41
第41話 向こう側の願い
『私を、整理して』
その声が聞こえた瞬間。
世界が止まった。
風が止まる。
木々の揺れも。
鳥の鳴き声も。
魔力の流れさえ。
すべてが静止した。
「……何?」
リナが周囲を見回す。
アルベルトも剣を構えたまま動かない。
エリスだけが。
俺の腕を掴んでいた。
「蓮……?」
「ああ」
俺は答える。
「聞こえてる」
エリスの指に力が入る。
「何が?」
「……声」
「誰の?」
俺は答えられなかった。
目の前に。
見たことのない景色が広がっていたからだ。
空もない。
地面もない。
ただ。
無数の光が浮かんでいる。
赤。
青。
白。
黒。
その一つ一つが。
何かの「願い」だった。
『生きたい』
『愛されたい』
『認められたい』
『自由になりたい』
『誰かを守りたい』
『強くなりたい』
『忘れられたくない』
そして。
その奥に。
一つだけ。
巨大な黒い塊があった。
俺は。
それを見た瞬間に理解した。
「あれが……」
始原外存在。
人の形ではない。
神の形でもない。
ただ。
願いが重なりすぎて。
何を望んでいるのかすら分からなくなった存在。
俺の【構造解析】が起動する。
【解析開始】
【対象:始原外存在】
【構造:未分類】
【願い:多数】
【矛盾:極めて高い】
【中心願望:不明】
「中心願望が……不明?」
俺は目を細める。
なら。
やることは一つだった。
「整理する」
【警告】
【対象が世界外存在のため、完全整理は禁止】
「分かってる」
俺は手を伸ばす。
「全部消すつもりはない」
光が。
一つずつ俺の手元に集まってくる。
『生きたい』
『消えたい』
『愛されたい』
『一人でいたい』
矛盾した願い。
今までなら。
「どちらかを不要として消す」
それが普通だったのかもしれない。
でも。
俺は違う。
「どっちも残す」
光が揺れる。
「生きたいと思う気持ちも」
「消えたいと思う気持ちも」
「愛されたい気持ちも」
「一人になりたい気持ちも」
俺は。
それぞれを別の場所へ移す。
「全部、お前の願いなんだろ」
黒い塊が。
初めて動いた。
『……なぜ』
声が響く。
『なぜ、消さない』
「必要ないから」
『矛盾している』
「しててもいいだろ」
『一つに決めなければ』
『存在は不安定になる』
「じゃあ」
俺は笑った。
「不安定なままでいい」
『……』
「人間だってそうだ」
「好きなのに嫌いだったり」
「離れたいのに一緒にいたかったり」
「怖いのに挑戦したかったりする」
「矛盾してる」
「でも」
俺は黒い塊を見る。
「それも含めて、自分なんじゃないか?」
沈黙。
そして。
【始原整理】
【第一分類完了】
【第二分類開始】
黒い塊から。
大量の光が剥がれていく。
その中心から。
小さな光が一つ。
浮かび上がった。
それは。
とても小さかった。
他の願いとは比べ物にならない。
でも。
なぜか。
俺には分かった。
「これが……中心?」
『……そう』
初めて。
声が穏やかになった。
『それだけ』
「え?」
『私は』
『誰かに』
『ここにいてほしかった』
俺は。
息を止める。
『ただ、それだけだった』
『でも』
『怖かった』
『失うのが怖かった』
『だから願った』
『もっと』
『もっと』
『もっと』
『誰にも奪われないように』
『誰にも捨てられないように』
『全部を』
『自分のものに』
その瞬間。
俺は気づいた。
「……だから」
「世界を?」
『そう』
『世界を作った』
『でも』
『世界が大きくなるほど』
『願いも増えた』
『私は』
『何が欲しかったのか』
『分からなくなった』
俺は。
その声を聞きながら。
アリアを思い出した。
最初の願い。
「誰かに、ここにいてほしい」
それだけだった。
「お前は」
俺は黒い塊に言う。
「ずっと一人だったのか」
『……』
返事はなかった。
代わりに。
黒い塊の一部が。
ゆっくりと人の形へ変わっていく。
小さな手。
細い足。
長い髪。
そして。
顔が現れる。
「……アリア?」
違う。
顔は似ている。
でも。
アリアより少し幼い。
その少女は。
泣いていた。
『私は』
『誰かに』
『見つけてほしかった』
俺は。
無意識に一歩近づいた。
「じゃあ」
「どうして俺をこの世界に送った?」
少女は。
涙を拭う。
『あなたが』
『捨てなかったから』
「……?」
『あの日』
『あなたは』
『誰も見ていないのに』
『落ちていたものを拾った』
「ペットボトル?」
『違う』
『もっと前』
『あなたは』
『何度も』
『捨てられたものを拾っていた』
俺は思い出せない。
でも。
その言葉には。
なぜか納得できた。
『だから』
『この人なら』
『私の願いも』
『捨てないと思った』
「……」
胸が。
少しだけ痛くなった。
「俺に」
「整理してほしかったのか」
少女は頷く。
『でも』
『あなたを送るためには』
『世界の外側から』
『世界へ干渉しなければならなかった』
「それで」
『あなたは』
『死んだ』
「……」
『ごめんなさい』
その瞬間。
世界が再び動き始めた。
風が吹く。
木々が揺れる。
リナが倒れそうになり。
アルベルトが支える。
「いったい何が……」
俺は。
何も答えられなかった。
ただ。
目の前に。
小さな光が浮かんでいる。
【始原外存在】
【中心願望の抽出に成功】
【願いの構造が安定しました】
【対象状態:不安定→安定】
そして。
最後に。
新しい表示が出た。
【始原整理】
【新たな権能を獲得】
【願いの分類】
俺は目を見開く。
「……新しい力?」
だが。
その直後。
別の表示が重なった。
【警告】
【始原外存在の安定化により】
【世界外部への座標が確定しました】
「……え?」
第四来訪者の顔から。
血の気が引いた。
「まずい」
「何が?」
彼女は空を見る。
「今まで」
「あなたたちの世界は」
「外側から正確に見つけられなかった」
そして。
震える声で言った。
「でも今」
「あなたが始原外存在を整理したことで」
「この世界の場所が」
「完全に確定した」
遠い空の向こう。
一つ。
また一つ。
白い亀裂が開いていく。
【第五来訪者】
【第六来訪者】
【第七来訪者】
次々と。
世界の外側から。
何かがこちらを覗き込んでいた。
そして。
その中の一つから。
聞き覚えのある声がした。
『見つけた』
俺は。
空を見上げた。
『やっと』
『見つけたよ』
『私たちの世界を』




