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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第二章 披露 その1

この時代が、このお話のメインの舞台です。

 昭和33年晩春、山梨県のとある地方都市にある古美術商、大下猪ノ介の別荘。


「これが問題の逸物(いつぶつ)です」

 黒地に金色の刺繍(ししゅう)で覆われた絹の刀袋から取り出されたそれは、鈍い光を放つ黒い鞘に納められていた。

 羽織り姿の大下(おおした)猪ノ介(いのすけ)が、(よわい)五十を超えたとは思えないほど見た目にも活力の溢れる、そのがっしりとした大柄な身体に似つかわしいゆっくりとした動作で(さや)から刀を抜き、()を下にして真っすぐ右腕を伸ばしたまま目の前に構えると、今日、この刀を見るために集まり、この二十畳敷きの奥座敷に陣取った十数名の者から一斉に重いため息が漏れた。彼らのうちのほとんどは古美術商を生業(なりわい)とする者たちだったが、そのプロの目から見ても、今、見せつけられているそれは、驚くに値するものだった。

「ふうむ・・・これはスゴい!事前に大下さんからお話は伺っていましたが、これほどまでとは・・・。これは天下五剣に匹敵すると言っても過言ではない。どうして今までこのような素晴らしいものが万人の目に触れずに来られたんでしょうか。全くもって不思議きわまりない」

 猪ノ介に一番近い位置に座していた、猪ノ介とは対称的に痩せて小柄な山中蔵人(やまなかくらんど)が、これまたその身体に似つかわしい柔らかな声で呟くと、皆、うなずきながら口々に各々の感想を囁き合った。

 それももっともなことであった。その刀は、それを一目見た者が皆、他のものとはあきらかに違うということを一瞬にして感じ取れるほどのものであった。その外観はもちろんのこと、その(やいば)が放つ輝きにも万人の目を奪うものがあった。

 そして、さらにもうひとつ、他のものとはあきらかに違うものを備えていた。

「しかし大下さん、この刀は何やら妖しい気を発していやしませんか?」

 一座の者の中では猪ノ介と同じく、一番の目利きである蔵人が、やはり、最初にそれに気がついた。

 その問い掛けに対し、猪ノ介は言葉を飲み込むようなしぐさを示したのち、眉間にシワを寄せて手に持った刀を眺めたまま二三度頷くと、蔵人に視線を戻してから答えた。

「さすがは山中さん。ええ、まさにおっしゃる通りです。私が最初にこの刀を間近で見たときから、かなり強い悪寒を感じました。この刀を手にいれて何度か眺めるうちに、この感じに少し慣れたとは言うものの、今、こうして刀を手にしている私の背筋には、得体の知れぬ寒気が常に漂っているのです」

 蔵人は二メートルほどの猪ノ介との距離を少しでもつめようとするかのように、正座したまま身を大きく乗り出した。そして、その刀の素晴らしい輝きを再認識すると同時に、その背に猪ノ介と同じように言い知れぬ悪寒を感じた。蔵人は思わず姿勢を元に戻していた。

「と、ところで、銘はなんと?」

 蔵人は話題を変えようとしたが、その声にはあきらかに動揺している感じがあった。

「『時王(ときおう)』と打たれてあります」

 そう言いながら猪ノ介は、刀身の根元に打ってある刻印を皆に示した。

「『時王』?聞かぬ名ですなあ・・・。いや、それだからこそ、まさしく逸物と言えますな」

 蔵人は、これほどの名刀であれば、いずれか名のある刀工の手によるものであろうという先入観があったのか、心底、意外そうな声をあげた。しかし、そのおかげで、一時的にではあるにしても悪寒から開放されることになった。

「時代的には、江戸初期ぐらいの作品ではあるようですが、どの書物を見ても『時王』と言う名は見つからないのです」

 蔵人も、もう一度自分の知識にその名を照らし合わせてみたが、やはり、思い当たるものが無かった。

「それでは、こいつの技をお目にかけましょう」

 一座を見渡してそう告げると、猪ノ介はなにやら意味ありげな笑みを浮かべながらおもむろに立ち上がった。

 部屋の中央には三本の()(わら)が用意されており、一座の者たちはそれを遠巻きに囲むように座っていた。

 ゆっくりとその内の一つに歩みよっていく猪ノ介の動作を、周りの者たちは期待を込めた視線で追っていった。

 猪ノ介は、その視線を知ってか、じらすような非常にゆっくりとした歩みを見せた。


 目的の巻き藁の前に到達すると、猪ノ介は表情を引き締まったものに改め、口を真一文字に結んだ。それから、まるでもったいぶっているかのように非常にゆっくりと手にしている刀を上段に振りかざした。

