表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/25

13:いかなる時も、愚者は魔獣に慈悲を注ぐ①

 闇が身体中を飲み込み、意識の深淵まで侵食していく。それが僕の想像していた「死」だった。けれど、現実は違った。想像していたものとは、似ても似つきもしなかった。  


 光が降り注ぎ、目の前には緑豊かな草原が広がっていた。そこには笑顔で旅をする一行の姿があった。  


 黒髪でダイヤモンドの瞳を持つ男、気品のある剣を携えた茶髪の男、美しい瞳の女性、そして他にも数人。皆が、見覚えのある顔……あのスライム魔獣と共に歩いていた。


「……起きたか、ベラミ」  


 後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると、そこにはスライム魔獣が立っていた。


「……ここは?」


「我の記憶だ」


 スライム魔獣は笑った。


「見られるのは、少し気恥ずかしい」


「そうか……信じがたいですが」


 僕は溜息をついた。


「状況を詳しく説明してください」


「うむ、そうだな……。つまりな……ベラミ、君は死にかけているのだ」

 

 ……。  


 ……..…。  


 ……..........。  


 そうだ。  


 思い返せば、ここに来る前の最後の光景は、ボロボロに打ちのめされ、自ら腕を切り落とした姿だった。今の状態なら、出血多量で死に瀕しているのは間違いない。つまり、ここは死後の世界か……。ん? なら、なぜスライム魔獣の記憶が関係しているんだ?  


 僕が問いかけるより先に、スライム魔獣は僕の心の疑問に答えた。


「だが、我はベラミを死なせはしない」  


 名前に「愚者」を付けるのをやめたのか? そう聞き返したかったが、今はそれよりも。


「貴方は、一体何をするつもりなんですか」


「我の話を聞いてはくれないか?」  


 僕は頷いた。スライム魔獣はそれを見て満足げに微笑むと、先を行く一行の後を追いかけた。彼らには僕たちの姿は見えない。これはただの、魔獣スライムの記憶が紡ぐ幻影なのだから。


「前にいるのが誰か、ベラミは不思議に思っているのだろう?」


「その通りですよ」


「先代の勇者一行だ」  


 ……少し、信じられないな。  


 歴史上、魔獣と戦う使命を帯びたはずの勇者一行が、なぜスライム魔獣と隣り合い、友人のように談笑しているんだ。


「スライム魔獣、随分と一行に馴染んでいるんですね」


「ああ、皆、友人だったから」


 スライム魔獣は振り返り、微笑んで言った。


「一行の中には先代の「愚者」もいたのだ。紫がかった黒髪にダイヤモンドの瞳。ベラミと瓜二つだ。ただ、背が高くて痩せこけていたがな」


「へぇ……先代の「愚者」。数百年前の話だと思っていましたが。確か、王国を追放された直後に亡くなったのでは?」


「人間の歴史については詳しくは知らん。だが、追放されたのは事実だ。ただ死んではおらず、世界中をあてもなく旅する根無し草となり、我と出会ったのだ。それから多くの人々と出会い、どういうわけか、後に勇者一行となったのだ」


「僕に本当の歴史を語ってくれるつもりですか?」


「十分な時間があればそうしたいところだが……。我にはもう時間がない。語りたいのは、我自身の物語だ。それともベラミ、聞きたくはないか? ならば代わりに、勇者一行の物語を話してもよいが」


「いえ、いいですよ。貴方が話したいことを話してください」  


 正直、勇者一行の話にはさほど興味がない。  


 僕がそう言うと、スライム魔獣は頷き、独り言を呟いてから本題に入った。


「我は、己の存在以外の何も知らぬままこの世界で目覚めた。それから多くのことを学び、命を繋ぎ、旅をし、同族の魔獣や、対話のできる人間とも絆を結んだ。出会いと別れ、出会いと別れ……それを何度も繰り返してきた」  


 記憶の情景が溶け出し、語りに合わせて場面が変わる。  


 新しく現れたのは、茶髪の男の膝枕で眠るスライム魔獣と、指を差して文句を垂れる先代の「愚者」の姿だった。茶髪の男の腰には、『勇者の剣』が帯びられていた。


「勇者と愚者はとても仲が良かった。二人は我と対話ができるだけでなく、とても親切にしてくれた。……ベラミのように」


「……」


「この時代の勇者も、我に親切にしてくれるのかと気になっていた」


「あいつなら……貴方に興味津々で、一日中話しかけてくるでしょうね」


「そうか。出会う機会がなかったのは残念」


「ああ。それからしばらくして、我は再び一人になった」  


 記憶の光景が砕け散る。その後の記憶は語られぬまま飛ばされ、森の中で一人、焚き火の前に座るスライム魔獣の姿が現れた。彼女の表情は先ほどまでとは違い、悲しみに満ちていた。


「省略しすぎて、同情する余地もありませんね。演出家としては落第ですよ」


「時間がないと言っただろう」


「まあいいです。知るべきでないことなら、知らずにいます」


「……皆と別れ、再び一人になってから、あることに思い至ったのだ」  


 スライム魔獣は僕の顔を見つめ、自分の顔に指を向けた。


「我たちは、何のために生まれてきたのだろうか?」


「……はぁ」  


 疑問に思うのが遅すぎませんか?


