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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第二章 披露 その2

 座敷内は前にも増した喧騒(けんそう)に包まれていた。猪ノ介は、どうだ!と言わんばかりに息子の刀悟の方に向き直ったが、目に入ってきた刀悟の姿が想像以上にショックを受けたらしいものだったため、半ばあきれたようにその口に薄笑いを浮かべた。

「刀悟。どうやら、想像以上だったみたいだな。だが、そんなオバケにでも出会ったような深刻な顔をするな。皆さんがそのお前の間抜け面を見てらっしゃるぞ!」

 一座に笑いが起こった。当の刀悟は猪ノ介の声で我に返ったが、今見た光景の興奮が残っていて一座の笑い声は耳に入っていないようであった。

「親父!なんだこれは!今まで親父に見せてもらった数々の日本刀とは違い過ぎるぐらいモノが違う。こんなものがどうして今まで人目につかずに埋もれていたんだ」

 刀悟は先程蔵人が漏らした感想と同じようなことを言った。

「俺も同じ気持ちだ」

 やはり、猪ノ介の言葉により我に返った和人が言った。刀悟よりはいくらか冷静さを保っているようであった。

「親父!俺にもその刀を試させてくれ!」

 刀悟はいきなり立ち上がると、猪ノ介に歩み寄った。かなり興奮しているのが誰の目にも分かった。

 猪ノ介は、一瞬、返事を躊躇(ちゅうちょ)したが、刀に向かって差し出された刀悟の手に対しては、反射的に刀を遠ざけることで拒絶の意志を示した。

「刀悟、いきなり何を言いだすんだ。お前はこの刀にすっかり心を奪われた様子だが、ここにいるのはお前だけじゃないんだぞ。お前より先にいらしている他の皆さんに失礼だろうが」

 猪ノ介は刀悟の興奮を静めようと、諭すように言った。

「大下さん。いいじゃありませんか。刀悟くんはすっかりその刀が気に入ったみたいですから。全日本選手権の優勝祝いってことにしてもいいと思いますよ」

 蔵人が口を挟んだ。

「いや、しかしそれでは・・・」

「かまいませんよ。第一、私らにはその刀をうまく扱えるような腕がありません。それほどの名刀を私らみたいなロクな剣道の覚えもない者たちが扱ってはバチがあたるというものですよ。ねえ、皆さん」

 蔵人は一座の者に確認をとるように言った。一座の者たちは、皆、頷いたり、肯定の返事を返したりした。

「ほら、皆さんもああおっしゃってますし」

「そうですか・・・」

 猪ノ介は、一瞬、咎めるような視線を刀悟に送った後、一座を見渡した。

「申し訳ありません、皆さん。それでは、こいつの優勝祝いということにさせていただきます。刀悟、皆さんに礼を言うんだぞ!」

 猪ノ介は自分の手に握られている刀を刀悟に差し出した。

 刀悟は一座の自分に向けられた視線がまったく目に入らない様子で、待ち切れないと言わんばかりに、ひったくるように猪ノ介の手から刀を奪い取ったが、その瞬間、大きく目を見開き、体をびくりと振るわせて、一瞬その場に立ち止まった。しかし、すぐに普通の表情に戻り、首を左右に振ってから残った巻き藁の方を向き、ゆっくりと歩み寄った。

 刀悟は巻き藁と向かい合う位置に立つと、右手に握られた刀の鍔の部分から先端に向かって、舐めるような視線を送った。その様子を見ていた和人の背中にゾクリと這い上がっていくなにかがあった。

 その感じを受けたのは和人だけではなかった。その座敷内にいて刀悟を見ていた人々の全てが、同じような感じを受けた。それほど、刀悟の様子にただならぬ妖しさがあったのだ。だが、ただ一人、刀悟の背後にいた猪ノ介のみがそれに気づいていなかった。

 刀悟は片膝をついた姿勢をとると、左の肩に刀を担ぐような構えをとった。そのままの姿勢で暫くじっとしていたが、一座の者の全てに聞こえるような大きな音で一つ鼻から息を抜くと、力を入れていない軽い感じで、それでいて目にもとまらぬようなスピードで刀を水平に薙ぎ払った。


 今度もまた、一座の者の耳には空気を裂く音だけが届いた。そして、次に誰もが巻き藁の上半分が畳へ落ちてくる瞬間を想像し、それを待った。


 しかし、その瞬間は訪れて来ようとはしなかった。

 皆が巻き藁へ神経を注いでいる限界に達しようとしたとき、刀悟がゆっくりと立ち上がり、後ずさりして猪ノ介の方へと移動していった。皆は巻き藁から刀悟へと視線を移し、その姿を追った。

