第39話『魔術を操る敵』
輝石の鑑定を兼ねた休憩を終え、地下二階の通路を再び進む三人。やがてある大きな部屋へと足を踏み入れた彼らは、奥の壁の一角から下へと伸びる階段を遠目に発見して安堵の微笑を浮かべた。しかし、その表情は一瞬で鋭いものとなる。正面奥の壁はそのまま左右へと伸びて通路となっており、それぞれの通路から敵が現れたのだ。左方向から現れたのはもうこの数刻ですっかり見慣れた蜥蜴剣士の群れ。しかし右方向から現れたのは……。
ナギラギアはその姿を見ると顔をしかめ、手をかざして所持する輝石の中からある消費アイテムを取りだした。そして現れた袋の口を開けるとすぐさま中の粉を自分の全身に散布する。その光景はアンリが毒を受けた際に【解毒の粉薬】を己に使う時と全く同じものであった。
ナギラギアの動作が気になるアンリではあったが、それを問いただす余裕はなかった。二足の蜥蜴達が眼前に迫っていたから。
「気をつけて! 右前方から恐らく敵の魔術が来ます!」
「うそっ!?」
注意を促したナギラギアの声に悲鳴を返したのはエレン。右方向から登場したのはエレンですら知らない敵であったのだ。五体いる彼らの姿は、頭から被ったフード付きローブに全身を覆われており、年老いた人間のように腰が曲がっている。ローブの色は一体だけが暗い青色で、後の四体のそれは薄い茶色であった。だぶだぶの袖から生えているのは、皮しかついていないのではないかと思わせるような細い指と長く鋭い爪が生えた手だった。その頭巾の暗闇に包まれた顔の中は真っ暗闇で、唯一判別出来るのは爛々と光る赤い目のみ。その暗黒からとある異質な呪文が紡がれる。ナギラギアの言葉通り、魔術を放つつもりなのだ。
先に魔術が完成したのは茶色のローブを身につけた者達だった。正面に向けられた指先に灰色の輝きが宿り、やがて不気味な光の弾となって執行者達の元へと飛来した。その光弾はエレン、そしてナギラギアに向かってそれぞれ二つずつ飛来する。同時に蜥蜴剣士が飛び掛ってきていたエレン、そして回避よりも己が魔術を放つことに専念していたナギラギアは両者とも敵の魔弾をその身に受けてしまう。エレンはその時ちょうど蜥蜴剣士達に【月形の斬撃】を放とうと剣を振りかざしたところだった。
「はああっ!! 【月形の……】!?」
動作の途中でエレンは驚愕に目を見開いた。己の口と舌が急に言葉を紡げなくなったのだ。幸い鍛錬を怠っていない少女の肉体はそんな戸惑いをものともせずにアーツを繰り出し、数体の蜥蜴剣士を餌食にした。
動揺しているエレンとは裏腹に、敵の魔術をその身に受けたナギラギアは動じず、魔術の詠唱を続けていた。やがて完成した一本の火の矢が青いローブを纏った敵に突き刺さり、その魔物は苦悶の声を上げて己の術を中断した。
突然の体の異変にまだ戸惑っているエレンをカバーせんと、アンリは残る蜥蜴の群れに切り込み、大振りな攻撃を繰り出す。数体の剣士はそれを回避したが、一体の蜥蜴剣士は盾で受けそこね、滑った刃に体を両断されて散った。
「大丈夫、声を封じられただけです!! まずはあの青い敵を始末してください! エレン!」
その言葉だけで状況を理解したのかエレンは頷き、奥に陣取る青のローブを纏う敵へと駆け出した。先ほど中断させられた魔術を再度使おうとする青いローブの魔物、そして新たに別の魔術を使おうとする茶色のローブ達だったが、エレンの足は速かった。四体の敵の間をすり抜け、一際目立つ青いローブの魔物へと飛び掛る。その手の白刃がフードに隠れた赤い両目の真ん中へと突き刺さった。先ほどナギラギアの【炎の矢】によって負傷していた魔物はびくんと体を硬直させる。それがエレンがまだ名も知らない簒奪者の最後だった。貫かれた場所から灰が噴き出し、やがてローブもその体も雲散霧消した。
エレンを囲むように陣取った茶色のローブ達の手にそれぞれ炎の塊が生まれる。しかし彼らがそれを打ち出す前に、ナギラギアの魔術が完成していた。
「ゾーフィスよ!! 雷の魔術を編み出した偉大なる神よ!! 我はここに始まりの瞬きを呼び出さん! 瞬きで足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、雲間を踊る雷光に! 雷光で足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、地を穿つ稲光に! その稲光を持って我は悪戯な雷撃を創造せん!! はじきとべ!! 【悪意ある稲妻】!!」
少女から放たれる青い輝きを帯びた電撃。それはローブを纏う一体に命中し、その不気味な体を衝撃で吹き飛ばした。その先には哀れなもう一体の眷属がおり、彼らはもんどりうって石の床に転がる。
もちろんそれを見逃すエレンではなかった。無様に倒れる魔物へと駆け寄り、両足で踏みつけて剣を突き立てる。最初の一体はたちまち灰になり、二体目もすぐさまその後を追った。残りの二体の魔術は完成し、炎は紅蓮の矢となってエレンへと襲い掛かった。しかしエレンの持つ四色の宝石が収められた盾、【抗魔の盾】は地水火風の四属性に対しての抵抗力を大幅に上げる能力を持つ。菱形の盾はその効果を遺憾なく発揮し、焔に焼かれたエレンは大したダメージも負わず、揺ぎ無く立っていた。
動揺したのか一歩下がった茶色のローブに近付く影があった。赤い衣を纏うナギラギアである。少女は駆け寄りざま、手にする青い宝石付きの杖を振りかざす。
「【二連の車輪】!!」
体を回転させながら杖を横殴りに振るうナギラギア。光を纏った両手杖が眷属の背中に襲い掛かり、よろめいた相手に向かって今度は体をそらしながら思い切り上段に振りかぶるとやがて敵へと打ち下ろした。その杖が描く横と縦への光の軌跡は武術の名前の通り、二連になった車輪のようであった。
残念ながら撃破には至らなかったものの、ナギラギアが一体の相手をしている間にエレンは残った片割れを素早く屠り、返す刃でもはや抗う術をなくしている最後のローブ姿を始末した。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがと」
援護をしてくれたナギラギアに笑顔で返したエレンは、自分が問題なく喋ることが出来たのに気付く。沈黙をもたらす敵の魔術の効果が切れたのである。
安堵したエレンだったが、まだ戦闘が終わっていないことを思い出し、慌ててアンリの方を向く。しかしそれは杞憂だった。いつの間にやら成長著しい幼馴染は、蜥蜴剣士くらいなら一人で片付けることが出来る腕を身につけていたのだ。剣を持ち、手をふりながらゆっくりと歩いてくるアンリに、エレンもその手の平を彼に向けることで答えたのだった。




