いつまで死んだ人間に
「俺は亜来と、『初春』を動かそう。」
京助が言った。
夏祭りの夜。大きな木の下で、亜来と京助と、そして八神が話し込んでいた。
祭は終り、屋台や太鼓台が片付けられていく。虚無感のようなものだけが、そこにあった。
「は、……つ、はる……」
言葉を失っていた八神が、声を絞りだす。
瞳に迷いが映って、ユラリ揺れた。
「冗談だろ? 二年かけてダメだった。動くのか?」
言った八神の声には、否定的ながらも、どこか期待しているような色があった。
「初春」の意味も、話の内容もよくわからない亜来は、京助を膝に抱えたまま、じっと話に耳を傾けている。
時折、手持ちのイカをハムハムかじる。
「お前と違って亜来は可愛いからな。なんとかなんじゃね。」
と、なんの根拠もないけど自信満々の京助は、亜来の膝の上でハナをヒクヒク動かす。
「どちらにしろ、お前が雪解の死の真相を知ろうとするなら、あれが持つ情報は必要になる。」
「確かに、なにか知っているふうではあったけど…。」
「そういうことだ。俺は俺の方で探る。ここからは別行動としようぜ。」
話しを終わらすように、京助が話を区切った。
八神も黙りこむと、何か考えているふうで、しばらくは口を開かなかった。
あんなにも溢れていた人々がいなくなり、広場はすっかり空っぽになっている。
その空洞になったような暗い広場を、三人は静かに見つめていた。
風が、生ぬるい。
「いつまで死んだ人間にこだわるんだろうな、俺たち。」
長い沈黙を破ったのは、八神だった。
「でもよくわかったよ。目的は同じなのに一緒にいてくれないなんて、やっぱり荒天鼬は意地悪だってことが!」
少しおどけて、八神が言った。
「今頃気がついたか、バカめ。」
ニヤリと笑って、京助が返す。
やっとその場の空気が、和らいだ。
「亜来さん。……と、呼んでいいかな。」
ふいに八神が、亜来に声をかけた。
まさか声をかけられると思っていなかった亜来は、一拍遅れて、
「はひっ。私です?」
と返事をした。
「そうそう。亜来さんてさ、荒天……いや、京助のこと、大事にしてくれてるんですね。七春センパイからききました。」
「あ、京助は、大事な友達でして。おっきくなったり、小さくなったりするのも、可愛いし。全然、怖くないです。」
もともとは、昔飼っていたペットの京助だと思い、拾ったのだった。
しかしT字路の霊に遭遇した時の、巨大化したり、日常的に喋ったりする様子から、亜来もどことなく気付きかけている。
京助が『京助』でないと言うことに。
しかし、それはそれとして、ミステリー好きの亜来は、それでも京助を受け入れられている。
京助が『京助』でないことに、気がつかないふりをしながら。
「あのあの、私、お二人の先程の話は全然わからなかったんですが、」
「あ、はい。それはこっちの話ですので、お構い無く。」
「でも私、京助の傍にいたいです。」
ふさふさの毛をもつ京助を頭にのせ、亜来は立ち上がった。小さな京助は、亜来の頭の上に乗って、尻尾をたらす。
背にしていた巨木に手をつき、正面から八神を見据える。学生らしい、あどけない顔つきだ。
だがその瞳には、強い意志が感じられた。
「亜来はミステリーダイスキーだから。」
と補足する京助も、どこか亜来の意志の強い言葉に安堵しているようだった。
それを受けて、八神は微笑んだ。
「それは何よりです。では、このワガママフェレットは亜来さんにお任せしますね。」
ワガママフェレットとは、京助のことである。
「いいんですか!?」
目をキラッキラさせて、亜来は星を撒き散らす。ある意味すごい。
そのキラキラに気圧されつつ、八神は大きく頷いた。
「その代わり、そいつ、かなり面倒くさいけど、返品交換はお受け付けできませんのでご了承くださいね。」
「クーリングオフしろよ!」
京助が、よくわからないツッコミを入れる。それでいいのか。
「返品なんてしません!本当にありがとうございます!」
元気よく言って、亜来は丁寧に頭をさげた。長い髪が前に落ちてくる。京助はじたばたしながら転落を逃れた。
頭に乗ることに慣れてきたらしい。
その髪を、亜来が耳にかける仕種も可愛らしい。
明らかにこの世のものではないものを前にしても、まだ前向きにミステリーダイスキーを迸らせる亜来は、健全なエネルギーに満ちていた。
このコならたぶん大丈夫、と八神に感じさせる何かがあった。
「ただ、亜来さんも気づいていると思いますが、京助はこの通り普通じゃないので、」
「は、はい!」
「俺の霊力を使って動いています。なので、出しっぱなしにされていると俺が辛いので。」