 刀悟が立ち止まったとき、その真後ろに位置することになった猪ノ介は、刀悟の右手に回り声を掛けようとした。しかし、その顔を見た瞬間、口にする言葉を失ってしまった。

 刀悟の顔面は蒼白で、その口は心なしか小刻みに震えているようであった。

 しばらくポカンとその顔を見つめていた猪ノ介は、やがて大声で笑い出した。

「ハッハッハッハッハツ!刀悟よ、なんだ、その顔は。この刀の毒気に当てられてすっかり魂を抜かれたみたいじゃないか。そんなんじゃ全日本選手権優勝者の名がすたるぞ!」

 刀悟は、いきなり耳元で響いた高らかな笑い声に驚いて我に返った。そして、その笑い声の主をおびえたような目で見たのち、同じ視線で一座のものを舐めるように見ると、持っていた刀を押しつけるように猪ノ介に手渡した。

 刀を受け取った猪ノ介の手に刀悟の手の震えが伝わった。


 それから刀悟は、よろよろと入口の襖へと歩いて行き、何回か取っ手に手をかけ損なったのち、がたがたと襖を開け、転がるように座敷の外へと出ていった。襖は、直後にピシャリと閉められた。


 そのとき、その光景に目を奪われていた一座の者の中心部でかすかな音がした。皆がその方に視線を移すと、そこには、巻き藁の上半分と思われるものが落ちていた。

 一座にどよめきが起こった。そして、座敷中の者が皆、近くに座っている者と、今の刀悟の様子とその後の光景とを口々に語り合った。


 その三度目の、そして、最も大きな喧騒が渦巻く中、一声高く猪ノ介が言葉を発した。

「皆さん!うちの刀悟が醜態を見せてしまって申し訳ありません!あいつにはあとできつく言っておきますので、どうかご容赦願います」

 それに対し、蔵人が引き締まった表情で答えた。

「いや、いや、それは構いませんよ。それより、さすがは刀悟くんだ。私などには信じられないような腕前でしたよ」

「いや、山中さん。ご迷惑をお掛けした上に、そのような言葉までいただいてはまことに申し訳ない。しかし、こう申してはなんですが、今のアイツの様子で、この『時王』の素晴らしさも解っていただけたかと思います」


 一座の者は皆、猪ノ介の言葉に首をさかんに縦に振っていた。

 蔵人も、ひとしきり頷いたのち、腕を組み唸っていた。その中で、ひとり和人だけが怪訝そうな表情を浮かべていた。

「しかし、大下さん。今の刀悟の様子はただごとじゃないですよ。まるで、その刀に脅えているように感じられましたよ」

 猪ノ介は和人の言葉の意味を考えているのか、しばらく返答もせず視線を宙に踊らせていた。

「ふむ。確かに脅えていたのかもしれない。剣道などとうの昔にやめてしまった私ですら、この刀を握っているだけで冷汗をかかずにはいられない。ましてや、現役バリバリで父親の私ですら驚嘆するほどの腕を持った刀悟だ。それ以上の何かを感じ取ったとしても不思議ではないだろうね」

「それじゃまるで、その刀の中に魔物か何かが潜んでいるみたいじゃないですか」

 和人は自分の中で、それを肯定しながらも猪ノ介に対しそう聞かずにはいられなかった。

「魔物か。もしかするとその通りかもしれないな。そうだ。刀悟と互角の腕を持つ和人くんのことだ。キミも刀悟が感じたものを感じることができるかもしれないぞ。どうだ、この刀を手に取ってみるかね?」

 そういって猪ノ介から差し出された刀を、さっきよりもずっと近い位置で目にした和人は、その背中に、先程の刀悟の様子を目にしたときよりも強い悪寒を感じ、どうしても刀に向かって手を差し出すことが出来なかった。

「いや、俺はやめときますよ」

 尻込みをした和人をあざ笑うようなものは誰もいなかった。この座敷内の者すべてが、猪ノ介の右手に握られている刀の素性をすでに十分に理解していた。そして、もはやその刀を手に取ってみたいと言い出す者は誰もいなかった。


 一座を重い空気が支配しようとしていた。しばらくののち、それを嫌うかのように、蔵人が口を開いた。

「ところで大下さん。今度の日本刀の展示会にはそいつも出品するんですか」

「ええ、そのつもりです。ただ、めったに手に入れることが出来ないほどの逸物ですから、私としてはでき得る限り丁寧に扱いたいのです。そこで、鍵のかかったガラスケースに入れての出品になると思います」

 一人、重い空気に囚われていない猪ノ介からは、即座に返答があった。

「ええ、それがいいでしょう。これほどのものですから、ガラス越しにでもその素晴らしさは十分伝わると思いますよ」

 蔵人は大きく頷きながら言った。

 猪ノ介も頷きながら、自分が座っていた位置へ戻り、腰を降ろした。それから、傍らに置いてあった懐紙を取って丁寧に時王の刀身をぬぐうと、鞘に収め、元通り刀袋にしまった。

「さて、私はすっかり疲れてしまいました。どうでしょう皆さん、この場はこれぐらいにして、茶菓子でも用意させますから、会合は別室でということにしましょう」

 その猪ノ介の言葉を待っていたかのように、一座のものは皆、肩の力を抜き、安堵のため息を漏らした。


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