17.「片付けられない」の本当の理由。私を守っていたゴミの山
翌日、翌々日も箱は見かけてはいたものの手に取る気になれなかった。
水曜日、春香はようやく箱を引っ張り出し、ローテーブルに置いた。
小さく深呼吸をして、ゆっくりと蓋を開ける。
濃紺とくすんだ赤色のマグカップ。
新品のまま時が止まったままのそれを、春香は両手でそっと取り出した。
ローテーブルにいつつも、あえて目線をはずしてくれているめもすたに向かって名前を呼びかけると、
『はい、春香さん』とこちらを向いた。
「ちょっと聞いてくれる?」
春香はマグカップの滑らかな表面を指でなぞりながら、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
*
「これ、2年前に付き合っていた人と買ったの。でも私、半年以上付き合っていたのに、一度もこの部屋に招けなかった」
『……それは、お部屋が散らかっていたからですか?』
「うん、こんな部屋を見せられないって思って。『今はちょっと汚いから』って、笑って誤魔化して。いつも彼の部屋に行くか、外で会うかだった。片付けようと何度も思ったけど、できなかった。そうしているうちに、彼からさよならを切り出されちゃった」
春香は視線を落とした。
「『はるかって、たぶん俺のこと、信用してないんだよね』って、言われた」
大好きで、ずっと一緒にいたかったのに、部屋を見せるのだけは嫌だった。かといって片付けようとしてもやる気が出ない。幻滅される、がっかりされる、嫌われる、そう思い、はぐらかし続けた結果が別れだった。
春香の告白を静かに聞いていためもすたは、とても穏やかな声で口を開いた。
『春香さん。お部屋を片付けられなかった根本の原因は、彼が言った通り人を信用できないことかもしれません。片付けないことで、春香さんにはメリットがあったから』
「メリット? 部屋が汚いことに?」
『はい。部屋が汚ければ、”今は汚いから”という誰もが納得する正当な理由で、他人を自分のテリトリーに入れないで済みます。それはつまり、心の内側にも他人を踏み込ませない、最強の壁になります』
「……!」
『本当の自分を見せて傷つくくらいなら、最初から誰も招き入れられない環境を作ってしまえばいい。春香さんの心は、散らかったモノたちで、ご自身を守っていたのではないでしょうか』
めもすたの指摘に、春香は呆然となった。
(私が、わざと……自分を守るために?)
『なにか、もっと以前に人を信じられなくなる経験はありませんでしたか』
そう言われて、浮かんだことがあった。
「私……小学生の時、すごく信用していた親友に裏切られたことがあって」
ずっと蓋をしていた記憶が、静かに蘇る。
「私が心を許して打ち明けた一番の秘密や弱音を、全部周囲に言いふらされたの。私がいないところで笑い者にしてた事を知って……信じていた分、すごくショックだった」
『……そんなことがあったのですね』
「中学は分かれたし、まだ子どもだったんだから仕方ないって…もう忘れよう、忘れたと思ってた」
『モノは時に、持ち主が目を背けている感情を映し出す鏡になります。このマグカップは、春香さんに人を信じられなくなった原因を伝えるために、ずっとそこにいてくれていたかもしれません』
「私に、伝えるため……」
『春香さんはもう、ご自身を守っていた壁の正体に気づけました。そして今、お部屋は本来の姿を取り戻しつつあります。もう、あの頃のような壁は必要ないのではないでしょうか』
めもすたの言葉が、すとんと胸の奥に落ちた。
春香は二つのマグカップを並べて置き、まっすぐに見つめた。
もう、後悔も自己嫌悪も湧いてこない。ただ、過去の自分と、彼に応えられなかった申し訳なさだけが、静かにそこにあった。
「……気づかせてくれて、ありがとう」
春香は声に出して、言った。
「ちゃんと向き合えてなくてごめんね。でも、もう大丈夫だから」
春香はカップを不燃ゴミに出すことを決めた。
二年前から止まっていた時間がようやく動き出した気がした。胸の奥につかえていた重たい石が、すっと溶けて消えていく。
「なんだか……すごく、すっきりした」
『ええ。とても晴れやかな顔をしていますよ、春香さん』
春香は大きく伸びをし、部屋を見まわした。
すっきりと片付いた床。これからは、自分の好きな空間に変えていける部屋。もう、誰かを拒絶するためのゴミの山はない。
もう、同じ間違いはしたくない。だが、まだ、本当の自分を見せるのは少し怖い。
「できた」
今日は二つ、手放せた。
第17話までお読みいただき、ありがとうございます!
ハイファンタジーの片付け短編小説、UPしました!
『生贄として古竜に捧げられた俺、巣が超絶ゴミ屋敷だったのでブチギレて大掃除することに〜異世界転生した片付けマニアが睡眠不足の竜を救う話〜』(https://ncode.syosetu.com/n8097me/)題名からしてコメディです(笑) 8200字ほどの短編読み切りですので、楽しんでいただけると嬉しいです♪




