第一章:陽炎のささやき
「おい、役立たず。今日もまた枯れ草のスープを作っているのか?」
嘲笑を含んだ声が、石造りの調合室に響いた。
調合台に向かっていたレナは、手にしていた銀の匙をそっと置き、振り返らずに小さく息を吐いた。背後には、豪奢な刺繍が施された絹のローブを纏った上級錬金術師の青年が、軽蔑の眼差しを向けて立っている。
「これはスープではありません。薬草の抽出液です」
「ふん、魔法の力も込められぬ薬草液など、ただの泥水と変わりあるまい。王立調合院の面汚しめ。君の亡き父親が優秀だったから置いてやっているものの、そろそろ己の無能さに気づいたらどうだ?」
男は吐き捨てるように言うと、靴音を荒々しく響かせて立ち去っていった。
バタン、と重い木製扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、レナはぎゅっと拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込み、かすかな痛みが走る。
(わかっている……私に魔法の才能がないことくらい)
このグランヴァリア帝国では、調合術とは「魔力を薬草に注ぎ込む技術」を指す。どれほど貴重な薬草を揃えようとも、そこに魔力という神秘の触媒がなければ、効能は半減してしまうのだ。
魔力を持たず生まれてきたレナは、どれほど夜を徹して薬草の知識を深めようとも、周囲からは「ただの草むしり」と揶揄され続けていた。
レナは出窓に向かい、木枠に手をかけた。外からは、押し寄せるような蝉時雨と、刺すような日差しが差し込んできた。
季節は夏。
グランヴァリアの夏は苛烈だ。青空はどこまでも高く、見上げるだけで目が眩むほどに澄み渡り、地面からはゆらゆらと陽炎が立ち上っている。
「……暑いな」
ポツリと漏らした呟きは、蝉の声に消えた。
本当は、自分の作った薬で誰かを救いたい。誰かの痛みを和らげ、笑顔を取り戻してほしい。亡き父がそうであったように。だが、魔力を持たない自分には、その願いすら高望みなのだろうか。
胸の奥に渦巻くモヤモヤとした不満と、諦めきれないかすかな望み。それを押し殺すように、レナは作業に戻ろうとした。
その時、激しく扉が叩かれた。
「レナ殿! レナ殿はおられるか!」
現れたのは、汗だくになった宮廷の使者だった。呼吸を荒らげ、青ざめた顔でレナを見つめている。
「はい、レナですが……どうされたのですか?」
「すぐにおいでいただきたい! 北の公爵領よりお見えになったジル様が……ジル様が、また倒れられたのだ!」
ジル・ヴァルハイト公爵。
その名を聞いて、レナの背筋が凍りついた。
隣国との国境を守る名門ヴァルハイト家の若き当主であり、弱冠二十歳にして無敵の騎士と称される青年。しかし、彼には恐ろしい噂があった。
——数年前の戦場で異形の呪いを受け、体が刻一刻と「氷」へと変わりつつある、と。
「ですが、私のような未熟者が伺っても……上級錬金術師の方々にお願いすべきでは……」
「ダメなのだ! 上級の錬金術師たちが放つ強力な魔力は、かえってジル様の体内の呪いと反発し、激しい拒絶反応を起こしてしまう! 魔力を持たない君の……君の手で調整された『素朴な薬』でなければ、お体に入らないのだ!」
使者はレナの手を半ば強引に掴んだ。
「頼む、レナ殿! あの御方は我が国の要だ。失うわけにはいかないのだ!」
掴まれた手から、相手の必死な振動が伝わってくる。
魔法が使えない自分の存在が、初めて必要とされている。
レナは深呼吸を一つすると、強くうなずいた。
「わかりました。すぐに準備します」
彼女は調合台から、自作の冷却軟膏と、最も鎮静効果の高いハーブの抽出液を革袋に詰め込んだ。
太陽が天頂から照りつける中、レナは使者の後に続いて走った。
案内されたのは、城の離れにある日陰の客室ではなく、なぜか眩しい光が降り注ぐ「南庭園」の露台だった。
「なぜ、このような暑い場所に……?」
疑問を口にしながら露台へ踏み出したレナは、その光景に息をのんだ。
猛暑の太陽の下、真っ白な石造りのベンチに座っている人物がいた。
漆黒の軍服を纏い、黄金の髪を陽光に輝かせた青年——ジル・ヴァルハイト。
彼の周りだけ、まるで異世界のように「空気」が歪んでいた。
灼熱の夏だというのに、彼の皮膚は透き通るほど白く、指先からはかすかに白い霧のような冷気が立ち上っている。まるで、太陽の光を浴びながら溶けていく氷の彫刻のように。
「……下がれと言ったはずだ」
氷鈴を鳴らしたような、冷たく美しい声が響いた。
ジルがゆっくりと顔を上げる。その瞳は、凍てつく冬の湖のような蒼だった。
「私に近づけば、お前も凍えるぞ。……人間」
彼が放つ圧倒的な存在感と、肌を刺すような寒気に、レナは一瞬足がすくんだ。
しかし、レナは見逃さなかった。
彼が、その冷たすぎる手で、ぎゅっと自分の胸元を押さえ、激しい痛みに耐えるように唇を噛み締め直したのを。
猛暑の中で凍えている男。
その矛盾した姿の中に、レナは自分と同じような、誰にも理解されない深い孤独と葛藤を感じ取っていた。
お読みいただきありがとうございました!
面白かったらぜひ【ブックマーク】とページ下の【★★★★★評価】で応援よろしくお願いします。