 しばらくののち、ひとつ長く息を吐くと、まるで、ただ力を抜いただけかのように腕を無造作に斜めに振り降ろした。

 短く空気を裂く音だけが皆の耳に届いた。そのため、誰もが一瞬、構え直しをするために刀を降ろしたのだと思った。

 ところが、次の瞬間、乾いた物が擦り合わさるような音がしたかと思うと、巻き藁の左上部分がその台座とは別のものとなり、ゆっくりと畳の上へと滑り落ちていった。

 見つめていたものは皆、息を飲んだ。そのため、数秒の沈黙が室内に流れたが、ひとり猪ノ介だけは、皆の表情を満足げな笑みを浮かべながら眺めていた。

「なんだこれは!」

 まず、蔵人が大声を上げた。すると、それが合図かのように、他の者からも、驚きとも、恐怖ともつかぬような声が口々に発せられた。


「失礼!」

 その喧騒が渦巻く中、大きな声と共に座敷の入り口の(ふすま)が左右に開かれ、カッターシャツにスラックス姿の、190センチはあろうかというひき絞まった体躯(たいく)の二十代半ばと思われる男が二人入ってきた。それは、猪ノ介と蔵人のそれぞれの息子、大下(おおした)刀悟(とうご)山中(やまなか)和人(かずと)であった。

「おお、帰ったか。待ち兼ねたぞ。まあ、二人ともそこへ座りなさい」

 猪ノ介は声のした方を振り返ると、蔵人の横の空間を指し示しながら言った。

「で、今日の剣道の試合の結果はどうだったんだ?」

 その問い掛けに対して、和人は右にいる刀悟のほうに伺うような視線を送ったが、刀悟に口を開くような様子がなかったため、猪ノ介の方へ視線を戻すと、バツが悪そうに右手で首筋の後ろを掻きながら答えた。

「いや、今回は刀悟にやられてしまいましたよ。今日のこいつは全く手がつけられない感じで、緒戦から一本も取られないで決勝までいきましてね。俺もなんとか決勝まではいったんですが、あっという間に面を二本取られて終わりですよ」

 そう言いながらも、山中和人はまるで楽しいことのように軽い笑みを浮かべながら腰を降ろした。

「いやぁ、今日はとにかく早く帰って親父が手に入れたって言う刀が見たかったせいで、いつもより余計に切り気合いが入っただけさ」

 刀悟も、同じく軽い笑みを浮かべながらその横に腰を降ろした。

「ほう、そうか。よくやった刀悟」

 猪ノ介は我が子の活躍に目を細めながら愛好を崩した。

「しかし、全日本選手権は去年がうちの和人で今年が刀悟くんか!そんな剣豪が二人も身近にいるというのが、なんだかピンと来ませんなあ」

 蔵人は刀悟への対抗意識でもあるかのようなセリフを口にしたが、その顔には自慢げな様子は微塵(みじん)もなく、素直に二人を称賛しているようだった。そうして、まるで二人共が自分の息子であるかのように、満面に笑みを浮かべた。しかし、すぐに、自分達が何をしていたかを思い出し、表情を引き締めると猪ノ介の方へ視線を戻した。

「いや、いや、そんなことを言っている場合ではなかった。大下さん、そいつの切れ味はただごとじゃありませんぞ。いったい、そのようなものをどこで見付けてこられたのですか」

 それを聞くと刀悟の表情が急に険しいものに変わった。

「えっ!親父、もう見せちゃったのか、ズルイなぁ。俺達が帰って来るまで待ってくれたっていいじゃないか!」

 そう喰ってかかると、その身体に興奮した態度をありありと現した。

「刀悟、まあそう言うな。今、もう一度見せてやるから!」


 猪ノ介は部屋の中央を振り返ると、「では、今、再び」と一同のものに声をかけ、またもゆっくりと巻き藁目指して歩を進めていった。

 先程と同じような間合いに達したところで静かにその巻き藁に対し、下から上へと舐めるような視線を送った。

 その場の者は皆、猪ノ介が見せたその重々しい態度と、今からまた眼前に展開するであろう先程の光景に対する期待とで、かたずを飲んで静まり返った。

「さあ、刀悟!よく見ておけ!」

 猪ノ介は低く大きく言い放つと、刀を握る手に力を込めた。

 刀悟はその言葉をきっかけに、目指す刀のギラギラと光るきっ先を魂の全てを込めるかのような強烈な視線をもって注視した。その視線は、猪ノ介が刀を振り上げ大上段に構えるのに通った軌跡を、まるで目玉がそのきっ先に貼り付いたかのように追い続けた。

 次の瞬間、刀は振り降ろされた。

 ただ、今度は先程と違い、刀身は巻き藁の真上からその真ん中を裂くように通っていった。

 また、空気を裂く音だけが残った。

 巻き藁は当然のことのように音も立てず左右に分かれ、畳の上へと静かに倒れていった。


和人は、たった今、眼前に展開された光景に強い衝撃を受け、放心したように畳の上に落ちた巻き藁を見つめていた。真剣による試技を見たのはこれが初めてではなかったが、今までのものとは比べ物にならないほどの圧倒的なその光景に、しばらくの間はあっけにとられるしかなかった。

(なんだこいつは!こいつの技はただごとではないぞ!今まで俺が目にしてきた刀のどれよりも、レベルそのものが一段高いところにあるという感じだ!しかも、(やいば)のあの(あや)しい輝きはどうだ!まるで人間の魂を吸い取るかのようだ!)


 しかし、その横に座っている刀悟にはその和人の様子が目に入っていなかった。

 刀悟は自身も、眼前で展開された光景に衝撃を受けて目が釘付けになり、呆けたようになって手足を細かく震わせていた。


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