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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第二章 披露 その3

「父さん、ちょっと」

 座敷にいた者が皆、別室へと移動していく廊下で、和人は父の蔵人を呼び止めた。

「なんだい?」

「俺は、どうもさっきの刀悟の様子が気になってしかたないから、ちょっと刀悟の部屋へ行ってくるよ」

「ああ、そうしたほうがいいだろう。実は私も気になっていたんだ。あれはちょっとただごとじゃないような感じだったからな。まあ、お前も年寄りに囲まれているよりは刀悟くんのところにいたほうが気も楽だろう」

「うん、確かにそれもある」

 和人は笑みを浮かべながら言った。

「じゃあ、会合が終わったら刀悟くんの部屋まで迎えに行くよ」

「わかった。じゃあ、皆さんには適当に言っといてよ」

「ああ」

 和人は、刀悟の部屋へと廊下を戻って行った。


「刀悟、俺だ、和人だ」

 和人は、刀悟の部屋の前に来ると外から呼び掛けた。

「ああ、入れよ」

 予想に反して普段通りの声が即座に返ってきた。

 それでも和人は、様子を伺うようにおずおずと襖を開けた。

 刀悟は、部屋の右手の壁にもたれて胡坐をかいた姿勢で座っていた。その表情は、先程、部屋を出ていったときの様子を微塵も感じさせない、いつも通りのものだった。

「なんだ、膝でも抱えて震えてるかと思えば、すっかり元気そうじゃないか」

 和人は、自分の心配が取り越し苦労だったことに安堵し表情を崩した。

「ふん」

 刀悟は気の無い様子でひとつ鼻を鳴らしたが、そのときの表情にわずかながらバツの悪そうな感じがあった。

「しかし、さっきの様子はなんだったんだ。まるでオバケにでも出会ったような感じだったぞ」

 和人は刀悟をからかうように言った。

「オバケか・・・。ああ、ありゃ確かにオバケだよ」

 刀悟が壁の上のほうに視線を漂わせながら答えた。

 和人は刀悟が冗談でそう言ったのかと思った。しかし、その表情が真面目なものだったので、驚いて顔を引き締めた。

「今は、確かに何でもなくなった。しかし、あの刀を握っていたときは、自分が何か別のものになったような感じだった。そう、まるであの刀になにか得体の知れない魔物が潜んでいて俺にとりついたみたいだったよ」

 和人は、先ほど自分が猪ノ介に向かって、大げさな表現をするために使った「魔物」という言葉を刀悟が発したため、返す言葉を失った。

「今思うと、俺がまずあの刀を試させてくれと親父にせがんだときから、すでに俺は俺じゃなくなっていたような気がする。和人もはたで見ていてなにか感じたんじゃないのか?」

 和人は一瞬、刀悟が刀に舐めるような視線を送ったときの様子のことを話そうかどうか迷ったが、結局はあの時の刀悟の心理状態が確認したいという欲求が上回った。

「お前が巻き藁の前に立ち、刀の根元からきっ先へ向かって視線を送ったときの様子には、正直言ってゾッとしたよ」

「巻き藁の前で俺が刀に視線を送ったって?」

 刀悟はけげんそうな表情で聞き返してきた。

「なんだお前、覚えてないのか?」

「ああ、記憶に無い・・・。とすると、やはりその時からおかしかったんだな」

 刀悟は、一旦、言葉を切り、ひとつ息を吐くとさらに続けた。

「やっぱり、親父の試技を見たときからあの刀に潜むなにかが俺に入り込んでいたんだ。とにかく、あのときの俺は、何か心が別の場所にあるような感じだった。その感じは、親父から刀を受け取ったときにさらに強くなった。そうして、巻き藁の前に歩みより膝を付いて構えるまでのことはおぼろげにしか記憶に無い。心がどこかに行っちまった感じだった。

 しかし、そこまではまだ良かった。巻き藁に刀を振るった瞬間、アイツは突然、俺の心をわしづかみにしようとしたんだ。俺にできたことはただひとつ。必死の思いでそれと戦いながら、親父のところまで後ずさるだけだった。もしも、あそこで親父が声をかけてくれなかったら、俺の魂はあの刀に吸い込まれていたかもしれないよ」

 そう言った刀悟の表情は極めて真剣で、人をからかっているような様子は微塵もなかった。

和人はなんと返して良いか考えあぐね、しばらく押し黙っていたが、その様子見て刀悟が聞いた。

「我ながら荒唐無稽で嘘くさい話だと思うが、お前、真っ向から否定しないのはなぜだ」

「お前とはガキの頃からの付き合いだ。お前の性格は十分承知しているし、今の声のトーンと表情に嘘がないのはわかったからな。少なくとも、お前自身はそう感じたということだろう」

