ブレイン・シャッフル(1)
「ご苦労様です春賀さん」
「サンキュ。でも、別にご苦労ってほどのことはしてないよ」
そう言いながらも、ふーっと長い溜め息を吐いた様子からして、やはり鉄子もかなり緊張していたのだろう。
ともあれ、
ドアの開錠には成功した。
今、重要なのはその点が一番である。
「さてと、そうなるとあとは残りふたつ。右と左のドアを開ける方法を……」
「いや、その必要は無いよ」
言いかけたところへ、突然、鉄子から否定を差し挟まれ、唯は困惑した表情を浮かべた。
それを見つつ、鉄子が続ける。
「見て気が付かなかったかい。右と左のドアノブにはホコリが積もってない。加えて、正面のドアを開けた時点で流れ出してた曲が止まった。てことは、本来機能するはずの残りふたつのスピーカーはすでにお役御免になってるってことになる。畢竟するに、またも先乗りした奴らがいるってことさ」
「え……って、ことは……?」
「残りふたつのドアはすでに開錠済みってこと。誰かに先を越されてるよ。だが今回も悪運が味方したな。(関門)はこの部屋には三つだ。残り物には福があるっていうけど、さて、このドアは吉と出るのか凶と出るのか……ね」
指で額の汗を拭いながら、鉄子はそう言って開錠された正面ドアを見つめた。
またしても想像すらしていなかった事態。
昨晩もひどい迷惑をかけていった部外者が、またぞろ先に(関門)に手をつけていたとは。
しかも今回は最低でもふたり。
重ねて、
昨晩の不埒者は(関門)突破に失敗していたが、今回は突破されている。
相手がどういう人間なのかがはっきりしないだけに、この先の道中は迷宮の(関門)プラス、不法侵入者への対処も考慮して進まなければならない。
頭数だけは多いとはいえ、なんとも荷が重い。
「さ、のんびりしてる暇は無いよ。もしこの三つのドアを進んだ先がすべて同じ場所だったとしたら、それこそ目も当てられない。急がないと、お宝を横取りされちまう」
言って、鉄子はすぐさま正面ドアのノブを握ると、一気に押し開けた。
そこには、
また広がる。
新しい部屋。
一足早く、部屋に足を踏み入れた鉄子の姿勢から、その部屋の奇妙さは間接的にまず伝わってくると、すぐに当の鉄子からの忠告でそれが確信に変わった。
ぐらりと揺れるように沈み込んで部屋へと入り、
「おーい、みんな足元に気をつけな。しっかり見て入らないと、入り口ですっころぶぞ」
そう言う。
続いて部屋を覗き込んだ誠は、我が目で室内を確認して合点した。
ぱっと見には前の部屋と同じ、円形の部屋。
ただし広さはその何分の一かといったところか。
正面に金属製のドアがひとつ。
ここまでは大した特徴は無い。
問題は足元。
床である。
円形の部屋の床は、まるでお椀のように丸くくぼみ、ひどく足元を不安定にさせる構造になっている。
どういった意図でこんな部屋を造ったのか、今までの部屋以上にその疑問が強まるが、どうやら部屋の造りそのものには特に大きな意味は無かったらしい。
後ろの誠らに注意を促してから、すぐにそのやたらと歩きづらい床を抜け、正面ドアまでたどり着いた鉄子が、ドアを探りながらまた声を発する。
「またしても意味不明のメッセージだ。みんな転ばないように早く来な」
言われ、まず誠が坂を下るように床を進むと、中心部からは一転して上り坂のように足を踏ん張り、鉄子の背後からドアを覗き込んた。
ドアには短いメッセージと、アルファベット表記のボタンスイッチ。
内容を確認しようと、よく目を凝らしている間に、後ろから残りのメンバーも続いてくる。
メッセージに集中しようとするが、背後から聞こえてくる、
「わっ!」
「きゃっ!」
といった危なっかしい声に集中できない。
すると、そうこうするうち誠の背後まで三人が集まっていた。
「来たかい。さて、それじゃこのメッセージの意味だ。まず先に言っとくが、私には全然意味が分からない。あんたらはどうだ?」
記されていたメッセージは次の通り。
シロツメクサの貴族の名を示せ
「……シロツメクサの貴族……?」
小さな疑問形の声が唯の口からこぼれる。
無論のこと、誠もまったく同じことを口には出さずとも頭の中で思っていた。
まずシロツメクサが分からない。
加えて、貴族とはどういったことだろうか。
と、
「メッセージの内容からして、誰か有名な歴史上の人物か、もしくは何か物語とかの登場人物のことですね。でもシロツメクサの貴族……って、特に心当たりが思い浮かばないわ……」
これも背後から梓が付け足す。
「おいおい、そっち方面は三囲の専門だろ。そんな気弱なこと言わないでくれよ」
「そうは言っても、まずシロツメクサ自体が何なのかすら分からないから……」
「クローバーのことだって言えば少しはヒントになるか?」
鉄子から言われ、一瞬だが梓は目を丸くし、それからすぐ考え込む。
だが、
「……ダメです。クローバーに関わりのある貴族となると、思い浮かぶのはクローバーを国の象徴にしているアイルランド貴族だとかですけど、人数は少ないものの、ひとりふたりという単位の人数じゃ収まりません。とても絞り込めませんし、特に有名な貴族というのも……」
「ふうむ……」
手詰まりを感じ、鉄子がひとつ息を吐くと、梓はそれに合わせるようにうなだれる。
普段は気の強い態度を取っている梓が、なんともしんなりとした様子になっているのを見て、誠は(関門)に関われない苦しみを味わいつつも、(関門)に関わりながら、有効な手立てを考えつかない苦しさを、目で見て想像していた。
頼られるも苦し。
頼られざるも苦し。
頭脳労働に限ったことではない。
しばし、部屋を沈黙が支配する。




