なんでもない話。
夕方、陽もくれて涼しくなってきた頃。
雪解が境内を通りかかると、八神が儀礼用の刀を振り回していた。
八神からすれば刀の稽古なのかもしれないが、ぶっちゃけ下手なので、振り回しているようにしか見えない。
だからその時、雪解はこう尋ねたのだ。
「あの、やこーくん、何してるんですか?」
「ん?」
ビュンビュン振り回していた刀を止めて、八神は振り返った。
その頭には白い包帯が巻いてあり、頬には紫のアザが濃く残っている。
どれだけ怪我をしていても服装は相変わらず変わらない。腰に上着をまいている。
それらの傷は、怪しものの回収をする雪解を手伝ううちにできた傷だ。
躊躇なく雪解をかばううちに、包帯男のような姿になってきた。
「なんだ雪解か。」
笑顔で返した八神の目には、表情を曇らせた雪解が映る。
今日は、長い黒髪を後ろでひとつに束ねていた。
「お怪我をされているのですから、安静にしていていただかないと、困ります。」
それも、雪解が受けるはずだった傷だ。
責任を感じている。
「言うほどたいした怪我じゃないよ。それに、バイトや声優の勉強の合間にこういう時間がとれるのは有り難いしさ。」
と言って、また刀をビュンビュン。
「ダメだ、やっぱり、刀は向いてない。」
「あの、それで、何をしているんですか?」
「武器選び。」
雪解の質問に、八神は神妙な面持ちで返す。
聞き慣れない言葉に、雪解は首をひねった。
「武器選び。」
とオウム返しに繰り返す。
「一緒にいて思ったんだけど、雪解を護りたいって言うわりに、俺は決まった武器がないから戦いにくいなーて思ってさ。」
なんだかんだと、行き当たりばったりにフォローに回ることが多い八神は、手近にあるものを振り回すことが多い。
「そうでした。」
ポムン、雪解が手を打つ。
「やこーくんに、塩や札の使い方を知って貰おうと思っていたんでした。」
そしてすっかり忘れていた。
雪解のその言葉に、八神は目をキラッキラさせる。
「ほんと!? そういうの、俺も使えるようになる?」
「やこーくんは霊力強いですし。練習すればできるようになると思います。」
「よっしゃ。」
ガッツポーズの八神に、雪解はあわてて付け加えた。
「ですが、今は怪我の治療に専念されるべきかと思います。覚えるのは、また今度にしましょう。」
「ええええ!」
わかりやすくテンションが下がる八神。
しかし、普段は天然おっとりな雪解もここは譲れないらしく、「ダメです。」と首を振る。
「うぅ……。」
悔しそうに、低く唸る。
しばらく不満げな表情を崩さなかった八神だが、雪解を困らせるのは嫌なのか、素直に従った。
それから、またまた刀をビュンビュン。
「じゃ、教えてくれるようになるまでは体力作りでもしとくか。よーし、これが終わったら次は走りこみだ!」
「やこーくん!」
全然わかってない。
「どうして……ちゃんと、自分のこと…」
張り切って体を動かす八神を見守りながら、雪解は小さく呟いた。
どうやらその声は、八神には届かなかったらしい。
「どうしたらいいでしょうか。」
と、雪解が相談したのは荒天鼬だった。
拝殿の階段に座り込んで、膝に荒天鼬をのせている。
色濃い夕陽が、落っこちそうになりながら、紅の空にしがみついている。雲はなかった。
小さなフェレットサイズの霊獣・荒天鼬は、不機嫌そうに鼻をフンとならす。
「もう死なせてやれよ。」
とテキトーな返事が返ってきた。
荒天鼬にとって八神なんて、食べ終えたプリンの容器くらいの存在でしかないのだ。
「また、そんなこと言って。」
「夜行はここ以外に帰るところなんかないんだ。戦って死にたいなら、戦って死なせてやればいい。」
「いや、だめでしょ。」
雪解が背中を丸めて、覆い被さるように膝の荒天鼬に顔をよせる。
「真剣に考えてください。」
「ごめんなさい。」
秒速で謝る荒天鼬。
