第九章 悟り その2
数時間後、和人の部屋に恭一と朋美は戻っていた。
「大したことなくて良かったわ。いきなり倒れるんだもん。びっくりしたわ」
朋美は安堵の表情で言った。
「ああ、しかも、いきなり刀を振り回したりして・・・と、そうだ!刀!」
そこで恭一は、床に置かれたままになっていた刀悟の刀へと小走りに駆け寄り拾い上げた。
「この抜けなかった刀が抜けるなんて・・・しかし、なんか言葉じゃうまく表現できないけど、凄いなにかが伝わってくるぞ、これ」
そう言いながら、恭一の表情はみるみる引き締まっていった。
「これって、錆付いてもいないのに、造られたときから何十年も抜けなかったっていう、おじいちゃんの友達が作った刀でしょう?なんで急に抜けたのかな」
朋美は不思議そうな表情で言った。
「さあ、その理由はわからん。30年ぐらい前に1回だけ抜けたみたいだけど、その時も理由がわからなかったらしい。でも、俺もずっとこの刀が見てみたいと思ってたから、その念願がかなったよ」
恭一はそう言って、まじまじと刃を上から下へ舐めるように見ていった。柄の部分まで見ると、刀を裏返して今度は反対側を同じように見ていった。
「いやあ・・・これは見事だ。素晴らしいとしか言いようがない。こんな見事な刀にはなかなかお目にかかれるもんじゃないよ」
視線を刃に置いたまま恭一はうなった。
「そうなの?私にはよくわかんないけど」
朋美はそう答えた。
「しかし、ちょっと気になることがある」
「気になることって?」
「いやね、さっきじいちゃんが刀を振ったとき、かなりのスピードだったと思うんだけど、なんかまったく音がしなかった気がするんだよ」
「ええ~、そうかなぁ。私は覚えてないけど」
「いや、確かにそうだったよ。普通、日本刀に限らず、物をあんなスピードで振ったら空気を裂く大きな音がするだろう?ビュッっていうな。それがまったくなかったんだよ。うーん、理屈には合わないけどそういう刀なのかなぁ」
そう言いながら、恭一は刀を朋美に向けて正眼に構えたあと大上段に振りかぶった。
「ちょっと、やめてよ。さっきもなんだか恐くて思わず悲鳴を上げちゃったんだから」
そう言って、朋美は廊下まで後ずさった。それによって二人の距離は3メートル以上に離れた。
「それに、刀ってやっぱり人を殺すための道具でしょ?こっちに向けて構えられると、私、恐いわ」
朋美がその言葉を発した途端、恭一の表情が一変して険しいものになり、朋美を鋭い眼光で睨んだ。そして、絞り出すような声で「むうん」と唸った。
「ちょっと、おにいちゃん。ふざけないでよ。やめてって!」
そう言うと朋美は、二人の間の開け放ってあった障子を勢いよく閉め、同時に刀から逃げるように左に飛んで廊下に倒れこんだ。
「だっ!」
その瞬間、恭一が思い切り刀を振り下ろした。刀の切っ先は、先ほどの和人のそれを凌駕するほどのスピードで障子の手前1メートルほどのところを通っていった。
ビュンッ!という甲高い轟音が刀から発せられ、それと同時に、障子が縦に真っ二つに裂けて庭の方へ吹っ飛んでいった。
「キャー!」
朋美が、その様子を見て絶叫した。
その言葉で恭一は我に返った。
「と、朋美!」
持っていた刀を放り出すと、あわてて朋美に駆け寄った。
「大丈夫か!」
朋美を抱き起しながら恭一は聞いた。
「あ、うん。ちょっとびっくりしただけ」
朋美は答えて、庭に落ちた障子を見ると、体をぶるっと震わせた。
「良かった。一緒に切ったかと思ったよ」
「お兄ちゃんが怖い顔をしたから思わず避けちゃったんで大丈夫」
そこで、恭一は、庭に落ちた障子を見ると、体を起こした朋美から手を放し、サンダルを引っ掛けて庭に降りて行った。
障子の切られた面を手に取って見て愕然とした。驚くほど見事に切断されており、特に、桟の部分は磨かれたようにツルツルだった。
恭一は、障子を置いて廊下に戻ると、
「障子は俺が片づけておくから、お前は自分の部屋に戻ってろ。あの刀は、嘘かホントか未来のために大きな使命を持った刀だというのも聞いたことがあるから、そばにいると、また変なことが起こるかもしれない」