「そうだ、俺にはあの刀には間違いなく何か良からぬものがとり憑いていると感じられたんだ。お前はあの刀を手に取ってみなかったのか?」

「お前の様子がただ事じゃなかったからな。そんなことをする気にはならなかった」

「そうか。お前もあの刀を手にしてみれば、何かを感じるかもしれんぞ」

「そうかもしれんな。でも、今日は、大勢の方があの刀を見に来ていらっしゃるから遠慮しとくよ。また、何かあの刀を間近で見る機会があったら俺も大下さんにお願いして手に取って振るってみよう」

「ああ、そうしてみろよ。お前ほどの腕を持つ男ならきっと何か感じるはずだ」


 その話はそれで終わり、それから二人は、今日の試合の内容を話し合って反省会のようなものをしていたが、それも途中から雑談に変わり、そのまましばらく話し込んでいた。

1時間ほど経ったころ、蔵人が刀悟の部屋の前に来て入り口の襖越しに呼びかけた。

「和人、そろそろ帰るぞ」

「ああ、わかった」

 和人はそう答えると、立ち上がって入り口の襖を開けた。蔵人は、顔だけ出すと刀悟に向かって言った。

「それじゃ刀悟くん、失礼するよ」

「あ、お疲れ様です。すみません、ろくに挨拶もせずに」

刀悟は、立ち上がると申し訳なさそうに蔵人に向かって言った。

「いやいや、それはお互い様だよ。まあ、いつも合わせている顔だ。そう形式ばることもないだろう」

蔵人はそう言うと、刀悟に向かって軽く手を振ってから顔を引っ込めた。

「それじゃあな。お前はどうするんだ?」

 和人が刀悟に聞いた。

「俺は、今日はここに泊まってから明日帰るよ。元々、その予定なんだ」

「そうか。じゃあな」

 和人も刀悟に軽く手を振って部屋を後にした。


 蔵人が運転する車の中で、和人は刀悟が語ったことを蔵人に話して聞かせた。

 蔵人は、和人の話を黙って最後まで聞いていたが、和人が話し終えると、一つため息をついてからこう言った。

「普通なら信じがたいような話だが、時王から発せられていたあの妖気と、刀悟くんが時王を手にしたときの様子を考えると本当の話だと思えてしまうな。たぶん、あの場にいた他の皆さんも同じことを思うだろう。何か良からぬことが起きなければいいがな。しばらくの間、刀悟くんを気にかけて様子を見てやってくれないか」

「わかった。俺もアイツの様子が気になっていたから今後の言動に注意していようと思ってたところだよ」

「そうしてくれ」

蔵人は、心配そうな顔で言った。

「ところで、会合はどうだったの?」

和人が蔵人の方を見て聞いた。

「今回の会合は、2か月後の日本刀の展示会への出展物の確認だったんだが、事前に皆さんから出展品目の一覧は提出されていて、監事の整理も終わっていたので、出展場所の細かい調整だけであっさりと終わったよ。それよりも、時王の出展をどうするかが話題に上がって、その意見交換に少し時間がかかったな」

「どうなったの?」

「今日、時王を見た人のほぼすべてが、決して良い感じのしない妖気をあの刀から感じたから、その素性がわかるまでは一般に公開するのは控えた方が良いだろうという話になった。見に来られる人の中には霊感の強い人もいるだろうから、そういった人に悪影響があるかもしれないということを言う人もいたしな」

「ああ、なるほど。それは言えてるね。俺もその方がいいと思うな」

「大下さんは時王の素性を調べてみるとは言っていたが、名の知れた刀工が造ったものではないから、どこを当たればいいか手掛かりを見つけること自体が難しいと思う。きっと、時間がかかるだろう」

「そうだろうね。それまで、時王はどうするの?」

「大下さんが、自宅に保管しておくと言ってたよ。あそこは使用人も多いから安心なんじゃないかな」

「ああ、そうだね。ただ、俺も一度は手にして振るってみたいとは思うんだ。刀悟が感じたように、実際に手に持ってみたら何かもっと強い想念のようなものを感じられるかも知れないからね」

「まあ、一度試してみるのはいいかもしれないな。お前が頼めば、大下さんも嫌とは言わないだろう。ただ、私もあの刀からは良からぬ気を感じたから、あまりに長くそばに置いておくのは良くないと思うがな」

「1回だけでいいだろうから、そこは大丈夫だよ」

「そうか」

 会話はそこで終わり、それからしばらくは各々に今日起こったことの意味を考えていたが、試合の疲れが出た和人はそのうちに眠ってしまった。


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