顔をあげ、雪解は空を見上げた。暮れていく一日に、想いをはせる。
「あんなに若い男の子が戦死するなんておかしいでしょう。」
「怪しものを集めるなら、危険はつきものだ。雪解、お前だって、いつでもそうなる可能性がある。」
「私は巫女だから仕方ないのです。小さい頃からそう教えられてきた。でもやこーくんは違います。」
「仕方ないことはないだろう。雪解を護る立場にある俺たちは、少なくとも、お前に死なれると困る。それを夜行が代わるなら……」
「やこーくんに私の代わりに死ねと。」
何気なく、雪解が足を開いた。
膝の上に乗っていた荒天鼬を、ボトンと下に落とす。
「……じゃあ、私は人殺しですね。」
「雪解」
「だって、私の代わりに死ぬのなら、私が殺すのとそんなに変わらないじゃないですか。」
普段、無表情に過ごすことの多い雪解が、珍しく感情を面にだしている。
それが不自然に見えた。
不自然に見えるというのは、雪解に感情があるのは自然じゃないということだ。
「変わるだろ。雪解が殺すわけじゃない。それに、誰でも器用に生きれるわけじゃないんだ。中には夜行みたいに、誰かの傍とか、誰かのためとかでないと生きられない奴もいるんだよ。」
「そんなのは……」
言い訳じゃないですか、と言いかけて止める。
これ以上話しても、理解を得られないような気がした。先を見越して論争を早々に諦めるのは雪解の悪い癖だ。
「もういいです。荒天鼬には戦闘の際しか頼りません。私が自分でなんとかします。」
そう言って、下に落とした荒天鼬を拾いあげる間もなく、雪解は立ち上がって歩きだした。
何かハッキリとした目的があるようで、静かに、ためらいなく進んでいく。
陽の墜落地点には住み慣れた町があり、燃えるように赤く染まっていた。
戦火のようなその色に、雪解は向かっていく。
四年後、
七春の家のリビングで、件の夜行はグータラしていた。
敷地の広い一軒家に、七春とハリネズミ二匹が暮らしている。部屋数は多いが、住人は少ない。
その一番広い部屋のまん中、床の上に転がっている八神。八神の傍には低いテーブルがあり、ゲームや漫画が散らかっていた。
そして今、八神のお腹には、夕飯の回鍋肉がキチキチいっぱいに詰まっている。
「動けないほど食うなよ。」
と言うのは、食器の片付けを終えて戻ってきた七春。額には絆創膏がはりついている。
転がっている八神をムニュンと踏んずけてみると、
「うぷ……今は踏むのだめです。キャベツとお肉がでちゃいます。」
と弱々しい返事が帰ってきた。
苦しそうに言ったあと、ゴロンとジャガイモのように転がって、七春の足から逃れる八神。
仰向けになって、七春を見上げた。
「お片付け終わったんですか?」
「うん。」
と返事をして、七春はソファに腰かける。
「八神くんも、床じゃなくてソファ使っていいのに。」
言いながら、手近なクッションを引き寄せて抱きしめる。癒し。
「お腹が重たくてそこまで行けません……。」
と悲しい声をだす八神は、二回も回鍋肉をおかわりしたので、三人前がお腹に入っている。
今日の八神は、七春宅にて夕飯をごちそうになるために、はるばる朝からお腹を空かせておいてやって来たのだった。
「だから、なんでそんなに食うの。」
「食べたかったんですもん。」
そしてふいに会話が途切れ、八神はゴロンゴロンと寝返りをうった。
どうやら眠たいらしい。お腹がいっぱいになると眠くなるという魔法に、八神もかかっている。
まどろみの中、夕食後の静かな時間が二人を包んだ。
開いた窓から入る風が、風鈴を鳴らして通り抜けていく。涼やかな空気の中に、どこからか蚊取り線香の香りがしていた。
夏の夜。
「八神くん、聞いて。」
その空間を容赦なく崩しにかかるムードのない七春。
心地よい沈黙が、パリンッという効果音と共にどこかへ消える。