「うん、わかった」
朋美は、そう答えると、立ち上がって足早にその場から去って行った。
和人の部屋に戻った恭一は、畳の上に放り出されたままになっている刀悟の刀を取り上げようとしたが、先ほど起こったことと、かつて和人が、触っただけで親指が切り落とされたと聞いたことを思い出して思いとどまった。
壁にかけてあった孫の手をとり静かに刃に当ててみると、触ったか触らないかのうちにその先端が綺麗に切断され畳の上に落ちたため恭一は愕然とした。
こんな恐ろしいものは人目につかない場所に隠してしまおうと、鞘を拾い上げてから恐る恐る鞘に収めた。
「しまった!」
次の瞬間、恭一は、自分の行動を後悔した。
あわてて刀を抜こうとしたが、半ば予想した通り、もう抜くことができなかった。
そのまましばらく座ってなにやら考えていたが、ついに刀を持って部屋を出ていった。
恭一は、袋に入れた刀悟の刀を持って病院に行き、和人がいる個室へ入ろうと入口のドアノブに手を掛けたが、和人が「刀悟を、刀悟をここへ連れて来い」と静かながらはっきりとした口調で命令のように言い募っているのが聞こえて来たため、一旦手を止めた。
「あんな危険なものはダメだ」
と、恭一の父親の安弘の拒絶の声も聞こえて来たが、和人は「刀悟、刀悟」と繰り返している。
そこで恭一は、ノックもせずにドアを開けて病室に入ると、ベッドの上に座っている和人の横に行き、持ってきた刀を袋の中から取り出した。
「そんなものをここへ持ってくるやつがあるか!」
安弘は恭一を怒鳴った。
「それが、また抜けなくなっちゃたんだよ。そこが気になってね」。
恭一はそう言うと、そのまま刀を和人に差し出した。
「バカ!なにやってんだ、お前!」
安弘は怒鳴り、和人から刀をひったくろうとしたが、恭一は、それを手で制した。
和人は、刀を受け取ると途端におとなくしなった。ベッドの上に座ったままやや広げた両手の上にその刀を載せてしばらくそのままの姿勢でいた。
安弘は自分の手を引っ込めると、不安げにその様子を見つめた。
やがて和人は、左手で刀を持ち上げると、ゆっくりとした動作でそれを抜いた。
「やっぱり!」
恭一が小さな声で呟いた。
和人は、ベッドに座ったまま刀を正眼に構えたが、刀身の少し手前を見ているようだった。その顔には、心底幸福そうな表情が浮かんでいた。
安弘が口を開いて前に出ようとするのを、恭一は、再度、手で制した。
和人は、刃を上に向けて自分の顔の近くに持ってくると、右手の人差し指で刃をなぞった。
「あっ!」
安弘は、思わず声を出して、体を固くして顔をしかめた。恭一は、その様子を冷静に見つめていた。
しかし、和人の指には何も起こらなかった。
和人は、満足そうな顔をして刀を鞘にしまうと、自分の右側に縦に置き、そのままその刀に添い寝するように横向きに寝て静かに目を瞑った。
「刀は抜けるじゃないか!」
安弘は恭一をとがめた。
「いや、抜けないと思うよ。やってみてよ」
「なに?」
安弘は、恐る恐る刀を取り上げてから引き抜こうとしたが、刀はびくともしなかった。
「どういうことだ?」
と、安弘は言った。
そこで、和人が目を開けて安弘のほうを見た。安弘は、ばつが悪そうに元の位置に刀を戻した。和人は、その刀を両手で掴み、今度は仰向けになって自分の体の上に持ってくると、またも満足そうな笑みを浮かべて再び目を瞑った。
「訳が分からん」
眉間に皴を寄せて安弘は呟いた。
「たぶん、じいちゃんにだけ抜けるんだよ。いや、今のじいちゃんにだけ、と言った方が正しいかな」
と、恭一は和人を見つめながら言った。
そこで、入り口のドアからノックの音がした。
「失礼します」
病室の扉を開けて笹山次雄が入ってきた。和人よりはやや若い70歳を少し超えた程度の年齢で、髪は薄くなって半分白髪になっているが、小太りで足取りはしっかりしており、人の良さそうな表情をしていた。
「ああ、笹山さん!ちょうど良かった」
恭一が笹山に向かって言った。