言って、八神が上着の下から取り出したのは、正方形の札。
それから、コルク栓の小さな小瓶。中には赤黒い液体が、小瓶の半分くらいのとこまで入っている。
「こういうことになるかと思って、用意しておいて正解でした。これを亜来さんに。」
と言ってまとめて、亜来に手渡す。
亜来はそれを素直に受け取ると、大事に両手でつつんだ。
「リアルミステリーアイテム!ありがとうございます!」
「その札が、京助の家になります。京助が札に戻ると墨の字が浮き出てきて、それが京助を封印してくれます。京助を札から出す時は、その瓶の中の俺の血をつけて、札の字を消してもらうようになります。」
八神が、淡々と説明した。
一拍あけて、
「血?」
亜来が問い返す。
「血。」
と八神が、短く返す。
「極力、そいつを出しっぱなしにしないでください。ただでさえ、本来なら俺のそばを離れてはいけないものなので。」
「あの、これ、その、血ですか?」
亜来が慌てて問い返し、瓶の中身を確認する。
「そうです。あまりたくさんはないので、無駄遣いはしないでくださいね。」
と八神が世間話のような軽さで返した。
普通、初対面の女の子に謎の札や自分の血のストックを渡すようなことはしないが。
「お札とかミステリー!大事に使います!」
亜来的にはアリらしい。
ストライクゾーンが人より遥かに斜め左側にある亜来。
「荒天鼬……いえ、京助は狂暴な霊獣です。本来、人も食べるし、攻撃力もかなり高位です。暴走させたら手の打ちようがありません。叩き殺すしかありません。」
叩き殺す気満々の八神。
「なので、何かあれば直ちにここに連絡してください。」
上着の下から、八神が四つ折りのメモ用紙を引っ張り出して、それも亜来に手渡す。
「携帯の番号……。いいんですか?」
「はい、それ、俺のじゃなくて七春センパイの番号なので。」
個人情報が流出している。
「俺は、電話もメールも気がつかないことが多いので、何かあればこちらに。」
「はい。」
「見ての通りの仲ですが、これでも俺はコイツと付き合いが長いので。トドメをささなければいけない事態になったら、俺が。」
トドメをさす気が満々の八神。
「おい。」
と京助が短くツッコんだ。
「それじゃあ、私の番号も……」
と言い出した亜来の言葉に甘えて、亜来の連絡先も頂戴する。
端から見ればごく普通の学生同士のような二人。大木の下、浴衣の女子高生とアドレス交換なんて、青春の一ページに他ならない。
と、見せかけて本当は、霊獣駆除の緊急連絡先の交換である。虚しい。
自分の携帯を手に、画面に視線を落としている亜来。ただそれだけだが、手つきまで女の子らしく見えるのは、半分は亜来の女子力、もう半分は夏と浴衣と月明かりがそう見せるのだ。
連絡先を交換しあって、最後に八神が京助に視線をうつした。
頼りない明かりの下、京助の目が銀色に光っている。
「このコ、食べるなよ。」
「食べねぇよ。」
お互い短く、言葉をかわす。
「人間の女の子をどう使うつもりか知らないが、無理はさせるなよ。ただでさえ俺たちは、初春を動かすのに、一度は失敗している。警戒されているはずだからな。」
八神の言葉に、京助はフンとハナをならすと、そっぽを向いた。
「前と同じ失敗はしないさ。何のための別行動だ。」
「そこまで言うなら、しっかりやれよな。期待してるんだからね。」
「はいはい。」
フェレットに肩があるのかわからないが、京助が人間だったら、ここで肩をすくめていただろう。
そんなことを、連想させるもの言いだった。
「ご主人様の仰せのまま。」
その八神たちが話し込んでいる少し先、街灯の下で、あげはと七春は向かい合って立っていた。
相変わらずマイペースなあげはは、フライドポテトを食べ進めている。
七春は、半分溶けたかき氷を手にしたままだった。同じ手でずっと持っているのも冷たいので、たまに持ち変える。
「驚いたよ、こんなところで二人に会うとは。」
「仕事の帰りに花火が見えてね~。あわてて浴衣着て臨場したんだ~。」
相変わらずの、独特の間合いで喋るあげは。まるで普段着みたいに、黒の浴衣がよく似合う。
「あげはちゃんは、お祭り好きなんだ?」
何気なく、七春がたずねた。
「好きだよ~。それに、人が集まるとこには、霊もあつまるしね~。」
同じように、軽く返すあげは。よくないことを聞いた。
一通り世間話をしてから、本題に入る。
「そういえば、心霊ロケの時にも、話にあがった、怪しもののことだけど。」
「うん。」
「どこかでチラッと聞いた話では、普通の人間が持っているとよくないとかって言ってたんだけど。あげはちゃんは、なんで怪しものを集めてるの?」
ついに聞いたーー!