「魔獣という存在がなぜこの世界に誕生したのか。我は世界の均衡を保つためのモンスターなどではない。人間との接触も断たれている。我の存在は、あまりに不条理だ」


「そうですね。それで、疑問に思った結果、何か得られたんですか?」


「何も得られなかった。今に至るまでな。だが……うむ、時折不思議な夢を見るのだ。そこに何らかの繋がりがあると思っている」  


 スライム魔獣は考え込んだ。


「夢の中で……ええと、何の夢だったか。……自分が見知らぬ誰かたちと立っている。空は赤く染まり……恐ろしい悪夢だ。自分が自分でないような感覚。それ以外は……一欠片も思い出せん」  


 僕は再び溜息をついた。


「随分と、無益な生き方をしてきたんですね」


「いや、無益などではない」  


 スライム魔獣は無邪気に答えた。


「我の人生が、決して無益なものではない。我はそう信じている」


「……失礼しました」


「怒ってはいない」  


 他人の生き方を侮辱するのは褒められたことではない。僕は心から申し訳なく思った。


「……なあ、ベラミ。これから、我の人生が無益ではないことを証明してみせる。――命と、命を引き換えて」


「……」


「ベラミ、君を死なせはしない」  


 どんな方法かは分からない。けれど、命と命を引き換える?


「恩を着せるつもりがないわけではない。……ベラミ、我の頼みを聞いてはくれないか?」


「……」


「我の人生に後悔はない。だが、知りたいのだ。我たちの正体を。時代が変わるごとに排除される「魔獣」という存在を。人類の進歩のために、死ぬことが定められたこの運命を。……それなのに、消えたくないと願ってしまうこの心の正体を」


「貴方は――僕に『世界の真実』を探してほしいと言っているんですか?」


「うむ。世界の理によって覆い隠された、我たちの存在の真実を。それを追ってほしい」  


 壮大すぎて関わりたくない話だ。面倒だし、僕の時間を奪うことになる。


「拒絶してもよいのだ。我はお前に恩返しを期待して助けるのかもしれん。だが、この世界から消えていく我には、その結末を知る術はない。全くもって、無意味な行為だ」


「では、今この場で断ったらどうするんですか?」


「うむ。それでも、ベラミを助けるだろうな」  


 彼女は即座に答えた。


「たとえ最期が孤独であったとしてもな。ベラミ、君が我の元へ駆け寄ってくれた時、我の人生は再び鮮やかに彩られた。ほんの一瞬だったが、本当に嬉しかった。何より、この世界の誰とも違って、君は我の生存を望んでくれた」  


 スライム魔獣は僕に微笑みかけた。


「よく考えてみれば、この恩を返すために命を捧げるべきなのは、我の方だった。うむ、やはり今の頼みは忘れてくれ」


「……」


「ねぇ、なぜ目が震えているのだ?」  


 え?  僕は自分の震える目に触れ、顔を背けた。


「泣いているのか?」


「……貴方と知り合ってからまだ間もない。そんなわけないでしょう。僕は生まれてから十二歳になるまで、数えるほどしか泣いたことはありません」


「何回?」


「……二回だ」


「その二回とは、いつだ?」  


 スライム魔獣が歩み寄ってきた。彼女は本気で不思議がっている。僕をからかっているわけではない。


「……ここ数ヶ月のことですよ。二回ともね」


「それはもう、泣き虫と呼んで差し支えない」


「……うるさいですよ。知った風な口を利かないでください。不愉快です」  


 僕が震える声で言い返すと、彼女はクスクスと笑い、僕を抱きしめた。身体の大きさがさほど変わらないせいか、彼女の細い腕は僕の全身を包み込んだ。


「ベラミ、どうか生き続けてくれ。我の願いは、それだけで十分だ」  


 彼女が微笑むと、記憶の世界はゆっくりと溶け、消え去っていった――。


「ありがとう」


 @@@@@

 再び目を開けた。……全身を苛んでいた激痛も、麻痺したような感覚も、すべて綺麗に消え去っていた。


「……あぁ」  


 欠損していたはずの僕の左腕は今……スライムのような黒い塊に覆われていた。  


 おぞましい。  


 あたりを見回すと、僕は洞窟の中にいた。目の前には焚き火があり、周囲には誰もいない。マックさんも、魔獣スライムも。……ただ、この忌まわしい黒い左腕だけがある。意思に反してピクリとも動かず、ただ……重い。  


 立ち上がろうとしたが、左腕の重さと未だ不完全な身体のせいで、僕は無様に転倒した。


「……」  


 ひどく疲れた。  


 あぁ、もう疲れたよ。  


 もう、やめてもいいだろうか。何もかも投げ出してしまっていいだろうか。  

 この手に入れた奇妙な腕も、引きちぎって捨ててしまいたい。  


 授かったこの命も、返してしまいたい。  


 結局、結末が変わらないのであれば。助けに走ったりせず、あのままスライム魔獣を死なせていれば、誰も傷つかずに済んだのではないか。  


 今は、息をすることさえ億劫に感じる。  


 ははは……。僕は――一体何を馬鹿なことを考えているんだ。  


 失敗し、間違いを重ね、思い通りにいかないからといって、すべてに当たり散らしている。負け犬のように、駄々をこねている。  


 スライム魔獣を助けに行き、その結果、彼女に助けられたというのか。自分自身の真実を探し出すという望みすら捨てて、僕のような者のために命を捧げたというのか。どこの誰とも知れぬ生意気なガキを、無条件で救ったというのか。  


 他人のために命を捨てる。それは僕には決してできないことであり、誰にもできるはずがないと信じてきたことだった。人間が成すには、あまりに高潔すぎる行為だ。


「最低だ……」  


 あまりに弱く、あまりに惨めだ。  


 自分自身が、嫌悪感を抱くほどに弱い。……僕は制御不能な黒い腕に触れた。  


 あまりの無意味さに、吐き気がした。  


 その時。


「よう、目が覚めたか」  


 見覚えのある男の声――。


「えっ」


「……心配すんな。今回は、穏便に来た」  


 そこには、無傷に見える姿で腕も揃ったマックさんが現れ、僕に向かって苦笑いを浮かべていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