」
図星を突かれた。
背伸びして七春の首に手を回したまま、祟り神は大きな目を細める。
「もちろん、俺も無敵というわけではないが、いつまでも腰引けてはおらんよ。」
「マッキー効かないのか?」
「効くには効く。安心しろ。ただ、ある程度は我慢してやる。」
そしてパッと体を離して後ろに下がると、改て七春の正面に立った。
「お前と少し、話がしたい。お前が会いたくて会いたくて仕方ない八神夜行についてな。」
七春さんの独り言は声にでていました。
「というわけだ。今からおれと、デートしないか?」
たじろぐ七春の手を、有無を言わさぬ無邪気な笑みでうばう。
そこにいるのは人ではない。
かつて境界の巫女と共にこの土地を護っていた、神様だ。
神様と、たのしいデートのはじまりです。