と心の中では叫んでいる七春さん。
それに対し、あげはは相変わらず表情も変えない。
「興味があるからかなぁ?」
と、曖昧な返答。
祭りの後のとっちらかったような空気に、曖昧なな解答がぼんやりと浮かぶ。
なんか頭がぐらくらしてきた。
「興味。じゃあ、ただのコレクター精神てこと?」
「ごめんね~、やっぱり探求心か罪滅ぼしかも。」
と言い換えたあげはの言葉には、どこかで聞いた覚えがあった。
「どっち?」
「後者~。危ないものなのはわかっているんだけどね~。情報を集めるには、多少の危ないことも必要なんだよ~。」
のんびりと、あげはが言った。
真意の読めない喋り方をするところは変わらない。もちろん七春も、簡単に話してもらえると思って問うているわけではないが、ここまではぐらかされると気になって仕方ない。
「あげはちゃんてさ、もしかして何処かの土地のみ……」
巫女なの?と七春が尋ねようとして、その瞬間、視界に何かが横切った。
歩く通行人だ。それはそうなんだが。
それにしてはあまりにも唐突に現れ、そして有り得ない格好をしていた。
迷彩服に、肩には銃を背負っている。充血した目に、大きくあけた口。何か言いながら、あげはの後ろを通りすぎていく。浅黒い肌に短髪の、男だ。
「え……?」
思わず目を奪われた。
七春がそれを目で追うのに、あげはも気がつく。
「今、通ったね~。」
「あ、あげはちゃんも気がついた!?」
「うん。ザワザワしたから~。」
幽霊、にしては生々しい姿だった。
幽霊を見た時独特の、あの心臓がキューッと縮む感覚がしない。
汗ばむ夜の闇に、虫の鳴き声が響くだけだ。兵隊のような姿だったそれは、通りすぎると同時に、消えた。
「今の……何? え、なんかいた。なんかいた、今。」
焦りはするものの、怖いものではなかった気がする。
これまで見てきた幽霊とは違うようなものだ。
「七春くんにも見えた~?」
「あぁ……うん。俺は霊感ないのに、なんで。」
「今のは霊じゃないね~。」
あげはがアッサリと言い放つ。
それから、銃を持った男が消えた方へ視線をなげた。
周囲には黒いシルエットの木々だけが立ち並び、祭りの客の姿はない。
そこには、誰もいないはずなのに。
「今のはたぶん、この場所に残っていた記憶……かな~。」
「記憶?」
いいながら、七春はキョロキョロとあたりを見回す。
七春がオウム返しに聞き返したので、あげはが説明を続けた。
「普通はそうそう起こらないけど、強すぎる感情は、その場に残っちゃうことがあるんだよ~。殺人現場とか、事故現場とかね~。」
「じゃあ、今のも……」
幽霊はいないと聞いて、ひとまず安心するものの、あまり穏やかではない話しだ。
少し離れたところで亜来たちと話している八神は、気がついていないらしい。
「ここにある怪しものは、そういう置き去りになった記憶を、可視化するのかもしれないね~。これはやっぱり、持っておきたいかも~。」
ワクワク嬉しそうに言って、ふいにあげはは七春に背を向けた。
そのまま歩きだすので、あわてて呼び止める。
「あげはちゃん!」
「私、大事な用事があるから~。ここに来た理由は、お祭りだけじゃないし~。」
と言って、フライドポテトの最後の一本を食べ終える。
あげはが言う大事な用事と言うのは、怪しもののことだろう。広場の近くには祠があって、そこに怪しものがあるのだと、八神は言っていた。
このままでは、あげはに先を越されてしまう。
競っているわけではないが。
「待ってあげはちゃん!」
追いかけようとしたその時、あげはが高々と手をあげた。中指と人差し指をたて、短くとなえる。
「心触、現れ。」
紫色の火の玉が、燃焼の音と共に現れた。
「そうそう、七春くんは心霊ロケの時、怪しものを手に入れてたよね。じゃ、邪魔されないようにしとこう。」
髪の長い女の生首のような形をした火の玉。ふわふわと滞空して、あげはの周囲を包む。
「なんか火の玉だしてるよ!?」
七春がツッコむ。
そのツッコまれた火の玉が、くるくると輪を描くように動くと、それと同時に七春の周囲には、再び屋台が出現した。
ライトの灯りが道を照らし、道幅がぐっと狭くなったと思うと、人がどっと溢れかえる。
ざわめく声が聴覚を狂わせ、ひしめく人波で視界もきかない。
「え?」
右には人波。
「え?」
左にはお面を売る屋台。
「えーーー!?」
七春は、祭り騒ぎの直中にいた。
前方から歩いてくる人と、後方からくる人の列の間にいるせいで、動こうとするたび、肩がぶつかる。
「あ、あげはちゃ……くっ。」
ぶつかっては後退するせいで、思うように進めない。手にしていたかき氷も落としてしまう。
下を向こうとするものの、足下なんてさらに見えない。
他人と他人の隙間から道の先を見ると、そこにはもうあげはの姿はなかった。
人混みにまぎれるなら容易いだろう。同じように髪が長く、浴衣姿の女性がたくさんいる。
(あげはちゃんて、やっぱり普通じゃない!……いや、それよりも、)
後方にも屋台は続き、よく見ると太鼓台まで出現している。
そこにいたはずの、亜来や八神も見当たらない。
(この状況で八神くんロスるのは絶対ヤバイだろぉ!)
八神をロスった。