「ん?恭一くん、どうかしましたか」
「いや、刀を鞘に納めたら、俺や親父じゃ抜けなかったのに、じいちゃんはまた当たり前のように抜いたんですよ」
「ほう」
「でも、俺にはなんとなくわかる気がして」
恭一は言った。
「実は私も、またあの刀が抜けたと聞いて、その直後から理由を考えていたんですよ。というより、30年前に抜けてからずっと考えていましたが、今回のことで抜ける場合の条件がわかった気がします」
「それは一体?」
恭一は、興味を引かれたような表情で笹山に尋ねた。
「この刀は必要な時が来たら力を発揮するように作られたものだから、その役目を果たすときだけ刀であればいい。おそらく、そのときには、真の持ち主の意思を感じ取って、素晴らしい力を発揮する刀となるのでしょう。
時王も、普段はその役割をほとんど表に出さないで鞘の中に納まっていました。刀悟さんは、その時王に長時間触れたことによって、その想念が体の中に宿った。そして、それに刀悟さんの強い意志が加わったかたちで生み出されたのがこの刀だと思います。つまりは、時王と同じく生まれてくる時代を間違えた刀なのでしょう。
だから、この刀の本当の力を知らないで、これを単に武器だと認識している者が使おうとしても、鞘から抜くことさえかなわない。万が一、抜かれた状態でそのような者が触れた場合は、制御不能な恐るべき凶器になる。真の持ち主以外にこの刀を使える者がいるとすれば、それは、赤子だったかつての私の息子や、今の和人さんのように、これを刀だと、いや、武器だと認識していない者だけなのでしょう。しかし、そのときは自分の役割をこの刀自身が忘れているため、何も切れないものとなるのでしょう」
そこで一旦言葉を切ってから笹山は続けた。
「この刀は、今の和人さんが持っているのがいいのではないですか。そして、墓場まで持っていくべきだと思います」
その話は、恭一には間違いではないという気がした。
「今のお話し、なんだか俺にはとても納得できる内容でした。そして、今の時代にはこの刀はとても危険だと感じました。俺も、この刀を墓の中までじいちゃんに持って行ってもらうのは賛成です」
その言葉を聞いて、笹山は二度頷いた。
和人は、どこにも命にかかわるような病気がなかったにも関わらず、それから1週間後に息を引き取った。まったく苦しんだ様子は無く、むしろその顔には幸せに満ち足りた表情が浮かんでいたという。
最後に意識をなくす直前、見舞いに来た笹山に、
「久しぶりに刀悟に会いましたよ」
と、言っているのを恭一は聞いた。
葬儀の場で、恭一は笹山を呼び止めた。
「笹山さん、この刀なんですが・・・」
恭一の手には、刀が入っていると思われる縦長の袋が握られていた。
「やはり、こいつをこのまま祖父と一緒に埋めてしまうのは惜しい気がします。・・・いや、本当のところを言うと、目の届かないところに置いておくのが恐い気がしているんです。ぜひ、この刀のことを理解している笹山さん、あなたに引き取っていただきたいのですが」
笹山は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに優しい顔つきになって言った。
「なるほど、その気持ちはわかります。了解しました。この刀に対しては、外側の手入れをすることぐらいしか私にできることはありませんが、手元に置いておきましょう。それと、かつて大下猪ノ介さんは、この刀は、誰が持っていても時が来ればその役割を果たすだろうとおっしゃっていたそうですから、私が持っていても、特に問題はないでしょう」
「ありがとうございます」
恭一は心底ほっとした顔をしてそう言った。
それから数年後、笹山は事業に失敗して多額の借金を作り破産宣告をした。家財一切は差し押さえられ、息子の家の一室で同年輩の老いた妻と二人で暮らすことになった。
そこへ越してきたときの笹山の荷物と言えば、スーツケース2つに入る程度の衣類のみで、美術品、骨董品の類は一切持っていなかったという。
それっきり、刀悟の刀の行方は知れなくなった。