「この前のラジオ。姫川さんが、ゲストに来てたんだけど。」
「はぁ。」
普段のキャラより二段階くらい声のトーンを落として、迷惑そうな感じを隠さずさらけ出す八神。
に、七春は気がつかない。
「でな、前に俺らが様子見に行った部屋から引っ越したらしくてな、」
「はぁ。」
「猫飼い始めたんだってよ。二匹な。」
「はぁ。」
「なんかさ、猫とか犬とかって第六感みたいなものがあるからさ、霊とかいたら気がついてくれるんじゃないかって思って飼い始めたらしい。」
「はぁ。」
「猫とか犬ってあれだろ? あるのかな、ホンとにそういう第六感みたいなやつ。」
「そりゃあ、何も見えないうえに、見えているものまで見失っているような低能な人間風情にくらべたら、眼も耳も鼻もよく、センサーも敏感らしいですよ。俺も聞いた話ですが。」
八神はお腹が空いた時と眠たい時に極端に不機嫌になるらしいが、今は後者が理由のようだ。
子供のようにわかりやすいシステムで、感情が動いている。
「お前はホントに人間がキライね。」
ソファから身をのりだし、八神の眠そうな顔を覗きこんで、七春が返した。
八神はほとんど寝オチしそうになりながら、必死に目を開いている。半分くらい。
そのグータラ八神を見て、七春も座った体勢のまま体を倒して、ソファに寝そべった。
「まぁ、それはどうでもいいんだけどさ。ハリネズミとかにもあるのかな? 第六感。俺んちハリネズミが二匹いるけど、霊的なものを感じとった試しがないんだよなー。」
ちなみにそのハリネズミは七春の独断で放し飼いされているので、どこにいるかはわかりません。
たまに部屋の隅などに唐突に姿を現します。
名前はハリくんとネズくん。相変わらず七春のネーミングセンスは、独自の路線を突き進んでいる。
「はぁ。」
と八神はこの生返事。
「やっぱり俺も霊力強そうな動物飼った方がいいかな? でもウチは八神くんいるからな、食べられたら大変だし…」
俺もネズミ飼おうかな?でもウチは猫がいるから、食べられたら大変だし…。みたいな感じで言う七春。
「食べませんよ動物なんて。お腹に入りません。」
イノシシがまるまる一匹入りそうな腹の八神が言っても、あまり説得力がない。
少なくとも、回鍋肉三人前がおさまることは実証ずみである。
戯れ言を続ける七春を見上げる八神の目はトロンとしていて、夢の中で横浜中華街をウロウロしている。
「あの……、七春せんぱい」
「ん?どうした?」
「ねむたいです……」
「うん。寝るなよ?」
「おねむです……」
「うん。寝るなよ?」
目をこする。
頑張って力を入れているものの、閉店シャッターのように、まぶたがガラガラと音をたてて閉まっていく。
「なんだか、デジャヴです……」
置かれた環境に既視感を感じ、聞き逃しそうな小さな声で八神が言った。
どーせ、あのまま寝るだろうと思っている七春は、八神から注意をそらし、『できなくてもなんとかしろよ、魔法少女だろ!』の原作最新刊を読んでおこうと手をのばしている。
「んー。なに?」
と、今度は七春が生返事。
「昔、境界の巫女に、一緒に戦うことを一度否定されて…。いや、一度くらいではすまなかったんですが、それで、グータラしてる時期があったなぁと。」
「ふーん。」
さして興味がないのか、さらに意識の遠い返事をする七春。
それでも、寝オチする直前まで八神は続けた。
「俺は、必要ないのかと、考えたり……。どうすれば、必要になるのかと、考えたり、して、いた。……時期が……。今、思いだしました。」
「八神くんは物じゃないでしょーよ。」
心底、興味がないらしく、七春がユルユルと返した。
「必要かどうかは知らんけど。……俺は『必要だから』とか、そんな物みたいな理由で八神くんを傍に置いてんじゃねーよ。」
七春が、無意識に、なかなか深くていいことを言った時、
「ぐー。」
八神は完全にオチていた。




